沼田城(ぬまたじょう)

沼田城の基本情報

通称・別名

蔵内城、倉内城

所在地

群馬県沼田市西倉内町594(沼田公園)

旧国名

上野国

分類・構造

丘城

天守構造

型式不明[5重/1600年築/破却]

築城主

沼田顕泰

築城年

天文元年(1532)

主な改修者

真田信幸

主な城主

沼田氏、本庄氏、猪俣氏、真田氏

廃城年

天和2年(1682)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、移築門

指定文化財

県重要文化財(城鐘)、市史跡(沼田城跡)

再建造物

鐘櫓、石碑、説明板

周辺の城

名胡桃城(群馬県利根郡)[4.9km]
小川城(群馬県利根郡)[7.2km]
長井坂城(群馬県渋川市)[7.4km]
尻高城(群馬県吾妻郡)[12.1km]
横尾八幡城(群馬県吾妻郡)[15.7km]
白井城(群馬県渋川市)[15.8km]
渋川城(群馬県渋川市)[17.1km]
剣城(群馬県渋川市)[21.3km]
岩櫃城(群馬県吾妻郡)[23.2km]
神梅城(群馬県桐生市)[26.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)116 沼田城

設置場所

沼田市観光案内所[地図

沼田城の解説文



沼田城(ぬまたじょう)は、群馬県沼田市(上野国利根郡)にあった日本の城(丘城)。1976年(昭和51年)3月30日、沼田市指定史跡[1]。幾つかの守護城に囲まれた堅城である。沼田氏の居城として建築され、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて真田氏の沼田領支配の拠点として機能した。沼田藩の藩庁。はじめは倉内城と称した。2017年(平成29年)には、続日本100名城(116番)に選定された。

概要 

群馬県沼田市倉内にあり、利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に位置する丘城。二つの川側は約70mほどの崖となっており、典型的な崖城でもある。

沼田は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として上杉氏・後北条氏・武田氏といった諸勢力の争奪戦の的となった。本能寺の変後は真田信幸の支配城として、後北条氏と争った。

江戸時代に城主は真田家5代、天領、本多家3代、黒田氏(譜代大名)2代を経て、土岐氏12代目に明治維新を迎えている。真田氏時代には5層の天守や3層の櫓が建てられたが、時代とともに縮小し、本多氏時代には三の丸を改修して館を建てる程度の規模になった。

