葛尾城(かつらおじょう)

葛尾城の基本情報

通称・別名

村上氏城館

所在地

長野県埴科郡坂城町坂城1148他

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

不明

築城主

村上氏

築城年

南北朝時代後期

主な改修者

武田氏、森氏

主な城主

村上氏、武田氏、真田氏、森氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切、竪堀

指定文化財

県史跡(村上氏城館跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

荒砥城(長野県千曲市)[3.4km]
屋代城(長野県千曲市)[7.6km]
松田家館(長野県千曲市)[8.1km]
上田城(長野県上田市)[10.0km]
岡城(長野県上田市)[10.3km]
松代城(長野県長野市)[10.5km]
横田城(長野県長野市)[11.4km]
麻績城(長野県東筑摩郡)[11.6km]
尼厳城(長野県長野市)[11.9km]
横尾城(長野県上田市)[11.9km]

葛尾城の解説文



葛尾城(かつらおじょう)は、信濃国埴科郡葛尾[1](現・長野県埴科郡坂城町)にあった日本の城。山城。

概要 

戦国時代、北信で最大の勢力を誇った村上氏の居城であった。近辺に氏族の支城や砦の跡がいくつもある。

天文年間、小県郡の村上義清は甲斐国の武田晴信(信玄)が開始した信濃侵攻に対抗し、上田原の戦いと砥石崩れと2度もの南面からの武田軍の攻撃を破った。しかし、天文22年(1553年)葛尾城は村上氏の背部を支える北に位置する支族の屋代氏や雨宮氏、塩崎氏らが武田方の真田幸隆らの調略により離反し、背後の戸倉方面からの攻撃を受けることによって自落した。義清は、それまで仇敵の間柄であった高梨氏の仲介を得て越後国の長尾景虎(上杉謙信)を頼って落ち延びた。これが12年にわたり5度に及ぶ川中島の戦いのきっかけになった。この年は葛尾城の裾を洗う千曲川に大洪水(江戸時代には64回の洪水が記録され4〜5年に1回の割合で被災していた勘定)があったと伝えられるが戦況にどのような影響があったかは不明である。

半月後には救援を得て奪還はするが再びこの城の主として返り咲くことはなかった。そして地域の大半の武士は大勢になびいて村上から武田へ、武田から再び村上方へ、またもや武田方へそして上杉方へと主を変えることになる。村上義清は上杉氏から永禄8年(1565年)に姫川流域の信越国境を警備する根知城を宛がわれ元亀3年(1572年)に終焉を迎えたとされる。

慶長5年(1600年)関ヶ原へ進軍中の徳川秀忠が途中の小諸城を拠点にして上田城を攻撃したが上洛命令により撤退した。その後も徳川方の海津城将森忠政は葛尾城代井戸宇右衛門配下の兵を葛尾城や地蔵峠付近に置いて上田城の動きを監視させていた。これに対して上田城から9月18日と23日の2度に渡って真田信繁(幸村)が出撃して夜討と朝駆けの攻撃を加えた。記録に残るこの城の最後の戦闘とされているが忠政と不仲であった宇右衛門は門を開いて真田軍を城内に入れ二の丸まで迫られたと言う。

それまでの間にも村上氏による、この城の奪回戦や真田氏による上田築城への上杉景勝による牽制の拠点でもあった筈だが、それらの際にこの城がどのように使用され改修されたのか、どのような戦況であったかを示す記録は確かめられていない。

居館跡(満泉寺) 

平時の居館跡は、現在は満泉寺が建立されている。村上義清の子・村上国清(山浦景国)が天正10年(1582年)、上杉景勝領有の時代、海津城の城代を務めたときに建立した。

その他、城下には村上義清の墓がある。

笄の渡し 

伝説では葛尾城の落城の際、奥方は義清と別れ、ばらばらに落ち延びることになった。千曲川の対岸の力石に渡る際に奥方は、我が身の危険をかえりみず舟を出してくれた船頭の心に打たれ、お礼として髪にさしていた笄を手渡した。

義清夫人を偲んでそれ以降はその渡し場を「笄の渡し」と呼ばれるようになったとされる。しかし、葛尾城の麓の千曲川沿いは高い崖が連なっていたことから「高崖(コウガイ)」と言われていたと伝えられる。また、この時代には崖下の浅瀬を選んで渡渉し、船渡しはまだなかったと考えられる。更には女性が髪を高く結うのは江戸時代になってからのことであり、この時代の女性が笄を髪にさす生活習慣はなかったとの説があって「コウガイ」にこじつけた江戸時代以降の創作と見るむきもある。また結末は無事に越後(高梨氏の本拠地である中野とも言われる)に逃げ延びたとも敵に発見されて自害した、あるいは敵の手にかかって惨殺されたとも様々に語られている。そして話によっては船頭を落人の弱みに付け込み法外な酒手を要求する悪者として描き、奥方は泣く泣く要求に応じたのだ、とする筋書きもある。この奥方は名を「於フ子」と言い高梨氏の娘から村上氏の側室となっていたとされる。

参考文献 

  • 信濃史学会編 『信州の山城 信濃史学会研究叢書3』 1993年
  • 南原公平 著『信州の城と古戦場』 しなのき書房 2009年

葛尾城の口コミ情報

2022年05月19日 しげしげ右馬頭信繁
葛尾城



車で檄狭の林道を3km程進軍して登城口にたどり着きました。道幅は狭く横は崖で大きめの石がゴロゴロ点在してます、山側からは木の枝が出てますのでボディーに傷が着く可能性があり運転に自信が無い方、は林道はおススメ出来ません。登城口からはそれほどキツイ登りもなく20分程で主郭跡まで行けます。次回はふもとの坂城神社からチャレンジしたいです!

