虚空蔵山城(こくぞうさんじょう)

虚空蔵山城の基本情報

通称・別名

会田虚空蔵山城、会田城

所在地

長野県松本市中川

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

岩下氏(会田氏)?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

岩下氏(会田氏)?

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀

指定文化財

再建造物

周辺の城

稲倉城(長野県松本市)[7.7km]
青柳城(長野県東筑摩郡)[7.7km]
平瀬城(長野県松本市)[10.2km]
麻績城(長野県東筑摩郡)[12.0km]
桐原城(長野県松本市)[14.3km]
松本城(長野県松本市)[14.5km]
岡城(長野県上田市)[14.7km]
林城(長野県松本市)[15.6km]
小岩嶽城(長野県安曇野市)[16.1km]
山家城(長野県松本市)[16.3km]

虚空蔵山城の解説文

虚空蔵山城(こくぞうさんじょう)は長野県松本市会田・中川にあった日本の城(山城)。

概要
虚空蔵山城は、会田盆地の北に聳え地域のシンボルともなっている独立峰虚空蔵山(標高1139m)にある山城である。山のほぼ全域南北800m、東西440mの範囲に複数の城が分布する城塞群と呼ぶべき壮大な構えで、比高は300mに達する。個々の城は山頂の峯ノ城、山腹の秋吉砦、中ノ陣城、南西尾根の砦、十二原沢上流の平場群などからなり、山麓の会田地区にあったと伝わる会田氏居館の詰城とされる。

虚空蔵山から西に続く尾根上にあるうつつ城や、花川原峠を挟んで北西に対峙する唐鳥屋城も広い意味では虚空蔵山城と一体的な関係にあった城とみることができる。

中ノ陣城は曲輪の周囲に鉢巻状に石垣を巡らせる。また、曲輪の背後に高土塁を築いて尾根後方からの攻撃に備えており、桐原城埴原城など松本周辺を中心とした旧小笠原氏領域の山城によく見られる構造をしている。 秋吉砦は小規模な曲輪ながら、前方に土塁や石塁を伴う3本の長大な竪堀を配している。

十二原沢上流の平場群は、中ノ陣城と秋吉砦に挟まれた標高920m前後の谷間には長さ40m~50m、幅10m前後の短冊形の平場が雛壇状に6段連なり、その東西を区切る土塁も含めて総石垣の構えとなる重厚な縄張である。平成24年~28年に3回の発掘調査が行われた結果、15世紀の寺院を前身として16世紀に城郭に整備されたことが判明しており、その規模や石垣のあり方からみて、虚空蔵山城の中心域は従来指摘されてきた中ノ陣城ではなく、この平場群である可能性が高まった。特に注目される石垣は、松本地域の山城に特有の平石積みの構造が見られるほか、群馬県の太田金山城に見られるアゴ止め石と同様な土台石や巨石の使用などの特徴がみられる。

歴史
会田氏は真田氏と同族で、東信濃の滋野氏を祖とする海野氏(岩下氏)がこの地に入ってきたもので、会田の領主であるとともに伊勢神宮内宮の会田御厨の地頭でもあった。戦国時代は府中小笠原氏の下で国衆として所領の経営にあたったが、天文19年の武田晴信(信玄)の松本平侵攻に続く天文22年の虚空蔵山城侵攻を契機に武田氏に降った。しかし、天正10年3月の武田氏滅亡と6月の本能寺の変による政情の混乱の中で上杉氏に与したため、7月に府中(松本)帰還を果たした小笠原貞慶によってその年11月に一期城において滅亡に追い込まれた。

虚空蔵山城は、戦国時代を通して会田盆地と筑北盆地の境目の城として政治的に重要な位置にあった。その一方で、虚空蔵山は古くからの信仰の山でもあり、現在も巨岩の洞窟に鎮座し虚空蔵菩薩を安置する岩屋神社がある。十二原沢上流の平場群も元々は山寺であり、戦国時代の不安定な情勢の中で聖地に築かれた城としても大変興味深い。

交通
松本市役所四賀支所から自家用車10分または徒歩1時間

情報提供:松本市教育委員会

虚空蔵山城の口コミ情報

2021年04月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
三峯城(旭城)[虚空蔵山城  周辺城郭]



