名胡桃城(なぐるみじょう)

名胡桃城の基本情報

通称・別名

所在地

群馬県利根郡みなかみ町下津3437

旧国名

上野国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

不明

築城主

沼田氏

築城年

明応元年(1492)

主な改修者

主な城主

鈴木氏(真田氏家臣)

廃城年

天正18年(1590)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

県史跡(名胡桃城址)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

小川城(群馬県利根郡)[2.7km]
沼田城(群馬県沼田市)[4.9km]
尻高城(群馬県吾妻郡)[8.8km]
長井坂城(群馬県渋川市)[11.5km]
横尾八幡城(群馬県吾妻郡)[12.9km]

名胡桃城の解説文

名胡桃城(なぐるみじょう)は、現在の群馬県利根郡みなかみ町下津にあった日本の城。1949年(昭和24年)に「名胡桃城址」として群馬県指定史跡。利根川上流の右岸断崖部に位置し、川を挟んで北東に位置する明徳寺城と対峙する。

歴史的には、真田昌幸の沼田城の支城として、また1590年の小田原征伐の誘因となったことで著名である。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(115番)に選定された。

歴史・沿革
築城時期は、伝承によれば室町時代の明応元年(1492年)に沼田城の支城として沼田氏によって名胡桃館が築かれたのが最初とされている。史料上では、上杉景勝との甲越同盟により東上野の割譲を受けた武田勝頼が、天正7年(1579年)に家臣の真田昌幸に命じて、敵対関係となった後北条氏から沼田領を奪取するための前線基地として築いた城である。昌幸は小川可遊斉と共に名胡桃館を攻略して隣接地に築城、ここを足がかりとして昌幸は沼田城攻略を企図し、調略の結果、沼田城を手に入れることに成功した。

1582年の武田氏の滅亡後、天正壬午の乱を経て独立した真田氏と後北条氏が沼田・吾妻領をめぐって争った。名胡桃城は沼田城の有力な支城として、沼田領に攻め入ってきた北条の軍を退けた。

天正15年に豊臣秀吉は大名間の私闘を禁ずる惣無事令を発令した。徳川氏、北条氏、真田氏は共に秀吉の権威に伏した。沼田領については天正17年に裁定が行われ、昌幸が「祖先墳墓の地」であると主張した名胡桃城を含めた全体の三分の一は真田領に、それ以外の沼田城を中心とする三分の二は北条領と定められた。同年7月に津田盛月と富田一白が沼田に派遣され榊原康政の指導のもとで沼田城は北条氏に引き渡された。名胡桃が真田氏の発祥の地であるとの昌幸の主張については、真田幸貫の命によって河原綱徳が編纂した真田家御事蹟稿などで否定されている。真田氏は手放した土地の代替地として信濃国箕輪を与えられた。

同年11月3日に、沼田城代の北条氏家臣猪俣邦憲が、真田氏の名胡桃城代鈴木重則家臣である中山九郎兵衛を寝返らせ、偽の書状で重則を上田城に呼び寄せた隙に名胡桃城を占領した。重則は岩櫃城において計略に気付き、急いで城に戻ろうとしたが間に合わず、恥じて正覚寺において切腹した。

昌幸は直ちに寄親である家康を通して秀吉に訴えでた。秀吉は11月21日付けで真田昌幸に書状を送り、「今後北条氏が出仕したとしても、城を乗っ取った者を成敗するまでは北条氏を赦免しない」旨を記している。24日には北条氏との手切れ書を北条氏や諸大名に配布した。北条家当主氏直は豊臣側の詰問に対し、同年12月7日付け書状で「名胡桃城は真田氏から引き渡されて北条側となっている城なので、そもそも奪う必要もなく、全く知らないことである」旨を釈明している。

翌年3月に秀吉は軍勢を出立させた。小田原征伐の結果、後北条氏が滅亡すると全沼田領は真田氏が安堵し名胡桃城は廃城となった。実際に使用されたのは約10年間であった。

考古資料
遺構...