2022年01月09日 国府左京亮城介
坂木宿 ふるさと歴史館[葛尾城  御城印]



坂城町にある3つのお城(葛尾城・出浦城・狐落城)の御城印が発売されています。1枚330円となっています。

2021年05月25日 つか征夷大将軍
駐車スペース[葛尾城  駐車場]

Uターンスペースも考えると3,4台が限度かと。ここまで来て停められないとショックはかなり大きいかな。道のりも大変なので休日は素直に歩きで登ったほうが良い気がします。

2021年05月25日 つか征夷大将軍
お城への林道入口[葛尾城  その他]

近くへの駐車スペースへはこちらから行けますが未舗装路でかなり狭く道の横はすぐ崖です。対向車とすれ違うスペースもかなり少ないので行く人は気を付けてください。普通車でも行けなくは無かったですが車高の低くない軽自動車が良いと思います。ここから3.5キロで20分弱そのような道を進みます。

2021年02月13日 eiki
虚空蔵山城[葛尾城  周辺城郭]



標識1078メートルの虚空蔵山頂に築かれていた城、上田市の南に聳える険しい岩山で戦国期に村上氏によって築城されました。虚空蔵山城というのは総称で亀井城、積城、高ツヤ城などで構成されています。堀切、曲輪などはっきりと確認できます。比高600メートルあり登山道はしっかりしていますが急登です。ここは、村上氏の領地の上田、塩田平、坂城を巡視できる重要軍事拠点だったとのことです。写真は本丸から上田盆地を俯瞰したものです。


2020年11月01日 ガルガリ「左衛門督」博士
葛尾城



坂城神社に車を停めて約1時間半ほどで主郭まで行かれます
途中、砂岩の岩場があり足元が滑りやすく危険な場所がありますので登山靴の方が安全です
山頂付近には二ノ丸、主郭、その向こうに10m近い大堀切り、さらに先に二段掘り切り、あと施工途中の掘切り跡や幅2m長さ10mほどの謎の石積みがあります
別ルートとで主郭近くに車の停められる駐車場もあるようです

2020年10月25日 観空
葛尾城



坂城神社裏からスタートしました。
途中尾根に出るコースを取り、主郭まで50分でした。
途中姫城への分岐がありますが、今回は時間の都合で行きませんでした。
細い尾根上の城郭で、連続した堀切、石積、主郭には土塁もあり、東屋にスタンプと芳名帳が置いてあります。
帰りは近道とされるコースを取りましたが、松茸山らしく、赤松林には立ち入り禁止のテープが張られていて景観が…
近道は30分でした。

2020年05月12日 内記かずりヾ(・ε・。)
入山城[葛尾城  周辺城郭]



入山城は葛尾城の西南約2.9km、千曲川の南岸、標高1333mの大林山から北東へ延びる支尾根上、標高509mのピークの一つに主郭が存します。東麓からの比高は110m位でしょか。

行き方は北東麓にあるGoogleマップにも位置登録されている見性寺を目標に設定して下さい。このお寺さんの裏山が城山となります。見性寺の墓地の裏手に配水場へ抜ける舗装された林道が延びているので配水場まで進みましょう。此処から山側に尾根を登って行けばお城へ到達出来ます。

築城年代、築城者は不明なんですが、村上氏の庶流、寄合氏の分流、入山氏が推測されています。葛尾城から指呼の距離にありますが、宗家による埴科郡の一円支配すら村上氏は達成出来なかったことになりますね。信濃の惣大将の家柄の悲しさなのか、国人領主の盟主的存在から脱却出来なかったのはその呆気ない没落に繋がります。

お城は素晴らしいです。ブログ等で事前勉強してたんですが、何だかプアーな感じがしたんで余計にそう思いました。お城はコンパクトな縄張でほぼ一直線、ほぼ同一の高さで4つの郭が存し、それに腰郭が幾つか付いてます。主郭には土塁が付き、郭の一部には石積みも確認出来ます。郭間は非常に明瞭な堀切+竪堀でぶった斬り、竪堀は北側のみに長大となっています。それからお城には他では中々見れない遺構もありまして、城域の南西端、尾根の真ん中に土塁状の土の盛り上がりが30m位確認出来ます。これ堰路と呼ばれる用水を通すためのものらしく、変わった遺構の存在に萌えまくること間違い無し!文章だとあれなんですが、大きな流しそうめんを思い起こして頂ければ理解し易いかなw