明治維新後、1916年に旧沼田藩士の家の久米民之助によって城地が購入され整備された。1926年には沼田町(沼田市)に寄付され、現在は沼田公園となっている。

歴史・沿革 

  • 1532年 - 沼田顕泰により築城され、沼田氏の拠点となる。
  • 1560年以前 - 山内上杉氏没落と後北条氏による上野進攻のなかで、どちらに属すかを巡り沼田氏がお家騒動を起こす。後北条方側が勝ち後北条氏出身の沼田康元が城主となる。
  • 1560年 - 長尾景虎(上杉謙信)が越山し沼田城を落とす。沼田顕泰は沼田の国人(沼田衆)を率いる立場になったが城は景虎の直属(上杉家の「沼田三人衆」と呼ばれる上野家成、河田重親、松本景繁による城代支配)となる。
  • 1569年 - 『加沢記』ではこの年に沼田氏のお家騒動が起こり、隙をついて上杉氏が沼田城を支配し、本庄秀綱による城代支配になる。後北条氏との関連は記述されない。ただし後世史料のため年代などが疑問視される。
  • 1578年 - 謙信死後に起こった御館の乱により沼田城を後北条氏が制圧。城代に猪俣邦憲、金子泰清らを置く。同年、甲越同盟の成立で上杉景勝が武田氏の沼田攻略を承認し、真田昌幸が攻略の命を受ける。
  • 1580年 - 昌幸が城代の泰清に調略を仕掛け、また昌幸の叔父・矢沢頼綱が沼田に攻め入ってこれを無血開城させ、武田氏が沼田を支配下におく。同年、後北条方と由良氏の支援を得た、顕泰の子・沼田景義が沼田城奪還を目指して挙兵するが、昌幸の謀略により、泰清に殺害される。これによって沼田氏は滅亡する。
  • 天正10年(1582年) - 3月、織田氏・徳川氏連合軍の武田領侵攻により武田氏が滅亡し、その功により、織田家臣・滝川一益が武田遺領のうち上野国一国と信濃佐久郡・小県郡を与えられる。これにより、沼田城は滝川家臣・滝川益重の城となる。同年6月の本能寺の変を経て、武田遺領をめぐる「天正壬午の乱」が発生する。天正壬午の乱において沼田城は後北条家に降った真田昌幸の支配となり、徳川氏と後北条氏の間で沼田領帰属問題が持ち上がるが、昌幸はいずれの提案も拒否し、上杉氏の傘下に入る。これは後年の徳川氏との上田合戦や後北条氏による度重なる侵攻を招くことになるが、いずれも退ける。
  • 1589年 - 豊臣秀吉の裁定により後北条氏の支配となり、秀吉家臣の津田盛月と富田一白、徳川家康家臣の榊原康政の立ち合いの下、真田氏から北条氏に引き渡され、猪俣邦憲が再び城代となる。しかし、同年に邦憲が昌幸の名胡桃城を略奪したことで、豊臣氏による小田原征伐が起こる。
  • 1590年 - 北条征伐の戦後処理において、沼田城は真田氏に返還され、家康養女の婿である真田信幸(昌幸長男)が支配する。
  • 1597年 - 信幸が城郭整備をする。
  • 1600年 - 関ヶ原の戦いにて、東軍についた信幸(以降信之に改名)が改易となった昌幸の上田領も合わせて継承し、沼田と合わせ9万5千石の上田藩として立藩する(信之は引き続き沼田城を本拠とする)。この前後(1597年(慶長2年)と1607年(慶長12年)説がある)、五層の大天守を築く。
  • 1615年 - 大坂夏の陣を期に、信之は上田に本拠を移す。沼田城は、長男・信吉が城主となる。
  • 1622年 - 信之が松代藩13万石へ加増移封。沼田領は引き続き真田領とし、松代藩の分領として継続。
  • 1638年 - 信吉の死後、その嫡子である熊之助が跡を継ぐが早世し、信之の次男・信政(信澄)が沼田領を継承する。
  • 1656年 - 信之が隠居し、信政が松代藩藩主となる。沼田領は、信吉の子・信利が継承。
  • 1658年 - 信政が死去し、その相続を巡って真田本家と真田信利との間でお家騒動が起こる。これを機に沼田領は沼田藩として独立した。信利が初代藩主となる。
  • 1658年 - 松代藩への対抗意識から再検地を行い、元来は表高3万石だったところを松代藩より多い14万4千石(実質は6万石余)として届ける。のち、同じく対抗意識から江戸の藩邸も松代藩邸に引けをとらぬ豪奢な造りに改装した。
  • 1681年 - 信利の暴政と、10月納期の江戸両国橋架け替えの用材調達の遅延を理由に改易され、沼田藩は廃藩にされる。以降1703年まで天領となる。
  • 1682年 - 沼田城は破却され、堀も埋められる。
  • 1703年 - 本多正永が入封し、沼田藩2万石として再興される。以降、黒田氏、土岐氏と沼田藩の藩庁として存続するが、城の本格的な復興はなされないまま、明治の廃藩置県に至る。
  • 1916年 - 旧沼田藩士の家の久米民之助が城地を購入し、公園として整備。1926年に沼田市へ寄贈され、現在は沼田公園となっている。
  • 1976年 - 沼田市指定文化財(史跡)に指定された。
  • 2017年 - 続日本100名城(116番)に選定された。

小松姫の逸話

小松姫(稲姫)は徳川四天王の本多忠勝の娘であり真田昌幸の長男・真田信幸の妻である。

関ヶ原の戦いの直前、下野国犬伏で真田父子三人が合議し、父昌幸と信繁は西軍、信之は東軍につくことが決した。昌幸は犬伏を発ち、上田への帰路桐生辺りで「沼田に寄り孫に会いたい」と言い出し、そのまま沼田城を訪れた。小松姫は「たとえ舅であっても敵である」ということから、武装した姿で対応し城門を開かず追い返した。後に、自ら子供を連れて昌幸のもとを訪れ、舅の願いを叶えた。このことについて、昌幸・信繁は大いに感心したと言う。

