戸石城(といしじょう)

戸石城の基本情報

通称・別名

砥石城、伊勢崎城、(米山城)

所在地

長野県上田市上田城山2505-ホ他

旧国名

信濃国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

真田氏?

築城年

不明

主な改修者

主な城主

村上氏、真田氏

廃城年

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

県史跡(戸石城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

真田氏館(長野県上田市)[2.4km]
横尾城(長野県上田市)[2.8km]
真田本城(長野県上田市)[3.4km]
上田城(長野県上田市)[4.8km]
松尾古城(長野県上田市)[6.1km]

戸石城の解説文

戸石城(といしじょう、砥石城)は、信濃国小県郡(現在の長野県上田市上野)にあった城郭。形式は山城。別名に砥石城。長野県指定史跡。

地勢
東太郎山の尾根上に築かれ、南の上田平や北東の真田郷を一望できる位置にあり、南東には北佐久を望むことも出来る。西側には神川が南西へ流れ、千曲川と合流。上州街道を真田郷を経て鳥居峠を越えると上野国吾妻郡に至る。南西部には上田原が広がり、千曲川沿いに下ると埴科郡を経て善光寺方面へ至り、逆に上流へと遡ると佐久郡を経て上野国や甲斐国に至る。また上田原を更に西に進み和田峠を超えると筑摩郡へと至る。本城を中心に、北の枡形城、南西の米山城(小宮山城)、南の砥石城などを含めた複合城郭。

歴史
築城年代は不明だが、隣接する真田郷に興った真田氏の外城として築城されたのが最初とされている(当時の状況は不明)。天文10年(1541)に真田氏が追われたのち、村上義清が小県郡・佐久郡方面の拠点として大改築した(戸石城は、元々南側の出城の名前であったものが、いつしか城全体の呼称になったとも言われている)。

戸石城の位置は村上氏の本拠地埴科郡と上田平との境目にあたり、小県の村上領(塩田荘など)と本領を結ぶ結節点となる最重要拠点と位置づけられ、額岩寺光氏や山田国政ら有力な諸将が配された。その後、佐久郡から進出を狙う甲斐の武田晴信(信玄)との間で激しい攻防が繰り広げられ、特に天文19年(1549年)の武田軍の一方的とも言える敗退は「戸石崩れ(砥石崩れ)」と呼ばれる。この時の状況については「妙法寺記」に、「この年の9月1日に信州砥石の要害を御除け候とて、横田備中守をはじめとして、随分衆千人計り討死なられ候。されども御大将は、よく引きたまわり候」と記されている。この敗戦により力攻めを諦めた武田氏は、家臣真田幸隆に攻略を命じ、『高白斎記』によれば調略によって城内に内通者を出し、天文20年(1551年)5月に陥落させる。

同城は真田氏に与えられ、村上氏は本拠地である埴科郡が武田勢の直接的な脅威にさらされることになり、以後は退勢を挽回できずに配下の諸豪族の離反を招き、滅亡に至ることになる。村上氏滅亡後は、主戦場が北部の川中島方面に移ったこともあり、歴史に登場するのは上田合戦において支城として利用された時ぐらいとなる。

近年の発掘ではめぼしい遺構が発見されず、天正11年(1583年)に尼ヶ淵に上田城が築かれるまでの真田氏の本城は真田本城だったと考えられている。

戸石城の口コミ情報

野呂利駿河守休三7/29様[2016年12月02日]
城の西麓に金剛寺、東麓に伊勢山の各集落があります。

西の金剛寺集落は村上時代の城下で、城代屋敷とされる土塁跡や、事実は不明ですが村上義清と関係があるとする義清水と呼ばれる井戸、1332年に海野幸則開基の洞源寺などがあります。当時はここから北に向かい金剛寺峠を経て城に入ったとされています。金剛寺集落の西側には柏山城(未登録)があります。

東の伊勢山集落は真田時代の城下です。
海野幸実開基の陽泰寺があります。この地域は白壁の家が多いです。伊勢山集会所の裏は飯綱城と呼ばれる砦跡で、立ち入れませんが曲輪跡と思われる地形が外からも見ることができます。

金剛寺集落のリーフレットが金剛寺公民館や米山城の登り口の、伊勢山集落の小冊子が陽泰寺そばの案内地図の、それぞれのケースに入っています。

2016年6月28日訪問

カーネル様[2015年10月27日]
上田駅からバスで真田バス停で下車、松尾古城の登山口のある日向畑遺跡へ向かい、松尾古城に登りました

松尾古城から下山後に真田本丸に寄ってからバスで上田駅に戻る予定が、真田本丸の場所がわからず、あげく帰りのバスにも間に合わないという失態

時間が有り余っているので行くつもりのなかった戸石城まで歩くことにしました

行きのバスで一緒だった人が、幸村の郷でレンタルサイクル借りて走り回ってた。うらやましかった
とは言え、戸石城は北西から登り、枡形・本城経由で本丸へ。さらに米山城を経由して南に下山という、縦走コースは自転車では出来ませんので、歩きもいいですよ

大通りを避けて歩いたせいもあり、自販機がなくて干からびそうでした。戸石城からバス通りに出てバス停にたどり着けたのは真田バス停をでて5時間後

歩き計画している方の時間目安になれば幸いです

雪風上野介@第16駆逐隊様[2014年12月01日]
砥石城のほど近くに、真田氏最初の拠点とされる洗馬城と言う素晴らしい山城があります。
そこで、天然記念物のニホンカモシカと遭遇しました。感動です!
ただ、スズメバチもいました(>_<)
地元の人の話によると、真田町の山には熊も出没するそうです。
ご注意を!

león飛騨守氏郷様[2012年08月20日]
伊勢山口から登り砥石城、米山城、本城、桝形城と登城。戦国有数の山城 だけあり、全て見るにはかなりの体力をもっていかれます。
ほぼ登山と考えて足下を固め、飲み物等は用意して行くのが無難です。
たまたま一緒に登った地元の方が言うには、米山城は小学生の遠足等にも使われており、今も地中から焼米が出るとのことでした。

第一次上田合戦の際、真田信幸(後の信之)が戸石城から出撃し、上田城を攻める徳川軍の腹背を衝いたと言う事ですが、実際登ってみると、坂は急 で道も狭く、上田城までは直線で4キロ程あります。
信幸勢は本当に戸石城から出撃したのか、疑問に感じました。

尻啖え孫市下総守様[2012年08月13日]
南方から砥石、本城、桝形と攻城。砥石までの登城で相当くたびれるも城跡の醍醐味は奥の本城、桝形にある。大手門、石塁跡など当時を偲ばせる遺構あり。頂で義清、信玄、幸村の郷愁を想う。

真田丸様[2010年11月03日]
毎年11月3日(文化の日)には「砥石・米山城まつり」が開催されます。その時のみ会場周辺は車両通行止めになり、会場へはシャトルバスが運行されます。

まったり丹波守屋様[2010年09月19日]
伊勢山側から登城。登山口付近は映画『サマーウォーズ』のモデルになったらしく看板が目立つ。
米山城、砥石城の分岐からは坂が急になる。砂利混じりなので滑らないように気をつけて下さい。ロープも張ってあるので軍手が有ると便利です。

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