三峯城は虚空蔵山城の西方約5.0km、南北に延びる山塊尾根上、標高889.8mのピークの一つに主郭が存します。南西麓の堀平集落からの比高は100m位でしょか。

築城年代、築城者は不明ですが、岩下会田氏(虚空蔵山城城主)の持分だったとされ、佐々野城と共にこの辺りが岩下会田氏の支配領域の最西端だったらしいです。

行き方は同じ虚空蔵山城のリア攻めマップにある佐々野城を参照して下さい。佐々野城の主郭から北側尾根を少し進めば城域に入ります。道は土橋と言っても過言ではない一騎駆けの細尾根なので迷う事はありません。ちなみに三峯城はGoogleマップに2箇所位置登録されていますが、一つは完全に間違いですので注意して下さい。

お城は堀切、竪堀、土橋なんかが確認出来ます。往時は城域内郭下をを間道が貫通していたようで、この監視の任をも担っていたようです。又、城域の判定に苦しむお城でもあります。主郭周辺の尾根のピークはどれも主郭とほぼ同一の高さで、これらピークから一段下がった所から土橋様の細尾根でピーク間が結ばれています。「あれもそうならひょっとしてこれもそうなんじゃない?」みたいな感じになりますね、困ったちゃんです。

佐々野城から三峯城へ向かう途中に見たら誰もが「なんじゃこりゃ〜」と呟く謎地形があります。地滑り跡と推測されていて確かに自然地形だとは思うんですが、それだけでこの地形が形成されているとは全く思えません。素人考えですが。地滑りが形成する地形は斜面水平方向に帯状の段地形、斜面崩落が形成する地形は斜面縦方向への窪地となると思うのですが、此処には多重の横堀様地形が形成されていて、どこか人の手が加わった感じが見られるんです。お城のある山塊周辺は結構船窪地形を見る事が出来るのですが、この場所に限っては尋常じゃないぽこぽこ感があります。答えを出そうとは思いませんが、純粋に何かの目的を持って造られたように感じますね。

もし行く人がいるならば佐々野城とセットで訪ねる事になるでしょう。そして周辺を地形図等で確認すれば此処にお城と間道があった事に驚くかもしれません。山中を通る事になっても最短距離を結ぶ先人達の苦労に畏敬の念を抱きます。それから今の私達には想像も付かない理由…山中を通る方がよっぽど安全な時代だったのかもしれませんね。

2021年04月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
佐々野城(笹野城)[虚空蔵山城  周辺城郭]



佐々野城は虚空蔵山城の西方約5.2km、南北に延びる山塊尾根上、標高約892mのピークの一つに主郭が存します。南西麓の堀平集落からの比高は100m位でしょか。

築城年代、築城者は不明ですが、岩下会田氏(虚空蔵山城城主)の持分だったとされ、城代として堀平氏(城域内に一族の墓地がある。)の名が伝えられています。又、南西麓の堀平集落(今は廃集落です。)は城番の子孫等が帰農し形成したものらしいです。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。南西麓の堀平集落まで林道が延びています。林道終点に廃家屋がありますので此処から南側に見える支尾根に取り付きます。これを登って主尾根稜線上(たぶんこの辺りから城域に入る。)に出た後、北方へ尾根を登って行けば主郭まで迷う事は無いでしょう。

お城は堀切、竪堀、横堀、土橋なんかが明瞭に残っています。特筆すべきは自然地形と思われる船窪地形を生かした馬屋の窪と呼ばれる広大な空堀様地形を内包している事です。周辺の地形から純粋に防御の一助として利用されたとは考え難いのですが、他では中々お目に掛かる事が出来ない遺構だと思います。主郭からは北西南へ尾根が延びていますが、何れの尾根も厳重と言えるでしょう。

このお城の主郭から北尾根を進むと三峯城と呼ばれるお城に至ります。途中には首を傾げたくなる程の謎地形があったりしてとても楽しいです。お城は山深い場所にありますが、林道は車両の通行が可能ですので、近くに来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。ただ林道は途中から道がかなり悪くなりますので注意です。自分は途中でアナグマを轢き殺しそうになりました。



