長窪城(ながくぼじょう)

長窪城の基本情報

通称・別名

深山城、霞尾城

所在地

長野県小県郡長和町古町3747-2

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

望月氏?、大井氏?、芦田氏?

築城年

室町時代中期?

主な改修者

主な城主

長窪氏、大井氏

廃城年

天正11年(1583)

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

町史跡

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

望月城(長野県佐久市)[8.6km]
和田城(長野県小県郡)[8.6km]
塩田城(長野県上田市)[9.7km]
岩尾城(長野県佐久市)[14.4km]
小諸城(長野県小諸市)[14.8km]
上田城(長野県上田市)[15.0km]
岡城(長野県上田市)[15.1km]
根井氏館(長野県佐久市)[16.7km]
戸石城(長野県上田市)[17.2km]
真田氏館(長野県上田市)[18.4km]

長窪城の解説文



長窪城(ながくぼじょう)は、長野県小県郡長和町長久保にあった日本の城。長和町指定史跡[1]

概要 

室町時代の応永年間に、大井氏、または芦田氏(依田氏)によって築かれたといわれている。

大井氏一族が長窪氏を名乗り、城主となった。戦国時代の天文12年(1543年)、甲斐の武田晴信(信玄)の軍に攻められた。相木昌朝や芦田信守が内応したため、城主の大井貞隆は降伏した。

武田氏の支配となった長窪城は、武田氏が北信濃に進出するための重要な拠点となった。

信玄が長窪城に着陣し、東・北信濃を攻略したのは、天文17年(1548年)の上田原の戦い・天文19年(1550年)の砥石城戸石城)攻略・天文22年(1553年)和田城、高鳥屋城塩田城の攻略と3回あったようである。

天正10年(1582年)武田氏が滅亡すると、小県郡は真田昌幸の領地となり、天正11年(1583年)昌幸が上田城を築くと、長窪城は廃城となった。

長窪城の口コミ情報

2023年11月11日 パジェロ
長窪城説明板[長窪城  碑・説明板]

搦め手口にも説明板がありますが、こちらに綺麗なものがありました。

2022年05月03日 平八郎忠勝 中務大輔
長窪城



信玄公が攻めたお城との事で寄ってきました。車を停められる国道の方から登るのが無難です。今回は場所が分からなかったので町道側から登りましたが、こちら側は登り甲斐があります。遺跡は堀切がわかる程度にあるくらいです。

2022年03月11日 内記かずりヾ(・ε・。)
勝見砦[長窪城  周辺城郭]



勝見砦は長窪城の北方約2.4km、標高約669mの山間部丘陵緩斜面上平場に主郭が存します。西麓の舗装路からの比高は15m位でしょか。

行き方はGoogle マップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。車を付近の果樹園に乗り入れて捨てないようにしましょう。

築城年代は不明、築城者は勝見氏になるんでしょか。同氏の家伝によれば元は有坂にあった斎藤氏の一族で、依田川左岸の開発を目指して立岩に移り勝見の姓を名乗ったそうです。清右衛門常金は武田氏時代に立岩郷の代官となり勝見氏の祖となりました。

砦の立地は北方に勝見峠、深見峠を従え、鳥羽山東麓を進み深見から腰越を過ぎると丸子に至るかつて信玄古道と呼ばれた道がある。東方は山道を進み八重原から御牧原に至る。地味ではあるけど各間道を押さえる要衝であったようです。同じ長窪城のリア攻めマップにある恐怖の登城困難城、鳥羽城の支城とも。

砦の現況は雑木林、墓地等となっています。今でも勝見氏の所有らしく、勝見氏の墓所に加えて勝見氏氏神が祀られた小社が鎮座しています。砦の北側は池跡で、砦の存する丘陵地形は最近まで耕作されていたようです。縄張図に従えばこの四段程の丘陵が城域となりますが、北側斜面には三段程の帯郭状の削平地が付いています。削平が往時のものかは判りませんが、峠道を監視下に置く西向き、北向きの砦であったように思えるので参考までに…又、狼煙台か櫓台と思しき高まりなんかも城域最高所に確認出来ます。