一方で昌幸には沼田城に立ち寄りそのまま城を奪取する意図があった、小松姫はそれを見越した上で穏便に解決した、とも言われる。

遺構

現存建物として城門が群馬県川場村に1棟、川場村以外に3棟ほどが移築されている。

また本丸跡に鐘櫓が復元されているが、この鐘櫓の鐘は複製である。1634年に真田信吉が鋳造させた「城鐘」そのものは現存し、群馬県指定重要文化財に指定されている。この鐘は廃城ののち寺社で保存されていたが、旧沼田町役場敷地内の「時鐘(ときのかね)」に流用され、市内の公民館で保存されたのち、2019年にテラス沼田内に開館した沼田歴史資料館で展示されている[2]

関連作品 

歌謡浪曲
  • 長編歌謡浪曲 真田軍記 沼田城物語(三波春夫)
  • 長編歌謡浪曲 続・沼田城物語 関ケ原前夜(三波春夫)
ゲーム
  • ご当地アプリ 真田のやぼう 3D沼田城

参考文献 

  • 【書籍】「国別城郭・陣屋・要害・台場事典」
  • 【書籍】「『加沢記』からみた戦国時代沼田地方の政治情勢」

沼田城の口コミ情報

2024年09月25日 城巡りマン
沼田城

沼田城址から徒歩10分ほどの所に正覚寺(小松姫が分骨された墓)があります

2024年09月24日 あさひなと流山守
沼田城

公園になっているため一見城とは🏯わからないが、近くに行くと感じがわかります。

2024年06月16日 愛魚人遠江守
沼田城



広大な城趾が公園になっております。ゆっくり散歩しながら汗かく事無く見学出来ます。

2024年05月08日 いれぶん[⭕️雁雁]
鐘楼[沼田城  遺構・復元物]



鐘 楼

 真田氏が沼田城主時代は城内に建てられていたが廃城により取りこわされた。明治二十年ころ沼田町役場 (藩役所跡、現市役所)東北隅に楼を建て、柳町歓楽院の梵籍を借りて時の鐘にした。十年後に楼を修復した際その鐘を返し平等寺で保存の城鐘を懸け替えた。
 以来鐘楼は鐘撞堂と呼ばれ、戦時下にも供出をまぬがれたその護の音は、永く市民に親しまれてきた。昭和三十九年市役所庁舎建設に際し徹去されたが、市民の熱望により城の本丸跡のここに移して復元新築された。
昭和五十八年三月  沼日市教育委員会


県指定重要文化財城鐘は、テラス沼田2階の歴史資料館で展示しています。現在鐘桜には城鐘の複製を設置しています。
テラス沼田(沼田市下之町888番地)
群馬県指定文化財 城鐘
総高一一四センチメートル
口径 六七五センチメートル
(解説板より)

2024年04月21日 桶狭間中務卿湯吉郎
沼田城



真田氏縁の沼田城として印象深いのは舅の真田昌幸を追い返した小松姫の気の強さと聡明さのエピソードがあります。

かつてそびえていた5層の天守閣は今は無く、野球のグランドやテニスコート、数多くの樹木が生い茂る市民公園になってます。公園内には真田信之公と小松姫の夫婦像がありました。

2024年03月30日 
沼田城



まだ開花していませんが、もうすぐ本丸跡の御殿桜が咲くと思います。また、今年の春限定の御城印を購入することができます。(今年の3/31まで販売)

