戸石城(といしじょう)

戸石城の基本情報

通称・別名

砥石城、伊勢崎城、(米山城)

所在地

長野県上田市上田城山2505-ホ他

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

真田氏?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

村上氏、真田氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

県史跡(戸石城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

真田氏館(長野県上田市)[2.4km]
横尾城(長野県上田市)[2.8km]
真田本城(長野県上田市)[3.4km]
上田城(長野県上田市)[4.8km]
松尾古城(長野県上田市)[6.1km]
岡城(長野県上田市)[11.9km]
葛尾城(長野県埴科郡)[12.0km]
塩田城(長野県上田市)[13.2km]
荒砥城(長野県千曲市)[15.2km]
小諸城(長野県小諸市)[15.6km]

戸石城の解説文

戸石城(といしじょう、砥石城)は、信濃国小県郡(現在の長野県上田市上野)にあった城郭。形式は山城。別名に砥石城。長野県指定史跡。

地勢
東太郎山の尾根上に築かれ、南の上田平や北東の真田郷を一望できる位置にあり、南東には北佐久を望むことも出来る。西側には神川が南西へ流れ、千曲川と合流。上州街道を真田郷を経て鳥居峠を越えると上野国吾妻郡に至る。南西部には上田原が広がり、千曲川沿いに下ると埴科郡を経て善光寺方面へ至り、逆に上流へと遡ると佐久郡を経て上野国や甲斐国に至る。また上田原を更に西に進み和田峠を超えると筑摩郡へと至る。本城を中心に、北の枡形城、南西の米山城(小宮山城)、南の砥石城などを含めた複合城郭。

歴史
築城年代は不明だが、隣接する真田郷に興った真田氏の外城として築城されたのが最初とされている(当時の状況は不明)。天文10年(1541)に真田氏が追われたのち、村上義清が小県郡・佐久郡方面の拠点として大改築した(戸石城は、元々南側の出城の名前であったものが、いつしか城全体の呼称になったとも言われている)。

戸石城の位置は村上氏の本拠地埴科郡と上田平との境目にあたり、小県の村上領(塩田荘など)と本領を結ぶ結節点となる最重要拠点と位置づけられ、額岩寺光氏や山田国政ら有力な諸将が配された。その後、佐久郡から進出を狙う甲斐の武田晴信(信玄)との間で激しい攻防が繰り広げられ、特に天文19年(1549年)の武田軍の一方的とも言える敗退は「戸石崩れ(砥石崩れ)」と呼ばれる。この時の状況については「妙法寺記」に、「この年の9月1日に信州砥石の要害を御除け候とて、横田備中守をはじめとして、随分衆千人計り討死なられ候。されども御大将は、よく引きたまわり候」と記されている。この敗戦により力攻めを諦めた武田氏は、家臣真田幸隆に攻略を命じ、『高白斎記』によれば調略によって城内に内通者を出し、天文20年(1551年)5月に陥落させる。

同城は真田氏に与えられ、村上氏は本拠地である埴科郡が武田勢の直接的な脅威にさらされることになり、以後は退勢を挽回できずに配下の諸豪族の離反を招き、滅亡に至ることになる。村上氏滅亡後は、主戦場が北部の川中島方面に移ったこともあり、歴史に登場するのは上田合戦において支城として利用された時ぐらいとなる。

近年の発掘ではめぼしい遺構が発見されず、天正11年(1583年)に尼ヶ淵に上田城が築かれるまでの真田氏の本城は真田本城だったと考えられている。

戸石城の口コミ情報

2020年11月24日 りょうさん飛騨守
戸石城



戸石城という名称の郭は、小さく物足りなくありますが、他と合わせて四つの別郭の大城郭でした。とくに本城の広さには、驚きました。戸石城で、帰ってしまう人が、沢山いたので、是非、奥の本城と枡形城まで、行ってほしい城です。

2020年05月04日 内記かずりヾ(・ε・。)
柏山城(上の城)[戸石城  周辺城郭]



