小諸城(こもろじょう)

小諸城の基本情報

通称・別名

酔月城、穴城、白鶴城、鍋蓋城

所在地

長野県小諸市丁311

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

型式不明[3重/1590年頃/焼失(落雷)]

築城主

武田信玄

築城年

天文23年(1554)

主な改修者

仙石秀久

主な城主

武田氏、仙石氏、牧野氏

廃城年

遺構

曲輪、大手門、三之門、天守台、石垣、横堀(空堀)

指定文化財

国重要文化財(大手門、三之門)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

御影陣屋(長野県小諸市)[5.6km]
望月城(長野県佐久市)[8.0km]
根井氏館(長野県佐久市)[8.2km]
岩尾城(長野県佐久市)[8.2km]
大井城(長野県佐久市)[8.3km]
伴野城(長野県佐久市)[12.2km]
志賀城(長野県佐久市)[13.1km]
平賀城(長野県佐久市)[14.0km]
真田氏館(長野県上田市)[14.7km]
長窪城(長野県小県郡)[14.8km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

28 小諸城

設置場所

懐古園事務所入口[地図

小諸城の解説文

小諸城の起源は、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城址の東側に築いた館(宇頭坂城)に始まる。

やがて小室氏は南北朝時代に衰退し、大井氏が勃興して小諸佐久地方を支配することとなるが、戦国時代に入り、佐久地方も戦国の騒乱に巻き込まれ、大井宗家 は滅亡し、大井家の一部は小諸に逃れ、中沢川のほとりに小諸城の前身である鍋蓋城を築城し、さらに激化する乱世に備え、その子孫が乙女城、別名白鶴城を現 在の二の丸付近に築城し、周辺の要地には支城を配置して外敵に備えた。

山本勘助の縄張り 

天文23年(1554年)、甲斐の武田信玄の侵攻で鍋蓋城以下は武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配される。

信玄は、この地の重要性にかんがみ、重臣の山本勘助と馬場信房に命じて鍋蓋・乙女城を取り込んだ新たな縄張りをして城郭を整備し、総合的な大城としたのが小諸城の原型である。

武田氏の滅亡後は、織田、徳川と支配が移ることとなる。

仙石秀久の大改修 

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、小田原攻めの軍功により再起を果たした仙石秀久が5万石で小諸に封ぜられる。秀久は城の大改修と城下町の整備に取り掛かり、今日遺構の残る天下に類のない堅固な城とした。

世は徳川による天下泰平の時代となり、仙石氏は秀久の子忠政のとき上田城に移り、小諸城は徳川家光の弟の忠長の領有するところとなり、城代が置かれた。そ の後もめまぐるしく城主が変わり、石高も5万石から2万石へと減らされてきたが、極めて要衝な藩領のため、歴代藩主には徳川譜代が配されていた。

牧野氏10代の居城 

元禄15年(1702年)、越後国与板藩より牧野康重が1万5千石で入封すると、版籍奉還まで約170年間、牧野氏が10代にわたって居城とした。

明治4年(1872年)の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は払い下げられ、小諸藩の旧士族の手により本丸跡に神社が祀られ、「懐古園」と名付けられた。

その後、大正15年(1926年)に、造園の権威である本多静六の設計により、近代的な公園に生まれ変わった。

島崎藤村と小諸 

明治32年、かつての恩師木村熊二に招かれて、小諸義塾の英語と国語の教師として赴任。函館の網問屋秦慶治の三 女冬子と結婚。小諸町馬場裏の士族屋敷跡に新家庭をもつ。以降、小諸で過ごした6年余の間に「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」などが生まれ、大作「破 戒」が起稿された。

昭和2年には、有島生馬の発案により、藤村の友人や門下生によって懐古園内に「千曲川旅情のうた」の詩碑が建てられた。詩碑の詩は藤村の自書、鋳造は高村豊周による。

アクセス 

・しなの鉄道又はJR小海線、小諸駅下車、徒歩3分
・信越道小諸インターより10分
・乗用車・バス駐車場(懐古園大駐車場)

情報提供:小諸市商工観光課


小諸城の口コミ情報

2023年11月20日 がつ
小諸城

小諸城は駅からも近く訪れやすい所にあります。特に今は紅葉が綺麗で行く価値ありです。

2023年09月25日 RED副将軍
富士見城[小諸城  周辺城郭]



東信濃では数少ない石積みが多様された山城🏯

オススメ度 ★★★★★

築城年代は不詳。大井氏が西の滋野氏に対する備えの為に築いた境目の砦が始まりと云われます。その後、天文年間(1532年〜1554年)に武田信玄が佐久に進出し、小諸城の前身である鍋蓋城を拠点とした際に、鍋蓋城の支城として整備され多少の石垣が積まれたと云われます。
武田氏滅亡後の信濃は徳川氏、上杉氏、北条氏による所領の争奪戦が繰り広げられます。
1582年には元武田氏家臣で徳川家康に従った依田信蕃が小諸城を拠点とし佐久平定を行います。徳川家康の命で依田信蕃のもとで軍監として赴いた柴田康忠が富士見城を居城としたとされます。
その後の富士見城の動向は不明で、1590年の小田原征伐の軍功により小諸城に入封した仙石秀久にも小諸城の支城として富士見城は使われたようです。

見所
小諸城の北側約2kmにある標高835mの飯綱山頂部に築かれています。城名の通り天気が良ければ富士山が見えるほど眺望の良いロケーションで佐久平を一望することができます。
現在は飯綱山公園となっており、小諸高原美術館の背後を登ると東の曲輪があり、堀切を隔てて主郭、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪が連なる連郭式です。
それぞれの曲輪の両側には幾段もの石積みが付された帯曲輪が斜面に配されているのが最大の特徴です。
石積みの高さはあまり無く、原始的な積み方であり土留め程度のものです。ここまで多量の石積みを譜勢したのは武田氏、徳川氏、仙石氏のいずれの時代であるのかはっきりとは分かっていない様です。

