麻績城(おみじょう)
麻績城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 長野県東筑摩郡麻績村麻次柳8009
旧国名
- 信濃国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 服部氏
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 服部氏、青柳氏、(麻績氏)
廃城年
- 慶長元年(1596)
遺構
- 曲輪、帯曲輪、土塁、堀切、竪堀
指定文化財
- 県史跡(麻績城跡)
再建造物
- 碑、説明板
周辺の城
-
青柳城(長野県東筑摩郡)[4.3km]
松田家館(長野県千曲市)[7.6km]
荒砥城(長野県千曲市)[8.3km]
屋代城(長野県千曲市)[10.5km]
牧之島城(長野県長野市)[11.2km]
麻績城の解説文
[引用元:Wikipedia「麻績城」の項目]麻績城(おみじょう)は、長野県東筑摩郡麻績村にあった日本の城。
【概要】
戦国時代麻績の地を支配したのは服部清信であった。麻績城の南西の麻績古城(虚空蔵山城)に居を構えていたが、守りを強化するために麻績城を築いた。
しかし、天文22年(1553年)甲斐の武田晴信が筑摩郡に侵入し、青柳城の青柳清長を従えて服部氏を追い払い、青柳氏が麻績氏を名乗り、麻績城には青柳氏が移った。
そして武田氏の滅亡後、信濃国を手に入れた織田信長が本能寺の変で死去した天正10年(1582年)以後、この地は上杉景勝、小笠原貞慶の争奪の地となり、最終的には小笠原氏の支配地となった。[続きを見る]
麻績城の口コミ情報
カーネル様[2018年12月30日]
篠ノ井線聖高原駅を背に北上すると、T字の交差点になり、ここは麻績宿地域です。左折して100mほどの路地に麻績城への道標があるので、右折して細い路地を進みます
しばらくして「左虚空蔵山城、右麻績城」の看板がありますが、古城は行かないので右(というより道なり)に進むと砂防ダムのY字の交差点に「麻績城址道標」がありますが、そのまま直進して道が右に90度曲がる手前の道標から、山に入りました
靴が埋まるくらいの積雪で、道は分かりやすい。けど、北北西の按部を目指すも、傾斜がキツくなってきたところで、道をロスト。かつ雪の下の枯れ草ごと滑るのでかなり辛い
動物の足跡を辿ると、按部から南南東に下る別の道に合流し、これを辿り無事に按部に到着。お城の説明と縄張り図があります。左の本丸を目指すが、急坂の細い尾根に凍った雪が張り付き滑る。かなり怖いです。行くのはオススメできません
なんとか山頂に着き、2重堀を愛で帰りました。が、先程きづきましたが、本丸はまだ先だった模様・・・
来た道を戻り130分。いつか(夏に)リベンジを
赤いRVR右京大夫@松本様[2010年06月20日]
麓の宿場裏手に麻績氏館跡あり。そこから少し行くと駐車場。そこから山道を登って鞍部に出る。左手が麻績城、右手がのろし山。なお麻績古城は、駐車場の手前左手に進めば登山口(こちらは未登城)