帰りは別の道(途切れるけど踏み跡がある。)、城域東端にある腰郭から尾根伝いに下って戻りました。これを使うと林道の入口付近に再び出る事が出来ます。言い忘れましたが、行きの配水場付近にも浅いですが堀切が1条ぽつんとあります。配水場のある場所も元は郭だったかもしれません。

よい意味で期待を軽く上回ってくれるお城です。戸倉上山田温泉にお立ち寄りの際には是非訪ねてみて下さいまし。


2020年04月13日 内記かずりヾ(・ε・。)
ケムリの城[葛尾城  周辺城郭]



ケムリの城は村上氏連珠砦の一つ、葛尾城の南東約6.3km、標高1077mの虚空蔵山の南中腹、南方へ延びる支尾根上、標高約795mのピークの一つに主郭が存します。南麓からの比高は375m位でしょか。

行き方は同じ葛尾城のリア攻めマップにある物見城(小矢場城)を参照して下さい。南東麓にある塩尻神社から燕城を経て直登する事も出来ますが、ファーストアタックの際に死ぬ程疲れたのでやめときましょう。虚空蔵山縦走路の物見城へ通じる分岐の案内板から更に10分弱程頑張ると、送電線の鉄塔No.26付近にケムリの城へ通じる道(道と言っても保安道ですが…)の案内板がありますのでこれに従って下さい。道の先にある送電線の鉄塔No.25を目指す感じになりますが、お城は正にそこにあります。物見城と同じく縦走路からは下って行きますが、時間にして10分強、道は脆い箇所多数なので注意して進みましょう。

お城は個人的に変態城に分類されます。郭は大きく見て4つぐらいあるようですが、面積的には凄く小ちゃいです。通称郭1と通称郭2には石積みがあり、崩落石から考えると小ちゃなお城なのに結構盛り盛りだったようです。唖然とするのは殆ど尾根の岩場にあるようなお城なんですが、主郭北側山側背後を大き目の4条の連続堀切でぶった斬っているところで、砦以下の規模のお城に過剰とも言える土木量…少し心配になります。工事中は恐らく泣きながら削りまくったと思われ、見ていると同情の気持ちも溢れ返ってくることでしょう。

帰りは今回、下りだからと安易に考えて燕城を経ての直下山を選択…でも下りも厳しく、踵まで土に埋まりながら殆ど横滑りして帰りました。結果、下りた場所は何故かドンキの北側の住宅地という…山って怖いですね!

連珠砦群の中では必見とも言えるこのお城、上田の市街地から距離は近いですが、遠いお城でもあります。興味を持ちましたら是非訪ねてみて下さいまし。

2020年04月11日 内記かずりヾ(・ε・。)
物見城(小矢場城)[葛尾城  周辺城郭]



物見城(小矢場城)は村上氏連珠砦の一つ、葛尾城の南東約6.2km、標高1077mの虚空蔵山の南中腹、南方へ延びる支尾根上、標高約695mのピークの一つに主郭が存します。南麓からの比高は275m位でしょか。苦労対効果が低いものも多くあるこの城砦群ですが、山城好きならどんなに苦労しても行く価値のあるお城です。

行き方は虚空蔵山縦走ルートを和合城を経て更に登って行き、菖蒲平、陣馬鳥越山のピークを過ぎて暫く歩くとお城への案内板が立っていますのでこれに従って下さい。案内板には「物見城跡(10分)」とありますが、城跡の説明板には「縦走路より15分」と書かれていて、思わず「うっ、嘘付き!」とか呟いたりしてしまいますが、許容範囲なので許してやって下さいまし。縦走路からは折角登った山道を結構下ることになって面倒臭いですが、そういう場所にあるお城ということなので頑張りましょう。ちなみに直登する猛者もいるみたいですが、この辺の山の土は濡れていれば沈み込み、乾燥していれば表土ごと持ってかれる…おまけに間伐も定期的に行われているので、アクセスポイントの選択が難しい…結果的に…遠回りにはなるけど縦走路を使いましょう!道がちゃんとあるんだから普通に行った方が体力的にも吉です。

お城は個人的に変態城に分類されます。郭は2つありますが、両郭合わせても30人が限度の小ちゃさで、これ以上詰めるとたぶん寝る場所をめぐって戦争が起きるでしょう、物見城の名に相応しいです。相応しくないのは山側を5条の連続堀切+竪堀でぶった斬ってるところで、堀切のぽこぽこ総面積は遥かに郭の総面積を上回っています。砦以下の規模のお城に過剰とも言える土木量…疑いの眼差しを向けるところですが、虚空蔵山城を中心として虚空蔵山を要塞化したのが村上氏連珠砦の本質だと思うので勘弁してやって下さいまし。又、縄張図にはありませんが、西側斜面の竪堀下部終点の下に帯郭があるような気がします。

このお城を攻略したら縦走路に戻り、隣の尾根にあるケムリの城に行きましょう!全国的に見てもその変態ぶり(褒め言葉っす。)は傑出してますので張り切って行きましょう!

