大井城(おおいじょう)

大井城の基本情報

通称・別名

岩村田館、(王城、黒岩城、石並城)

所在地

長野県佐久市岩村田字古城3444-1他(王城公園)

旧国名

信濃国

分類・構造

平山城

天守構造

築城主

大井朝光?

築城年

承久3年(1221)?

主な改修者

主な城主

大井氏

廃城年

天正10年(1582)

遺構

曲輪、堀切

指定文化財

県史跡(大井城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

根井氏館(長野県佐久市)[3.0km]
御影陣屋(長野県小諸市)[3.2km]
志賀城(長野県佐久市)[5.0km]
岩尾城(長野県佐久市)[5.3km]
伴野城(長野県佐久市)[5.6km]
平賀城(長野県佐久市)[5.9km]
小諸城(長野県小諸市)[8.3km]
龍岡城(長野県佐久市)[8.9km]
望月城(長野県佐久市)[10.6km]
長窪城(長野県小県郡)[19.2km]

大井城の解説文

大井城(おおいじょう)は、長野県佐久市岩村田にあった日本の城。

歴史・沿革
大井城は佐久市岩村田の東北部に湯川の断崖に沿って、北から石並城(いせならびじょう)、王城、黒岩城の三城からなり、清和源氏小笠原長清の七男、清和源氏小笠原流大井氏の祖、大井朝光が大井庄地頭としてこの地に居を構えて(「四鄰譚藪」)以来、文明16年(1484年)に落城するまで、佐久郡東北部を中心に勢力を振るった大井宗家の本拠地であった。

弘安2年(1279年)、二代城主大井光長は創建した大井荘落合の新善光寺に、大檀那として梵鐘を寄進した。また、「一遍上人絵伝」に描かれた大井太郎(光長)の館が、どのあたりにあったのかは定かでない。 建武2年(1335年)中先代の乱が起こり、足利方についた四代城主大井朝行(行時)は、東山道を進む朝廷軍一万余を佐久郡で迎え撃ったが、(「於大井庄合戦」(「忽那(くつな)文書」など))奮戦数日の後、ついに落城した。

その後、大井城は復旧し、五代城主大井光長(光栄)は信濃国守護代を勤めた。 その子の六代城主大井光矩は応永7年(1400年)の大塔合戦で守護小笠原長秀と国人衆(大文字一揆)の仲介をして、敗走する小笠原長秀を救った。

次の七代城主大井持光の代には大井氏全盛期となり、繁栄期の大井城下は「応永年中、大井越前守(持光)、関東管領足利持氏公に仕えて武功三軍に出たり、したがって大井の城も盛大なり。」「民家六千軒、交易四達し、賑い国府(松本市)にまされり」(「四鄰譚藪」)、真光寺、龍雲寺、その他の寺社が立ち並んでいた。持光時代の所領は六万貫といわれ、伴野氏、望月氏等の領地を除く北佐久郡のほとんどを領し、上州、武州にも所領を有し、京都参勤には1千騎を率いたといわれる。 永享10年(1438年)に永享の乱が起こり、大井持光は足利持氏の遺児永寿王丸(後の古河公方足利成氏)を安原の安養寺に庇護した。(「足利系図」) 次の八代城主大井政光の代には文明4年(1472年)に甲斐に侵攻、文明9年(1477年)には甲斐勢が佐久に侵攻したが、これを打ち破っている。(「妙法寺記」)

次の九代城主大井政朝は文明11年(1479年)に佐久郡の伴野氏との戦いに大敗し、大井政朝は生捕りとなり、大井氏執事相木氏が討死する。弟の十代城主大井安房丸に代替わりした文明16年(1484年)、更級・埴科両郡から小県郡に勢力のあった村上政清が大軍を率いて佐久に攻め込み、大井城は焼け落ち岩村田城下は一挙に灰燼に帰した。城主大井安房丸は小諸に逃れ、大井朝光が大井城に居城してからおよそ二百六十余年、城は落ち岩村田大井宗家もここに滅亡した。