訪ねた際は隣の果樹園でたぶん勝見さんがせっせと作業中…声掛けようかと思いましたがリア攻め終えたので諦めちゃいました。期待してなかったけど真面目にリア攻めすると楽しかったりします。長窪城に来る事がありましたら皆様も是非訪ねてみて下さいまし。

※明治時代初期に編纂された長野県町村誌には絵図が掲載されています。が、難し過ぎるので見ても参考になりません。

2021年04月24日 赤かぶ【】
箱山城[長窪城  周辺城郭]



上田市丸子字箱山に築かれ山城です!
この城は依田氏の分族箱山判官国正という豪族が、1430年頃、主に佐久方面に備え築いたとされています。

箱山城桜ロードというハイキングコースになっており地元の方が整備されています。感謝ですね!箱山城入口の看板の近くには木製の遊具などもあります‪w
入口の看板から急斜面を登って行きます。途中ムサシ展望台(スカイツリーと同じ標高地点)、八丁坂を過ぎると平坦な道に出ます。
2条の堀切を経て大手坂!ここにはダルマ岩と呼ばれる巨石が3つくらい重なった急坂がありくさりも設置されています!
登りきると主郭西側の土塁が見えてきます。
主郭には縄張図がありめっちゃ参考になります♪
主郭東側は堀切を隔てて二の曲輪があり北側には腰曲輪、東側には三の曲輪で構成されています。
三の曲輪の東側の3条堀切は北側に竪堀としておちていき、やがて1本の竪堀へ♬︎
扇堀でしょうか?!詳細分からなくてごめんなさい<(_ _٥)>
4月中旬に訪れましたが主郭~三の曲輪にかけ低木に覆われ遺構が見ずらいかなと感じました☀︎
① 登城口
② 主郭西側の土塁
③ 大手坂
④ 主郭
⑤ 縄張図
⑥ 三の曲輪東側3条の竪堀

2021年02月01日 内記かずりヾ(・ε・。)
山の鼻砦[長窪城  周辺城郭]



山の鼻砦は長窪城の北西約2.3km、北方へ延びる山塊尾根上、標高約715mのピークの一つに主郭が存します。北東麓の登城路入口からの比高は100m位でしょか。

築城年代、築城者は共に不明ですが、位置関係から武石の大井氏の手によるものと推測出来ます。

行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。それじゃ登城口が判らねぃよて感じですが詳細は避けますね。理由は砦のあるお山は完全私有地で、所有者は登城路途中にある台地上の平場で畑を…お山に入れば椎茸栽培なんかを手広くやっていますので注意しましょう。自分は作業中の方に断りを入れてから訪ねましたがトラブルは避けたいものですね。

砦は物見台か狼煙台程度のほぼ単郭です。砦がプアーな事は知っていましたが、物好きの血がひょんなことから思わず騒いでしまいました。目の前通過すればそれがどんなものであれ行ってみたくなるでしょう。ただ簡単に行けるかと思ってましたが想像よりは倍の時間が掛かりましたわ…主郭まで20分は必要ですね。

何の期待もしてませんでしたが、びっくりする事に主郭南西側山側背後の下る尾根に2重堀切が確かにある…しかも東側は竪堀になって落ちている…堀切は浅くはなっていますが、竪堀は意外にも明瞭で二重竪堀感がよく判ります。何だか自動販売機の下を探ったら100円玉を見付けた時と同じ様な気持ちになりますね。又、主郭には土塁の様な土の高まりも…ただ砦としてそれ以上のものは頑張っても何も見付けられないでしょう。

誰も行かないと思うしお勧めもしません。信濃のお城クエストに迷い込んでいる自分にとってはどんなお城でも達成感である程度満足出来るんですが…まぁ何て言うかマニア向け。

2021年01月23日 内記かずりヾ(・ε・。)
丸子城[長窪城  周辺城郭]