2020年04月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
笹洞城[葛尾城  周辺城郭]



笹洞城は葛尾城の南方約7.9km、東方へ延びる山塊尾根上、標高692.6mのピークの一つに主郭が存します。東麓からの比高は110m位でしょか。

築城者は室賀氏で南麓にある原畑城の詰城としての役割を担っていたようです。この笹洞城の主郭部からは室賀峠に通じる平地が一望出来る事から、街道監視の任も担っていたことでしょう。

行き方はGoogleマップに位置登録されている室賀水上神社を目標に設定して下さい。此処からは大河ドラマ真田丸の幟旗が所々に立っているので迷わず行けるでしょう。ごく最近までまともな道は無かったらしいのですが、大河の影響で整備が進んだようです。段郭を越える為に数箇所虎ロープの設定がありますが、基本的に誰でも行ける道だと思います。お城自体も整備が継続的に行われているのかとても見学しやすいです。ブログ等で紹介されている過去写真の中には藪にまみれたものも散見されますが、冬から初春でなくとも今は鑑賞に耐えうるものだと思います。

お城は主郭部から東西南に尾根が延びており、登城路は東尾根を登って行くことになりますが、本来の大手筋は南尾根にあったようです。登城路を登り始めるとすぐに虎口ぽい地形にぶつかり、此処からは登城路に並走する形で見事な竪堀を見る事が出来ます。この竪堀には横矢を掛ける為か小郭の張り出しが設けられており、たぶん敵の侵入を想定した堀底道なのでしょう、実に素晴らしい造りです。この竪堀頂部起点から幾つかの段郭を抜けると堀切にぶつかり、そこから割と広めの郭を介すと主郭部に到達します。主郭部にはかなり浅くなってはいますが升形虎口の様な進入口があります。又、主郭部には石積みが散見され、おそらく往時は全周に近い形で切岸を覆っていたものと想像出来ます。そして主郭西側山側背後には見事な大堀切+竪堀が…主郭側の切岸なんて本当によく切れてます。此処から更に山側へ進むと2条の堀切+竪堀があり、その後お城はフェードアウトします。

室賀氏のお城である事を差し引いても、実に素晴らしい山城です。また比較的散策しやすい(現在は…)のも魅力のひとつだと思います。大河ドラマにおける室賀正武のセリフが頭の中でリフレインするという黙れ小童ファンは是非訪ねてみて下さいまし。

2020年04月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
竹把城[葛尾城  周辺城郭]



竹把城は葛尾城の南約6.1km、標高880.8mの摺鉢山の山頂に主郭が存します。北西麓の室賀峠からの比高は120m位でしょか。武田氏と上杉氏が争った際(川中島の合戦でしょかね。)には狼煙を揚げた実績があるらしく、室賀氏の武田氏被官時代にも機能していたようです。

行き方は3ルートあります。一つ目は狐落、三水、両城を経て摺鉢山を目指すものですが、距離もある上に長い登り道となるので、登山が趣味じゃなければやめといた方がよいです。二つ目は室賀氏の菩提寺、前松寺付近から林道を経て尾根に取り付くものですが、一番行きやすい様に見えてかなり辛い登りが待ち受けていますのでこちらも勘弁、従って推奨ルートは以下のとおりとなります。室賀峠を2.5km程進んで室賀峠史跡公園に車を停め、公園から徒歩で峠道を2分位進むと、右手にコンクリートで固められた法面が現れます。周囲を見渡すと、法面の一部に堀切のような断面が付いてますのでよく目を凝らして下さい!よじ登る為のロープが設定されている場所が登山道入口となります。後は道なりに進むだけですが、一箇所三水城方向への分岐があります。案内板の「摺鉢山0.2km」を選択しないと大変なことになるので注意です。道は尾根上の部分が多く、木の根倒れ箇所が多数ですが、室賀峠を登った事によりだいぶ比高を稼いでおり、アップダウンはそんなにないので頑張りましょう。又、付近一帯は時間の経過したものですが、熊さんの痕跡が数箇所で散見されましたので装備は万全に…熊鈴+ホイッスル攻撃で己の存在を知らせてやって下さいまし。

お城は変わっています。異形の城と先人様が呼ぶ事もあります。ほぼ単郭と言ってよいお城なんですが、主郭部には崩落石が多数散見され、石積みぐらいはあったかもしれません。凄いのは緩斜面の東側を守る為か複雑に堀切から延びた竪堀が交錯しています。生で見ると「なんじゃこりゃ?」とか呟いて感動出来るのですが、写真を撮るとただの茶色の地面になってしまい残念な結果に…実は三ヶ月程前に初登城して、今回は写真を撮り直しに来た(阿保♪)のですが、やっぱり無理でしたw

室賀氏は大河ドラマ真田丸放映以前は全国的に無名でしたが、小県郡における有力な国人領主だったことは間違いないです。黙れ小童ファンは是非訪ねてみて下さいまし。



2020年04月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
室賀氏墓所(前松寺)[葛尾城  寺社・史跡]



清和源氏村上氏流屋代氏支流である室賀氏の墓所は上田市上室賀に位置する曹洞宗の寺院前松寺敷地内に存します。

前松寺は室賀盛清が開基と伝わりますが、室賀氏の墳墓は元々別の場所(所在不明)にあったらしく、幕臣(佐渡奉行)であった子孫が江戸時代に墓参した際に当時の村民によって現在地に移されたようです。