大井宗家は滅びたが、岩尾、耳取、芦田、相木などの一門、家臣の所領は存続して、大井城主(岩村田城主)には長窪大井氏の大井玄慶(安房丸の子、政信)が継いだ。 天文12年(1543年)、岩村田城主大井貞隆は甲斐の武田信玄に攻略され長窪城に追われた。 天正10年(1582年)、武田氏が滅亡すると、岩村田城主大井雅楽助は徳川家康麾下の依田信蕃に下り、城を明け渡した。 大井城の遺構は元文年間(1736-1741年)に書かれた「四鄰譚藪」に記述があるが、現在は殆んどみるべきものが残っていない。主郭部は王城公園となり、県天然記念物の大ケヤキがある。

参考文献
『日本城郭大系』 第8巻 長野・山梨 1980年 笹本正治『川中島合戦は二つあった』1998年 田辺久子『上杉憲実』1999年 坂田祐樹『関東公方成氏』2004年 大井信 『大井氏ものがたり』2005年 大井敏夫『岩尾家譜(現代語訳)』1996年

大井城の口コミ情報

2020年03月12日 紀伊守かずりヾ(・ε・。)
平尾城[大井城  周辺城郭]



平尾城は大井城の東北約2.9kmに位置し、標高947mの秋葉山山頂に主郭があります。築城者は依田氏の庶流、平尾氏で大井氏に従っていましたが、大井氏宗家が村上氏に滅ぼされると国人領主として独立、最終的にはどうやら依田氏の家臣として乱世を巧みに生き延びたようです。

お城に行くには上平尾地区にある守芳院を目標に設定して下さい。このお寺の東側に市道が南北に走っていますが、市道から守芳院への進入路脇に「守芳院入口」の看板が立っています。この看板から南に50mも行かない場所に山に取り付く階段が見えますので、これが登城路入口となります。お城は主郭からY字に、概ね3方向へ尾根が伸びており、このルートは北西側の尾根を登って主郭を目指すことになります。階段を登るといきなり道がありませんが、見通しがよく適当に登っても城域にすぐに辿り着きます。

お城は素晴らしいっす。北西、南西尾根は段郭を連ねて所々を堀切でぶった斬り、岩盤や巨岩を上手く利用して郭を形成するところなんかは佐久スピリット?に満ち溢れています。又、南西尾根には殆どが岩盤の堀切とかあって萌えまくること間違いなし。主郭部は4段あって綺麗に削平されており、土塁や石積みも確認出来ます。通称2郭には変わった虎口があり、通称2郭と通称3郭の間には素敵な横堀があって両者を隔てています。主郭部背後は大堀切、ただ主郭部の東側は隈笹が多く群生したままなので、写真を撮ると大変残念な結果に…

とにかく佐久の国人領主の意地を見せつけてくれる素晴らしいお城です。お近くに来たら是非訪ねてみて下さい。ちなみにここから山伝いに凄く頑張ると平尾富士砦というのがあるんですが、根性無くてパス。


2019年05月03日 ⏰近畿の風雲児⚜️ 信濃守
大井城



大井城は、湯川を天然障害とした断崖上にあり、堀切によって王城、黒岩城、石並城の3区分され、総称して大井城と言った。

2012年03月13日 征夷大将軍速水右近
大井城

八十二文化財団の方は把握されてないので、ホームページの写真を管理している教育委員会に聞いてもらいました。大井城は川の左の西側一帯の王城公園から3441ー1の個人民家辺りまで。写真は王城公園で石碑などは特にありません。


2012年02月23日 赤いRVR右京大夫@松本
大井城

岩村田市街地東にある。王城を中心に、北に石並城、南は道を挟んで黒岩城の三つの城で構成されるが、黒岩城は個人宅地、石並城は墓域となっている。中心の王城が公園として整備されているが、城跡らしい遺構はよくわからない。なお、駐車場はない。

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