柏山城(上の城)は戸石城の西方約1.0km、集落を挟んだ隣りの尾根のピークの一つに位置します。行き方は以前に戸石城の口コミで紹介した西山城を参考にして下さい。西山城、中の城、花見城、柏山城(上の城)、柏山城(下の城)の順番でリア攻め出来ます。行くだけなら登城路入口から約40分で制覇出来ますが、花見城を過ぎると道が無くなります(それまでだって獣道程度ですが…)ので、尾根を外さないように注意して下さい。又、草木の生い茂る時期は、ちょっと勘弁してくれみたいなことになるかと思います。標高は807m、戸石城(本城)よりも高いことになりますね。

このお城も村上氏連珠砦の一つでして、この城砦群の中では最も東方に位置するお城となります。村上氏連珠砦は村上氏の本拠である葛尾城を佐久方面からの侵攻から防ぐために造られたとされていますが、村上氏の小県郡支配の拠点である戸石城と葛尾城との連絡を、虚空蔵山系山塊〜太郎山系山塊を通じて保持するのも目的だったのでしょう。この時代に北国街道は存在せず(千曲川の川幅が今よりもかなり広く、暴れ川としても有名だったことから周辺は湿地帯だったかもしれない。人馬の通行は出来なかったと思います。)、現代人にとっては想像も出来ませんが、上田、坂城間は虚空蔵山の山中を通るか、千曲川南岸に渡り室賀峠を経て再び千曲川を渡るかの2ルートしか無く、実に近くて遠い場所だったようです。

お城はプアーな柏山城(下の城)と違って楽しめます。主郭のぼこりん感や主郭北側の二重堀切、その奥には更に1条の堀切が確認出来ます。主郭には崩落石が多数確認出来ることから石積みもあったのかなとかも思います。主郭から南側に位置する柏山城(下の城)へ向かう途中には、自然地形の竪堀様鞍部がありますが、岩盤部分にひょっとしたら手が加わってるかもしれません。

一つ行くと全部行きたくなる村上氏連珠砦ですが、自分は制覇まであと一つ。このお城は写真を撮り直しに2回訪問するはめになりましたが、一回行ったら次は無えっ!みたいなお城も城砦群には数多くありますので、暗い時間帯や天気が悪い日はすっぱり遠慮して後悔の無いようにしたいものですね!

2020年05月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
水の手[戸石城  遺構・復元物]



戸石城の水の手とされる場所は、戸石城大手道から分岐があり、そこから約5分弱で到着します。

水の手周辺も防御は厳重で相当数の段郭が付いており、水の手そのものも段郭の一つに存しています。水の手を過ぎて道をそのまま進むと、自然地形(沢跡?)と考えられる竪堀様地形で水の手周辺の北側を分断しており、戸石城の隠れた一端を見る事が出来たりします。

水の手自体は湧水です。今も水は出ていて、たぶんもうすぐ蛙の大合唱が起きることでしょう。

【戸石城の各城の名称について】

戸石城には4つのお城があり、南からそれぞれ米山、戸石、本城、桝形と名前が付けられています。江戸時代に成立した「戸石米山古城図」には本城と桝形城の名称が入れ替わっており、里伝から地元の方は本城を桝形城と呼んでいたように考えられます。すげい反発必至で書きますが、桝形城は虎口が桝形だったことからその名が付いたとのことですが、見た方なら解るかと思いますけど、あれを桝形と呼ぶのかは疑問に思います。少なくとも江戸時代にそんな見識でお城を見ていた地元の方ははいないと思うので、本城を桝形城と呼ぶ事が本当は正しいんじゃないかなと…本城の主郭部の造り方の方がよっぽど桝形を想起しやすいと思いません?

まぁ元々各砦に名前なんか無かったでしょうから、それを言っちゃぁおしめいよ的なところもありますが、リア攻め中にずっとそんな事を考えてたので、アホの独り言だと思って聞き流して下さいまし。

ちなみに「戸石」か「砥石」かについてはどっちでもOKらしいっす♪

※一連の口コミ、写真については「戸石」と「砥石」が混在してますが、それぞれ案内板、原文等に準拠しています。

2020年05月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
戸石城大手口[戸石城  碑・説明板]



戸石城に行くには、「砥石・米山城 登山コース」を使うのが一般的ですが、本来の大手道は本城の東麓から付いてまして、その大手口はリア攻めマップの位置に示したとおりです。