名胡桃城の口コミ情報

安田大宰少弐秀俊様[2017年06月08日]
2016 11月に周辺でクマの目撃があったそうで、名胡桃城 主郭にクマ避けの鐘(ハンドベル)が設置されてます。

ハチミツ式部卿様[2017年05月12日]
かなり広い駐車場があり、案内所もあります。
ガイドさんもいらっしゃいます。

説明書きがたくさんありましたので、
詳しいことは省略しますが、
沼田城の支城として築いたのが始まりと言われており、ここも真田関係の城跡です。

「名胡桃事件」が有名で、秀吉の天下統一のきっかけとなったお城です。
眺めも良く、当時をいろいろ想像しながら、廻るのが、楽しかったです。

真田大学頭信吉⑫⑨皆川城様[2017年04月18日]
沼田城は駐車に一苦労する程の賑わいだが、こちらはフォトギャラリー投稿時点で他に一人しかいなかった。
続100名城登録、真田丸の翌年の割には穴場と化している。
今週末までは花見も大丈夫でしょう。
遺構を楽しみ桜を愛でるには、今がオススメです。

永眠武蔵守釋 葱進様[2016年02月16日]
公園として整備された城址の隣に名胡桃城跡案内所があり、そこで縄張図などの資料を頂けるほか名胡桃城についての概要ビデオを見ることができます(約7分)
午前9時~午後4時、木曜日はお休み

野呂利駿河守休三様[2016年01月02日]
改修前は行ったことがないので投稿写真との比較となります。

本郭とささ郭は間の堀切以外は変わりないと思います。同堀切に階段と通路が設けられましたが、工業製品そのままのデザイン がバンと置かれている残念な仕様です。より安全に行き来できるようになったのは良いのですが、もう少しどうにかならなかったのかな…。

二郭と三郭は大幅に変わりました。各曲輪の土橋の上に木橋がかけられました。建物の平面復元がされています。二郭は土塁が「復元」され、本郭側のは東側、三郭側のは西側に通路状の黒塗り金属柵が設置され、上がれます。虎口を見下ろせるので防御側の視点は実感できると思います。

堀、土塁の法面は芝ではなくコグマザサが植えられました。小さいので土塁の表面に違和感が。尤も成育してからの光景も好みが分かれると思います。

県史跡なので最低限の復元しかできないのでしょう。第Ⅲ期の遺構に天正後半にあたる第Ⅱ期を復元する形です。そのため二つの馬出も平面復元に留まっています。

公園としての整備に微妙に疑問符がつきますが、総じては見やすく体感しやすくなっていると思います。

160101訪 

まー宮内卿様[2015年12月30日]
12/29から一般公開されています。1/3まで隣接する城址案内所はお休みです。工事は一応終わっています。駐車場の般若郭のところに土留め工事の資材やらがありますが10台は駐車可。土塁復元されてますが本来の高さの半分でまた三日月堀の跡をコンクリートで現したり建物を平面的に現したり土塁上に見晴らし台を設けるも国指定でないため忠実に再現されてません。本郭やささ郭は安全上の柵や階段が出来てます。行った時の残念感がハンパないです。

三沢出羽守伊兵衛様[2015年08月08日]
7月から12月まで工事で、馬出から立ち入り禁止。駐車場になっている般若郭などから遠巻きに見るだけ。大河に向けての工事?(笑)

刑部大輔黒うさ1223横浜様[2014年01月12日]
国道17号沿いにあります。看板もあるので見付けやすいです♪
駐車場も完備(舗装されてないので雨や雪の日は要注意)されています。
駐車場が般若曲輪になるそうです♪
資料館みたいなのもありますが、木曜日は定休日みたいです。
整備されているのでかなり見やすいですが、本丸跡から先は急斜面になっています。本丸と二の丸を繋ぐ道は狭いので気を付けて下さい♪

傾奇揚げ仙兵衛様[2012年01月19日]
みなかみ町歴史ガイドの会があり4月〜10月頃まで観光ガイドしているそうです。
みなかみ町観光協会内
Tel:0278-62-0401

グレイナル上総介バルボロス様[2011年07月28日]
よく整備されていて、遺構が見やすいです。
三の丸→二の丸→本丸→ささ郭までは、道が整備されていて、とても歩きやすいです。その先に物見曲輪が見えたので、行ってみたのですが、山を登下するくらい、急で大変でした。
資料館と食堂が近くにあるのでオススメ

傾奇揚げ仙兵衛様[2010年12月03日]
前は名胡桃城の脇に国道17号はなく猿ヶ京を降りてきた水上温泉へ曲がり沼田市街を通っていました。その頃の名胡桃城の方が山城らしくて良かった。

真田丸様[2010年08月28日]
クルマなら月夜野ICからすぐ(6分)です。
山城かと思いきや、国道17号線沿いに城址があり、駐車場もあるのでリアル攻略しやすいです。
本丸奥の袖曲輪(ささ郭)からの眼下に広がる眺めも必見!
(電車の場合は、上越新幹線上毛高原駅または上越線後閑駅からタクシーで7分)

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