虚空蔵山城(こくぞうさんじょう)
虚空蔵山城の基本情報
通称・別名
- 会田虚空蔵山城、会田城
所在地
- 長野県松本市中川
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 岩下氏(会田氏)?
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 岩下氏(会田氏)?
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
青柳城(長野県東筑摩郡)[7.4km]
稲倉城(長野県松本市)[8.0km]
平瀬城(長野県松本市)[10.6km]
麻績城(長野県東筑摩郡)[11.6km]
岡城(長野県上田市)[14.5km]
桐原城(長野県松本市)[14.6km]
松本城(長野県松本市)[14.8km]
林城(長野県松本市)[15.9km]
小岩嶽城(長野県安曇野市)[16.3km]
山家城(長野県松本市)[16.5km]
虚空蔵山城の解説文
虚空蔵山城の口コミ情報
2022年07月24日 しげしげ主税頭信繁
虚空蔵山城
舗装された林道の獣ゲートを開けて進入し、暫く進むと登城口がありますが更に奥に進むとまた登城口が有ります。駐車場はありませんが車2〜3台程は停められます。そこには鳥居が有り湧き水も出てます。
そこから直登になりますが、岩谷神社がありそこからは九十九折の獣道です。ゆっくり休憩しながら20分程で主郭まで辿り着きます。
帰りも同じ道を戻りましたが大変滑りやすいので慎重に降りましょう!下に降りて湧き水を飲みましたが、大変冷たくて美味しかった!
2022年05月11日 内記かずりヾ(・ε・。)
西ノ宮笹ヶ城(山笹城)[虚空蔵山城 周辺城郭]
西ノ宮笹ヶ城(山笹城)は虚空蔵山城の西南約2.7km、会田川北岸(右岸)、標高761.5mの山塊山頂に主郭が存します。南麓の長野県道303号線、会田西条停車線からの比高は155m位でしょか。
行き方はちょと難しい…一応Googleマップに位置登録されているのでとりまダイレクト設定して下さい。が、お城の南麓から東麓に掛けて長野自動車道の高架道が走っているので取り付きが限定されています。東麓の高速道路下に設けられた麻績20トンネルを抜けて舗装路を南下、お山の南尾根には何かの整備用保安道の階段が付いてるので此処が登城路入口となります。道も一応付いてますが途中から尾根筋(急登である。)に入ると結局不明瞭となります。迷う事はありませんが…
築城年代は不明、築城者は会田(岩下)氏です。岩下氏の被官、山笹氏が詰めていたらしいっすね。虚空蔵山城を取り巻く城砦の一つでお城自体は物見台か狼煙台規模の縄張、明科、田沢方面から谷筋を抜けた会田の関門に当たる立地で、お城の西側を流れる沢筋に並走する林道を北方に登り詰めると五本峠に至ります。
お城はほぼ地山の印象で、南端の三峯社を物見郭とし山頂を主郭部とする単純な縄張です。ただ山頂部の削平はしっかりしていて、縄張図における通称1郭と通称2郭はそれなりの面積があります。特に一段低い通称2郭は小屋掛出来そうなぐらいの面積となっていて、城番が置かれた恒久的な砦であった事を窺わせています。主郭にはびっくりする事に標柱が寝ていたりなんかもしますね。又、縄張図を見ると城域北端には堀切1条が設けられていますが埋まっちゃったんでしょかね、今は大変難しい…
眺める方向から色んな表情を見せてくれる虚空蔵山(城)ですが、此処の主郭部からの遠景はとんがり感がMAXで大変素敵、狼煙揚げれば直で届いた事でしょう。お城的にはマニア向け。会田(岩下)氏関連の城館コンプリートを目指す方は是非、ただコンプリートは凄まじく面倒で情報皆無な色物物件を2件程抱えています。来冬挑戦しよかな。