行き方は、小諸高原美術館を目標に設定。車で登れて駐車場完備であるため気軽に行くことが出来ます。

2023年08月16日 HAL2000上総介
小諸城



佐久盆地(佐久平)の斜面に建っていた城。小諸の街自体が斜面に広がっています。その端の、千曲川の段丘の突端に作られました。地獄谷と説明があった堀はとても深く、攻めづらく防衛しやすい作りを感じました。明治まで残っていた城のため、石垣などの遺構が多く残されています。

2023年07月30日 ほりーないと
布引観音[小諸城  寺社・史跡]



「牛に引かれて善光寺参り」の伝説が残る布引観音は小諸城近くにあります。一度行ってみたいと思い、断崖絶壁にある布引観音まで登りました。険しい参道(登山道)を登り、観音堂が見えた時は感動しました。頑張って登城した時と同じような感覚でした。

布引山釈尊寺の説明板には武田信玄のことが書かれています。帰宅後にネット検索をすると、すぐ近くにお城があることがわかりました。城めぐのリア攻めマップを確認すると、小諸城の周辺城郭として楽厳寺城と堀之内城がありました。城めぐをしっかり活用した方が良いと学びました。この2城の口コミをありがとうございます。

◯牛に引かれて善光寺参り
信心のうすい老婆が千曲川で布を晒していると、どこからともなく牛が現れ、その布を角にかけて走り出しました。牛を追いかけていくと、善光寺の境内まで来ていました。牛は姿を突然消してしまいました。ある日、布引山を見ると、岩角にあの布が吹き付けられていました。

◯布引山釈尊寺の説明板より
神亀元年(724年)創建。天文17年(1548年)、武田信玄が楽厳寺入道、布下仁兵衛を攻めた時に兵火にかかり消失。弘治8年(1556年)望月城主であった滋野左衛門佐が再建。その後も享保8年(1723年)に再び野火のため炎上。現在ある伽藍の多くは、小諸城主2代牧野周防守康明によって再建されたものです。

2023年07月29日 ほりーないと
手城塚城[小諸城  周辺城郭]



小諸城から布引観音へ向かう途中、説明板を見つけ、手城塚城へ行きました。畑などになっていますが、段差(堀跡)を確認できます。主郭の手城塚稲荷には草が多めだったので今回は行きませんでした。

説明板があると、初めて訪れる地域でもお城があると知る事ができます。地元の方々のお陰です。

2023年07月25日 ほりーないと
小諸城



訪城日の令和5年7月現在、三之門が災害復旧工事中でした。令和2年7月の豪雨により袖塀と土台の石垣が崩落しました。この事は新聞で知っていましたが、工事が長い期間かかると思いませんでした。

工事の説明板には「復旧工事を進めながら、石垣の調査も行い、根石の状態や地盤の様子、内部構造に関する貴重なデータを得ることができました」と書かれています。小諸市ホームページによると令和5年秋に災害復旧工事が完了するそうです。

各地で豪雨による被害が相次いでいます。早く復旧しますように…。豪雨のない落ち着いた天候になって欲しいです。

2023年05月28日 syuac兵部少輔
小諸城



蕎麦屋が2件ありました、どちらも昭和初期の感じでした雰囲気は懐かしい作り、肝心の蕎麦は水切りがあまくせいろの下が水浸し、つゆの風味は皆無でしたしかし、味にまさる存在に満足しました

2023年04月25日 台湾の昇さん
小諸城



穴城どう言う低いさかなり珍しい。徳川秀忠公の休憩石や山本勘助の鏡石も、戦国時代イメージ深い!昔の大河ドラマ風林火山のポスターや文字紹介や当時の画像も、とても懐かしい!

2023年04月18日 いかにも信玄
小諸城

日本有数の桜名所。圧巻の高石垣。城跡内にある多くの歌碑も見どころ。

2022年09月04日 RED副将軍
小諸城



主郭へ登る城は多いですが、主郭へは降る珍しい城跡
石垣も良いですが、険しい天然の要害に注目して欲しい名城

木曽義仲の家臣である小室光兼が居館を築いたのが始まりとされます。
1487年に小室氏を追放した大井光忠が鍋蓋城を築城。
1554年に武田信玄により本格的に改修。武田信玄の甥で武田信繁の次男である武田信豊を入城させたと云われます。
1582年、織田・徳川連合軍の甲州征伐に際して、武田信豊は小諸城に逃れましたが、城代の下曾根浄喜に裏切られ自害。
武田氏が滅亡すると、織田信長家臣の滝川一益の所領となり、その家臣の道家正栄が入城。
しかし、3ヵ月後には本能寺の変にて織田信長が没すると後北条氏が侵攻してきます。滝川一益は後北条氏との神流川の戦いで敗退し、小諸城を経由して伊勢国へと退去しました。
北条氏重臣の大導寺政繁が佐久の押えとして入城し、旧武田領の支配を徳川家康と争います。しかし、武田氏の旧臣で徳川家康に付いた依田信蕃によって糧道を断たれたことで北条氏は徳川氏と和議を締結。
この功績により依田信蕃は小諸城を任され、その後も佐久平定のため対抗勢力と争うも岩尾城攻めで討死。
徳川家康は、依田信蕃の功績から嫡男の依田康国には松平姓と小諸城六万石を与えます。
1590年の豊臣秀吉による小田原征伐で松平康国は上野国石倉城攻めで討死。依田氏は弟の康勝が家督を継承。小田原征伐の後は関東に転封となった徳川家康に従って依田氏も上野国藤岡に転封。
代わって小田原征伐で功績を残した仙石秀久が五万石で大名として入封。近世城郭として大改修を行い、1622年に2代忠政が上田城へ転封となるまで居城としました。
江戸時代には小諸藩の藩庁が置かれ、その後は松平氏、青山氏、酒井氏などが入封。
1702年に牧野康重が移封された後は明治まで牧野氏が藩主を続けました。