2021年04月25日 内記かずりヾ(・ε・。)
久保殿屋敷[虚空蔵山城  周辺城郭]



たまには山城でなく居館なんかをほっこり口コミ〜

久保殿屋敷は虚空蔵山城の西方約7.5km、犀川と会田川の合流点に面する標高約524mの河岸段丘端部上平場に存した居館です。

築かれた年代は不明ですが、お住まいになられていたのは同じ虚空蔵山城のリア攻めマップにあるこや城の城主とされる久保氏と推測されています。

居館の現況は住宅地となっていて敷地範囲内には様々な建物が建ち並んでいますが、概ね安曇野市消防団第6分団第1部の詰所を中心としていたようです。居館は東側に堀を巡らせていたようですが、現在は段が付いてる他は地籍に堀畑の地名が残るのみとなっています。又、土塁かもしれないとされる土の高まりも2箇所ありますが、現地に赴いても往時のものかどうかは判りませんでした。が、土の高まりには大変な樹齢を持つであろう巨木がそれぞれ1本づつ立っていまして、この土の高まりが相当以前からあったことは間違い無いと思います。

山城ばかり行っている自分ですが、実は信濃に限っては居館なんかも結構訪れていて、その数は100を超えてると思います。後世の改変の影響を受け易い居館の遺構が残っている事は殆ど無いですが、詰城を見上げながら領主気分に浸るのが最近の楽しみ方の一つになりました。ただこの久保殿屋敷からはこや城は見えないです。

2021年04月04日 内記かずりヾ(・ε・。)
こや城[虚空蔵山城  周辺城郭]



あんまし面白くないお城口コミ〜

こや城は虚空蔵山城の西南約7.0km、標高約537mの狭小な舌状台地上端部に主郭が存します。南側の長野県道302号線からの比高は2m位でしょか。お城は同じ虚空蔵山城のリア攻めマップにある茶臼山城と会田川を挟んで南北で対になっています。又、同じ様に会田川の蛇行点の要害の地に立地しています。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。お城の南側には長野県道302号線が走り、登城路入口にはチェーン脱着場がありますので駐車も出来ます。車を捨てたら2分で主郭に到達出来る手軽さです。

築城年代、築城者は共に不明ですが、城主として久保氏の名が伝えられています。平瀬城のリア攻めマップにある塔ノ原城の支城である事は間違い無いと思います。

所謂崖端城なのですが、少し前までは城山公園として整備され小谷稲荷社なる小社も建っています。が、お城全体が崩壊の危機に陥っているらしく完全に立入禁止です。自分は「帰り」にこれに気付きました…どうりで行手を阻む様に虎ロープが設定されてる訳だぜ…よく見りゃ入口には三角コーンで立入禁止表示がしてあるじゃありませんか…確認不足、知らんかったわ。

お城の現況は大変厳しい…崖上の細い回廊状の道を通って行きますが、主郭は藪、他は放置された公園です。たぶん以前は桜や色んな木々、花々を愛でる事が出来る場所だったと思うんですが、すっかり荒れ果てていて何かを見付けるのはとても難しい…てか元々要害地形を頼りにしてるので人の手が加わったとすればほぼ削平のみでしょう。

お城は周囲から全景を見た方が楽しめます。日々崩落が進んでいるらしく、その要害感に拍車をかけます。いつの日かお城は一部を残して無くなると思うので、お近くに来る事がありましたら是非その全景を愛でて下さいまし。ちなみにお城の西側を通るJR篠ノ井線から一瞬だけ見る事も出来ますね。マニア向け。

2021年04月03日 内記かずりヾ(・ε・。)
茶臼山城[虚空蔵山城  周辺城郭]



あんまし面白くないお城口コミ〜

茶臼山城は虚空蔵山城の西南約6.9km、標高731mの雷山(かんだちやま)から南方へ延びる標高578mの尾根上端部に主郭が存します。南麓からの比高は30m位でしょか。このお城は会田川の蛇行点にある要害の地に立地しています。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。ただそのとおりに行くと会田川を渡れないので注意です。詳細は誰も行かないと思うので省略…

築城年代、築城者共に不明ですが、平瀬城のリア攻めマップにある塔ノ原城の支城、もしくは誰かしらの居館だったと推測されています。ただ当時の松本藩主、水野忠幹の命により編纂された信濃の地理、歴史書である信府統記に記載が無く、里伝によりその存在が伝えられてきたんでしょか。