大河真田丸で室賀正武を演じた俳優の西村雅彦さんもこの墓所を訪ねていますが、肝心の室賀正武の墓塔はここには無いので注意して下さいまし。ちなみに正武の墓は現在も所在不明らしいです。

2020年04月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
原畑城[葛尾城  周辺城郭]



原畑城は葛尾城の南方約7.9km、標高約564mの山間部緩斜面上平場に位置する原組公民館周辺に存した居館城です。

築城年代は不明ですが、築城者はこの地を領した小県郡の国人領主、室賀氏です。室賀氏は清和源氏村上氏流屋代氏支流で、戦国時代には村上氏に従い、千曲川の南岸にして室賀峠の入口という重要な場所を抑えていました。室賀氏や屋代氏といった千曲川南岸の諸氏の武田氏への離反は、村上氏を窮地に追い込み、三水、狐楽、両城の呆気ない失陥に繋がります。

天正壬午の乱の際には、大河ドラマ真田丸で一躍全国区の有名人となった室賀正武が当主でした。「黙れ!小童!」っすね。小県郡はこの時期概ね千曲川の北岸を真田氏、南岸を室賀氏が領していたようで、石高にすると1万石位あったようです。そしてそれは徳川氏vs上杉氏の縮図でもありました。そういえばドラマでもゲームでも正武と昌幸は幼なじみの友達みたいに書かれる事が多いですが、国人領主間の横の繋がりを嫌う武田氏の下で仲が良い訳無いと考えられて違和感を覚えるけど、昌幸のストーリーテラーのひとりとして大変有効なので仕方ないのでしょう。

行き方はGoogleマップに位置登録されている原組公民館を目標に設定して下さい。お城は連郭式の平城だったらしいのですが、遺構は消滅しており、心眼を持ってしても想像も出来ないです。が、地形段差マニアなら何かが浮かんでくるかもしれません。

このお城の北側背後の山塊には詰の城、笹洞城が築かれています。原畑城周辺からは、この笹洞城の主郭部を眺める事が出来ますので、コアな黙れ小童ファンは是非訪ねてみて下さいまし。

2020年04月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
室賀峠史跡公園[葛尾城  関連施設]



室賀峠史跡公園は葛尾城の南西約5.8km、室賀峠道脇、緩斜面上平場に存する公園です。

室賀峠道は上田市上室賀から坂城町に抜け、北国街道が無かった戦国時代には善光寺平に通じる事でも重要な街道でした。有名無名、身分の上下を問わず幾多の武士達が通ったこの峠道ですが、現在は交通量も少なくその役割を北国街道に殆ど譲っています。

この峠道の中間点ぐらいに室賀峠史跡公園があります。公園と言っても不思議なぽこぽこ地形(これが旧室賀峠道の残滓かもしれない。)に万葉の歌碑が立っているだけなんですが、松の木が数十本林立していて、何でも村上義清が上田原の合戦の後に立ち寄り、鎧を松の木に掛けて休んだという伝承の地らしいです。松の木は流石に二代目らしいんですが、そもそもそれがどの松なのかは全く判らないので雰囲気だけ味わって下さいまし。又、付近一帯は外灯が一つも無く、夜に訪れると怖いだけなのでやめときましょう。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。公園には普通車1台なら停められます。

自分何度も通っているにも関わらず、今回初めて上室賀の峠道口に「室賀峠坂城→」という案内板を発見しました。そんな城全く知らんわ!ひょっとして地元の方にしか認知されてないお城があるのかしらん!等と興奮しながら周辺を捜索しましたが、捜索してる最中に神が降りてきて「あれは室賀峠坂という名前の城があるんじゃなくて、室賀峠→坂城という意味なんだよ、お馬鹿さん♪」と御告げがありました。「あの辺は結構鋭い切岸だな、あそこかもしれん。」とか独り言言ってたのが恥ずかしいわ!おまけに20分位無駄にしたわ!…日本語て難しいですね。

2020年04月05日 内記かずりヾ(・ε・。)
和合城[葛尾城  周辺城郭]



和合城は村上氏連珠砦の一つ、葛尾城の南東約6.0km、標高1077mの虚空蔵山から西南へ延びる標高654.8mの尾根上突端に主郭が存します。南麓からの比高は240m位でしょか。三方を断崖で守られ、東北側のみが山側に通じています。往時は千曲川に張り出すように立地していたことでしょう。

北国街道を上田から坂城へ向けて車を走らせていると、信濃鉄道の西上田駅、テクノさかき駅間で一際自己主張する尾根の張り出しが見えますが、お城は正にそこにあります。ちなみに逆に走ると通称三の郭と通称四の郭を隔てる大堀切が下界から確認出来ますが事故んないで下さいまし。

お城は狼煙台として機能していたと考えられていますが、このお城の通称本郭に上がれば誰しも納得出来るでしょう。葛尾城はおろか周辺関連諸城の相当数を見渡す事が出来て実に素晴らしいロケーションです。村上氏が越後へ落ち延び、この地域が武田氏の勢力下に入ると使われなくなったらしいですが、天正壬午の乱の際に他の連珠砦と同様に上杉方の虚空蔵山城を中心とする支城の一つとして再利用され、真田氏の抑えとして信濃の国人領主、島津忠直(薩摩島津氏の庶流です。)が城代となりました。