2022年04月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
三峯社上の旗塚[虚空蔵山城 周辺城郭]
三峯社上の旗塚は虚空蔵山城の南西約2.1km、標高約868mの山塊山頂から南方へ延びる尾根上、標高約700mから標高約730mの緩斜面上に点在します。東麓の善光寺道からの比高は30m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている南側の三峰神社を目標に設定して下さい。車は捨てるのに少し困ります。
信濃でもレア物件(全体でも10件は無いでしょう。)ではある旗塚…口コミとしては4例目になります。もうええわっ!と言われても絶対止めないですw個人的には訪城記録でもあるので悪しからず…よくあるじゃないすか、前衛的なんだろうけど先を行き過ぎてて何がどうだか解らない芸術作品…そう!自己陶酔てやつです。そもそも他人に見てもらうものだけど理解出来ないので批評も曖昧になる代物、即ち批判も受け付けていないですw
盛られた年代は知らんけど盛ったのは会田(岩下)氏でしょう。会田氏に関しては同じ虚空蔵山城のリア攻めマップにある殿村館を参照して下さい。
旗塚の現況ですが、国内最高峰と言ってよいでしょう、他地方に旗塚が存在するのか知らんけど。細尾根に複数が南北に点在、しっかりと形状を保っていて大変判り易い。ほぼ地山と言ってよいとは思いますが、小郭を想起させる削平地なんかも確認出来るので物見台や狼煙台としての利用もあったかもしれません。又、明科方面から会田川沿いの谷筋を抜けて岩井堂沢に並走する善光寺道に合流する地点の裏山でもあるので何だか旗塚としてもちょとスペシャルな印象を受けます。が、まぁたぶん気のせいなんでしょう。ちなみに虚空蔵山南西麓善光寺古道の左右に旗塚は存在していた事になります。
個人的には旗塚通算5例目、「ふざけんなよ…」とか憤ってる方が大勢を占めると思いますが、重度の変態が多い信濃の山城マニアも敬遠(リア攻めの目標にならない。)する代物なので情報としてお納め下さいまし。それにしてもこの辺のお山は荒れてるなぁ…
2022年04月06日 内記かずりヾ(・ε・。)
現城[虚空蔵山城 周辺城郭]
現城(うつつじょう)は虚空蔵山城の西南約1.0km、標高1139mの虚空蔵山から南西へ延びる尾根の一つ、山塊尾根上、標高873.6mのピークの一つに主郭が存します。南西麓の無量寺からの比高は140m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている北東側の虚空蔵山西登山口を目標に設定して下さい。尾根上に出たら虚空蔵山山頂方向とは逆の道を進みます。現城周辺は留山で、ブービートラップ(有刺鉄線がビニールテープに隠れている…悪意しか感じない。手背部を切ったわ…ちなみに罰金請求額は30万円〜200万円、極めて高額です…)付きの厳重な警戒線が目印になります。このルートを使えば非常に楽ちん、大して登る事も無く城域に至ります。
虚空蔵山城は基本城砦の集合体で、現城はこれを構成する一つとなります。城砦群の中では最も西方に位置し、眼下には善光寺道が走る事からこの監視の任も担っていた事でしょう。
お城は砦規模の縄張で段付きの単郭、主郭東側正面に堀切+竪堀+土橋が1条、西側山側背後に竪堀が1条設けられただけの簡素なものです。城砦群の中ではメインから外れる面倒な場所に位置している事から訪ねるのを躊躇してしまいがちですが、一旦下山して前述のルートを使えば苦労とは感じないでしょう。又、虚空蔵山の城砦群は基本舗装林道が発達しているので山頂の峯の城を除けばどれも登城は楽だと思います。
今現在松本市の山林を襲っている問題の一つにマツ材線虫病があります。謂わゆる松枯れを引き起こす感染症ですが、去年から今年に掛けて明らかにその被害が拡大、深刻化していると感じます(お山の景観が明らかにおかしいのさ〜)。虚空蔵山周辺もその例外ではなく、現城もその影響を受けまくり…単純に言えば折角の堀切が倒木で見難くなっています(ちなみに夏場は相当な藪城だと思う。)。里山に人が入らなくなって久しい現代、こうした事例は今後ますます増えていく事でしょう。虚空蔵山城コンプリートを考えている方は冬場に是非訪ねてみて下さいまし。
※写真8枚目の遠景が現城から見た虚空蔵山城、信仰のお山ですな〜
2022年04月05日 内記かずりヾ(・ε・。)
無量寺下尾根の旗塚[虚空蔵山城 周辺城郭]
無量寺下尾根の旗塚は虚空蔵山城の南西約1.4km、標高1139mの虚空蔵山から南西へ延びる尾根の一つ、標高約718mから標高約734mの尾根緩斜面上に点在します。西麓の善光寺道からの比高は30m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている北麓の無量寺を目標に設定して下さい。車はお寺さんの駐車場に捨てましょう。取り付きは藪で限定されますので無量寺内貯水池の堰堤からお願いしやす。
信濃でもレア物件である旗塚…口コミとしては3例目になります。もうええわっ!と言われても絶対止めないですw個人的には訪城記録でもあるので悪しからず…よくあるじゃないすか、作者の意図するところと読者の持つ感覚とがずれまくってる作品…そう!自己満足てやつです。読まれる皆様はアプリ登録時から選択の自由を付与されていると思うので否定される方は拒否権を発動して下さい。苦情の方は受け付けてないですw
盛られた年代は知らんけど盛ったのは会田(岩下)氏でしょう。会田氏に関しては同じ虚空蔵山城のリア攻めマップにある殿村館を参照して下さい。
さて、このリア攻めの前に訪れた広田寺裏山の旗塚で旗塚のなんたるかを理解して期待度MAXだったんですが、改めてただの土盛りを探す事の難しさに打ちのめされました。ちょと此処は無理ですわ…松枯れによる採伐が行われ放置状態、それらしきものはあるんだけど確証取れないです。流石に阿保らしくなって陣払いしました。
地形図を見ると今は四賀球場で分断されていますが、広田寺裏山の旗塚と往時は同一尾根だったと思われます。どれぐらいの大きさの旗を立ててたのか知らんけど、少なくとも虚空蔵山城からはよく見えた事でしょう。
藪で全てを確認する事は諦めましたが、後世寸断された尾根末端に舗装路上から旗塚の一基が確認出来ます。縄張図でもそう描かれているので間違い無いぽこりんだと思いますが、別に見たってしょうもない代物ですのでさっさと次へ向かいましょう。
※写真1枚目の遠景が虚空蔵山城です。
※ちなみに無量寺は中世石垣(写真の石垣ではない。)も残る素敵な寺院なのでお寺マニアには無駄にならないはず…
2022年04月03日 内記かずりヾ(・ε・。)
広田寺裏山の旗塚[虚空蔵山城 周辺城郭]
広田寺裏山の旗塚は虚空蔵山城の南西約1.8km、標高1139mの虚空蔵山から南西へ延びる尾根の一つ、標高約690mから標高約700mの尾根上緩斜面上に点在します。西麓の善光寺道(江戸時代の善光寺街道、正式名称は北国脇往還です。)からの比高は30m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されている南西麓の広田寺(廣田寺、六文銭が掲げられた会田氏の菩提寺です。)を目標に設定して下さい。車はお寺さんの駐車場に捨てましょう。
旗塚てなんのこっちゃて方が殆どだと思うし、知ったところで皆様の城廻りライフに何の影響も及ぼしませんが一応説明を…旗塚は読んで字の如く旗を立てるためだけの土盛りの事で、支配領域の境目の目印、示威目的で使われるものです。信濃でもレア物件ではあるんですが、虚空蔵山城周辺には確認されているものだけで3箇所存在します。善光寺古道を歩む者にオラが領地をアピってたんすかね。
盛られた年代は知らんけど盛ったのは会田(岩下)氏でしょう。会田氏に関しては同じ虚空蔵山城のリア攻めマップにある殿村館を参照して下さい。
実は以前にも旗塚を紹介してるんですが、「う〜ん…」て感じ。大体お寺さんの裏山の単なる土盛りを探すんだから休日にやる趣味としちゃ中々だぞ…今回で個人的に3例目の旗塚になるんだけど「これが旗塚かっ!」て感じの土盛りに未だに出会えていない…しかしっ!ようやく見付かりましたよ、尾根上に点在する5基の旗塚がっ!少し藪ってるけど明瞭に確認(写真は酷と言うもの…)出来ました。興奮と感動ではしゃぎまくりでしたが、側から見たら異様な光景に映った事でしょう。
最近の口コミですげぃ山城だけを紹介したいて気持ちは全く無いと書いた事がありますが、これからも残念物件をどしどし口コミしたいと思います。優良物件ばかり訪ねてたらそのうちハードルが上がるだけになるし、残念物件を知っているからこそ優良物件の見方も変わってくるものだと思います。又、この手の物件は現地に赴かないと背景やその意図が中々理解し難いものです。お城は机上の知識と縄張図だけじゃ絶対に測れない。現物が折角そこにあるんだからばりばりリア攻めしましょう!そしてこれも虚空蔵山城を取り巻くその一部であった事を知る事が出来る訳です。
2021年12月15日 RED副将軍
中ノ陣城[虚空蔵山城 周辺城郭]
会田氏の居城🏯虚空蔵山に築かれた峯の城、秋吉砦、天狗山砦、現城の中心的役割を担ったとされます。
オススメ度 ★★★★⭐︎
真田氏と同族の会田海野氏により鎌倉時代に築城されたと伝わります。会田氏は信濃守護の小笠原氏に属していたが、1553年、武田軍に侵攻され、火攻めで降伏し武田氏の支配下に。武田氏の滅亡後は上杉景勝に臣従。
1582年に徳川家康の後ろ盾により筑摩郡を回復した小笠原貞慶に攻められ落城。会田氏滅亡後は、小笠原氏の支配となり、現在の石積みの遺構は小笠原氏による改修と考えられています。
見所
主郭の大土塁には平石積の石垣が巡る。平場群の水の手。斜面には水路状の石組や斜行する石垣を伴う幅の狭い段郭が10数段。城域の中核地とも言われてます。
クマの棲息域であり、熊鈴を激しく振りながら登城。振り過ぎで次の日は腕が筋肉痛でした😂車ごと獣害柵の向こう側に行く地域です🐻
⚠️虚空蔵山は信濃には他にも上田に2ヶ所、佐久に1ヶ所ありますのでご注意下さい!ここで紹介しているのは松本市の虚空蔵山城です。
2020年04月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
中ノ陣城[虚空蔵山城 周辺城郭]
中ノ陣城は秋吉城の西側に存する谷間の平場群の上端を抜ける感じで5分位進むと到着します。虚空蔵山の東西に延びる山頂尾根から南西へ延びる尾根上、標高約940mのピークの一つに主郭が存します。秋吉城と共に谷間の平場群を東西から囲むように存し、3つのお城を1つとして考えるとよいかもしれません。
虚空蔵山城は武田氏の安曇、筑摩両郡侵攻の際、刈谷原城、塔ノ原城が落城した翌日、虚空蔵山山麓が放火され、これにより城主の岩下会田氏は武田氏に従う事となりました。以後、天正壬午の乱まで岩下会田氏はこの地に在地していましたが、天正壬午の乱の際の一時期、この地域は小笠原氏と上杉氏の最前線となり、小笠原氏に従ってはいたものの上杉氏への内通を疑われて松本城で謀殺されました。以後、小笠原貞慶の讃岐移封まで虚空蔵山城は小笠原氏の支配領域だったらしく、城砦群の一部はその際に改修を受けたと考えられているようです。
中ノ陣城はこの城砦群の中で最も小笠原ブランドを感じさせてくれるお城です。主郭北側山側には高土塁が見られ、主郭南側の切岸には石積みが確認出来ます。崩落石も考えると主郭部は結構石積みだらけだったかもしれません。又、主郭北側山側背後は往時は堀切だったと思うんですが今は土橋状の平場になっています。
虚空蔵山城の城砦群の中で見てて最も楽しいお城です。虚空蔵山城に来る事がありましたら此処だけは見逃さないようにして下さい。ちなみにこのお城の主郭西側から尾根伝いに南西へ下って行くと南西尾根ノ城に至ります。
2020年04月23日 内記かずりヾ(・ε・。)
虚空蔵山城
虚空蔵山城は基本的に虚空蔵山の山塊にある城砦群と考えてよいと思います。アプリの虚空蔵山城は山頂にある峯ノ城を指していると思いますが、他にも秋吉城、中ノ陣城、南西尾根ノ城、現城、唐鳥屋城といったお城があります。
築城者は会田氏で、同氏は滋野三家の一つ、海野氏の者が平将門征討の恩賞として筑摩群の一部を賜り、子孫がそれぞれの地で地頭職を経て在地、国人領主化、その地の地名を取って会田氏を名乗ったものです。ややこしいんですが会田氏は2系統あり、大塔合戦の前後辺りで同じ海野氏の一族、岩下氏が小県郡からこの地に入り会田氏を名乗りました。経緯とかは不明なんですが、戦国時代にはこの岩下会田氏が城主ということになります。
今まで虚空蔵山城の口コミを色々してきましたが、肝心の峯ノ城について口コミしてなかったです。峯ノ城は標高1139mの虚空蔵山山頂に主郭が存します。縄張的に出来ることは当然限られてますが、大体こんな所に誰も攻めてこないよという砦規模のお城です。詰城という見方も出来ますが、詰められる人数は極少数だし、眼下の城砦群を獲られた時点で詰みだと思うので所詮物見砦というのが実情でしょう。平野部との比高約480mで下界の様子が判るかというとこれも疑問でして、いずれにせよ御苦労様なお城である事は間違い無いです。
行き方ですが、幸いな事に現在は林道虚空蔵線と風越峠が虚空蔵山山腹を走っていますので徒歩で登る比高は200m無いです。自分は風越峠道をGoogleマップに位置登録されている四賀有機センター(肥料工場だと思う。)まで車で進みました。センター裏手には林道が延びていますので徒歩でこれを進みます。途中石積みで区画された脇道がありますのでこれに入り、暫くすると林道から尾根筋に入る登山道が付いてますので、これに従えば山頂に行くことが出来ます。此処には案内板も立ってるんですが、残念ながら林道に対して正面を向いていないので見落とさないよう注意して下さい。ちなみに林道は林道虚空蔵線になりますので、そのままオゲ水まで進めばそこからお城へ行く事(主郭部西側の堀切にぴったり着きます。)も可能ですが急坂となります。案内板からは0.8km、最初だけ頑張れば後は結構楽なので諦めないで下さい。
これは峯ノ城だけに行く場合の推奨コースです。もう一つの推奨ルートは別な口コミでしたいと思います。
虚空蔵山城の周辺スポット情報
石垣(遺構・復元物)
水の手(遺構・復元物)
谷間の平場群(遺構・復元物)
中ノ陣城(周辺城郭)
広田寺裏山の旗塚(周辺城郭)
無量寺下尾根の旗塚(周辺城郭)
現城(周辺城郭)
三峯社上の旗塚(周辺城郭)
西ノ宮笹ヶ城(山笹城)(周辺城郭)
召田城(覆盆子城)(周辺城郭)
潮古殿屋敷(周辺城郭)
城二の峯物見(周辺城郭)
横川番所(周辺城郭)
岩渕城(藤池館)(周辺城郭)
橋ノ小屋(周辺城郭)
鳥の城物見(周辺城郭)
中の小屋(周辺城郭)