攻城の際は是非ともこちらを使って下さいまし。陽泰寺に車を停め、登城路入口まで10分掛からないで到着しますし、実は最も楽なコースだとも思います。

この大手道を通らないと多くのものを見逃す結果になります。大手には数多くの段郭を連ね、たぶん木戸があったんだろうなぁという様な虎口も道から外れた場所(登城路は途中まで往時とずれているんだろうと考えます。)に確認出来ます。見事な竪堀なんかもありますので、堅城を誇った戸石城を早速肌で感じとれることが出来るでしょう。又、途中に水の手への分岐がありますので、そちらも是非押さえておきましょう。

2020年05月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
内小屋[戸石城  遺構・復元物]



内小屋は戸石城(本城)の東麓の平場にあり、平時の居館群跡とされています。平場の東側には細尾根が概ね南北に張り出していて、山塊と細尾根に挟まれる感じで存しています。その細尾根上には砦があったとされ、たぶん内小屋を守るために造られたことでしょう。

現況は普通に耕作地かと思う内小屋ですが、石の銘板があってその存在を今に伝えています。が、銘板はすり減りまくって文字が殆ど読めません。堀切があるとされていますが、緊急時には内小屋は捨てるものだと思うので、居館間を区画する空堀の様なものだと考えます。

麓の居館群の存在は戸石城の重要性を物語るに十分だと思います。大手口へ向かう途中にありますので、さらっと見学して往時を偲びましょう。



2020年05月02日 内記かずりヾ(・ε・。)
米山城[戸石城  周辺城郭]



米山(こめやま)城は戸石城の別城一郭を構成するお城の一つで、本城から見ると南西尾根のピーク(標高734m)の一つに位置します。今の戸石城のメイン登城路(砥石・米山城 登山コース)は米山城の南東麓にその入口があり、この道を使うと戸石城と米山城を結ぶ尾根の中間点に出ますので、向かって左に進めば10分位で米山城の主郭部に到達出来ます。又、西麓にある住吉地区からも登城路があり、こちらは主郭部南側に出る道となっています。

武田勢による戸石城攻めは天文十九年(1550年)九月九日に開始され、その月の晦日に攻略を断念、十月一日に村上方の追撃を受けて武田勢は大きな損害を出しました。横田備中守高松のような有力な家臣を失い、力攻めの愚を悟った苦い敗戦は「砥石くずれ」として家中で語り継がれることになります。

戸石城攻めは南西側から攻めることを余儀なくされたようで、横田高松は砥石の様な急坂を攻めあぐね、城兵は上から石を落としたり煮湯を浴びせて翻弄し、数百の兵力ながら果敢に応戦しました。城方には乱妨取りも行われた志賀城(去年地元の方とお話ししましたが、今でも武田信玄の事を心良く思っていない。信玄の名前を出した時の苦虫を噛み潰したような顔が強く印象に残っています。)残党や楽巌寺雅方、布下仁兵衛、真田幸隆の弟の矢沢頼綱もあったとされ、士気はすこぶる高かったということです。

戸石城攻めに関して詳細な記録は無く、米山城の動向も定かではありません。推測でしかありませんが、武田勢の攻城ルートは「砥石・米山城 登山コース」に準じたものだったのではないでしょうか。米山城には白米伝説の他に、発掘により焼米(翌年の真田乗取の時のものかもしれませんが…)が多数見つかっていることから、この際の一時的な落城もあったのではないかなとか想像出来ます。

いずれにせよ戸石城に南西側から攻め上がれば、米山城は武田勢にとって無視出来ない存在(米山城を攻め落として通過するか、もしくは後背に敵を受ける。)であります。現況は戸石城を構成するお城の中で最もプアーな感じですが、考えてみると浪漫に溢れたお城であると言えるでしょう。そんな米山城なんで戸石城を訪れた際には面倒がらずに是非見に来て下さいまし。

2020年04月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
花見城[戸石城  周辺城郭]



花見城はたぶん里伝でのみで存在が伝えられてきたお城です。戸石城の支城、米山城の西方、集落を挟んで隣りの尾根のピークの一つにある感じです。誰も行かないと思うので、行き方は「米山城の里 金剛寺 歴史散策ガイドマップ」(よく出来てると思います。)を米山城の金剛寺側登城路入口で入手して下さい。簡易な地図ですが、それのみで必ず行けると思います。