お城は素晴らしいです。郭は4つ、通称本郭と通称三の郭には土塁がはっきり残り、石積みも確認出来ます。面白いのは尾根の突端に向かうに従い段々が高くなっていくところで、普通とは逆になっています。素敵過ぎるのはこのお城、北東側山側背後の高所、菖蒲平や付近にある物見城から削平された郭の段々がぽっかりと確認出来る事!整備が継続して行われているのか(案内板も新しい。)、中々他では見れない光景だと思います。残念なのは通称ニの郭の腰郭辺りに送電線の鉄塔が建っている事でしょうか、写真撮影の邪魔を見事にやってくれています。それでもきちんと削平された通称本郭に建てなかったのは御の字と言うものでしょう。

行き方はたぶん3ルートありますが、北西麓にある墓地から登って行くのが1番シンプルでしょう。ちなみにこの道は虚空蔵山縦走ルートの一つでもありまして、写真トランス状態で撮っていたら、登山者に背後から声掛けられて死ぬ程びっくりしました。

2020年03月29日 内記かずりヾ(・ε・。)
三水城[葛尾城  周辺城郭]



三水城は葛尾城の支城とされ、葛尾城の南方、千曲川の南岸約4.5km、標高789.6mの三水城山の山頂に主郭が存します。同じ葛尾城のリア攻めマップにある狐落城とは尾根続きで連絡していて、両城の距離は0.4kmて現地案内板に書いてありました。従って行き方については狐落城を参照して下さい。狐落城からは最初緩やかに登って行きますが、最後に急坂が待ち受けています。しかし距離は大した事ないしテンションも上がっているのできっと頑張れることでしょう。

築城年代は不明ですが、築城者は村上氏という事になりますね。

お城は凄いっす。なんつうかもうよい意味で変態ですよ。ほぼ単郭で主郭から北東西に尾根が延びているんですが堀切でぶった斬りまくりです。北尾根にはたぶん3条、主郭に最も近いものは岩盤を切削して頑張りを見せています。東尾根にはたぶん2条、圧巻というか呆れてしまうのが西尾根で、合計たぶん9条、六重堀切(阿保か…)+3条て感じです。郭の削平総面積よりも堀切のぽこぽこ総面積の方が遥かに大きい間違ってしまったお城です。お城で注意する点は、藪に突入するとなんていうのか知らんけどちくちくした木が生い茂っていて容赦無く服を切り刻んでくれるので勘弁です。自分はお気に入りのアウターを1着駄目にしました。

大河ドラマ真田丸で一世を風靡した室賀氏の離反によって武田氏による室賀峠の通行が自由になった事から三水、狐落両城は一気に最前線のお城となりました。三水城からは西尾根伝いに1.5km位で室賀氏の竹把城へ到達し、その緊張感がお城からひしひしと感じられます。三水、狐落城を守った村上方の児島兄弟は内応によって討死、両城は落城しますが、それは村上氏の息の根を止めた戦いでもありました。

ちなみにお城の名前の読み方ですが「さみず」と読みます。決して「さんすい」とは読まないので注意して下さい。今さっき知りましたw

2020年03月28日 内記かずりヾ(・ε・。)
狐落城[葛尾城  周辺城郭]



狐落城は葛尾城の支城とされ、葛尾城の南方、千曲川の南岸約4.2km、標高789.6mの三水城山から北方へ延びる尾根上、標高665mの狐落城山の山頂に主郭が存します。東麓からの比高は260m位でしょか。

自分全然知らなかったのですが、上田から車で約15分、電車に乗ると3駅で葛尾城のある坂城町中心部に到着しますが、江戸時代に北国街道が整備されるまでは上田原から葛尾城へ向かうには室賀峠を通るしかまともな道は無かったようで、狐落城はこの峠口を押さえる重要な場所に位置します。

築城年代は不明ですが、築城者は村上氏という事になりますね。

天文二十ニ年(西暦1553年)、葛尾城は自落し強勢を誇った村上氏は越後に逃れますが、戸石城を調略により失い、千曲川流域の諸豪族の離反を招き、三水、狐落の両城を失陥し孤立した事に起因するのは明白です。村上義清が葛尾城を去ったのは狐落城落城の数日後の事でした。落城時に城代だったのは児島兵庫介という人でしたが、大須賀久兵衛尉という土豪が武田方に内応し陥落、後に久兵衛尉は南條(テクノさかき駅周辺)に所領を得ましたが、長篠の合戦で討死しています。

行き方はGoogleマップにも位置登録されている村上大国魂神社を目標に設定して下さい。ここから少し登ると村上氏関連の史跡の一つでもある十六夜観月殿というのががありますので、これを見学しつつ尾根筋を登っていけば到達します。道は最初緩やかですが、狐も落ちる城の名のとおり急坂が途中から続きます(ロープの設置箇所あり。)。ただ迷う事は決して無いので頑張りましょう。

お城は素晴らしいです。ほぼ単郭のお城なんですが、堀切で尾根をぶった斬りまくりで、こんなに切らなくてもいいんじゃないかなとか思うぐらい。主郭部は二段で上段の削平地には山側に土塁、又、切岸には相当量の石積みが残されています。このお城、感動するのは下界から主郭部の段々とその削平具合、尾根に穿つ堀切のクサビが数条等、はっきり形として確認出来る事!攻城後は近くにあるびんぐし湯さん館に立ち寄って汗を流した後、お城を振り返って遠景を眺めて下さい!他では中々見れない光景に「おぉーっ!」とか叫びますよ!