2023年11月05日 原田左衛門佐一輝
沼田城



城内観光所に行くと沼田城に関するクイズの用紙が貰えます。答えに導くヒントは沼田城内で探せるので、楽しく城跡の見学ができます。

2023年10月20日 尼崎城駿河守一口城主
沼田城



[城跡散策編]8月16日、沼田市観光案内所で予習してから城跡を散策。本丸跡地(写真①)や真田信之公と小松姫の夫婦像(写真②)を見学。散策中、沼田の歴史物語(写真③)で小松姫の話がありました。関ヶ原の合戦の際に沼田に立ち寄った昌幸公、幸村公をお城に入れなかった話は知っていましたがその後昌幸公、幸村公が休息していたお寺に子供を連れて行った心温まる話を知り感激しました。
その後も散策を続けて、鐘楼と菜の花(写真④)がきれいだったので撮影🌼
沼田城跡西櫓台の石垣・石段(写真⑤)も見学。説明板(写真⑥)を読むと真田氏時代の遺構が300年以上を経て再び往時の姿を現したとあり歴史浪漫を感じました。
本丸堀跡(写真⑦⑧)も見学。池が堀の名残のようです。
他にも平八石、西櫓台の石垣など見所が沢山ある城跡でした📷

2023年10月20日 尼崎城駿河守一口城主
沼田城



[進軍編]8月16日、名胡桃城下城後に国道17号をひたすら歩いて進軍💦
沼田城登城前に麓の榛名神社(写真①②)にお参り。トンネル坂(写真③)を登り河岸段丘の勾配を体感😅
沼田公園(沼田城跡・写真④)に辿り着き、まず沼田市観光案内所(写真⑤)に立ち寄り続100名城スタンプを押しました。こちらで御城印を購入したり、城郭模型(写真⑥)を見学。模型を見て麓から城郭まで一気に高低差がつく急勾配だったことを確認。
案内所を出て城跡散策に向かい出発地の名胡桃城方面(写真⑦⑧)を撮影。
当日の目標の公共機関で真田家ゆかりの上州続100名城3城のリア攻め🏯無事に達成出来ました‼️

2023年09月22日 つか征夷大将軍
藤松正良の墓[沼田城  その他]



藤松正良は加藤清正の孫で加藤忠広の次男になります。忠広が改易されると母と共に真田氏に預けられたそうです。父がなくなると後を追って自刃します。兄も既に無くなっていた為、加藤氏の後継者がいなくなり、領地は収公されたそうです。

2023年08月16日 HAL2000壱岐守
捨曲輪跡[沼田城  遺構・復元物]



沼田城捨曲輪から名胡桃城方面を眺めて。写真中央の橋の奥の小さな山のあたりの名胡桃城があったようです。

2023年06月04日 横山 式部卿 彰寛
沼田城



高台にあり、景色がきれいです。庭園も鳥の動物園もあります。

2023年04月30日 マグロ常陸介祐平
阿岨城[沼田城  周辺城郭]



沼田城の支城で、沼田城を展望出来る対面の台地に位置します。

部分的ですが、幅が10m程ある2重の堀が見られます。空堀の内側の案内板のある土塁のように見える狭い高台(重たくて写真が貼れません)が主郭だと思われますが、侵食で削られてしまったのか、3000の兵と戦う人数が詰められるスペースではありません。本来城域は広かったようです。

このお城、空堀の土木量がある割には土塁が目立ちません。主郭の盛土として使用したのでしょうか。

城の背面は絶壁となっていますが、城主の金子美濃守は落城の際、騎馬もろとも崖を滑り落ち脱出したそうです。鵯越の数倍の難易度と思われます。

2023年04月30日 マグロ常陸介祐平
森下城[沼田城  周辺城郭]



天正10年に北条氏邦により落城した沼田城の支城で、守将の加藤丹波守が腰掛けて切腹したと伝わる切腹石が近くにあります。

案内板のある手前の窪みが空堀の痕跡と思われますが、西側は片品川で守られているものの、周りよりも低い土地の為、城郭感はあまり感じられません。

2023年04月02日 ☆柴犬愛☆
沼田城



🌸桜の季節に行けて良かったです。遺構と桜のマッチング写メも撮れて良かったです。混んでいましたが臨時駐車場もあり駐車には困りませんでした。

2023年03月12日 まりん兵部少輔
沼田城



駅から歩くのに道案内がありません。城跡は公園になっていて入り口の横に観光案内所と駐車場があります。御城印はここで買えます。先に帰りの道を聞いたら、分かり易い近道の地図をくれました。西櫓台石垣の見える所が入れなくなっていて残念でした。