お城には案内板が立っていますが、無ければ通り過ぎること間違いなし!凄く優しい眼で見ても何かを発見することは難しいように思えます。築城者は海野氏で、村上氏に備えたものと考えられてるみたいですが、絶対答えは出ないでしょう。

行かなくてもよいです。ただこんなお城がここにはあったという事実は伝えていきましょう。

2020年04月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
中の城[戸石城  周辺城郭]



中の城はたぶん里伝でのみで存在が伝えられてきたお城です。戸石城の支城、米山城の西方、集落を挟んで隣りの尾根のピークの一つにある感じです。誰も行かないと思うので、行き方は「米山城の里 金剛寺 歴史散策ガイドマップ」(よく出来てると思います。)を米山城の金剛寺側登城路入口で入手して下さい。簡易な地図ですが、それのみで必ず行けると思います。

お城には案内板が立っていますが、無ければ通り過ぎること間違いなし!凄く優しい眼で見ると堀切と土橋が付いてるように思えます。又、主郭部の北側には割と大きめな郭があったように見えます。築城者は海野氏で、村上氏に備えたものと考えられてるみたいですが、絶対答えは出ないでしょう。

行かなくてもよいです。ただこんなお城がここにはあったという事実は伝えていきましょう。

2020年04月30日 内記かずりヾ(・ε・。)
西山城[戸石城  周辺城郭]



西山城はたぶん里伝でのみで存在が伝えられてきたお城です。戸石城の支城、米山城の西方、集落を挟んで隣りの尾根のピークの一つにある感じです。誰も行かないと思うので、行き方は「米山城の里 金剛寺 歴史散策ガイドマップ」(よく出来てると思います。)を米山城の金剛寺側登城路入口で入手して下さい。簡易な地図ですが、それのみで必ず行けると思います。

お城には案内板が立っていますが、無ければ通り過ぎること間違いなし!凄く優しい眼で見ると腰郭が付いてるように思えます。築城者は海野氏で、村上氏に備えたものと考えられてるみたいですが、絶対答えは出ないでしょう。

行かなくてもよいです。ただこんなお城がここにはあったという事実は伝えていきましょう。

2020年04月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
根古屋城(高い城)[戸石城  周辺城郭]



根古屋城(高い城)は戸石城の北約2.8kmに位置し、城めぐ的には横尾城(尾引城)の西側対面の山塊にあります。最初は戸石城の支城として整備されました。上田方面から県道35号線を北上して行くと、深めのごますり鉢をひっくり返したような山が見えてきて、思わず誰かを持ち上げたり、おべっかを使って気に入られようと頑張りたくなりますが、それが城山なので見学しましょう。

お城はGoogleマップにも掲載されていますし、城山を見れば「あそこでしょ〜」とか必ず呟きますので普通に行けると思いますが、駐車場所は大人として自分で考えましょう。

このお城はある程度の有名人の持ち城でした。越後守護上杉氏、次いで上杉謙信に仕えた箕冠城主、大熊備前守朝秀です。彼は謙信の出家騒動の際に武田氏に内通し反旗を翻しましたが破れ、その後武田氏の直臣となりました。最初山県昌景の与力になったと伝わりますが真偽は不明です。謙信に対しては謀反を起こしましたが、武田勝頼には最後まで従い天目山で討死しています。子孫は真田氏に仕えて家名を残しました。ちなみに朝秀には剣豪上泉伊勢守信綱と一騎討ちして無傷であったという逸話も残されています。

お城は素晴らしいです。東側斜面は相当な数の段郭で守り、登城路はその間を縫って行く事になります。途中段郭の一箇所に工夫が見られますが、説明すんのが面倒なので現地で確認しましょう。又、登城路からは所々に石積みを見ることが出来ますが、往時のものと考えてよいと思います。主郭は北と西側に高い土塁が付き、主郭部には石積みも確認出来ます。主郭西側背後は二重堀切、その奥にも1条の堀切が確認出来ます。が、前者には橋が…後者には階段が設けられておりフォトジェニックにはなりません。面白いのは主郭北側背後、主郭から一段下がった所にある段郭で、主郭の土塁から滑り下りてくと、西側は切り立った断崖、東側に向けて三段の帯郭がはっきり確認出来ることです。お城の輪郭にめりはりが付いて大変楽しい遺構となってます。西側の断崖部分には石積みも確認出来ますが、そろそろ時間の問題でしょう。