2020年01月22日 内記かずりヾ(・ε・。)
出浦城[葛尾城  周辺城郭]



さて、出浦城の口コミをさせて頂きましたが1000文字じゃ足らん部分を…

実は道をロストしまくって山腹を行ったり来たりした結果、謎も増えました。

自在山の中腹にある自在神社を抜けて行くと、直ぐに畝状竪堀様の地形にぶつかります。この地形、余りにもはっきりしていて竪堀として見ると破格の大きさ、はっきり言って眉唾物なんです。ただ遺構なのかどうかは別としてこの地形には悩まされまくりました。横移動が本当に難しく数も相当あります。しかし彷徨いまくったおかげで本物の竪堀もかなりあるように思えました。特に今回のリア攻めでは、帰り道を完全にロストしてしまったことにより、暗闇の中を自在山北東斜面を直下山しましたが、その時使ったのが麓付近まで一直線に落ちる竪堀様地形でした。

竪堀様地形の中には曲げを伴ったり、二股を作ったり、集合したりするものがあって、自然地形でこうなるもんなのかなと疑問に思う箇所が幾つか散見されます。比較的に浅めのものは本当に竪堀遺構なんじゃないかなと思いました。

結論を求めるのもよい事ですが(そうしないと人は中々前に進めない。)、謎は謎として、疑問は疑問として残しておくのも粋な事だなと素直に思いました。

2020年01月22日 内記かずりヾ(・ε・。)
出浦城[葛尾城  周辺城郭]



出浦城は葛尾城の南西約2.9km、標高793.1mの自在山(岩井堂山)山頂に主郭が存します。東麓からの比高は400m位でしょか。

北国街道を北西に向けて走っていると坂城大橋の辺りで左手に漏斗を逆さまにしたような山が見えて思わず燃料を注ぎたくなりますがそれが城山となります。

出浦城は廻国異能の者で有名?な出浦盛清が在城したこともあるお城です。ただ名称はどうにも後付けらしく、少なくとも村上氏時代は主郭にある説明板のとおりにただの狼煙台だったと思います。しかしその時代ごとに改修と拡張を続けたのでしょう、今尚残る遺構は謂わゆる山城そのものです。

お城へ行くには自在山の中腹にある自在神社がそのスタートになります。ただここからの道が意外にも不鮮明でして、崩落箇所多数、倒木多数、畝状竪堀様の地形、更に間伐用の道等が縦横無尽に走っていることから何処に向かって進んでよいやら全く判らん♪実は10日程前にもアタックしてるんですが、前回は行きに道をロストし、今回は帰りにロストしましたw従って何となくですが、行きは尾根に出ることを念頭に、帰りは…やっぱしよく判らないっす。すいません…又、登山道に運良くぶつかると「300m自在山」の案内板を見つけることが出来ますが、少し進むと「自在山0.6km30分」の案内板にぶつかり、思わず「うっ、嘘つき!」とか呟いたりします。ただ此処から山頂までは15分位ですので、気持ちを抑えてそのまま進んで下さい。砂岩の砕けたのが斜面を覆っていたり、浮石、落ち葉が堆積している箇所も多いので、足元には十分に注意して下さい。

お城は素晴らしいです。殆ど廃城時からそのままって感じです。コンパクトな縄張ですが、主郭は全周が土塁で囲まれ、主郭の北側と西側には横堀が、特に北側のものは藪ですがよく見りゃ二重じゃないですか、この横堀は高低差を持って西側の横堀と合流しています。西側の横堀の更に奥にはもう1条横堀があり、両端は竪堀になって落ち込みます。竪堀の1条はそのまま西尾根に通じて堀底道を形成し、横堀からの曲げの部分に小郭を設けて防御しています。とんでもないのがこの西尾根にある竪堀付き堀切!デカくて思わず笑っちゃいます。圧巻!その先には尾根の南側にだけ落ちる竪堀、頂部が上手い事尾根上に切り込みを作っています。感動!是非訪ねてみて下さいまし。




2019年12月29日 信濃守モンチッチ
姫城[葛尾城  周辺城郭]



葛尾城の南側にある出城です。三の郭からしばらく登山道を下っていくと麓の坂城神社と姫城の分岐の案内表示があります。始めはわりと急な下りですが姫城に近づくにつれて緩やかになります。姫城の主郭の北側、南側に堀切が残っており、南端のこんもりは土塁かと思います。
途中、岩崎城へ向かう道もありますが、2019年12月の時点では台風などの影響で倒木が多く道がわかりづらかったです。