2023年03月08日 nirl雅楽允
荒町門跡[沼田城  遺構・復元物]

構造物や案内板など、跡を窺わせるものはありませんでした。

2022年08月21日 puru下総守堀戸道光↸雁
沼田城



沼田の地の天空の城とうたい文句があります。
鎌倉から戦国まで、重要な要所として、武田・北条・上杉、そして真田と所領の争奪ののち、真田の家を存続させた信幸が本多忠勝の娘【小松姫】と沼田の地の発展に尽力しましたが、関ヶ原以降信幸は改易となり真田の手から離れました。感慨深いです✨

2022年07月03日 トミ右京大夫
沼田城



縄張りとしては残るけれど、建物が残っているわけではなく。それでも、残せた事はよかったと思います。やはり沼田城の場合は、あの河岸段丘が大事なんだと思いました。

2022年06月11日 やしち右衛門督
沼田城



2022年6月10日現在、城址公園内メンテナンスが行われておりました。鐘楼、西櫓台石垣、本丸堀跡の遺構が見所でしょうか。観光案内所の五層天守閣のモデルはかっこいいです。復活は応援したいですね。

2022年04月16日 ほよよ常陸介
沼田城



駐車場までの道が大変でした。逆走される方がいるみたいです。一応入口と出口があるのですが。後屋台が出てたのですが、フランクフルトはありませんでした。御将印はたくさんありましたが、上杉謙信を選択しました。

2022年04月04日 まー刑部卿
城鐘[沼田城  遺構・復元物]



沼田市歴史資料館内にあります。鐘銘の字が粗いですが本物だそうです。群馬県指定重要文化財。

2022年03月28日 まー刑部卿
正覚寺[沼田城  寺社・史跡]



位置は山門を示します。
【正覚寺(浄土宗) 】沼田市鍛冶町938
創建時期不明。当初現榛名町付近にあったとされその後現在地に移転。言い伝えによると名胡桃城城主、鈴木主水が境内で自刃し立ち腹で武士の忠義を示したとされています。
本堂は慶應2年(1866)に火災により焼失、明治6年(1873)に再建。
賽銭箱に小松姫養父にあたる徳川家三つ葉葵、蔵には本多家立ち葵の紋所が使用されています。
現在地に移転後、慶長17年(1612)小松姫により開かれ代々沼田藩により庇護されていました。
【正覚寺山門】沼田市指定重要文化財
万延元年(1860)建造と伝えられ沼田市内に残る数少ない建築年代が推測できる山門でその建築技法や彫刻に江戸時代後期の特徴がよく現れている。
【コウヤマキ】沼田市指定天然記念物
樹高21m

2022年03月28日 まー刑部卿
小松姫(大蓮院殿)の墓[沼田城  寺社・史跡]



正覚寺(浄土宗) 沼田市鍛冶町938
【小松姫(大蓮院殿)墓所】沼田市指定重要文化財
 遺骨:分骨
   当寺正覚寺、勝願寺(鴻巣市)、芳泉寺
   (上田市)
隣接する御霊屋の中には小松姫位牌・遺品が保管。高さ271㌢の宝篋印塔で戒名大連院殿の文字も見ることができる。江戸時代初期の宝篋印塔の特徴をよく表し
ている。

2022年03月28日 まー刑部卿
小沢城[沼田城  周辺城郭]



沼田平八郎景義公のお墓があります。
沼田公園側から行くと左手にあり大きく左折して上がって行きます。先人の言われる通り広い駐車スペースがあり【小沢城跡】の説明板と標柱があります。訪れたのが15時すぎていたため急いで周っていました。駐車スペースに土居があり途中で壊されています。またお墓の後ろにも土居がありその横に堀跡が道路として残っています。中学校側にも堀跡があります。