丸子城は長窪城の北西約5.2km、依田川と内村川に挟まれた北東へ長く延びる山塊尾根上、標高684.6mのピークの一つに主郭が存します。北東麓からの比高は145m位でしょか。

丸子城と言えば駿河の素晴らしい丸子城が思い起こされますが、信濃の丸子城はちびまるこちゃんの「まるこ嬢」と読みまして「まりこ嬢」にはなりません。もっともこの地域もその昔は「まりこ」と呼ばれていた時期があったようです。

築城年代、築城者は不明ですが、依田氏の庶流とされる丸子氏の持分でした。天正年間には丸子三左衛門なる方が城主で、天正壬午の乱の際に真田氏の説得により丸子氏はこれに従属したようです。

駿河の丸子城は目立った戦歴が無いようですが、こちらの丸子城は違います。第一次上田合戦(神川合戦)で徳川氏は上田城の攻略に失敗、手痛い損害を受けましたが、八重原まで軍勢を退かせると体勢を立て直して真田方の丸子城の攻略に向かいます(殆ど腹いせの感…)。諏訪頼忠、岡部長盛らが丸子城に攻め寄せますが、真田方の後詰の到着もあって20日あまりの対陣で攻略を断念、丸子三左衛門は小勢で城を堅守し徳川勢は撤退しました。徳川家康は負け戦のこの合戦に17通もの感状を出したようで家臣を慰めるのも大変だった事が偲ばれますね。トップの苦労でしょか。

お城は一部が公園として整備され、通称ニ郭には模擬櫓が建っています。お城全体は軽めのハイキングコースみたいなちゃんとした道があるので誰でも気軽に散策出来ます。又、城域を過ぎて南西へ尾根を進むと同じ長窪城のリア攻めマップにある根羽城に至ります。ちなみに丸子城から根羽城へ行く道は崩落危険で通行止めなんですが、何処に崩落危険があるのかは理解に苦しむところです。

城域南西端を過ぎても堀切が細かく設定されていたり謎地形があったりするので公園等と侮るなかれ…そして山城初心者には入門に最適なお城だったりもします。周辺諸城を見渡せるロケーションも素晴らしいので丸子に来る事がありましたら是非最初に訪ねてみて下さいまし。

2021年01月20日 内記かずりヾ(・ε・。)
鳥屋城(烏帽子城)[長窪城  周辺城郭]



鳥屋城は長窪城の北西約4.5km、依田川と内村川に挟まれた北東へ延びる山塊尾根上、標高850.6mのピークの一つに主郭が存します。東麓からの比高は250m位でしょか。

築城年代、築城者は不明ですが、支城である鳥屋山砦が鳥屋甚八郎なる者によるものなんで、これが正しいとするなら鳥屋氏でいいんじゃねぇ…この鳥屋氏の出自となると話は別物ですが…

お城は岩村田大井氏の利用があったとされています。一時期岩村田大井氏は武田氏に従属してましたが、上田原の合戦で武田氏が村上氏に敗れるとこの地域で叛旗を翻します。その際に武田氏に徹底的に殲滅されたらしく、武田氏の業務日誌を基にしたらしい高白斎記には高鳥屋(鳥屋城か?)の籠城の衆を悉く討ち取った旨の記述があります。前日には武田晴信が高鳥屋に登って見物した事の記述もあって話に合点がいかなくなりますが、武田晴信が登ったであろうお城の一つに比定されてます。

行き方は3つありますが、自分の下山ルートで使った登城路を紹介します。国道254号線を武石方面から北へ進むとお城のある山塊尾根下を貫通する小屋坂トンネルにぶつかります。到着したらトンネルの入口右側に路側帯があるので車を捨てましょう。この路側帯の奥に獣柵ゲートがあり、道なりに進むと尾根の切り通しにぶつかります。この切り通しを右に行くと根羽城を経て丸子城、左に行くと鳥屋城に至ります。根古屋っぽい怪しい地形を通って高みを目指して登れば尾根筋に出ると思います。