見所
千曲川の河岸段丘に築かれ、背後に当たる西側は千曲川の断崖を利用しています。南側と北側は深い谷に挟まれている天然の横堀。地獄谷と呼ばれ、垂直な崖の高さは約20mもある田切地形。穴城とも呼ばれる周辺よりも低い天然の要害こそが小諸城の一番の見所と思います。
現在は、本丸は懐古園として整備され天守台や石垣が残存。
懐古園の入口には三之門、大手門公園には大手門がが現存し重要文化財に指定されています。

2022年06月26日 龍獅子
小諸城

ほぼ全てリア攻めマップに載っている、小諸城関連の遺跡を巡りましたが、特に印象に残っているのは、巨大な石垣です。力強く、また天守台は算木積がわかりやすいです。

2022年06月13日 尼崎城阿波守一口城主
小諸城



5月5日、長い間宿泊していた上田をついに出立し😭しなの鉄道で小諸に移動。小諸駅から懐古園の三の門までは徒歩ですぐでした。100名城のスタンプ帳を確認すると7年ぶり2度目の登城でした。

関ヶ原の戦いで徳川秀忠公が上田攻めをした際に小諸城を本陣にしたということで駅から三の門に向かう道中に秀忠公の憩石(いこいいし)というものがありました。

小諸城散策では共通券(園内散策、小諸義塾記念館、徴古園、藤村記念館、小山敬三美術館)¥500を購入して城址を散策した。史跡、動物、資料、絵画🖼など見れて楽しめました。

城内を散策していると天然の要害の深い堀(谷間)、ほぼ垂直の崖が見受けられ、攻めるのは大変だなと感じました😰戦の時は三の門さえしっかり守ればあとは天然の要害があるので大丈夫とのことでした。

懐古神社前の黒門橋には紅葉谷とも書かれて(料金所側の橋の柱)いました。当日のような清々しい気候の下での青紅葉も良かったですが、いつの日か紅葉🍁の季節にも訪れてみたいなと目標が出来ました。

懐古園を出て7年前に見落としていた大手門(四の門/瓦門)の上にも上がり資料を見てきました。その後、小諸善光寺の大雄寺にお参りしてきましたが道中の坂道がしんどかったです😅そのご褒美なのか浅間山が良く見えました⛰穴城と言われるのが体感的にもわかりました。参拝後、小海線に乗り龍岡城を目指しました。

余談の鉄道ネタですがかつて小諸駅は高崎〜直江津〜新潟とつなぐ旧信越本線が走っていたと教えてもらい鉄道ファンとしてなぜか嬉しくなってきました😆

2022年05月30日 丸
武田信繁の墓碑[小諸城  碑・説明板]



元々の墓碑は布引山釈尊寺に寄託され、今の墓碑は明治20年に建立されたものですが、信繁の首級は今も往時の陣鍋に収められたままここにあると考えられているそうです。

2022年05月30日 丸
手城塚城[小諸城  周辺城郭]



築城年代が定かではない中世の城跡。手代塚とも手白塚とも記述されるようです。主郭は稲荷神社とお墓、二の丸は畑になっています。主郭に登ったところ野生の雉が逃げていきました。

2022年04月26日 梨栗桃
小諸城



駅の直ぐ側で行きやすいお城です。桜の名所でもあり、桜の時期なら花見がてら行くのも良いと思います。ゴールデンウイーク直前でも、八重桜や枝垂れ桜は綺麗に咲いていましたよ。

2022年04月14日 内記かずりヾ(・ε・。)
外山城[小諸城  周辺城郭]



外山城は小諸城の東方約7.2km、千曲川西岸(左岸)、標高約683mの台地北東辺端部緩斜面上に主郭が存します。東麓の長野県道422号線、羽毛山大日向線からの比高は155m位ですが、謂わゆる崖端城なので八重原の台地上からの比高はむしろマイナスです。

行き方はGoogle マップに位置登録されているのでダイレクト設定してください。お城は公園化されているので小さな駐車場所が付いてます。

築城年代、築城者は不明です。信濃のお城の神本(信濃の山城と館3、上田・小県編)に記載があるのですが、信濃のお城の神にしては珍しくあっさりした城歴っす。村上氏の佐久進出に伴うものかと現地説明板には記述があるけどちょと無理があるんじゃないでしょか。天正壬午の乱の際には依田信蕃の臣、依田十良左衛門が入ったらしいので、既存のお城であった外山城が武田氏時代においても引き続き何らかの形で利用されたと考える事は自然だと思います。

お城は前述のとおり公園化されているんですが、崖端の為か出来る事は限られたらしく概ねで基本形を良く残しています。連続する台地上をぶった斬る大堀切と現況櫓台状の大土塁はこのお城のハイライトでしょう、思わず滑ったり寝転んだり撫で撫でしたくなるぐらいの整備ぶりです。城域にはプリミティブな桝形虎口なんかも確認出来たりしますね。又、眺望が大変素晴らしく千曲川北岸を眼下に佐久方面まで見渡せるロケーションです。ちなみに現況ほっこりした印象のお城ですが、城域東側は断崖で落ちたら死ぬレベル、注意です。