2022年03月23日 まー刑部卿
戸鹿野八幡宮[沼田城  寺社・史跡]



沼田氏12代沼田顕泰が後閑八幡宮をを迎えて城の守護神として祀る。
八幡宮の前にある急坂【八幡坂】の石碑には、
『江戸期に旅人の往来で賑わった坂
 この石垣は信州石工の名技によって積み上げた貴重な建造物である 金井竹徳『沼田の坂』より

2022年03月23日 まー刑部卿
大手門跡・外堀跡[沼田城  碑・説明板]



沼田小学校敷地内に大手門(正門)説明板や外堀石碑があります。外堀跡は古い写真にはありましたが現在は埋められています。

2022年03月23日 まー刑部卿
天桂寺[沼田城  寺社・史跡]



真田信吉公墓所
天桂寺に沿って流れる城堀川→沼田城下町の上水道の役割を担う(布積石垣:16世紀頃)川に沿って奥に進むとひときわ大きなお墓が見えなおかつ案内表示もあるのでわかりやすい。

また沼田市内にある寺社で六文銭の入っているとこはここと舒林寺のみ。真田信吉公墓所の後ろにある比較的新しい六文銭の入った枠?伝)真田熊之助のお墓らしい。特に何の案内表示もないのでわかりませんが真田家縁の方のお墓。

2021年08月03日 織田上総介晃司
沼田城

沼田市観光案内所のある沼田城跡公園駐車場に停めるのが無難です。

観光案内所には沼田城の他に名胡桃城・岩櫃城のパンフレットがあるので立ち寄ってゲットしておきましょう。

小松姫エピソード
関ヶ原の戦いで夫・信之と敵対関係になった舅・昌幸と義弟・信繁(幸村)が上田城に戻る途中沼田城に立ち寄り「孫に会いたい」と所望するも「義父といえども敵となるので入城させるわけにはまいりません」と武装し拒否。
しかしその晩、我が子を連れて城を抜け出し昌幸に会わせたという。
その後、九度山(現、真田庵)に流罪された昌幸・信繁に対し必要物資を届けさせたという。

柔と剛を備えた女性であったという。

2021年05月31日 あるくま
沼田城

6月半ばまで案内所は閉館中でスタンプ押せず。散策のみ。

2021年05月24日 総州荒木氏始祖武蔵守まさ
沼田城

現在、観光案内所が休館していて続100スタンプ押せません。

2021年05月05日 おんせんまん下野守
沼田城

沼田城🏯では真田信之、小松姫の銅像が出迎えてくれています、花も綺麗に咲いて公園自体も整理されていて気持ち良く散策する事が出来ました😊
孔雀やカナリア等の鳥達も飼育されていますが熊が🐻飼育されている事に驚きとインパクトを貰いました!

2021年05月02日 マグロ常陸介祐平
沼田城



広いグランドがあったりするものの遺構は良く残っており、石垣はきれいです。沼田城と言えば真田家、六文銭のオンパレードです。城内には真田信之公と小松姫のら像もあります。最後の藩主の土岐家の影は非常にうすく感じました。車で10分程の東禅寺には昭和後期に東京から移設した土岐家歴代の墓がひっそりとたっています。

2021年03月16日 真田上野介信吉
城平砦[沼田城  周辺城郭]



城平砦は、群馬県沼田市白沢町(旧白沢村)にある、沼田荘反町城の詰め城です。
その反町城は、新田義貞の三男義宗の居城で、麓の白沢町雲谷寺南にありました(現在は田畑となり遺構は消滅)。新田荘城館の反町館に縁のある城郭が沼田の一角を担っていたことは多少の驚きでもあります。
詰め城は単独にあらず、東から毛台牧砦、城平砦、丸屋砦と3つの砦がそれぞれ独立した尾根上に並ぶように築かれていました。

この砦に入り込むには、道路脇の斜面を直登することになります。斜面を登った尾根上には、いきなり3郭の堀切が見られます。
新田氏が活躍した時代を考えれば、その程度でよかったのでしょう。他に見られるものとしては、3郭側の主郭に土塁が盛られてある程度です。
ただ、それぞれの郭や主郭南西隅部の虎口、西側斜面下の帯郭など、きちんと加工された様子を見ることが出来ます。

