岩櫃城(いわびつじょう)

岩櫃城の基本情報

通称・別名

所在地

群馬県吾妻郡東吾妻町原町在下

旧国名

上野国

分類・構造

山城

天守構造

不明

築城主

斉藤氏

築城年

15世紀

主な改修者

主な城主

斉藤氏、真田氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、竪堀

指定文化財

町史跡

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

横尾八幡城(群馬県吾妻郡)[8.0km]
尻高城(群馬県吾妻郡)[12.1km]
羽根尾城(群馬県吾妻郡)[17.7km]
渋川城(群馬県渋川市)[18.9km]
白井城(群馬県渋川市)[19.2km]

岩櫃城の解説文

岩櫃城(いわびつじょう)は、現在の群馬県吾妻郡東吾妻町にあった日本の城(山城)。岩櫃山の東側に位置した。

概要
岩櫃山の北東に伸びる尾根に位置し、吾妻川の西岸にあたる。また、西は岩櫃山、南は吾妻川へ下る急斜面、北は岩山で天然の要害となっている。尾根の西から本丸・二ノ丸・中城などが続き、北東に出丸の「天狗丸」がある。その更に北東には支城・柳沢城(観音山城)が位置している。 北方の盆地には、東の吾妻街道から渓谷沿いの隘路でのみ繋がる平沢地区があり、岩櫃城は天狗丸・柳沢城とともにこの盆地を守る位置関係を構成している。平沢地区には根小屋があったとみられている。

築城年および築城主は不詳。この地を鎌倉時代に治めた吾妻太郎助亮によって築城されたと伝わるが、伝説の域を出ない。後に助亮系の吾妻氏(前期吾妻氏)は姿を消し、下川辺氏末裔とされる吾妻氏(後期吾妻氏)がこの地を支配したが、南北朝時代に南朝方の攻撃で当主行盛が戦死、その子・千王丸は秋間斎藤氏の斎藤梢基に庇護され、山内上杉氏の偏諱を受け斎藤憲行と名乗った。この憲行に始まる秋間斎藤氏6代の時代に、岩櫃城は築かれたとみられる(『群馬新百科事典』)。 また『加沢記』では、応永12年(1405年)に越前国大野郡にあった斎藤基国の子・斎藤憲行がこの地に入部して築城したとされる。

岩櫃城主となった斎藤氏時代の詳細は、斎藤氏系譜と同様に複数伝わっておりはっきりしない。地元の旧記では吾妻行盛-斎藤憲行-行禅-行弘-行基-行連-憲広(基国)と系譜を伝え、行禅のときに重臣秋間氏の反対を押し切って柳沢城を家臣で娘婿の柳沢安吉に与えたが、行弘のときに柳沢安吉は反乱を起こし鎮圧されたという(『原町誌』)。一方『加沢記』では、憲行の長男・憲実が岩櫃を継ぎ、他の兄弟は分家したのだが、五男・憲基の子孫たる大野氏の勢力が拡大、家臣の秋間氏を滅ぼして宗家・憲実を支配下に置いたという。その後、大野氏は大野憲直のときに、四男・山田基政の嫡孫で岩下城主・斎藤憲次の反乱によって滅び、岩櫃城は憲次が支配し、その子・憲広に受け継がれたという(『吾妻郡城塁史』)。

斎藤憲広は上杉氏に属して勢力を拡大したが、郡内の豪族羽尾氏と鎌原氏(三原庄)の領地争いに介入(羽尾氏に味方)したことで、両氏の仲介に入っていた信濃国小県郡の真田氏、および真田家の主家である甲斐の武田氏による介入を招くことになる(羽尾氏・鎌原氏・真田氏は共に海野氏系で近い関係にある)。永禄3年(1561年)に鎌原幸重が武田家の信濃先方衆である真田幸隆を介して武田家に臣従して、武田氏の後ろ盾を得る。それに対して、永禄五年(1562年)に斎藤憲広は羽尾幸世など羽尾氏と共に鎌原城を攻略し、鎌原氏を信濃に追い払う事に成功する。しかし、程なく鎌原城を奪回されるなど真田勢の攻勢を受け、永禄6年(1563年)には家臣の内応もあって落城、憲行は越後に逃走した。斎藤氏は憲行の末子・城虎丸が近隣の嶽山城に篭っていたが、永禄8年(1565年)に落城、斎藤氏の勢力は駆逐された。