お城は素晴らしいっす。特に堀切の美しいお城で主郭部北側には5条の堀切、正確に言うなら三重堀切+二連続堀切でしょか。堀切から延びる竪堀も集合したりしてて感動します。主郭部南側にも二重堀切、1条は圧巻の大堀切です。更に尾根を南方へ進むと実に細かく遺構が残っているんですが、説明すんのが面倒なので現地に赴いて下さいまし。大手筋は主郭部西側で段郭が設定され、隣りの山塊とは人一人が通れるぐらいの自然地形?の土橋で繋がってます。が、土橋の真ん中に松の若木が数本成長中で通る時に腹立ちます。

お城は地元の保存会の方々によって定期的に整備されています。余計な物を足さない、必要な物を削らない。実に理想的な整備ですので、鳥屋城攻めの本拠となった長窪城に来る事がありましたら是非訪ねてみて下さいまし。

2021年01月07日 内記かずりヾ(・ε・。)
鳥羽城[長窪城  周辺城郭]



さてさて一回で納めようと思ったけど、前回は登城の苦労を書いてたら字数があっという間に足りなくなってしまったのでその続きなり。

物凄く頑張って城域に入ったんですが、お城は長い年月を掛けて甘々になっていて、死ぬ程努力したのに「労を多とする。」とだけ上司に言われた時と同じ気持ちにさせてくれます。見所は堀切の1条と主郭部の段々ぐらいでしょか。ただ縄張図外に結構な竪堀が確認出来ます。面白いのはこんな山の中なのに小屋掛け出来そうなぐらいの広めの削平地があること(住みたくはない。)。そしてびっくりすることに城址碑があることです。しかもただの城址碑と違いまっせ〜宝暦四年(西暦1744年!)福島某によって建てられたもので「鳥羽氏先世塁址」と刻まれてます。

築城年代は不明ですが、築城者は鳥羽氏と考えられ、天文年間には福島肥後守という方が城主だったらしく、この方は天正壬午の乱の際に依田信蕃に従い岩尾城攻めで討死しているそうです。城址碑を建てたのは福島某なので、この福島姓は鳥羽氏に連なる者が改姓したと考えてよさそうです。じゃなきゃこんな山の中に墓石大の石を持ち込んで先祖が築城した城跡を明らかにするなんてことはやらないでしょう。

帰りは行きに辿った道?を戻りたくなくて主郭部から南西にある尾根筋を直下山することを迷うことなく決断、登れば急坂でしょうが帰りは比較的すんなり麓まで下りてこれました。所用25分位(行きは2時間位)でしょか。ところが依田川の急流が行く手を阻み駐車場所に戻れない…結局橋を探すのに南下すること50分…河川敷を歩いたり、再び山に入ったりの繰り返しで疲れがピークに…最後までおいらを苦しめてくれました。登城中に見つけた祠に「こにちは〜」ぐらいの挨拶しかしなかったのが原因すかね…それでもお山はおいらを無事に日常に帰してくれた!となるとやっぱり神様はいるのです。

※安全なルートを開拓しましたが、説明出来ないし、自分しか判らないと思うのでそれはパス…城友さんすまない。

2021年01月04日 内記かずりヾ(・ε・。)
鳥羽城[長窪城  周辺城郭]



鳥羽城は長窪城の北東約3.4km、国土地理院の地図にも記載がある標高843.8mの鳥羽山山頂に主郭が存します。西麓からの比高は290m位でしょか。鳥羽山は登山道が無い上に西麓に急流の依田川が流れており、橋梁が極端に少なくアプローチに苦慮するお山です。

行き方はGoogleマップに位置登録されている北麓の龍福寺を目標に設定して下さい。敷地内に鳥羽稲荷大明神てのがあるので、この背後から延びる尾根から取り付きます。

自分の今までのリア攻め史上最大の恐怖と苦労を味合わせてくれたのがこの鳥羽城です。低登山ではありますが、装備はある程度のクライミング出来る格好を…自己確保が取れる技術がある方は保険を掛けた方が確実でしょう、お城廻りで滑落したら洒落になりません。本当に山登りが嫌いだわ…