アクセスは、先ず『道の駅 川場田園プラザ』を目指してください。関越道沼田インターからの場合、『田園プラザ』の信号を右折して約4キロです(利根沼田望郷ライン)。別途登城口のスポットを設定しておきました。

真田氏以前の沼田を知る手掛かりの一つとして、この城平砦は役割を果たしてくれるものと思います。約500㍍川場村寄りにあるビューポイントから、日本一とも言われる河岸段丘と合わせてお楽しみください。

2020年12月01日 真田上野介信吉
関口城[沼田城  周辺城郭]



関口城は新田方の関口信正の居城。という以外明確なものがありません。

そもそも沼田氏発祥の荘田城の守護神である荘田神社の隣が城域という、これまた不明瞭。

現在の地名『沼田市堀廻町』が何となく城郭の存在を示しているのかなぁと感じます。

写真の通り、激藪の森と化していますが、途中までは何とか入り込めるようです。しかし、普通に途中で引き返す羽目になるでしょう。

荘田神社が目印なので、県指定天然記念物である大イチョウを添付しました。

沼田城リア攻めの序でに時間に余裕があるようでしたら、荘田城と関口城のセットでのリア攻めもありかと。
ただし、前述のように関口城は激藪であることから、大イチョウや周辺の原風景を愛でながら往時を偲ぶ程度ではなかろうかと思います。藪マイスターにはチャレンジの城郭とも言えますが。

井土上町(上)公民館入口に荘田神社への案内板がありますから、先ずはそこを目指してください。以降、全くすれ違いの出来ない2㍍幅の道が神社まで続いています。

2020年11月12日 真田上野介信吉
上州真田武将隊松之屋[沼田城  御城印]



沼田氏沼田城の御城印です。
こちらは毎月限定50枚の販売。

11月は沼田城の文字が白色。その他の月は毎月『沼田城』の文字が様々な色に変更になります。

この沼田氏沼田城の入手方法は、松之屋さんで沼田氏に関わりのある6城の御城印を全て購入することです。
※沼田氏の変遷順に荘田城,小沢城,幕岩城,天神城,女渕城,高王山城
こちらは1枚300円。
※ネット通販でも購入可能。

ただし、沼田氏沼田城御城印は松之屋さん店頭販売のみになりますので、沼田城リア攻めの記念やお土産にオススメ。
お店は沼田城址公園から約1キロといった場所にあります。

沼田氏沼田城御城印は1枚500円です。

口コミ投稿にあたり、上州真田武将隊・くノ一『お初様』より、是非にとのことでした。

2020年10月19日 ぱぱ〜ん伊豆守
沼田城



この高台に五層天守があったかと思うと、ここが主要ポイントだった妄想が止まりません。発掘調査も行われてます。真田信之公の城下町整備の痕跡も多数存在してます。

2020年08月19日 真田上野介信吉
本丸堀跡[沼田城  遺構・復元物]



令和2年度の本丸堀跡発掘調査です。

今年は、現在露天展示されている本丸堀跡の延長線上にあるテニスコートを発掘調査。南東隅櫓が構えられていた付近であり、現時点で櫓の瓦が出土されています。

写真のように、日除けネットを活用し、炎天下の中での調査。ご苦労様です。
また、石がゴロゴロと散らばっている様子も見られ、破却によるものなのではないかと、想像は膨らむばかりです。

発掘調査説明会は今月末から9月初旬のどこかが予定されています。

※発掘調査の写真2枚は何れもトレンチ1

2020年08月14日 坂上常陸介田村麻呂
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]

沼田城、名胡桃城、岩櫃城の続百名城スタンプをあつめると特製クリアファイルがもらえます。

2020年08月14日 真田上野介信吉
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]