比高は100mぐらいですし、奥も深くないので気持ちよく見学出来ます。結果的に裏切者にして忠臣となった朝秀ですが、彼の痕跡に触れてみたいという朝秀ファンの方は是非訪ねてみて下さい。

2020年04月21日 内記かずりヾ(・ε・。)
根古屋城(低い城・千古屋城)[戸石城  周辺城郭]



根古屋城(低い城)は戸石城の北約2.7kmに位置します。戸石城の支城として最初整備された根古屋城(高い城)の南側に沢を挟んで存し、このため別城一郭の城と考えてよいかと思います。高い城に対して居館(下の城的な…)の役割を担っていたとも考えられますが、住みたい場所では決して無いのでスルーしときましょう。ちなみに東側の林道をずっと進めば現在も戸石城に連絡しています。

お城は謎です。登城路入口の案内板には「千古屋城」と書かれていますが、そもそも何でこういうかは謎だし、それが正しいかどうかも解りません。まぁ元々まともな名前など無かったのでしょう。

遺構はプアーです。登城路も往時とは違っているように思えますし、城跡には蚕影神社、石碑、展望台なんかが建てられていて後世の改変も多いと思います。ただ東側斜面には2条の竪堀がはっきり確認出来、小郭、虎口、竪堀(堀底道?)を想起させるぽこぽこも見られることから、色んな希望も湧いてくるかもしれません。又、主郭部は岩場に立つ石碑のある場所周辺と考えられ、この南側は緩やかに登っていく自然地形(長野県町村誌にある陣馬の畝に通じる。)ですが、凄く優しい眼で見ると大きめな横堀と見ることも可能です。

いずれにせよ想像力がかなり必要なお城ですが、高い城とともに戸石城を南北から挟撃されることを防ぐために築城されたらしいので、戸石城ファンは是非訪ねてみて下さい。



2020年02月20日 織部正松太郎
花古屋城[戸石城  周辺城郭]

付近(太郎山裏参道)でツキノワグマ出没の情報がありました。暖冬の影響で冬眠から覚めた熊と遭遇する可能性があります。お気をつけください。


2020年02月20日 内記かずりヾ(・ε・。)
花古屋城[戸石城  周辺城郭]



花古屋城は戸石城の西方約2.8km、上田市民の山として親しまれている太郎山の表参道の途中にある尾根を利用して造られています。このお城も村上氏連珠砦のひとつで、この城砦群の中では最も安心(登山者が沢山通ります。)して見学出来るお城だと思います。

村上氏連珠砦は物見程度のものから城郭規模のものまで色々ありますが、このお城はその中でも最も大きな部類に入るものです。魅力的なものが多いこの城砦群ですが、はっきり言って苦労対効果の面から行くのを躊躇するものもあるのが事実(低登山になります。)でその選択に迷うところがありますが、このお城はトレッキングコースを15分位登れば到達するので、健脚で無くとも気軽に見に行く事が出来ます。行き方は、太郎山表山道登山口から登って七丁丁石の祠まで、そこに真新しい案内板が立っていますので迷うことは0%です。ちなみに八丁丁石まで登ると城域の最北端に出ます。

この登山道には縄張図に無いのですが、2条の竪堀様地形に並走しています。1条は送電線の鉄塔建設のための作業道ぽいですが、もうひとつは恐らく本物でしょう。麓付近の谷まで落ちる大きなもので誰がどう見ても竪堀です。

お城は素晴らしいです。主郭背後の堀切、そしてそこから西斜面を走る竪堀は途中で別の竪堀と集合して感動もの。主郭には高めの土塁があり、土塁の前には天水でも溜めたのか大きめな窪地があったりします。又、主郭の南側尾根は相当数の段郭で守り、所々堀切で遮断しています。主郭と段郭の一部には石積みが散見されます。

村上氏連珠砦は最近整備が進んでいるらしく(こんな所に説明板が!みたいな場所も…)、このお城も冬であることを差し引いても、10年位前の写真と見比べて隔世の感があります。この城砦群(和合城、ケムリの城は必見!)に興味を持ちましたら、手初めにまずこのお城を訪ねてみて下さいまし!

