雁ヶ沢城(道陸神峠の要害)

雁ヶ沢城(道陸神峠の要害)([岩櫃城  周辺城郭])

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雁ヶ沢城(道陸神峠の要害)の口コミ情報

2026年03月27日 昌幸近江守更に吉


猿飛佐助のモデルとなった横谷左近(横谷幸重)を輩出した横谷氏の本拠の雁ヶ沢城。
東は雁ヶ沢、西は吾妻峡、南は吾妻川で遮断され、進入方向は北のみという地に築かれました。

縄張は要害部と居館部があります。
要害部は麓と山頂に郭を設け、尾根を堀切で断っています。規模は狼煙を上げる城、峠道を監視する城という感じです。
居館部は要害部の南にあり、数段の郭があったとされます。

横谷氏は滋野一族の望月氏の流れを組み、鎌倉時代から居住し、代々雁ヶ沢一帯を治めていました。乱世になると小豪族の性から生き残りを賭け鎌原氏、斎藤氏と主を変え、元亀以降は武田氏に仕え、吾妻地域を任されていた真田氏配下となりました。
時の当主、横谷左近(幸重)は真田氏の側近となりました。左近は出浦盛清と双璧を成す真田の忍びの者で、大いに武勇を奮います。
天正壬午の乱による北条氏の上野侵攻を撃退し、小田原征伐では北国街道軍の松井田城攻略に参加しています。北条氏滅亡後は信幸配下となり、引き続き雁ヶ沢を治め武士待遇に昇格しました。
関ヶ原の合戦前、真田氏は昌幸・信繁が西軍、信幸が東軍に分かれましたが、横谷氏もまた兄幸重(左近)が信幸に、弟庄八郎重氏が昌幸・信繁にそれぞれ従い一族で争う道を選びます。
後の大阪の陣で信繁に付き従った庄八郎重氏は討死してしまいました。
幕府により沼田藩が取り潰された時、幸重(左近)の子孫は一時浪人となりましたが、大笹関所番に就き代々その職を全うし明治を迎えます。

お城自体は正直見所が多いとは言えません。
でも真田十勇士ファンの方は、「ここに猿飛佐助のモデルがいたんだ」と思いを馳せながら訪れてみるのもいいかも(笑)

車はGoogleマップ上の渓谷パーキングに駐車でき、10分もあれば到着します。居館へは民家の間を縫っていきますのでご迷惑にならないように、要害へは岩肌を登るので足元のしっかりした靴でお願いします。

【写真の説明】
①居館。右の山が要害。吾妻線(旧線)越しに。
②諏訪神社が建つ下曲輪
③登城路
④登り切ると主郭。まず一つ目のお社
⑤一段高くなった所に二つ目のお社
⑥二つ目のお社の背後
⑦尾根伝いが当時の通行路。下った所に二重堀切を設ける。
⑧堀切の一条は竪堀となるのを確認できた

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