東御市観光協会さんが昨年から禰津城、外山城、政所城(机の城…ほぼ体育館、テニスコートとその駐車場だぞ…)の御城印を1枚300円で販売しています。御城印とはすっかり無縁の信濃のお城ですが大丈夫なんでしょか。この3城の名称にぴんと来るのはマニアの方だけだと思うので総売上枚数を聞きたいところ…自分は御城印に一つも興味が無いので永遠に買う事はありませんが、興味がありましたら田中駅前の東御市観光情報ステーションを訪ねてみて下さいまし。お城も楽にリア攻め出来ます。

2022年03月21日 牧 土佐守 隼人
小諸城

城そのものとは関係ないですが、二の丸に上がるところにある「古城軒」のそばがおいしかったです。丼ギリギリまで麺と出汁が入ってました♪

廃城後は俳句の句会がよく催されたようで、島崎藤村をはじめ、高浜虚子も小諸城がお気に入りだったようです。その他にも渋沢栄一、川端康成(写真あり)、渥美清、倍賞千恵子…などなど多くの文化人に愛された名城だそうです。
「古城軒」に行かれたら、三の門を入って右に行ったお土産屋さんにも是非入ってみてください。お店のおばちゃんは昔二の丸に住んでたそうで、今も本籍はそこにあるとのことです!
色々お話して下さる明るい方でした☆

2022年01月03日 内記かずりヾ(・ε・。)
七五三掛城(駐連掛城)[小諸城  周辺城郭]



七五三掛城(駐連掛城)は小諸城の南東約0.5km、千曲川に注ぐ松井川南岸(左岸)、標高約652mの河岸台地南辺端部上平場に主郭が存します。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。ただし城域外南側に位置する小諸市総合体育館側からは取り付けないのでGoogleマップに位置登録されている〆掛墓地(小諸藩主牧野家霊廟、現在も旧藩士関係者でないと墓地の利用は認められない。墓石に刻まれた姓を見れば徳川マニアは唸る筈…)を目標に設定するのが判り易いでしょう。墓地は既に城域です。

築城年代、築城者は不明ですが、鍋蓋城(乙女城と共に小諸城の前身であった。)を本拠とした小諸大井氏によって築かれた支城の一つと推測されています。が、お城の規模は広大で本拠にも近い事から当主、もしくはそれに匹敵する人物が城主だったと考えられているそうです。

お城は猪之丸、物見曲輪、駐連掛と呼ばれる3つの郭で構成されます。縄張は郭間を何れも深く幅広な堀で区画したアイランド形式、主郭は駐連掛で此処には帯郭状の腰郭に開口する空堀が確認出来る他、物見曲輪との郭間を隔てる空堀には繋ぎの土橋が用いられています。又、墓地と化した猪之丸は見るべきものは特にありませんが、物見曲輪の落ちたら死ぬレベルのワイルドさにはびっくりするかもしれません。

お城自体が断崖の台地上で周囲と隔絶しています。後世耕作地としての利用があったようですが、元々細かな遺構は無かったようなので縄張の基本形をよく残していると思います。

お城は城域外南側から眺める事をお勧めします。呆れ返るような場所に立地している事に驚愕する事でしょう。この断崖(後世にやや削られたらしいけど…)の上に長大な腰郭を介して主郭が置かれています。が、果たしてこの腰郭必要なんでしょか?心配しなくても誰も登って来れないぞ…

鍋蓋城、乙女城は小諸大井氏の本拠、七五三掛城はその支城群の中核だった事でしょう。幕藩体制成立以前の小諸城の歴史の一端を肌で感じてみるのも楽しいかもしれませんね。

※七五三掛城(しめかけじょう)て読みます。

2021年12月30日 野花南左衛門佐
小諸城



小諸城は駅近の優良物件。駅横の跨線橋を渡れば直ぐに三ノ門です。懐古園休園日でも、園内に入ることはできます。人がいない分、遺構の観察には適していると言えるかも。城好きなら大手門も忘れずに。

2021年11月04日 内記かずりヾ(・ε・。)
雲之助城(矢留城)[小諸城  周辺城郭]



雲之助城(矢留城)は小諸城の北東約4.8km、標高2104mの高峯山から南方へ長く延びる支尾根の一つ、標高約1052mの端部上ピークの一つに主郭が存します。東麓の菱野温泉中心部からの比高は35m位でしょか。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。取り付きは南東麓の舗装路から林道が付いてます。

築城年代、築城者は不明です。名称がそうなんで雲之助て土豪が拠ったとか築いたとか簡単に決められそうなんですが、事はそう単純には運ばないらしいですね。

お城は楕円形の主郭で全周土塁囲み、それに数段の腰郭を持っていたようです。主郭北側山側背後は幅広の堀切で切られていたようですが、現況かなり広めの林道となっているので正直よく判らん…主郭の土塁はほぼ健在で、東側に虎口の様な開口部が付いてますが、どうやら後世の改変のようです。ちなみに主郭の現況は建設会社の資材置場となっています。又、城域外北側にも郭跡を想起させる高まりや横堀跡と思われる窪みなんかも確認出来ますが、こちらも後世の改変の可能性が高く城域と判定するのは難しいでしょう。

雲之助城は浅間山の火口に最も近い佐久郡のお城でした。現在も現役ばりばりの活火山である浅間山は天正十年(西暦1582年)二月十一日、甲州征伐が始まってまもなくの際にも遠く離れた京都から噴煙を観測出来る程の噴火を記録しています。下世話な話になりますが、噴火が起きた時に雲之助城はどうしたんだろ?等と考えると夜も眠れなくなりますわ…

同じ小諸城のリア攻めマップにある高津屋城に続いて登場する雲之助の名前ですが、一体何処の誰の事なんだよ…菱野温泉の展望露天風呂にもその名が冠される雲之助…後世の変態達を今も悩ませ続けます。

2021年10月30日 赤かぶ【】
霧久保城[小諸城  周辺城郭]



霧久保城(霧窪城)は小諸城の西 押出地区にある山城です。Googleマップで検索すると出てきます。登城口は東側(押出公民館)と西側(押出公園)にありますが西側はかなりの薮になっていますので東側からのが良いかと思います。

登城口から主郭までは10分くらいで行けます!主郭には鉄塔がドデーンと祠が祀ってあります。城郭全域にかなりの数の石積みが見られるんですが、麓の石積みは後世耕作のための石積みと言われております。主郭周辺の石積みは当時の物かなと思われます。似たような石積みが見られるお城が同じ小諸市内にある富士見城があります!

