小岩嶽城(こいわたけじょう)

小岩嶽城の基本情報

通称・別名

小岩岳城

所在地

長野県安曇野市穂高有明3464-4

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

仁科氏

築城年

戦国時代

主な改修者

主な城主

仁科氏、古厩氏

廃城年

天正11年(1583)

遺構

曲輪、石積、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

市史跡(小岩嶽城跡)

再建造物

模擬門、模擬塀、模擬櫓、石碑、説明板

周辺の城

中塔城(長野県松本市)[12.9km]
平瀬城(長野県松本市)[13.2km]
虚空蔵山城(長野県松本市)[16.3km]
稲倉城(長野県松本市)[16.9km]
松本城(長野県松本市)[18.1km]
井川城(長野県松本市)[19.2km]
青柳城(長野県東筑摩郡)[20.2km]
仁科城(長野県大町市)[21.2km]
林城(長野県松本市)[21.8km]
桐原城(長野県松本市)[22.2km]

小岩嶽城の解説文



小岩嶽城(こいわたけじょう)は、信濃国安曇郡(のち南安曇郡)小岩嶽[1]、現在の長野県安曇野市にあった日本の城。安曇野市指定史跡。

概要 

中世仁科氏庶流の古厩氏が領有していた安曇郡穂高有明の古厩郷に、大永2年(1522年)仁科盛国が築城した。国人領主の仁科氏は信濃国守護小笠原氏とは抗争を経て被官化した経緯があり、臣下にあっても小笠原氏を警戒する狙いがあったものと思われる。

天文年間、武田晴信は信濃への侵攻を開始。天文21年(1552年)8月、武田軍は3000人の兵で500人で守る小岩嶽城を攻撃した。城主の仁科氏庶流小岩盛親は3ヶ月にわたる籠城の末自刃した。永禄4年(1561年)には仁科氏宗家も滅亡する。

その後、小岩嶽一帯の元々の領主である古厩氏は武田氏(森城主仁科盛信)に従った。天正10年(1582年)の武田氏滅亡後は上杉景勝配下の市川信房に宛行われたが、後に小笠原貞慶が旧領に復帰し、古厩盛勝も小笠原氏に従った。しかし天正11年(1583年)、上杉方に通じて小笠原氏に逆心を企てたという理由で成敗された。小岩嶽城はこの時点で古厩氏居城の古厩城とともに廃城になったと思われている。

遺構 

現在、城は小岩嶽城址公園となっており、模擬門、櫓を模した展望台がある[2]

城の遺構は、山上だけではなく、山麓にもある[3]

山上の遺構
  • 曲輪[4]
    • 北の尾根には大小50段以上の削平地群が展開する[5]
  • 堀切、竪堀
    • 西の尾根には連続竪堀がある。

山麓の遺構
  • 曲輪[6]
  • 土塁
  • 石垣 - 自然石を積んだ「野面積」である。
  • 虎口
  • 空堀
    • 惣構 -山麓部を囲繞する空堀(幅約15メートル・深さ約7メートル)があり、横矢をかけるように折歪がつけられている[7]
  • 土橋

復元・関連建造物など

  • 櫓門 - 木造で建てられた門。後ろは林となっている。
  • 展望台 - 遊歩道から左手に登ったところに建立。石垣の上にのろし台を模したもの。中は登れるが暗いので要注意。
  • 小岩嶽城戦没者慰霊碑 - 武田氏の信濃侵攻の際に、戦死した籠城兵の慰霊のため建立。

交通 

  • JR大糸線・穂高駅から安曇野周遊バスに乗り「小岩岳別荘入口」バス停下車、徒歩約20分
  • 長野自動車道・安曇野ICから約30分
    • 小岩嶽城址公園駐車場(無料)

参考文献 

  • 【書籍】「 信濃 小岩岳城 」
  • 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書2』 1988年
  • 南原公平 著『信州の城と古戦場』 しなのき書房 2009年
  • 宮坂武男 著『縄張図・断面図・鳥瞰図で見る信濃の山城と館』第7巻 戎光祥出版 2013年