お城の現況は大変厳しい…主郭部?の周囲には結構な削平地がありますが、これが後世の開墾によるものなのか元々削平されてたのかは判りません。主郭?も結構広めに削平されてるんですが、写真見て頂ければ解るとおり何かを見付けるのはとても難しいっす…

さてさて信濃のお城を口コミで紹介しまくってますが、自分の生涯城廻り目標は信濃のお城の全制覇!たとえそれがどんなお城であっても自分の足で実際に訪ねて見てみたいんす。このお城にはその歴史さえ伝えられていませんが、歴史が無いのも歴史…この地にお城を如何なる理由で築いたのか、現地に赴きそれを考えるのも今ではすっかり楽しみになりました。マニア向け。



2020年04月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
中ノ陣城[虚空蔵山城  周辺城郭]



中ノ陣城は秋吉城の西側に存する谷間の平場群の上端を抜ける感じで5分位進むと到着します。虚空蔵山の東西に延びる山頂尾根から南西へ延びる尾根上、標高約940mのピークの一つに主郭が存します。秋吉城と共に谷間の平場群を東西から囲むように存し、3つのお城を1つとして考えるとよいかもしれません。

虚空蔵山城は武田氏の安曇、筑摩両郡侵攻の際、刈谷原城(文書には登場しますが、現在も発見されていません。そもそもそんな名前のお城が存在したのか、他のお城の別名なのか、色んなお城の総称なのかを含めて一切不明です。ちなみに刈谷原トンネルの上にあるお城は鷹巣根城と言います。)、塔ノ原城が落城した翌日、虚空蔵山山麓が放火され、これにより城主の岩下会田氏は武田氏に従う事となりました。以後、天正壬午の乱まで岩下会田氏はこの地に在地していましたが、天正壬午の乱の際の一時期、この地域は小笠原氏と上杉氏の最前線となり、小笠原氏に従ってはいたものの上杉氏への内通を疑われて松本城で謀殺されました。以後、小笠原貞慶の讃岐移封まで虚空蔵山城は小笠原氏の支配領域だったらしく、城砦群の一部はその際に改修を受けたと考えられているようです。

中ノ陣城はこの城砦群の中で最も小笠原ブランドを感じさせてくれるお城です。主郭北側山側には高土塁が見られ、主郭南側の切岸には石積みが確認出来ます。崩落石も考えると主郭部は結構石積みだらけだったかもしれません。又、主郭北側山側背後は往時は堀切だったと思うんですが今は土橋状の平場になっています。

虚空蔵山城の城砦群の中で見てて最も楽しいお城です。虚空蔵山城に来る事がありましたら此処だけは見逃さないようにして下さい。ちなみにこのお城の主郭西側から尾根伝いに南西へ下って行くと南西尾根ノ城に至ります。

2020年04月24日 内記かずりヾ(・ε・。)
秋吉城[虚空蔵山城  周辺城郭]



秋吉城は虚空蔵山の東西に延びる山頂尾根から南方へ延びる尾根上、標高約964mのピークの一つに主郭が存します。現地案内板にある縄張図を見ると、北側は山頂尾根に通じており南北に長いお城だったようですが、全てを見るのは難しいでしょう。このお城は南西側に谷間の平場群、中ノ陣城、南西尾根ノ城の順に城砦が展開しており、虚空蔵山の城砦群の中心地の一部分を形成していたと考えられています。

