葛尾城(かつらおじょう)

葛尾城の基本情報

通称・別名

村上氏城館

所在地

長野県埴科郡坂城町坂城1148他

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

不明

築城主

村上氏

築城年

南北朝時代後期

主な改修者

武田氏、森氏

主な城主

村上氏、武田氏、真田氏、森氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切、石垣、竪堀

指定文化財

県史跡(村上氏城館跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

荒砥城(長野県千曲市)[3.4km]
屋代城(長野県千曲市)[7.6km]
松田家館(長野県千曲市)[8.1km]
上田城(長野県上田市)[10.1km]
岡城(長野県上田市)[10.3km]

葛尾城の解説文

葛尾城(かつらおじょう)は信濃国埴科郡(長野県埴科郡坂城町)にあった城。山城。
概要
戦国時代、北信で最大の勢力を誇った村上氏の居城であった。近辺に氏族の支城や砦の跡がいくつもある。

天文年間、小県郡の村上義清は甲斐国の武田晴信(信玄)が開始した信濃侵攻に対抗し、上田原の戦いと砥石崩れと2度もの南面からの武田軍の攻撃を破った。しかし、天文22年(1553年)葛尾城は村上氏の背部を支える北に位置する支族の屋代氏や雨宮氏、塩崎氏らが武田方の真田幸隆らの調略により離反し、背後の戸倉方面からの攻撃を受けることによって自落した。義清は、それまで仇敵の間柄であった高梨氏の仲介を得て越後国の長尾景虎(上杉謙信)を頼って落ち延びた。これが12年にわたり5度に及ぶ川中島の戦いのきっかけになった。この年は葛尾城の裾を洗う千曲川に大洪水(江戸時代には64回の洪水が記録され4〜5年に1回の割合で被災していた勘定)があったと伝えられるが戦況にどのような影響があったかは不明である。
半月後には救援を得て奪還はするが再びこの城の主として返り咲くことはなかった。そして地域の大半の武士は大勢になびいて村上から武田へ、武田から再び村上方へ、またもや武田方へそして上杉方へと主を変えることになる。村上義清は上杉氏から永禄8年(1565年)に姫川流域の信越国境を警備する根知城を宛がわれ元亀3年(1572年)に終焉を迎えたとされる。

慶長5年(1600年)関ヶ原へ進軍中の徳川秀忠が途中の小諸城を拠点にして上田城への攻撃を加えたが撃退された。その後も徳川方の海津城将森忠政は葛尾城代井戸宇右衛門配下の兵を葛尾城や地蔵峠付近に置いて上田城の動きを監視させていた。これに対して上田城から9月18日と23日の2度に渡って真田信繁(幸村)が出撃して夜討と朝駆けの攻撃を加えた。記録に残るこの城の最後の戦闘とされている。

それまでの間にも村上氏による、この城の奪回戦や真田氏による上田築城への上杉景勝による牽制の拠点でもあった筈だが、それらの際にこの城がどのように使用され改修されたのか、どのような戦況であったかを示す記録は確かめられていない。

居館跡(満泉寺)
平時の居館跡は、現在は満泉寺が建立されている。村上国清(義清の子・山浦景国)が天正10年(1582年)、上杉景勝領有の時代、海津城の城代を務めたときに建立した。
その他、城下には村上義清の墓がある。

笄の渡し
伝説では葛尾城の落城の際、奥方は義清と別れ、ばらばらに落ち延びることになった。千曲川の対岸の力石に渡る際に奥方は、我が身の危険をかえりみず舟を出してくれた船頭の心に打たれ、お礼として髪にさしていた笄を手渡した。
義清夫人を偲んでそれ以降はその渡し場を「笄の渡し」と呼ばれるようになったとされる。しかし、葛尾城の麓の千曲川沿いは高い崖が連なっていたことから「高崖(コウガイ)」と言われていたと伝えられる。また、この時代には崖下の浅瀬を選んで渡渉し、船渡しはまだなかったと考えられる。更には女性が髪を高く結うのは江戸時代になってからのことであり、この時代の女性が笄を髪にさす生活習慣はなかったとの説があって「コウガイ」にこじつけた江戸時代以降の創作と見るむきもある。また結末は無事に越後(高梨氏の本拠地である中野とも言われる)に逃げ延びたとも敵に発見されて自害した、あるいは敵の手にかかって惨殺されたとも様々に語られている。そして話によっては船頭を落人の弱みに付け込み法外な酒手を要求する悪者として描き、奥方は泣く泣く要求に応じたのだ、とする筋書きもある。この奥方は名を「於フ子」と言い高梨氏の娘から村上氏の側室となっていたとされる。

葛尾城の口コミ情報

磐城守きこりん様[2015年05月10日]
城跡一帯は松茸山(留山)で、秋は要注意です。秋季立入り禁止を謳う張り紙とテープが歩道沿いにずっとあります。
罰金30万とか恐ろしげなことも書いてあります。歩道から外れなければいいんだと思いますが…
塩田城も同様です。

葛尾城の周辺観光情報

鉄の展示館

刀匠のまち「坂城」の象徴である人間国宝故宮入行平刀匠や宮入一門刀工の作品をはじめ、長船や山浦など古刀・新刀の古名刀、さらに故高倉健さんが旧蔵していた刀剣類など、定期的に展示します。

詳細はこちら

坂木宿 ふるさと歴史館

坂城町を拠点に活躍した清和源氏の名族「信濃の村上氏」と戦国の勇将「村上義清」を中心に、北国街道坂木宿等に関する資料を展示しています。特に武田信玄を唯一破った村上義清の、武田氏や真田氏との激戦、川中島の戦いなど見ごたえのある展示内容となっています。

笄の渡し

現在の笄橋付近といわれている。天文22年(1553)葛尾城落城後、村上義清の奥方が対岸の力石に船で落ちのびようとしたとき、わが身の危険をかえりみず船を出してくれた船頭に、お礼として髪にさしていた「笄」を贈ったという伝説から呼ばれるようになったということです。

耕雲寺

室町時代末期から阿須地桃山時代の創建とされ、武田信玄、勝頼から篤い保護を受け、寺名も信玄が命名したと伝えられています。はじめ同町横尾にあったが、江戸時代に現在の地に移された。参道の樹齢約300年の杉並木は町指定文化財です。

日帰り温泉施設「びんぐし湯さん館」

びんぐしの里公園の山頂付近に平成14年にオープンした日帰り温泉施設。大浴場、石風呂、熱湯・岩風呂、寝湯など様々なお風呂が楽しめる。効能は、神経痛、筋肉痛、疲労回復など。

情報提供:坂城町産業振興課商工観光係

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