富士見城と比較すると、ほとんど整備はされておらず薮に被われ、遺構を確認するにはちょっと大変⤵︎北側の堀もがっちり薮の中。。。全体的にちょっぴり残念かなと思っちゃいました!

2021年10月11日 ビン太
小諸城



小諸駅目の前、駐車場・バイク置き場有り(有料)とアクセスは良好です。入口前には蕎麦屋、ホテル(日帰り入浴もあるみたいですがコロナ禍により中止)があり敷地内は遊園地と動物園(現在は改修工事中の為閉園中)となんだかスゴイことになってます(笑)
敷地内にも老舗の蕎麦屋さん(甘味処兼)もありました。人気があるようで14:30頃の段階で既に蕎麦は売切れで甘味のみだったので此処での食事込みでの散策は午前中がベターですね。(駅前の蕎麦屋さんは普通に午後もやってます、念の為)

2021年08月29日 サードマン勘解由次官
小諸城

駐車場代500円、城内散策するのに200円かかります。

2021年05月28日 つか征夷大将軍
富士見城 案内板[小諸城  碑・説明板]



こちらで説明資料も貰えます。駐車も出来ます。

2021年05月08日 VTR美濃守シゲ籠城
小諸城



しなの鉄道小諸駅前より南西に三の丸から本丸、北西側に大手門有ります、駅目の前で訪れやすい100名城です

車、バイクは三の丸の西側に駐車場有バイク200円、乗用車500円で最大12時間おじさんが集めてます

トイレは園内に多く有りますので困らないでしょう

車、バイクの場合最初に三の丸に入ります
大手門より見たい方はガード下潜り小諸駅の方に、こちらにもコインパーキング有りました

100名城スタンプは三の丸の徴古館内に
入って直ぐ右に、スタンプだけなら入場料要らないと思います、私は中を見学、施設全て拝観できるものを購入しまし400円

虎口好きな私は三の丸から二の丸への導線
右側二の丸、左側堀、自ずと虎口に向かうしかなく二の丸上からの攻撃を受け続ける仕組みに

左側本丸で進む訳ですが南の丸北の丸が両側に、正面の堀に架かる黒門橋を渡りようやく本丸、本丸の石垣も高い

先に水の手へ千曲川を天然の堀とした事がよくわかります、眺めも良い

戻って本丸に、入るのも曲げを伴う虎口に
正面に懐古神社水野殿が祀られています
左手に社務所、ここで御朱印、御城印頂けます両方共に書置きです

神社右手に天守台有り南側の眺め良しです

戻って大手門に仙石秀久殿が築いたもの
私の隣町生誕の秀久殿凄い立派なものを建てられたと感慨にふけって来ました

2021年04月04日 クルス秋田城介トッツィー
小諸城



石垣と三の門、大手門が見応えあります。文学好きな方にも、藤村や虛子ゆかりの場所等が多くお勧めです。時間があれば駅前のやきとり相さんへ。美人の親子孫三代女将にメロメロです。もちろんやきとりも美味しいですよ。

2021年02月24日 赤かぶ【】
堀之内城 [小諸城  周辺城郭]



小諸布引観音の南方面、楽厳寺城から西へ500mほど行った位置にあるお城です!
城域中心部は宅地や畑・道路になっているので遺構はほとんど分かりません⤵︎
分かりやすい遺構とすれば、諏訪神社の周辺にある二重の三日月堀♪丸馬出し♬︎土塁☀︎堀切でしょうか!
なお外側の三日月堀は湿地帯になっておりうっかり踏み込み過ぎると沼にハマりますのでご注意を!!
自分はハマり片足が泥まみれになりました(笑)
車は三日月堀の横の路肩が唯一少し広くなっているので停めるが可能です。
楽厳寺城とセットでどうぞ☀︎
① 二重の三日月堀(外側)
② 土塁
③ 諏訪神社
④ 堀切
⑤ 曲輪(二重の三日月堀の中間地点)

2021年01月11日 赤かぶ【】
外山城[小諸城  周辺城郭]



千曲川の断崖の上に築かれたお城です!
東御市の田中駅南口の交差点から県道167を下八重原方面へ進み約2.8km地点に「史跡外山城跡」の石碑がある所を左折、民家・ぶどう畑の中の農道を400m走ると駐車場・トイレ・城跡案内板に着きます。
駐車場から数十m北側に下ると城郭に入ります!浅間山を目印に下ってくださいませ。
城は公園として整備されており東屋やベンチ数台が設置されておりました。
東屋の北側にプチ土塁と堀切、堀切に架かる橋を渡ると高さ7mほどの烽火台がありますが、主郭を隠す大土塁ともいわれております!
大土塁・主郭・二の郭と北側へ構成されています。
二の郭から先下方へ道が続いておりますが、現在台風の影響で崩れているため通行止めになっていますのでご注意下さい!
車で訪れる事が出来き浅間山・千曲川の眺望も楽しめる城郭かと思います♪

2020年12月31日 赤かぶ【】
楽厳寺城[小諸城  周辺城郭]



行き方としては氷風穴から林道布引線を通って行くのが分かりやすいと思います。道は狭いですご注意下さいませ!城跡には数件の別荘が建てられおり住んでる方もいる様子でしたので見学の際は駐車も含めてご配慮下さい。

遺構は城郭南側に血の池と称される水堀状の部分も見られます。丸馬出・三日月堀も☽︎‪︎.*·̩͙‬郭の南側には土塁が盛られております。堀切など見る事が出来ますよ♪

2020年11月09日 龍馬備中守【】
富士見城[小諸城  周辺城郭]



長野県の小諸市にある富士見城♪

富士見城の歴史詳細は不明な点が多いです☆
小諸、佐久を侵攻して来た武田信玄が小諸城の支城として築いたのでは無いか☆というのが有力な説となります♪

武田氏が滅亡した後はこの地域は真田氏と徳川氏の争う地点となります♪徳川氏はこの地域を制圧する為に上田城まで攻め込んで行くのですがその際に徳川方の柴田康忠がこの城に入城していた様です☆

城としては街道を望め小諸を一望出来る要衝に位置します☆巨大な船に似た様な形をしていて特に街道側(南側)は石を使い小刻みに郭を造り込みます☆郭側面に築かれてる石積みは信濃エリアに多い積み方で小さな鋭角鋭い石を粗く積んでます☆石の加工も中々出来ない時代に築かれている正に戦国に生きた証を今に残してます♪

2020年09月02日 橙百姓
小諸城

小諸城 大手門は無料で見学する事が出来ます。

2020年08月16日 修理大夫たろさ
小諸城



今日は午前中箕輪城を攻め、午後は小諸城を攻めました。小諸城の見所は懐古園から離れた大手門、園内では天守台からの眺め、展望台からの千曲川を見下ろす絶景です。

そして自分がこの平山城を見て感じたことは、急な山の斜面が天然の石垣の役割をしている所だということです。その自然の地形を巧みに利用した城の全容は、さすが信玄が築城した城であると納得してしまいます。

また、園内には藤村記念館、美術館、動物園、そば処、茶屋などなど1日楽しめる施設でした。今日は8月15日。終戦記念日の猛暑の中でしたが、充実した1日を送ることができました。小諸城に感謝です。

余談ですが、入場券売り場で「大人2枚お願いします」と言うと「園内探索のみで良いですね」と返されます。つい釣られて「はい!」と答えてしまったのですが、初めて来られる方は共通券をお求めになった方がいいかと思います。園内探索のみでも城は素晴らしいし、動物園も見学できて十分だと思いますが、共通券は藤村記念館や美術館など様々な施設が見学できます。金額は一人300円と500円の違いだけです。時間のある方は共通券がオススメです。帰りには、車で15分程度の所にある布施音泉に寄ったのですが、これがまた大当たり。浅間山を望む露天風呂が最高でした。

2020年08月14日 ティル
小諸城



2020年8月14日現在
園内社務所にて御城印購入できました‼️

2020年07月05日 山下相模守正成
徳川秀忠公憩石[小諸城  寺社・史跡]

慶長五年(一六〇〇)関ヶ原合戦出陣途中、徳川本隊は真田氏(上田城主)攻略の為小諸城を本陣としました。その在陣中秀忠公ご床几(腰をおろした)石と伝えられています。ーー説明板より

2020年05月08日 内記かずりヾ(・ε・。)
富士見城[小諸城  周辺城郭]



富士見城は小諸城の北方約2.0km、高峰山の裾野にある独立丘陵、標高853.6mの飯綱山の山頂部北西側に主郭が存します。小諸城なんて築かなくても此処でいいんじゃないみたいな感じですが、飯綱山の南麓からは比高約145mに対して北麓からの比高は約30m、守りに不安を感じたのでしょうか、四方に敵を受け易い立地でもあります。

築城者は不明なんですが、大井氏が滋野氏に対する境目の城として築いたとか、大室氏という土豪が鎌倉時代に築城(別名大室城とも。)したとか言われてます。戦国時代には鍋蓋城(小諸城の前身っす。)の支城として武田氏によって利用されたらしく、第一次上田合戦(神川合戦)の際には徳川方の柴田康忠(甲州奉行、依田信蕃の軍監等を務めた。岩尾城の大井行吉を依田と供に攻めた際、依田兄弟討死後に岩尾城を説得により開城させた。娘さんは大井政吉室と伝わるが行吉の子なんでしょうか?)が在城しました。

行き方はGoogleマップに位置登録されている小諸高原美術館を目標に設定して下さい。徒歩で登ることはないです。飯綱山は飯綱山公園として整備されており、お城はこの一部分となっています。

個人的に変態城です。段郭を多数連ねていますが、その殆ど全てに霞城なんかを思い起こす石積みがデコレートされています。見たら誰でも「うっそ〜ん!」とか呟くでしょう。飯綱山は後世に耕作地として開墾されたらしく、山自体が大きく改変されています。近年発掘調査が飯綱山の北東部分で実施され、十段の石垣(石積みではない。)が検出されたようですが、全て耕作地の土留めのものと結論されました。が、城域内にある石積みは明らかにそれらとは違っていますし、耕作地にもならない帯郭程度の場所にわざわざ後世に石を積みまくる必要も無いことから、こちらは往時のものと考えてよいと思います。

とにかく信濃のお城としても全国的に見ても珍しいお城(石垣じゃないのさ〜)だと思います。公園化にともなう改変も含んでいて、心眼で見極める必要もありますが、気楽にサンダルで行けるので、小諸城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

2019年08月23日 山下相模守正成
藤村記念館[小諸城  関連施設]

小諸城趾の懐古園内にある藤村記念館は、長野県とゆかりの深い詩人・小説家の島崎藤村の小諸時代の作品・資料・遺品が展示されている資料館です。『千曲川旅情の歌』の掛け軸などの販売もしています。家族や生徒との写真、手紙、『破戒』の初版本などがあり、シンプルでフラットなスペースで、資料が見やすいのがうれしいです。ーー「信州とっておき情報」より

2019年05月26日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
小諸城



定番の大手門です!
419年前第2次上田合戦が勃発、徳川秀忠公は小諸城二の丸を本陣とする、大手門より入城した秀忠公は桜馬場を通り、三の門を通り二の丸に着陣した!