行き方ですが、虚空蔵山城の城砦群を効率良く廻るための行き方でもありますので、是非参考にして下さい。

とりま松本市のホームページにある「四賀支所から虚空蔵山頂までのコースガイド」を参照しましょう…これが1番解りやすいですw気を取り直して説明すると、林道虚空蔵線を同じ虚空蔵山城のリア攻めマップにあるオゲ水まで車で進み此処に駐車して下さい。ただ林道は風越峠道とは全く別な道なので注意です。オゲ水に着いたら林道を徒歩で進み、同じ虚空蔵山城のリア攻めマップにある峯の城を参照して山頂尾根の東側から頂上を目指しましょう。オゲ水からは山頂へ延びる登山道が別に付いてますが、何故遠い方を選択するかというと、東西に長い山頂尾根に築かれた峯ノ城を隈無く見るためです。峯ノ城を見学し終えたら、主郭部西側の堀切に登山道の案内板が立っていますのでこれに従い下山、途中に岩屋社がありますのでこれも見ときましょう。この登山道を更に下って行くとオゲ水に戻る事が出来ます。オゲ水に戻ったら今度は林道を徒歩で下ります。5分位で「中ノ陣城跡・秋吉砦跡」の案内板にぶつかりますのでこれに従いましょう。登って1分位で最初の明確な遺構、秋吉城の竪堀にぶつかります。秋吉城から谷間の平場群、中ノ陣城、南西尾根ノ城は殆ど隣接して連なっているので、面倒がらずに是非頑張ってみて下さい。虚空蔵山城砦群には他に現城、唐鳥屋城がありますが、行ってないので知らんがな…特に唐鳥屋城は登城路自体が全く違うので改めて別な機会に訪ねてみようかと思います。

秋吉城は尾根上を南北に小郭を多数連ねた砦規模のお城です。変わってるのは主郭部から三方向へ向けて竪堀(そのうちの1条は分岐して別の竪堀を形成する。)が延びており、1条はそのまま谷間の平場群の東側を区画しながら落ちていきます。



2020年04月23日 内記かずりヾ(・ε・。)
虚空蔵山城



虚空蔵山城は基本的に虚空蔵山の山塊にある城砦群と考えてよいと思います。アプリの虚空蔵山城は山頂にある峯ノ城を指していると思いますが、他にも秋吉城、中ノ陣城、南西尾根ノ城、現城、唐鳥屋城といったお城があります。

築城者は会田氏で、同氏は滋野三家の一つ、海野氏の者が平将門征討の恩賞として筑摩群の一部を賜り、子孫がそれぞれの地で地頭職を経て在地、国人領主化、その地の地名を取って会田氏を名乗ったものです。ややこしいんですが会田氏は2系統あり、大塔合戦の前後辺りで同じ海野氏の一族、岩下氏が小県郡からこの地に入り会田氏を名乗りました。経緯とかは不明なんですが、戦国時代にはこの岩下会田氏が城主ということになります。

今まで虚空蔵山城の口コミを色々してきましたが、肝心の峯ノ城について口コミしてなかったです。峯ノ城は標高1139mの虚空蔵山山頂に主郭が存します。縄張的に出来ることは当然限られてますが、大体こんな所に誰も攻めてこないよという砦規模のお城です。詰城という見方も出来ますが、詰められる人数は極少数だし、下の城砦群を獲られた時点で詰みだと思うので所詮物見砦というのが実情でしょう。比高約480mで下界の様子が判るかというとこれも疑問でして、いずれにせよ御苦労様なお城である事は間違いないです。

行き方ですが、幸いな事に現在は林道虚空蔵線と風越峠が虚空蔵山山腹を走っていますので、徒歩で登る比高は200m無いです。自分は風越峠道をGoogleマップに位置登録されている四賀有機センター(肥料工場だと思う。)まで車で進みました。センター裏手には林道が延びていますので徒歩でこれを進みます。途中石積みで区画された脇道がありますのでこれに入り、暫くすると林道から尾根筋に入る登山道が付いてますので、これに従えば山頂に行くことが出来ます。此処には案内板も立ってるんですが、残念ながら林道に対して正面を向いていないので見落とさないよう注意して下さい。ちなみに林道は林道虚空蔵線になりますので、そのままオゲ水まで進めばそこからお城へ行く事(主郭部西側の堀切にぴったり着きます。)も可能ですが急坂となります。案内板からは0.8km、最初だけ頑張れば後は結構楽なので諦めないで下さい。

これは峯ノ城だけに行く場合の推奨コースです。もう一つの推奨ルートは別な口コミでしたいと思います。

2020年04月19日 内記かずりヾ(・ε・。)
谷間の平場群[虚空蔵山城  遺構・復元物]



谷間の平場群(案内板ママ)は虚空蔵山南側山腹、標高約920mに存します。平場群北東側の秋吉城、西側の中ノ陣城にほぼ隣接し、これらを一纏めにして一つの城と考える事も出来ます。