まず尾根筋を登って行きますが、最初の平場に出るまで松枯れで倒木が凄まじいです。傾斜はそんなに無いのですが無駄な体力を消耗します。道案内は鹿の足跡…城域まで連れてってくれますねwそして平場を過ぎると最初の急崖に…幅はあるので左右に落ちる心配はないのですが、ポイントを考えながら登らなければならず必要なのは体力と技術と精神力と想像力…

この急崖を登り切ると稜線上に到達、最初に城域に入ったと勘違いするポイントですがただの岩場です。更に細尾根を経て急崖に…泣きそうになります。この急崖を登り切ると祠がある削平地に到達、遂に城域に入ったと確信して城友さんにLINEしましたが「主郭には城址碑があるよ。」との無情の返事が…サポートTHANKS!此処じゃなかったぜ、気持ちを取り直して高みを目指して更に南進、今度は下るじゃねーかっ!

そして現れたのは最大の難所、人一人がやっと通れるぐらいの痩せ尾根が30mぐらい、途中には御丁寧にも岩場が付いちょる…右はほぼ垂直の断崖、左は急崖、落ちても即死にならないように左を意識して進みます。岩場では身体が恐怖で震えちゃって能力がちゃんと使い切れない…情けなくも岩場に抱き付くように乗り越えました。

この後に待ち構える急坂を登り切れば城域にやっと入ります。騙される擬似城域が二箇所…登城路を参考にさせて頂いた先人様も初アタックでは勘違いしたらしいっす。

お城の続きは次回に…

2019年05月19日 信州左衛門佐克幸
長窪城



大手口は全く人が訪れた様子がない。枯れた松の葉が足元を滑らせます。茸のシーズンは進入禁止だそうです。

2018年12月27日 黙祷左衛門佐紺絹地六連銭
長窪城

搦手側から上り、昌幸が作った連続竪堀と土塁の連続を楽しみながら主格を目指すと面白いですよ(^-^)
秋のキノコの時期は一部止め山になっていますが、それを除けば大手口まで往復出来ます!真田昌幸の山城を堪能して下さい\(^-^)/
駐車場は付近にありませんし車道も狭いため、長和町の道の駅(マルメロの里 温泉ありますよ)や神社の駐車場に止めることをお勧めします!

2015年09月27日 宮内大輔オヨ島
長窪城

城跡はとても眺望が良く、戦国武将の気持ちになりました。

2011年10月03日 赤いRVR甲斐守@松本
長窪城

現在、主郭までは行かれますが、南側の遺構群は、止め山のため入れません。

長窪城の周辺スポット情報

 長窪城説明板(碑・説明板)

 鳥羽城(周辺城郭)

 鳥屋城(烏帽子城)(周辺城郭)

 丸子城(周辺城郭)

 山の鼻砦(周辺城郭)

 箱山城(周辺城郭)

 勝見砦(周辺城郭)

 依田城(内山城)(周辺城郭)

 開戸城(義仲古城・依田城)(周辺城郭)

 丸子城本居館(辰ノ口館)(周辺城郭)

 丸子城安良居神社館(周辺城郭)

 鳥羽館(戸羽館)(周辺城郭)

 依田氏居館(殿入)(周辺城郭)

 依田常憲屋敷(周辺城郭)

 堀之内居館(周辺城郭)

 大年寺館(周辺城郭)

 宗龍寺館(周辺城郭)

 御岳堂館(周辺城郭)

 高築地館(周辺城郭)

 武石城(大和守屋敷・大井本城)(周辺城郭)

 丸子城おたや居館(周辺城郭)

 丸子良存館(東町館・お城屋敷)(周辺城郭)

 根羽城(小屋城・高松城)(周辺城郭)

 小山城(周辺城郭)

 鳥屋山砦(石尊山)(周辺城郭)

 金ヶ崎城(周辺城郭)

 中山城(城山)(周辺城郭)

 御所平居館(周辺城郭)

 御岳山城(周辺城郭)

 古町の堀の内館(周辺城郭)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore