小諸城(こもろじょう)

小諸城の基本情報

通称・別名

酔月城、穴城、白鶴城、鍋蓋城

所在地

長野県小諸市丁311(懐古園)

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

型式不明[3重/1590年頃/焼失(落雷)]

築城主

武田信玄

築城年

天文23年(1554)

主な改修者

仙石秀久

主な城主

武田氏、仙石氏、牧野氏

廃城年

遺構

曲輪、大手門、三之門、天守台、石垣、横堀(空堀)

指定文化財

国重要文化財(大手門、三之門)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

御影陣屋(長野県小諸市)[5.7km]
望月城(長野県佐久市)[8.0km]
根井氏館(長野県佐久市)[8.2km]
岩尾城(長野県佐久市)[8.2km]
大井城(長野県佐久市)[8.3km]

小諸城の解説文

小諸城の起源は、平安時代から鎌倉時代にかけて「源平盛衰記」や「平家物語」に登場する小室太郎光兼(木曽義仲の武将)が、現城址の東側に築いた館(宇頭坂城)に始まる。

やがて小室氏は南北朝時代に衰退し、大井氏が勃興して小諸佐久地方を支配することとなるが、戦国時代に入り、佐久地方も戦国の騒乱に巻き込まれ、大井宗家 は滅亡し、大井家の一部は小諸に逃れ、中沢川のほとりに小諸城の前身である鍋蓋城を築城し、さらに激化する乱世に備え、その子孫が乙女城、別名白鶴城を現 在の二の丸付近に築城し、周辺の要地には支城を配置して外敵に備えた。

武田の軍師、築城の名手山本勘助の小諸城縄張り
天文23年(1554年)、甲斐の武田信玄の侵攻で鍋蓋城以下は武田氏の手中に落ち、以後約30年間、武田氏の城代によって支配される。

信玄は、この地の重要性にかんがみ、重臣の山本勘助と馬場信房に命じて鍋蓋・乙女城を取り込んだ新たな縄張りをして城郭を整備し、総合的な大城としたのが小諸城の原型である。

武田氏の滅亡後は、織田、徳川と支配が移ることとなる。

中世の城から近代城郭へ、仙石秀久の大改修
天正18年(1590年)、豊臣秀吉が天下統一を果たすと、小田原攻めの軍功により再起を果たした仙石秀久が5万石で小諸に封ぜられる。秀久は城の大改修と城下町の整備に取り掛かり、今日遺構の残る天下に類のない堅固な城とした。

世は徳川による天下泰平の時代となり、仙石氏は秀久の子忠政のとき上田城に移り、小諸城は徳川家光の弟の忠長の領有するところとなり、城代が置かれた。そ の後もめまぐるしく城主が変わり、石高も5万石から2万石へと減らされてきたが、極めて要衝な藩領のため、歴代藩主には徳川譜代が配されていた。

版籍奉還まで170年間、牧野氏10代にわたる居城
元禄15年(1702年)、越後国与板藩より牧野康重が1万5千石で入封すると、版籍奉還まで約170年間、牧野氏が10代にわたって居城とした。

明治4年(1872年)の廃藩置県で小諸城は役割を終え、明治13年(1880年)に城郭は払い下げられ、小諸藩の旧士族の手により本丸跡に神社が祀られ、「懐古園」と名付けられた。

その後、大正15年(1926年)に、造園の権威である本多静六の設計により、近代的な公園に生まれ変わった。

島崎藤村と小諸
明治32年、かつての恩師木村熊二に招かれて、小諸義塾の英語と国語の教師として赴任。函館の網問屋秦慶治の三 女冬子と結婚。小諸町馬場裏の士族屋敷跡に新家庭をもつ。以降、小諸で過ごした6年余の間に「雲」「千曲川のスケッチ」「旧主人」などが生まれ、大作「破 戒」が起稿された。

昭和2年には、有島生馬の発案により、藤村の友人や門下生によって懐古園内に「千曲川旅情のうた」の詩碑が建てられた。詩碑の詩は藤村の自書、鋳造は高村豊周による。

アクセス
しなの鉄道又はJR小海線、小諸駅下車、徒歩3分
信越道小諸インターより10分
乗用車・バス駐車場(懐古園大駐車場)

情報提供:小諸市商工観光課

小諸城の口コミ情報

田上蔵人頭久兵衛様[2017年05月21日]
最初に駅を東に抜けて、大手門公園に行く事をオススメします

櫓門の中に展示資料が有り
ボランティアの人から遺構の話や城郭の地形の話など聞けます

話を聞いてから
大手門付近の石垣や、駅の地下道の東西の階段の数を確認するとニヤリとするかもしれませんw

駅の西に行くと三の門の先に石垣が見えますがここからは有料
二の丸跡から橋を渡った黒門痕までは
バリアフリー化で折れや、石段によるアップダウンが無くなったそう…優しさですw

本丸は神社になってますが
参拝の後は裏手から天守台に上がれます
そのまま石垣の上を武者走り沿いに南に歩いて行けますが、東国では珍しく柵が無いので楽しくて転落しないように注意w

南から本丸を抜けると深い谷があります
おそらく山城好きならここでテンションが上がると思いますw

そのまま崖沿いに南西に歩いていけば
動物園への橋を横目に見晴らし台があります、武田氏時代は狼煙を上げていたとか
ここから北に行けば展望台があり千曲川を一望出来ます

山城好きな方は北側の階段から麓まで降りて、戻られるとココの要害さが更に良くわかるかと

ギア右近衛少将様[2017年05月05日]
堀と石垣がかなり残っていました。一部動物園や遊園地になっていましたので、子連れやデートで行く時でも最適かも。桜が有名な所みたいなので、桜の季節に行きたいかも。

まるき〜淡路守様[2016年07月21日]
すっかり公園化されていて和やかな雰囲気の城跡

いびつな形の石垣や天守台が気になる…
東屋付近の橋、階段を降りると断崖に切り立った堀があって見応えがありまーす。
本丸南側の東屋では毎週日曜の13時〜15時まで草笛を教えてくれるボランティアの方がおられます(誰でも参加OK)

線路の向こう側にある大手門二階櫓内では資料の展示が無料

SL機関車の展示や動物園もあり
駅からも近いし、小さなお子さんが居ても楽しめるお城跡かなアップダウンも少なくて楽チンだし(^◇^;)
売店、トイレあり、甘味処は石垣と石垣の間に…(=゚ω゚)ノ

駐車場が500円の所と300円の所がありますが500円の駐車場に入れて駐車券を城の券売所に提示すると1人分の入城(城の探索券大人300円)が無料になりまーす。

埴輪武者上野介様[2016年04月05日]
聞きしに勝る名城なのに、曲輪の一部が動物園になっています。城跡散策好きとしては何でこのような余計なものを、と遺憾に思っていたのですが、迂闊にも堪能してしまいました。(^_^;)

永眠武蔵守釋 葱進様[2015年12月20日]
1.百名城スタンプ
徴古館内の事務所にありますが、かなり状態が悪いです。
インクが薄い上にまだら、誰がやらかしたかスタンプ(シャチハタ形式)の縁部分にインクがついており、もれなく縁もスタンプ帳にうつってしまいます。

2.本丸跡に鎮座する懐古神社
こちらの御朱印は通常墨で書いて頂く部分が何とスタンプです(受付時にその旨説明はある)

3.蕎麦屋
三の門近くの有名店「草笛」本店は28年春まで改築工事のためお休みです。第一駐車場そばの別館(通常冬季休業)が冬季も営業しています。
蕎麦もいけますが、くるみおはぎもなかなか美味しいです。

中納言M三郎様[2011年07月15日]
小諸城は、西側の重火器による攻撃の届き難い最奥部に、千曲川に向け落ち込む断崖を後堅固の要害として本丸を置き、段丘上に刻まれた赤褐色の深い谷を郭の区画、防御に用いた、他に類をみない特異な立地、構造の城です。また、三の門から本丸までは直線的に登城路を左右の小さな郭が挟み込み、横矢を掛けて敵の攻撃力を削ぐ、安土城の大手道に似た独特の防御構造を持ちます。この城の独創的な選地と縄張を観るとき、山本勘助とも言われる築城者の城づくりに対する、並々ならぬ深い造詣を感じます。古風な寄棟の城門も素敵です

tomm加賀守様[2010年10月07日]
追伸。。。
あまり大きな声では言えませんが、寅さん記念館に駐車しても無料です

tomm加賀守様[2010年10月07日]
鹿島神社前に駐車すれば無料です。
大手門は地下道をくぐってすぐにあるので必ず見ましょう
また大手門近くにある「小諸観光交流館」には小諸城のスタンプや割引券があり、お蕎麦屋も紹介してもらえます

それにしても天守台の石垣は中の土が抜けて危ない感じだなぁ〜

まったり丹波守様[2010年09月25日]
山城好きの方は千曲川側の柵外を見るとニンマリする事間違いなし
本丸は旅館が有ってビックリした。

天神様[2010年09月11日]
小諸に来ると蕎麦が食べたくなるなあ

虎丸@信州様[2010年06月09日]
小諸城(懐古園)の隣に建つ「小諸グランドキャッスルホテル」のロビーにダイヤブロックで作った見事な「三の門」がありますので是非ご覧くださいませ。(2010.06.08.現在)

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年06月08日]
小諸駅下車1分

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