斎藤氏滅亡によって武田氏の領国支配下に入り、武田家郡代として真田氏が岩櫃城主となり、吾妻郡支配の中心的役割を担うようになっていった。 そして沼田城が真田氏に攻略されると、その支城として扱われた。武田勝頼が織田信長によって新府城を追われた(甲州征伐)ときに真田昌幸は勝頼に逃れてくるよう奨めたが叶わず武田氏は滅亡する。その後も真田氏は生き延び豊臣秀吉に属し大名として存続した。江戸時代、徳川氏の時代になると、真田氏もその傘下となる。徳川幕府の一国一城令により、慶長19年(1614年)に廃棄された。

築城時期の研究
斎藤氏が築城というが、斎藤氏の根拠地としたのは岩櫃城西方3kmにある岩下城だとされる。「関東幕注文」のなかに斎藤氏が岩下衆として記載されており、衆の名は旗頭の武士の居城名を取ることから、当時の斎藤氏の居城は岩下城とみるのである(『中之条町歴史民俗資料館常設展示解説図録』)。「岩櫃城」の語は、「加沢記」以外では永禄7年以前に見えず、武田氏が嶽山城との軍事的緊張の中で岩櫃城を取り立て拡張したとみられる(齋藤慎一「上野国岩櫃城の空間構成と変遷」『中世東国の領域と城館』、齋藤慎一、吉川弘文館、2002年)。

岩櫃城は真田氏による築城だとする説もある。ただし「岩下城」が岩櫃城のことを指したのではという見解もある(関東地方の中世城館)。

現状
現在城址に隣接する場所に東吾妻町営の岩櫃城温泉がある。その施設は天守をモチーフにしたコンクリート造りの建物であるが、実際の岩櫃城とは全く関係ない。
...

岩櫃城の口コミ情報

石見守きこりん様[2017年11月11日]
山馬鹿向け周遊コース!
まず、岩櫃城とは反対側になる古谷口から、密岩通り登山道を登って、鎖場や梯子が連続するスリリングな岩場を楽しみながら山頂へ(脚が高く上がらない人は登れません)。360度の絶景を味わった後、沢通りを降って案内所のある平沢口へ。ここから柳沢城(観音山)はそう遠くないので足を延ばします。修験道の岩場を巡りながらプチケイビングと滝見物とダイナミックな土の城を堪能できます(金堀穴という坑道跡は必見!ライト必須)。
大返しして、岩櫃神社と出浦渕に立ち寄ってから尾根通りで登り返し、岩櫃城核心部を散策します。本丸からそのまま登って、分岐を赤岩通りへ行きます(もう一度山頂に登るも良し!)。そして十二様通りを行き郷原城に立ち寄った後、潜龍院跡へ下り、古谷口へ戻ります。
のんびり歩けばこれでほとんど丸一日かかると思います。紅葉シーズンの山頂周辺などは岩場で渋滞が発生して、相当時間がかかることが考えられます。
山歩きスキルのある物好きにはオススメのコースです!

[⊕] 武蔵守 影丸様[2017年08月23日]
群馬原町近くのお城のような温泉センターは今年の3月で閉鎖されたそうです。徒歩でお城巡った後に汗を流せる手頃な場所だったんですが、残念です…。

すずママ右馬頭要害情報屋様[2017年08月10日]
【東吾妻町観光協会Facebookより転載】
◇【重要】岩櫃へ車でお越しの方へ◇
平沢方面(岩櫃城跡)へお車でお越しの方は、昨日の災害の影響により通行止めになっている区間がありますので、軽自動車以外はう回路を通ってお越しくださいますよう宜しくお願いいたします。
う回路は図面の通りとなっております。
ご不便おかけしますが、宜しくお願いいたします。
(図面などはFacebookでご確認ください)

