積城(接城)
積城(接城)([葛尾城 周辺城郭])
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積城(接城)の口コミ情報
2024年04月09日 内記かずりヾ(・ε・。)
積城(接城)は葛尾城の南東約6.7km、千曲川北岸(右岸)、標高1077mの虚空蔵山から東方へ伸びる尾根稜線上、標高約1065mの小ピーク上に立地する砦です。南麓の国道18号からの比高は635m位でしょか。平均的な山城と比べて3倍強の比高差は信濃でも大変珍しい。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい…なんだけど、そのままじゃ行けないので虚空蔵山の座摩(ざますり)神社コースてのをネットで検索してから登ってね。虚空蔵山の東方尾根稜線上へ出た後、右手へ2分程進めば該地に至る。行き方は他にもあるんだけど、最もダメージが抑えられるのがこのルート、但し、はっきり言って低登山である。
築城年代、築城者は不明です。一般的には村上連珠砦と呼ばれる城砦群の一つとされる。村上連珠砦は虚空蔵山と太郎山の山塊に総計17を数える城砦群、名称のままだと築城者は村上氏て事になるんだけど、そうだとは言い切れないものも幾つか含む。大体にして村上連珠砦と呼ばれる根拠がよく判らん…伝承故なんだろうか。
お城の案内板も立っているが比定地である。尾根稜線上北側下段には風除け出来る削平地が確認されるが、他の部分にあっては削平も皆無に近く限り無く地山の印象、砦跡として確証を得られないのは明確な城郭遺構が認められないが故だろう。そもそも論で積城の存在自体に根拠が無く、比定地てよりは伝承を元にした推定地て事になると思う。
同じ葛尾城のリア攻めマップにある持越城からの比高は380m位、殆ど全てが急登、ロープが設定された岩場もある。おいらにとっては正に地獄のモーメント、体力も持ってかれる。あれだけ朝食をがっつり食べたのに腹ぺこさえ感じる…
…日頃からおいらは自分に役立つ各種情報収集に余念が無い。そんな中で登山中の腹ぺこ問題を解決に導く有益な食品がある事を後輩から聞いた。そりは…柿の種、そう、◯田とかが製造、販売しているあの大人気食品だ。意外な事に柿の種は栄養価満点のハイカロリー食品、日本の登山者の一部の間では非常食として重宝されているらしい。持ち運びが軽く携帯に便利、エネルギー補給もしっかり出来るんで登山のお供にはぴったりて訳だ。柿の種上級者?ともなるとウォーターボトルに詰め込んでちびちび食べながら登るんだそう。今回、しっかり者のおいらは小袋6袋をザックに詰め込んで登山中の柿の種デビュー、こりで腹ぺこ問題も一気に解決!…て思ってたら運用上の意外な欠点も…そりは…袋を開けてしまうと全部を食べ切らなきゃならない事、「出されたもんは全部食えっ!」を生活信条の一つとするおいらには残す事なんて論外だ(まぁ、自分で出したんだけどね。)。従って、全部食べる→喉が異常に乾く→水分がぶ飲み→歩き始める→気持ち悪くなる…て謎現象に…登山中の柿の種は奥が深いんだぜ…小袋は止めとけ。
※ 村上連珠砦は捉え方によって数に諸説ある。はっきりとさせる根本が見当たらないのでおいらがそうだと考えているものを数えてみた。
※写真①は登山道の一部を撮影したもの。とてもじゃないけど手軽には登れない。
※写真②は積城下段に位置する標高約940mの兎峰を撮影したもの。ロッククライミングをする人が訪れるのか、頂部の岩盤にはアンカーボルトが打ち込まれていた。
※写真③はその兎峰頂部から撮影した上田市市街地、弘治三年(西暦1557年)の第三次川中島の戦いにおける長尾勢の行軍停止ポイントである「半過岩鼻」が写真向かって中央、やや左手に見える。長尾勢は武田氏支配領域の奥深くまで行軍しているが、決戦を避ける武田勢を前にしてその成果は限り無く無に等しかった。ちなみに兎峰は上田市最強の絶景ビュースポット、但し、滑落したら原型を留めない即死レベルの絶壁を正面とするので端っこには近寄らない。
※写真④はひたすら登った後に待ち受ける、座摩コースと虚空蔵山・太郎山 縦走路の分岐、写真の方向へ進めば虚空蔵山山頂に至り、逆の方向へ進んで登り詰めれば太郎山山頂に至る。途中にリア攻め1件、寄り道も少々しているが、ログを確認すると登山開始から2時間38分で此処に到達している。
※かずりが培った撮影テクニック、「ただの地山を山城の様に撮る。」も撮影対象によって限界がある。
※作成してて思ったんだけど、登山系アプリの口コミとした方がよいのかもしれん。大体にして何の口コミなのかもよく解らん。