楡窪館

楡窪館([麻績城  周辺城郭])

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楡窪館の口コミ情報

2025年09月17日 内記かずりヾ(・ε・。)


楡窪館は麻績城の南東約2.7km、安坂川西岸(左岸)、麻績川南岸(左岸)、標高約650mの山間部河岸段丘台地上平場に立地した居館です。該地は同じ麻績城のリア攻めマップにある安坂城が立地する標高851mの城山下段の北側斜面、山際に当たる部分でもある。

行き方はGoogleマップに位置登録されている曹洞宗の寺院、宝珠山「法安寺」を目標に設定して下さい。この寺院の境内が概ねの該地であり車も当然、捨てられる。ちなみに法安寺は、同じ麻績城のリア攻めマップにある法善寺の第八世住職、伝室光門大和尚が慶長十一年(西暦1606年)に開山するまで山号も寺号も持たないお寺さんだったらしい。

該地の安坂は、麻績御厨を構成する八ヶ条の一つ、大吉原郷に含まれる地域であったと伝わる。永仁六年(西暦1298年)六月三日、麻績御厨内矢倉村の地頭、伊賀頼泰の妻と推測される「ふちわらのうち(藤原氏女)」が、「しなののくにおみのみくりや大よしはら(信濃国麻績御厨大吉原郷)」の二町余り田在家をその養嗣子、「かくふん」に譲っている。

築かれた年代は不明、お住まいになられていた方には安藤加賀守が推測されている。武田氏時代に安坂城の城主であったと伝わる事がその理由だ。

居館の現況は…寺院、墓地等となっている。該地は名称にもあるとおりの窪地だが、改変著しく旧態は見ないと思われ、居館敷地範囲すら明確ではない。見るべきものは何一つ無いとはいえ、居館地としての纏まりの良さだけは十分に感じられる。ちなみに地形模型図を見ると、墓地の最奥部から安坂城への登城路が付いていたようにも見受けられるが少々急かもしれない。頼まれてもよう登らんけど…

最後に安坂のちょと興味を引くお話しを…

平安時代の初期に編纂された「日本後期」、延暦十六年(西暦797年)の条には、「三月癸卯(十七日)、信濃國人外従八位下前部綱麻呂賜姓安坂、」とあり、朝鮮半島からの渡来人、前部綱麻呂が「安坂」の姓を賜った事が記されている。該地の安坂は、同名が住していた比定地として長らく有力であり、在名を賜って姓を開いた安坂氏とは、同地の積石塚古墳(安坂将軍塚古墳)の被葬者の後裔だと考えられていた。

昭和六十二年(西暦1987年)から始まった野口遺跡の発掘調査において、これ等を裏付ける大発見があった。即ち、朝鮮式の床暖房であるオンドルを備えた平安時代の中期から後期のものと推測される竪穴式住居跡が検出されたのだ。これによって安坂の地に半島からの渡来人の末裔が住していた事がほぼ確実視された事になる。竪穴式住居に居していたのは前部綱麻呂の後裔であろうか。

先祖の旧地は日本海を隔てた遠い場所となってしまったが、山中を進んで「科野のクニ」に土着した渡来人達は、各土地に根差し、大陸の先端技術を用いてそれぞれの地域の開発を手掛け、古代の日本の発展に大きな影響を与えていく。彼等も故国を想いながら「姨捨山に照る月」をきっと眺めていた筈…

※該地は墓地が大半を占めているので撮影は遠慮した。

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