平場群は6段の平場が雛壇状に連なり多くの土留めの石積みも確認出来ます。平場群の西側は石積みで区画され、東側には土塁を伴う秋吉城から延びる見事な竪堀で区画されています。出土品等から元は中世に建てられた寺院の跡地と考えられており、どうやらその後に時勢の流れに従い軍事要塞化されたものだと推測されています。

虚空蔵山周辺は最近発掘調査が終了し、その成果は「発掘が語る虚空蔵山麓の中世」に纏められネットでも閲覧出来るので興味のある方は是非そちらを…自分は漢字が多くて眠くなるのでパス。

【山城を安全に登城するために】

続きになりますが、熊編はこれでおしまい。

前述の熊の対処法は自分の経験です。相手がある事なので一概には言えませんが、間違ってはいないと思います。色んな対処法はネットで探せば色々出て来ると思いますが、最新の情報を常に更新するのが望ましいです。

まず、死んだふりはやめときましょう。死肉もがつがつ食べるので進んで餌になるようなものです。

背中を見せて逃げるのは禁忌!熊のスピードは時速40km以上っす。まず無理ぽ…熊は逃げる者を追い掛ける習性もあります。木登りも大得意、あと松明持って登山する方は今はいないと思いますが、火も怖がりません。

熊は学習能力が極めて高い動物っす。一度手に入れた物には執着したりするので、物を奪われたらそのままに。餌をあげたりして注意を引くのも禁忌!ずっと付き纏われるかもしれません。

マタギの方は睨み付けるのをよく推奨してますが、こちらも素人なのでやめときましょう。マタギの方のような迫力も経験も無いので…賛否の別れるところですが、睨み付ける事で敵と認識され襲われる事があるそうです。

じゃ、向かって来たら!は経験無いので知らんがな…でもトレッキングポール等で鼻先を突きまくる事は有効らしく撃退例もあります。熊除けスプレーはお高いので自身の財布と相談を…ただ風下に立って噴射すると自分にも危ない代物なので注意です。ちなみに去年自分は車にナタを積んでいましたが重いので持って行った事はないです…

熊編はおしまい。



2020年04月18日 内記かずりヾ(・ε・。)
岩屋社[虚空蔵山城  寺社・史跡]



岩屋社は虚空蔵山南側山腹、標高約1057mに存する岩屋に建てられた懸造りの社です。

岩屋社についてネットで調べていたら、懸造りの神社専門のサイトがあってびっくりしました。そのサイトによるとどうやら懸造りの神社は真田氏が領した地域に多いそうです。

祭神は天乃御中主神という神様で、社なんで虚空蔵菩薩とは何も関係がありません。ついでにお城とも直接関係がありませんが、松本市のホームページ「四賀支所から虚空蔵山頂までのコースガイド」に記載されていることから、虚空蔵山城(峯ノ城)へ登城する際の目標の一つになりますので口コミさせて頂きました。

自分、門外漢になりますので普通だったらスルーするところですが、写真を見て頂ければ解るように観光名所として素晴らしいので是非訪ねてみて下さいまし。登山道からも2分弱で到着しますので無駄に時間を取るという事にもなりません。社には土足厳禁、床板が抜けそうでちょっと怖いですが入る事が出来ます。岩屋には磨崖仏とかもあったりしてきっと神秘的な気持ちにもなったりするでしょう。

【山城を安全に登城するために】

続きになります…

熊除け鈴を装備してても前述の理由等から遭遇してしまう事は当然あります。自分が虚空蔵山城の口コミでこんな事を書くのはそんな事があったからでした。山頂部付近は熊も寄せ付けない峻険さで逆に安心してましたが、オゲ水から秋吉城へ向かう舗装された林道で道路脇の斜面の法面の上の方から熊さんの息遣いとどたどたする足音を聞きました。ちらっとだけ姿が見えましたが熊さんでしょう、丁度林道を横断するつもりだったようです。