2019年05月05日 わる爺陸前守
義清街道登山口駐車場[戸石城  駐車場]



スポット名は正式なものではありませんが地域の呼び名から命名。狭い道の両側に砥石と米山の由緒書板がありました。

2016年12月02日 野呂利左衛門督休三
戸石城

城の西麓に金剛寺、東麓に伊勢山の各集落があります。

西の金剛寺集落は村上時代の城下で、城代屋敷とされる土塁跡や、事実は不明ですが村上義清と関係があるとする義清水と呼ばれる井戸、1332年に海野幸則開基の洞源寺などがあります。当時はここから北に向かい金剛寺峠を経て城に入ったとされています。金剛寺集落の西側には柏山城(未登録)があります。

東の伊勢山集落は真田時代の城下です。
海野幸実開基の陽泰寺があります。この地域は白壁の家が多いです。伊勢山集会所の裏は飯綱城と呼ばれる砦跡で、立ち入れませんが曲輪跡と思われる地形が外からも見ることができます。

金剛寺集落のリーフレットが金剛寺公民館や米山城の登り口の、伊勢山集落の小冊子が陽泰寺そばの案内地図の、それぞれのケースに入っています。

2016年6月28日訪問

2015年10月27日 カーネル
戸石城

上田駅からバスで真田バス停で下車、松尾古城の登山口のある日向畑遺跡へ向かい、松尾古城に登りました

松尾古城から下山後に真田本丸に寄ってからバスで上田駅に戻る予定が、真田本丸の場所がわからず、あげく帰りのバスにも間に合わないという失態

時間が有り余っているので行くつもりのなかった戸石城まで歩くことにしました

行きのバスで一緒だった人が、幸村の郷でレンタルサイクル借りて走り回ってた。うらやましかった
とは言え、戸石城は北西から登り、枡形・本城経由で本丸へ。さらに米山城を経由して南に下山という、縦走コースは自転車では出来ませんので、歩きもいいですよ

大通りを避けて歩いたせいもあり、自販機がなくて干からびそうでした。戸石城からバス通りに出てバス停にたどり着けたのは真田バス停をでて5時間後

歩き計画している方の時間目安になれば幸いです

2014年12月01日 ゼカキユ薩摩守第16駆逐隊
戸石城

砥石城のほど近くに、真田氏最初の拠点とされる洗馬城と言う素晴らしい山城があります。
そこで、天然記念物のニホンカモシカと遭遇しました。感動です!
ただ、スズメバチもいました(>_<)
地元の人の話によると、真田町の山には熊も出没するそうです。
ご注意を!

2012年08月20日 león☆鷹党
戸石城

伊勢山口から登り砥石城、米山城、本城、桝形城と登城。戦国有数の山城 だけあり、全て見るにはかなりの体力をもっていかれます。
ほぼ登山と考えて足下を固め、飲み物等は用意して行くのが無難です。
たまたま一緒に登った地元の方が言うには、米山城は小学生の遠足等にも使われており、今も地中から焼米が出るとのことでした。

第一次上田合戦の際、真田信幸(後の信之)が戸石城から出撃し、上田城を攻める徳川軍の腹背を衝いたと言う事ですが、実際登ってみると、坂は急 で道も狭く、上田城までは直線で4キロ程あります。
信幸勢は本当に戸石城から出撃したのか、疑問に感じました。

2012年08月13日 尻啖え孫市参議
戸石城

南方から砥石、本城、桝形と攻城。砥石までの登城で相当くたびれるも城跡の醍醐味は奥の本城、桝形にある。大手門、石塁跡など当時を偲ばせる遺構あり。頂で義清、信玄、幸村の郷愁を想う。

2010年11月03日 真田丸
戸石城

毎年11月3日(文化の日)には「砥石・米山城まつり」が開催されます。その時のみ会場周辺は車両通行止めになり、会場へはシャトルバスが運行されます。

2010年09月19日 まったり丹波守
戸石城

伊勢山側から登城。登山口付近は映画『サマーウォーズ』のモデルになったらしく看板が目立つ。
米山城、砥石城の分岐からは坂が急になる。砂利混じりなので滑らないように気をつけて下さい。ロープも張ってあるので軍手が有ると便利です。

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