取手砦(取手館)(周辺城郭)
殿村館(会田氏館)(周辺城郭)
備前原の館(周辺城郭)
秋吉砦(周辺城郭)
唐鳥屋城(乱橋城)(周辺城郭)
虚空蔵山城(峯の城)(周辺城郭)
南西尾根の城(周辺城郭)
鍋山城砦(周辺城郭)
雨戸屋城(周辺城郭)
笹沢城(落水砦)(周辺城郭)
物見岩砦(鬼が城)(周辺城郭)
潮古屋敷館(周辺城郭)
久保殿屋敷(古殿屋敷)(周辺城郭)
清水の古屋敷(周辺城郭)
中沢の古屋敷(周辺城郭)
大足平館(上の段館)(周辺城郭)
こや城(小屋城・小谷城・古屋城)(周辺城郭)
茶臼山城(周辺城郭)
三峰城(旭城・おてんじょう・左嶺城)(周辺城郭)
佐々野城(三嶺笹ノ城・笹野城)(周辺城郭)
塔ノ原城(城山・長峯城)(周辺城郭)
花見城(周辺城郭)
善光寺街道・馬頭観音(寺社・史跡)
石まんぼう(寺社・史跡)
オゲ水(寺社・史跡)
岩屋社(寺社・史跡)
立峠(その他)
花川原峠(その他)
五本峠(その他)
青木峠(その他)
十観山(その他)
概要
虚空蔵山城は、会田盆地の北に聳え地域のシンボルともなっている独立峰虚空蔵山(標高1139m)にある山城である。山のほぼ全域南北800m、東西440mの範囲に複数の城が分布する城塞群と呼ぶべき壮大な構えで、比高は300mに達する。個々の城は山頂の峯ノ城、山腹の秋吉砦、中ノ陣城、南西尾根の砦、十二原沢上流の平場群などからなり、山麓の会田地区にあったと伝わる会田氏居館の詰城とされる。虚空蔵山から西に続く尾根上にあるうつつ城や、花川原峠を挟んで北西に対峙する唐鳥屋城も広い意味では虚空蔵山城と一体的な関係にあった城とみることができる。
中ノ陣城は曲輪の周囲に鉢巻状に石垣を巡らせる。また、曲輪の背後に高土塁を築いて尾根後方からの攻撃に備えており、桐原城や埴原城など松本周辺を中心とした旧小笠原氏領域の山城によく見られる構造をしている。 秋吉砦は小規模な曲輪ながら、前方に土塁や石塁を伴う3本の長大な竪堀を配している。
十二原沢上流の平場群は、中ノ陣城と秋吉砦に挟まれた標高920m前後の谷間には長さ40m~50m、幅10m前後の短冊形の平場が雛壇状に6段連なり、その東西を区切る土塁も含めて総石垣の構えとなる重厚な縄張である。平成24年~28年に3回の発掘調査が行われた結果、15世紀の寺院を前身として16世紀に城郭に整備されたことが判明しており、その規模や石垣のあり方からみて、虚空蔵山城の中心域は従来指摘されてきた中ノ陣城ではなく、この平場群である可能性が高まった。特に注目される石垣は、松本地域の山城に特有の平石積みの構造が見られるほか、群馬県の太田金山城に見られるアゴ止め石と同様な土台石や巨石の使用などの特徴がみられる。
歴史
会田氏は真田氏と同族で、東信濃の滋野氏を祖とする海野氏(岩下氏)がこの地に入ってきたもので、会田の領主であるとともに伊勢神宮内宮の会田御厨の地頭でもあった。戦国時代は府中小笠原氏の下で国衆として所領の経営にあたったが、天文19年の武田晴信(信玄)の松本平侵攻に続く天文22年の虚空蔵山城侵攻を契機に武田氏に降った。しかし、天正10年3月の武田氏滅亡と6月の本能寺の変による政情の混乱の中で上杉氏に与したため、7月に府中(松本)帰還を果たした小笠原貞慶によってその年11月に一期城において滅亡に追い込まれた。虚空蔵山城は、戦国時代を通して会田盆地と筑北盆地の境目の城として政治的に重要な位置にあった。その一方で、虚空蔵山は古くからの信仰の山でもあり、現在も巨岩の洞窟に鎮座し虚空蔵菩薩を安置する岩屋神社がある。十二原沢上流の平場群も元々は山寺であり、戦国時代の不安定な情勢の中で聖地に築かれた城としても大変興味深い。
交通
・松本市役所四賀支所から自家用車10分または徒歩1時間