小岩嶽城の口コミ情報

2022年08月22日 内記かずりヾ(・ε・。)
田ノ入城(茶臼山城・寺村山城)[小岩嶽城  周辺城郭]



〜崩落してしまったお城シリーズ〜

田ノ入城(茶臼山城・寺村山城)は小岩嶽城の北東約8.1km、標高約852mの大穴山山頂部に城域が存します。西麓平野部との比高は280m位ですが、城域直下まで舗装林道が延びているので徒歩で登る比高を10m位にする事も可能です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。前述の舗装林道脇には案内の標柱が立っています(田ノ入峠ていう峠でもある。)。が、誰でも最初は見付けられないでしょう。ちなみに舗装林道は軽四駆じゃないと無理なレベル…道は狭く荒れまくりな上に斜度の付いたヘアピンカーブが凄まじく厳しいので車を捨てた方が精神衛生上楽だったりします。

築城年代は不明、築城者は里伝から渋田見勘解由とされています。渋田見氏については同じ小岩嶽城のリア攻めマップにある渋田見氏館を参照して下さい。

お城の現況ですが、地滑り具合が凄まじい…ミニカルデラですわ…旧態さえ全く判らん。地滑り箇所の先には不自然に小山が形成されてるのでたぶんあれが主郭部だったのかな…崖下に持ってかれたんでしょか。遺構は尾根筋の一部に僅かな痕跡を留めているだけに過ぎません。お城の存在を示す城跡碑も凄まじく微妙な所に立ってます。調子に乗って崖端ぎりぎりで写真撮影なんかしないように…自分の立っていた場所を別角度から確認したら信じられない所に立っていましたわ…何か足元の土がふわふわするなぁ…とは思ってたんすけど…ちなみに青柳城のリア攻めマップにある生坂村の日岐城を丸々眼下に収めます。

今夏の安曇野市とその周辺の城館口コミはとりまこれで一段落、駿州の城友さんには1日で10居館廻ったよと報告しましたが、最近数が数えられなくなってるのか12居館、4城廻ってました(1城は敗走…)。暑さで脳が溶けてたんすかね…でも居館廻りなんて楽勝でしょ〜とか思わないでw古い国土地理院地図を利用した位置図を頼りにGoogleマップで大まかな場所を叩き出し、且つ現地で居館の正確な位置を特定するのは情報があっても至難の技、毎回の如く「ありっ?何か違う…」とか呟きます。市街地や郊外の中の一軒を土地勘無いまま探すんだから大変な作業を伴うんす(車の捨て場所にも悩みます。)。それでも楽しいんだけどね〜特定した時の感動はリア攻めより優れますw

2022年08月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
構えの墓館[小岩嶽城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

構えの墓館は小岩嶽城の南東約9.4km、標高約550mの平野部平場に存した居館です。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。市街地ではありますが車はそこら辺に捨ててもOK♪レベルです。時間も取りませんし…

築かれた年代は不明、お住まいになられていたのは成相氏に関係する者と推測されているそうです。成相氏については同じ小岩嶽城のリア攻めマップにある成相氏館を参照して下さい。居館は同じ小岩嶽城のリア攻めマップにある法蔵寺館を堀の内とする出構えとされていますので、武田氏が棒道(武田氏が整備したとされる軍道っす。)沿いに築いたものとする説も正しいんでしょう。

法蔵寺館の口コミでこの出構えを「無視しても大丈夫です。」と書きましたが、信濃の城館全制覇を目指すおいらは無視しないっ!ただ写真見て頂けたら解ると思いますが、ノーマルな方は行ってもしょうもないので悪しからず…標柱が立っているのがせめてもの救いかと…