牢屋見廻り同心マダオ様[2017年05月10日]
岩櫃城関連史跡及び周辺史跡

善導寺:東吾妻町原町1084
岩櫃城主斉藤氏家臣開基。吾妻太郎一族供養塔、沼田藩真田氏関連の梵鐘があります。武田軍による岩櫃城攻めの際、落城の起因を作った場所でもあります。

顕徳寺:東吾妻町原町432
出浦対馬守が潜龍院より建物を移築し、開基したといわれています。

川戸神社:東吾妻町川戸1072
吾妻太郎行盛の首を祀っています。創建時は首宮大明神。

長福寺:東吾妻町岩井1453
岩櫃城主吾妻氏の菩提寺で吾妻太郎行盛開基。吾妻太郎行盛の墓(五輪塔)があります。

池の薬師水牢跡:東吾妻町新巻1083
沼田藩真田氏が年貢取り立てに使った水牢です。真田氏による苛政により年貢を納められぬ家の妻子を縛り、寒中水の中に立たせたといわれています。

郷原遺跡:東吾妻町郷原
昭和16年に有名なハート形土偶出土地です。郷原駅前に説明板あり。

林昌寺:中之条町伊勢町1002
真田幸隆の弟、矢沢頼綱によって再興された寺です。本堂には矢沢頼綱の位牌があります。また小渕恵三元首相の墓もあります。

京急右近衛中将ドレミファ♪様[2016年10月02日]
車だと関越道・渋川伊香保から40分ほどでしょうか。
50台ほど停まれる大駐車場完備で、案内所にはウォシュレット付のお手洗いもあり、飲料の自販機もあります。

雨の後で登城路は険しく、足腰が確かでないと本丸まで行くのは危ないと思われました。
特にシルバーの方は、無理をされないように願います!

断崖絶壁の「ザ・岩櫃城」的な写真は、JR吾妻線・郷原駅方面に行かないと撮れません。
でも、鉄道で行くなら最寄は群馬原町駅だと思われるので、注意が必要です。

腹ごしらえは、その群馬原町駅前のJA直営の焼肉店がおすすめです。
上州牛の焼肉をリーズナブルに食べられます(*^^*)

ハチミツ式部卿様[2016年09月27日]
3回目の登城でしたが、真田丸効果を感じました。駐車場も、かつては数台しか止められなかったのですが、50台くらい止められるようになっていて、かつての駐車場には、案内所ができていて、ボランティアガイドさんがいらっしゃいました。今年(2016年)4月に出来たそうで、資料もたくさんありました。
平沢登山口から、本丸跡までは、20分くらいで登ることができます。本丸跡じたいは、大河ドラマ前と変わってはいませんでしたが、真田丸の旗は目立ちました。
武田勝頼が、岩櫃城に来ていたら、歴史も変わっていたかもしれないと、想像しながら、往時を偲びました。
余談ですが、近くにお城のような建物の日帰り温泉があります。登城した後、温泉でゆっくりするのも良いかもしれませんね。

ドラガン尾張守店長様[2016年09月09日]
JR郷原駅から、まず岩櫃山に登頂。
途中で、勝頼が来るはずだった潜龍院跡を通り、しばらく急登できつい。
尾根に出ても、岩場や鎖場の連続でしたので、軽い感じではお奨めできません。
登山が趣味の私もかなりの恐怖感でした。
下山途中に岩櫃城跡に寄るが、ここまでが一番景色も道も良い。
帰りは真田道で、郷原駅へ。
途中、出浦さん屋敷跡がある出浦渕がありました。
所要2時間半でした。

永久楽尾張守マクシミリアン様[2016年05月15日]
ナビに従って町営の無料駐車場に。国道からの道が分かりにくい。近くにトイレ付きの休憩所がある。新設したばかり。パンフレットも数種類。案内の人も大勢待機。本丸跡までは片道20〜30分。途中はかなりの急坂があるが、そこ以外は犬連れでも楽に登れました。急坂は雨上がりだと厳しいでしょうね。本丸跡より先は分かりません。