2019年05月25日 甲斐守ヨッシー❖津久井衆❖
小諸城



お見逃しなく、秀忠公憩石!
第2次上田合戦の本陣となった小諸城、大手門より入城した秀忠公が三の丸入り口の三の門入り口脇の石に腰掛けて、長旅の疲れをとり二の丸に入城したとされている!
山本勘助が縄張りした小諸城
素敵なお城でした!

2019年05月19日 あおっち図書助
小諸城



小諸駅を出て大手門を見学、その後反対側の懐古園へ。
小諸城ではGWだったので人出が多めでした。石垣の上に柵がなく、すぐ下を見下ろすことが出来て面白かったけれど、小さい子連れの方は十分に注意を!

2019年05月12日 くっきー能登守
市営大手門公園駐車場[小諸城  駐車場]



小諸城に行くならこちらに2時間無料の駐車場がありました。懐古園の方には地下道で繋がっています。

2019年05月11日 まさある甲斐守
無料駐車場[小諸城  駐車場]



停めちゃいました!奥の鳥居の前に酔月料金所(城址入口)があります!

2019年04月23日 余語出羽守
徴古館[小諸城  スタンプ]

スタンプは入口入ってすぐ右側にあります。

2018年05月11日 織田上総介晃司
小諸城

懐古園の駐車場(1回500円)と大手門公園の駐車場(1時間ごと100円)があります。小諸城の滞在時間に応じて選んだほうがよいでしょう。

三之門から地下道を通ると大手門にいけます。見落としのないように。

城下町より小諸城のほうが低いと聞いた覚えがあります。

2018年05月10日 征夷大将軍ひとりもん
小諸城

市営大手門公園駐車場ができていました。
入庫後30分無料、1時間まで100円。
以降1時間毎100円、1日最大料金1000円。

2017年05月21日 田上太閤久兵衛
小諸城

最初に駅を東に抜けて、大手門公園に行く事をオススメします

櫓門の中に展示資料が有り
ボランティアの人から遺構の話や城郭の地形の話など聞けます

話を聞いてから
大手門付近の石垣や、駅の地下道の東西の階段の数を確認するとニヤリとするかもしれませんw

駅の西に行くと三の門の先に石垣が見えますがここからは有料
二の丸跡から橋を渡った黒門痕までは
バリアフリー化で折れや、石段によるアップダウンが無くなったそう…優しさですw

本丸は神社になってますが
参拝の後は裏手から天守台に上がれます
そのまま石垣の上を武者走り沿いに南に歩いて行けますが、東国では珍しく柵が無いので楽しくて転落しないように注意w

南から本丸を抜けると深い谷があります
おそらく山城好きならここでテンションが上がると思いますw

そのまま崖沿いに南西に歩いていけば
動物園への橋を横目に見晴らし台があります、武田氏時代は狼煙を上げていたとか
ここから北に行けば展望台があり千曲川を一望出来ます

山城好きな方は北側の階段から麓まで降りて、戻られるとココの要害さが更に良くわかるかと

2017年05月05日 ギア右近衛大将
小諸城

堀と石垣がかなり残っていました。一部動物園や遊園地になっていましたので、子連れやデートで行く時でも最適かも。桜が有名な所みたいなので、桜の季節に行きたいかも。

2016年07月21日 まるき〜出雲守
小諸城

すっかり公園化されていて和やかな雰囲気の城跡

いびつな形の石垣や天守台が気になる…
東屋付近の橋、階段を降りると断崖に切り立った堀があって見応えがありまーす。
本丸南側の東屋では毎週日曜の13時〜15時まで草笛を教えてくれるボランティアの方がおられます(誰でも参加OK)

線路の向こう側にある大手門二階櫓内では資料の展示が無料

SL機関車の展示や動物園もあり
駅からも近いし、小さなお子さんが居ても楽しめるお城跡かなアップダウンも少なくて楽チンだし(^◇^;)
売店、トイレあり、甘味処は石垣と石垣の間に…(=゚ω゚)ノ

駐車場が500円の所と300円の所がありますが500円の駐車場に入れて駐車券を城の券売所に提示すると1人分の入城(城の探索券大人300円)が無料になりまーす。

2016年04月05日 埴輪武者上野介
小諸城

聞きしに勝る名城なのに、曲輪の一部が動物園になっています。城跡散策好きとしては何でこのような余計なものを、と遺憾に思っていたのですが、迂闊にも堪能してしまいました。(^_^;)



2015年12月20日 永眠武蔵守釋 葱進
小諸城

1.百名城スタンプ
徴古館内の事務所にありますが、かなり状態が悪いです。
インクが薄い上にまだら、誰がやらかしたかスタンプ(シャチハタ形式)の縁部分にインクがついており、もれなく縁もスタンプ帳にうつってしまいます。

2.本丸跡に鎮座する懐古神社
こちらの御朱印は通常墨で書いて頂く部分が何とスタンプです(受付時にその旨説明はある)