2019年06月23日 信濃守モンチッチ
葛尾城跡登山者専用駐車場[葛尾城  駐車場]

石積櫓跡側にも駐車場はありますが、山道を運転するのが不安な方や登山も楽しみたい方はこちらの駐車場が良いかもしれません。
坂城神社裏の登山口から主郭までは急坂のルートが約40分、姫城跡分岐を経由するルートが約60分かかります。

2019年04月27日 渡島守きこりん
岩崎城[葛尾城  周辺城郭]



葛尾城から西に派生する尾根筋を抑える支城として岩崎城が築かれており、大きな竪堀や石積の痕跡がある土塁、段郭などの遺構が残っています。
葛尾城から降って来れますが、下から登る場合、国道18号のセブンイレブン(坂城苅屋原)の向かいの踏切を渡って沢沿いに進むと右手に登山口があります。途中には葛尾城(姫城)から落ちてきた村上義清の奥方が石になったという伝説が残る比丘尼石があり、対岸の出浦城や荒砥城などの景色もよく見えます。

2018年10月31日 サスケ木工頭
葛尾城

城跡の駐車場には、林道で行く事になりますが、舗装されてない道が長く続きます。普通車で行けない事は無いけど…下の神社に停めて歩いた方が無難です

2017年11月07日 カーネル
葛尾城

しなの鉄道 坂城駅から

北の坂城神社を目指し駅前通りを進む
街並みはいい雰囲気で、村上氏の居館跡の石碑もありました(行ってません)

坂城神社でお参りし、神社北側の葛尾城の石碑に従い歩く。近道(1.2km)と遊歩道(1.5km)があるので、遊歩道を選択

斜面を登ると尾根に出ます。尾根からの風景は絶景で、ニホンカモシカにも会えました。道は明瞭でよく整備されていますが、滑りやすいところもあるので、注意です

本丸には小屋がありますが、なぜか屋根裏に地勢図が張ってありました
地勢図を参考に堀などを見てから、駅に戻りました。2時間弱でした

2015年05月10日 渡島守きこりん
葛尾城

城跡一帯は松茸山(留山)で、秋は要注意です。秋季立入り禁止を謳う張り紙とテープが歩道沿いにずっとあります。
罰金30万とか恐ろしげなことも書いてあります。歩道から外れなければいいんだと思いますが…
塩田城も同様です。

葛尾城の周辺観光情報

鉄の展示館

刀匠のまち「坂城」の象徴である人間国宝故宮入行平刀匠や宮入一門刀工の作品をはじめ、長船や山浦など古刀・新刀の古名刀、さらに故高倉健さんが旧蔵していた刀剣類など、定期的に展示します。

詳細はこちら

坂木宿 ふるさと歴史館

坂城町を拠点に活躍した清和源氏の名族「信濃の村上氏」と戦国の勇将「村上義清」を中心に、北国街道坂木宿等に関する資料を展示しています。特に武田信玄を唯一破った村上義清の、武田氏や真田氏との激戦、川中島の戦いなど見ごたえのある展示内容となっています。

笄の渡し

現在の笄橋付近といわれている。天文22年(1553)葛尾城落城後、村上義清の奥方が対岸の力石に船で落ちのびようとしたとき、わが身の危険をかえりみず船を出してくれた船頭に、お礼として髪にさしていた「笄」を贈ったという伝説から呼ばれるようになったということです。

耕雲寺

室町時代末期から阿須地桃山時代の創建とされ、武田信玄、勝頼から篤い保護を受け、寺名も信玄が命名したと伝えられています。はじめ同町横尾にあったが、江戸時代に現在の地に移された。参道の樹齢約300年の杉並木は町指定文化財です。

日帰り温泉施設「びんぐし湯さん館」

びんぐしの里公園の山頂付近に平成14年にオープンした日帰り温泉施設。大浴場、石風呂、熱湯・岩風呂、寝湯など様々なお風呂が楽しめる。効能は、神経痛、筋肉痛、疲労回復など。

情報提供:坂城町産業振興課商工観光係

葛尾城の周辺スポット情報

 岩崎城(周辺城郭)

 姫城(周辺城郭)

 出浦城(周辺城郭)

 狐落城(周辺城郭)

 三水城(周辺城郭)

 和合城(周辺城郭)

 原畑城(周辺城郭)

 笹洞城(周辺城郭)

 竹把城(周辺城郭)

 ケムリの城(周辺城郭)

 物見城(小矢場城)(周辺城郭)

 虚空蔵山城(周辺城郭)

 入山城(周辺城郭)

 高津屋城(周辺城郭)

 鳥小屋城(周辺城郭)

 燕城(周辺城郭)

 坂木陣屋(周辺城郭)

 室賀氏墓所(前松寺)(寺社・史跡)

 坂木宿 ふるさと歴史館(御城印)

 トイレ(トイレ)

 葛尾城跡登山者専用駐車場(駐車場)

 駐車スペース(駐車場)

 室賀峠史跡公園(関連施設)

 坂木宿ふるさと歴史館(関連施設)

 登城口(その他)

 お城への林道入口(その他)

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