居館の現況は全てが正しく墓地となっています。墓地の全てが居館の敷地を示していると言っても過言じゃないです。出構えとは言いましたが、実際は周囲に堀を巡らせた屋敷割りで守る意識は希薄な印象、大体、武田氏時代に築かれた説を採るならば、安定した支配領域である当地の守りを南東方向正面に厳重にする必要が一切無い。もしそう考えるなら法蔵寺館は成相氏の居館等ではなく、純粋に棒道沿いに築かれた武田氏の中継点、安曇郡内における宿城の機能を有していたようにも思えます。少なくとも交通の要衝であった事は間違い無いしね。ちなみに堀はもやい堰て言う堰から導水されていたようで、敷地の東辺、西辺には堀形が残っているらしいけど現地ではちょと難しい…南辺、北辺は舗装路を堀跡と考えればすっきりするかな。

リア攻め当日は墓参に来ている家族連れが居館を占拠していて写真撮影待ちの状態に…墓参りの方が正しく、此処をリア攻めする方がおかしいとは自分でも思います。

2021年04月06日 内記かずりヾ(・ε・。)
布上城[小岩嶽城  周辺城郭]



布上城は小岩嶽城の北方約7.9km、標高1371mの雨引山から東方へ延びる尾根上、標高約993mのピークの一つに主郭が存します。東麓からの比高は340m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されている東麓の伊の神公園墓地を目標に設定して下さい。堂々と駐車も出来ます。このお城は主郭のピークから南北に山の肩を持ち、それぞれから東方へ向けて支尾根が延びています。どちらからでも行けますが、北側支尾根の方が楽なので墓地最奥部の踏み跡程度の道を進みます。途中で道を見失うと思うので、そこからは支尾根に取り付く事だけを考えて直登しましょう。支尾根上に出れば後は上を目指すだけとなります。

注意点は熊さん対策を確実に…東麓にはフルーツ盛りが入った熊の箱罠や鳥獣駆除装置、電流柵が設置される里山です。訪城時には尾根下を走り去る子連れの熊さんを目撃しました。子連れの熊の冬眠明けは1ヶ月程早い事になりますね。

築城年代、築城者は不明ですが、仁科氏庶流の大和田氏が推測されています。お城の山容は上田の塩田城にも似ており、築城者はきっと「あの真ん中のぼこりんにお城を造ろうかな…」とか考えたと思います。

お城は素晴らしいです。南北の尾根には堀切や小郭が設けられ城域に入った事を自然と確信させてくれます。主郭部の遺構の残存率は極めて高く、堀切や竪堀、土塁、堡塁が明瞭に残ります。少し変わっているのが主郭の土塁+二つの堡塁の西側一段下がった所に三角形の空堀、掘り残しの土塁兼土橋を持つ事です。天水溜めと推測されてますが、本当にそれだけなのかな。この下には堀切があるので利用はそれだけに留まらないでしょう。又、ただの天水溜めにしてはこの規模のお城としては破格の大きさです。

この高所に意外にも技巧的な縄張でびっくりしました。行くのは少し面倒ですが、頑張った分のご褒美は貰えるお城だと思います。又、情報だと南側支尾根からの登城が楽な様に書かれる事が多いですが、北側支尾根からの方が全然楽なので注意して下さいまし。

2021年03月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
観勝院山城(大和田山城)[小岩嶽城  周辺城郭]



観勝院山城(大和田山城)は小岩嶽城の北方約8.6km、標高1093mの大洞山から南東へ延びる標高約810mの尾根上に主郭が存します。東麓の観勝院跡地からの比高は180m位でしょか。

築城年代は不明ですが、築城者は仁科氏の庶流、大和田氏と伝えられています。大和田氏はこのお城の周辺地域を所領としていたらしいですね。直近には布上城、西山城といったお城も存し、大和田氏所領だけでなく仁科氏本領への南方からの守りを固めています。縦深防御地帯と言ってもよいぐらいのお城の密度が安曇野市、大町市、池田町、松川村にはありますね。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。東麓の観勝院(永正年間に大和田盛氏が建立と伝わる。)跡地は駐車も余裕です。この跡地の獣柵ゲートから入れば1〜11までの番号が付与された案内板のある登城路が付いてます。が、登城路が荒れてる事に加えて案内板自体が肝心な場所で倒れているので追えません。たぶん案内板の4ぐらいで登城路を見失うでしょう。そんな状況になったら左右にある尾根筋を無視して気持ち真っ直ぐに直登して下さいまし。そうすると城域北端、最高所に存する物見郭にぶつかります。そしたら此処で現在地と方角を再確認しましょう。自分は物見郭背後の堀切に誘われてそのまま北西へ爆進、気が付いたら標高905mのピークに到達、無駄な体力を消耗しました。正解は物見郭から南方へ下るです。