3.蕎麦屋
三の門近くの有名店「草笛」本店は28年春まで改築工事のためお休みです。第一駐車場そばの別館(通常冬季休業)が冬季も営業しています。
蕎麦もいけますが、くるみおはぎもなかなか美味しいです。

2011年07月15日 摂政M三郎
小諸城

小諸城は、西側の重火器による攻撃の届き難い最奥部に、千曲川に向け落ち込む断崖を後堅固の要害として本丸を置き、段丘上に刻まれた赤褐色の深い谷を郭の区画、防御に用いた、他に類をみない特異な立地、構造の城です。また、三の門から本丸までは直線的に登城路を左右の小さな郭が挟み込み、横矢を掛けて敵の攻撃力を削ぐ、安土城の大手道に似た独特の防御構造を持ちます。この城の独創的な選地と縄張を観るとき、山本勘助とも言われる築城者の城づくりに対する、並々ならぬ深い造詣を感じます。古風な寄棟の城門も素敵です

2010年10月07日 tomm加賀守
小諸城

追伸。。。
あまり大きな声では言えませんが、寅さん記念館に駐車しても無料です

2010年10月07日 tomm加賀守
小諸城

鹿島神社前に駐車すれば無料です。
大手門は地下道をくぐってすぐにあるので必ず見ましょう
また大手門近くにある「小諸観光交流館」には小諸城のスタンプや割引券があり、お蕎麦屋も紹介してもらえます

それにしても天守台の石垣は中の土が抜けて危ない感じだなぁ〜

2010年09月25日 まったり丹波守
小諸城

山城好きの方は千曲川側の柵外を見るとニンマリする事間違いなし本丸は旅館が有ってビックリした。

2010年09月11日 天神
小諸城

小諸に来ると蕎麦が食べたくなるなあ

2010年06月09日 虎丸@信州
小諸城

小諸城(懐古園)の隣に建つ「小諸グランドキャッスルホテル」のロビーにダイヤブロックで作った見事な「三の門」がありますので是非ご覧くださいませ。(2010.06.08.現在)

2010年06月08日 傾奇揚げ仙兵衛
小諸城

小諸駅下車1分

小諸城の周辺スポット情報

 大手門(遺構・復元物)

 三之門(遺構・復元物)

 天守台(遺構・復元物)

 本丸跡(遺構・復元物)

 紅葉谷(遺構・復元物)

 地獄谷(遺構・復元物)

 水の手不明御門跡(遺構・復元物)

 黒門橋(遺構・復元物)

 黒門跡(遺構・復元物)

 南の丸跡(遺構・復元物)

 二の丸跡(遺構・復元物)

 移築足柄門(遺構・復元物)

 小諸城銭倉(遺構・復元物)

 藤村碑(碑・説明板)

 富士見城 案内板(碑・説明板)

 手代(城・白)城址 手城塚稲荷 案内図(碑・説明板)

 武田信繁の墓碑(碑・説明板)

 富士見城(周辺城郭)

 与良城(周辺城郭)

 楽厳寺城(周辺城郭)

 外山城(周辺城郭)

 堀之内城 (周辺城郭)

 霧久保城(周辺城郭)

 雲之助城(矢留城)(周辺城郭)

 七五三掛城(駐連掛城)(周辺城郭)

 手城塚城(周辺城郭)

 耳取城(鷹取城)(周辺城郭)

 硲城(周辺城郭)

 北ノ城(周辺城郭)

 塩川城(周辺城郭)

 森山城(周辺城郭)

 五ヶ城(周辺城郭)

 柏木城(遠見平)(周辺城郭)

 柏木城(南城)(周辺城郭)

 柏木城(北城)(周辺城郭)

 大遠見城(乙女城)(周辺城郭)

 加増城(周辺城郭)

 繰矢川城(周辺城郭)

 糠塚山狼煙台(周辺城郭)

 長張城(周辺城郭)

 鷺林城(周辺城郭)

 東城(城山)(周辺城郭)

 与良城(下河原城)(周辺城郭)

 与良氏館(周辺城郭)

 松井愛宕山城(松井城)(周辺城郭)

 東沢城(周辺城郭)

 丸山(周辺城郭)

 高津屋城(高津谷城・高津奈城)(周辺城郭)

 桃野城(新城)(周辺城郭)

 菱形城(城)(周辺城郭)

 城の峯館(館ヶ峯)(周辺城郭)

 旦田城(周辺城郭)

 刈屋城(三宅城)(周辺城郭)

 芝生田館(柴生田城)(周辺城郭)

 宇賀山砦(周辺城郭)

 川窪氏邸(川久保新十郎邸)(周辺城郭)

 成就寺(周辺城郭)

 宇当坂の館(周辺城郭)

 桝形城(周辺城郭)

 鴇久保愛宕山城(周辺城郭)

 袴腰狼煙台(周辺城郭)

 西浦古城(古屋)(周辺城郭)

 上の平城(上の屋敷)(周辺城郭)

 別府城(屋敷)(周辺城郭)

 大石城(周辺城郭)

 祢津支城(原口山)(周辺城郭)

 布下氏居館(周辺城郭)

 西城(周辺城郭)

 懐古神社(寺社・史跡)

 稲荷神社(寺社・史跡)

 徳川秀忠公憩石(寺社・史跡)

 小諸藩主牧野家墓所(寺社・史跡)

 布引観音(寺社・史跡)

 関口遺跡(寺社・史跡)

 懐古神社社務所(御城印)

 徴古館(スタンプ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 無料駐車場(駐車場)

 市営大手門公園駐車場(駐車場)

 懐古園駐車場(駐車場)

 藤村記念館(関連施設)

 水の手展望台(関連施設)

 懐古射院(関連施設)

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