【左三巴】昌幸弾正大弼野面積様[2016年04月21日]
真田丸の影響ってすごいですね。
登城口前の駐車場は観光案内所ができていて、トイレも綺麗になっていました。
木も伐採されていて堀や曲輪がはっきりと分かるようになってました。
中城・二ノ丸前の堀って結構深かったんですね。そして縦と横の堀が複雑に入り組んでいる。
真田丸の第一次上田合戦の演出も大袈裟でないなと感じました。
本丸下の竪堀も伐採され南虎口まで歩いてみました。深い…
本丸から水曲輪辺りもかなり見通しが良くなっています。岩や木材を落とされたらひとたまりもありませんね。

真田丸であまり話に出てこない岩櫃ですから、隠れた真田スポットといった感じでしょうか。
ゆっくり登城できますよ。
久しい方も再訪問することをおすすめします。

らびりん主膳正様[2016年02月11日]
尾根続きに岩櫃城の支城と言われている山田城址(中之条町)もあります。残念ながらこのアプリにはありませんが…。

まー宮内卿様[2016年01月01日]
この時期は道路や駐車場が凍結してるし竪堀を上がるにも滑ってしまいます。登城口のところにストックが置いてある休憩所があります。休憩所と駐車場はすぐそばにあります。
車以外の方はJR吾妻線の群馬原町駅か郷原駅から向かうと良いです。この駐車場は群馬原町駅方面です。

【残貫無】野呂利駿河守休三様[2015年06月24日]
本丸周辺は比較的手入れがされており、登城した時も篠竹が刈り取られていました。
本丸から尾根通りを通って潜龍院跡に行こうとしましたが、途中岩場があり、迂回しようとすると沢通りまで降りた上でまた登らねばならず断念しました。岩場を攻めるなら軍手の用意を、そうでなければ沢通りから進むべきでしょう。

登山口に戻るのも嫌だったので殿屋敷(パンフレット地図では殿邸。現状は果樹畑)から行こうとしましたが、途中、背の丈ほどの篠竹が群生しており、道は片側が落ちているところもあったので怖かったです。
登山口まで戻ってから裾を走る遊歩道から行くのが無難だと思います。

【残貫無】野呂利駿河守休三様[2015年06月24日]
2015.04.10登城
群馬原町駅前の東吾妻町観光協会と群馬原町側の登山口の休憩所に城のパンフレットなどが置いてあります。
吾妻郡の観光協会で合同して真田道のリーフレットを作ったことがありますが、現在品切れ。
群馬原町側の登山口と郷原駅、その近くの古谷公民館に駐車場。いずれも台数は多くないです。城最寄りは群馬原町側の登山口のになります。
食事は群馬原町駅側にしかないようです。

登山口周辺に山を囲む横堀がありました。北は登山路を兼ねて健在ですが、東側は生活道路の拡張で埋没し、痕跡をとどめるのみです。

⛫武蔵の謙様[2014年04月12日]
岩櫃城の見所は本丸直下の竪堀や本丸南側の腰曲輪、さらにその下に掘られた空堀(外側に土塁を伴った堀底道)、枡形小口等が挙げられますが、
本丸北側の断崖切岸がとてつもなく凄いです。

水曲輪から見上げる切岸は威圧感を感じます…

奥州王毘沙門天山城守乱丸様[2013年07月22日]
最寄り駅の群馬原町駅より登山口まで徒歩40分、各曲輪を横目に二の丸手前までさらに20分弱の所で断念(゚o゚;
普段スタイルではなくあまりの軽装と暑さ(木陰は涼しい)と虻の襲撃により撤退( ・_・;)

駐車場は登山口付近2ヶ所あり多数駐車可能。
登山口に休憩所あり、縄張り図や資料など置いてあります。
登山口そばに天狗の丸、二の丸手前まで曲輪、平場、堀切確認できるが雑草が茂り、新緑の季節がお勧め。
虫のでない新緑の季節か落ち葉の季節にリベンジしたい!

傾奇揚げ仙兵衛様[2011年06月11日]
城跡から少し離れた所に岩櫃城温泉がある。まるでお城の建物でR145号からよく目立つ

まったり丹波守様[2010年09月19日]
虫除けも効かない虫がいっぱいです。
虫の居ない時期がベストかも。

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