お城はとっても素敵です。堀切と竪堀で区画された連郭式の妙を味わいましょう。郭間の繋ぎには土橋なんかもありますね。しかし何と言っても感動するのは郭間を隔てる竪堀脇左右に展開する段郭状の帯郭(腰郭でもある。)です。縄張図ではよく見られるこの形、現地に赴くと崩れてたりエッジを失くしてたり藪ってたりで、もぅ何が何だかよく判らねぃよみたいな感じになりますが、このお城でははっきりと5〜6段の帯郭が確認出来ます。お城の段々感(写真は非常に難しい…)が実に素晴らしいです。又、主郭部周辺の土塁の付き方にセンスを感じたりもします。

城域内の各所にあるお城の説明板は凄くしっかりしていて松川村に感謝なんですが、肝心の登城路が崩れています。ただ帰りはちゃんと追えるので行きの城域までを頑張りましょう。他では滅多に味わえない感動がきっと待ってますよ!




2018年05月06日 三尺坊左近衛中将影ちゃんII号
小岩嶽城

小岩嶽城址近くの農産物直売所の隣に日帰り温泉施設【しゃくなげの湯】が出来てました。小岩嶽城をリア攻めの後に寄ってみては?


小岩嶽城の周辺スポット情報

 観勝院山城(大和田山城)(周辺城郭)

 布上城(周辺城郭)

 構えの墓館(周辺城郭)

 田ノ入城(茶臼山城・寺村山城)(周辺城郭)

 渋田見城(城山)(周辺城郭)

 白沢砦(周辺城郭)

 押野城(高田城)(周辺城郭)

 くねの内館(城が平)(周辺城郭)

 内堀館(周辺城郭)

 中村の殿田館(周辺城郭)

 荻原城(塩川原城)(周辺城郭)

 中村城(城峰・天狗山)(周辺城郭)

 池ノ戸城(周辺城郭)

 荻原古屋敷(周辺城郭)

 鼠穴城(周辺城郭)

 中島城(周辺城郭)

 平出城(周辺城郭)

 若松城(周辺城郭)

 鵜山城(周辺城郭)

 白駒城(城熊城・白熊城)(周辺城郭)

 長者が池館(周辺城郭)

 平出石原山城(周辺城郭)

 花岡城(周辺城郭)

 堀之内館(城の平)(周辺城郭)

 正科館B(周辺城郭)

 正科館A(周辺城郭)

 鼠穴館(北海渡居館)(周辺城郭)

 西山城(周辺城郭)

 矢口氏居館(堀屋敷・筑前屋敷)(周辺城郭)

 渋田見館(内堀)(周辺城郭)

 成相氏館(内堀・御屋敷)(周辺城郭)

 法蔵寺館(周辺城郭)

 細萱氏居館(殿村館・城内・内ぼり)(周辺城郭)

 矢原東村の堀ノ内(周辺城郭)

 矢原北村の堀ノ内(周辺城郭)

 主水城(あら城)(周辺城郭)

 等々力氏館(内堀)(周辺城郭)

 等々力城(周辺城郭)

 貝梅城(周辺城郭)

 穂高氏館(堀屋敷)(周辺城郭)

 狐ん城(周辺城郭)

 滝沢城(城山)(周辺城郭)

 滝沢館(堀屋敷)(周辺城郭)

 古厩氏館(堀屋敷)(周辺城郭)

 古厩城(正真院)(周辺城郭)

 仁科神明宮(寺社・史跡)

 等々力家(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

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