人間が熊に気付くのは場所にもよりますが、自分の経験から距離にして約20mといったところです。目と鼻の先に突然現れるという事はまず無いと思います。熊の臭覚は犬の21倍あるそうなので、熊の方が先に認識して何らかの動きを見せるという訳です。もし熊の存在を認識したらとにかくその場で立ち止まって下さい。反射神経的にも逃げ出したりする事は出来ないと思いますので自然とそうなるでしょう。立ち止まったら虚空を見つめて装備している熊鈴をカラオケボックスでマラカスを振るより速く振り回して音を鳴らしまくって下さい(ただし攻撃的に振り回さないように…)。熊はきっとその場から立ち去ると思います。

次回へ続く…

2020年04月18日 内記かずりヾ(・ε・。)
オゲ水[虚空蔵山城  その他]



オゲ水はただの湧水が流れ出てくる場所です。

松本市のホームページにある「四賀支所から虚空蔵山頂までのコースガイド」に記載されてもいますので虚空蔵山城(峯ノ城)へ登城する際の目標の一つとして口コミさせて頂きました。湧水マニアは是非訪ねてみて下さいまし。

【山城を安全に登城するために】

それだけじゃアレなんで、暇だし老婆心ながら…

今冬はオフ会やイベントを除くと信濃のお城しか行っていない自分ですが、実は昨年の5月の初旬に計画が始まりました。が、5月の中旬に計画は頓挫、理由は佐久にある内山城(未登録)から道も無いのに方角だけをたよりにして奥山を進み五本松城(未登録)を目指してたんですが、途中現在地不明の場所で熊さんの巣窟みたいな場所にぶつかり、姿は見えないけど(息づかいは聞こえる…)複数頭の熊さんにサラウンドされる事態になったからです。完全にトラウマになってしまい、夏から秋は絶対に行かねぃ!と心に誓いました。それ以降、今日に至るまで合計7回(目視は4回)熊さんに遭遇していまして、もはや自分にとっては珍獣じゃ済まない存在になっています。色んな熊分布域図を見ると出会わない山城の方が圧倒的に少ない訳だし、山城のある場所は熊にとっても生活しやすい環境なので備えは万全にしときましょう。

熊研究家に成長したかずり(知識は借り物っす。)ですが、熊鈴は必須です。自分は1人の時はサブ持ちで対処します。熊は自分が日本で最強の動物の一種であることを自覚しておらず、基本的に物凄く臆病です。自らの存在を知らしめて熊を近づけないことが最善の対処法です。ただ水の流れる沢筋、風の強い尾根筋等では聴いてないことも多いらしく、食事中等も同様らしいです。「聞いてないよ〜」です。自分は見通しの悪い山のピーク手前や木の根倒れ多数の場所では1人だろうが騒ぎまくります。「おりゃー!かかってこんかーい!」とか叫びながら進みます。他に誰か人が居たら通報されそうですが、会ったことは今まで皆無です。

さてさて、そろそろ字数が尽きるので続きは次回に…



2020年04月17日 内記かずりヾ(・ε・。)
水ノ手[虚空蔵山城  遺構・復元物]



虚空蔵山城の水ノ手(案内板ママ)です。

虚空蔵山城は基本的に虚空蔵山の山塊にある城砦群と考えてよいと思います。知られているものとしては、山頂にある峯ノ城、南方へ延びる山腹尾根上に秋吉城、中ノ陣城、身も蓋も無い名前の南西尾根ノ城、それから西方へ延びる尾根上端部に現城(うつつじょう)、虚空蔵山から北方、花川原峠道を挟んで鳥の唐揚げしか思い浮かばない名前の唐鳥屋城等があります。

この水ノ手は秋吉城と中ノ陣城の中間点に存します。水ノ手南側には谷間の平場群と呼ばれる段郭状地形が存し多くの石積みを確認する事が出来ます。虚空蔵山の山頂にある峯ノ城には虚空蔵山城の標柱が立っていますが、それじゃこの城砦群の中心部はどこにあったのかとなると峯ノ城では疑問を抱いてしまいます。城砦群は長い間に改修と拡張を続けたと思われ、時期的なものも考える必要がありますが、どうやらこの水ノ手周辺がそうだったと推測されているようです。

※リア攻めマップを作成していて気付きましたが、虚空蔵山城の位置が山頂(峯ノ城)にありませんでした。全くお城の無い場所にマークされてますので注意です。

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