沼田城武将印です。8月10日から販売が開始されました。

武将印は全国的にはまだごく一部のようですが、沼田城が一度に6種類はレアケースと思い投稿させて頂きました。

これまでも、上州真田武将隊が販売する武将印はありましたが、沼田城として武将印を出すことで、今後全国的な武将印ブームとなるのかどうか注目していきたいと思います。

また、今回は沼田氏や矢沢氏などは出ていないことから、第2弾があるのではないかと勝手に想像しています。

2020年08月04日 真田上野介信吉
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]



真田街道六城攻城記念の御城印です。

これまでは(継続中)、真田領四城攻城記念御城印(沼田城・名胡桃城・岩櫃城・上田城)を頂けましたが、8月1日からは更に中山城(未登録・群馬県小川城リア攻めマップに投稿)と松代城の2城が加わり、真田街道六城攻城記念御城印を頂けることになりました。

こちらも四城攻城同様に、揃ったら6城の御城印取扱所(計8ヵ所)の何処かに提示することで頂けます。

真田領四城では家紋は六文銭のみでしたが、更に5つ加わり合計6つ押されている豪華版です。

コロナ禍で困難な状況かもしれませんが、是非ゲットしてみてください。

※書体はやはり、沼田城の御城印を書かれている方と思われるので、口コミ投稿は沼田城としました。



2020年06月17日 真田上野介信吉
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]



真田領四城攻城記念の御城印です。

沼田城、名胡桃城、岩櫃城、上田城の4城全ての御城印を集め、4枚目が揃ったお城に3城の御城印を提示することで頂けます。

※書体が沼田城の御城印を書かれている方と思われるので、口コミ投稿は沼田城にしました。

2020年06月15日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
阿岨城[沼田城  周辺城郭]



群馬県の利根郡昭和村にある阿岨城☆阿岨城は沼田城を守護する沼田城の支城の一つとして築城されました☆沼田顕泰(万鬼斎)は幕岩城から沼田城に移りますがその際に万鬼斎の愛妾ゆのみの方の兄、金子美濃守にこの城が与えられました☆北条氏邦が長井坂城、阿岨城、鎌田城を次々に攻略しに来ます☆その際に阿岨城では北条の兵3000騎の夜討ちにあい金子美濃守は騎馬もろとも断崖を滑り落ちて脱出しました☆

現在、城郭の一部のみ残っている状況です☆
主郭を取り巻く二重堀は鮮明に残ります☆

2020年06月11日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
高王山城[沼田城  周辺城郭]



群馬県の沼田市にある高王山城☆
沼田氏の支族である発知氏が築城します♪標高765mの高王山山頂を本丸に数段の郭を構えた梯郭式の山城です☆
この地を領していた沼田平八郎景義がここに本陣を構え真田昌幸に奪われた沼田城の奪還を図った城郭と言うか砦になります☆
お正月に沼田城にお呼ばれし真田昌幸の謀略により城内で沼田平八郎は殺害されてしまいました☆郭と低い土塁のみ残ります☆

このお城は熊さんが出る様です☆
行かれる方は熊ベル準備されて下さいね☆
情報として入れておきます☆

写真1主郭下の尾根を加工した郭☆
写真2看板☆
写真3主郭切岸☆
写真4主郭を守る土塁☆
写真5主郭下の腰郭☆

2020年05月05日 真田上野介信吉
高王山城[沼田城  周辺城郭]



戦国時代に発知(ほっち)氏が造営したといわれる。
標高765.9㍍、高王山の山頂にあり、南1000㍍の戸神山の尖峰に続く。
本丸を南端とした梯郭式の山城で、東面を除く三方面に数段の腰曲輪が発達し、特に西面で五段を数えられる。
本丸は径40㍍、かつては、南面以外は高土居がめぐり、北側に武者屯、二の丸、東南尾根には五段の小郭が階段状にならび、城の広さは南北250㍍、東西150㍍に及んでいた。
天正9年(1581)には、沼田景義がここに本陣を構え、沼田城の奪還をはかったと伝えられている。

-本丸(山頂)設置の説明板より-

高王山城を目指すには、麓からの本格的な登山か、展望駐車場まで車で行きそこからの登山。何れかを選択できる。
今回は展望駐車場まで車で行き、残りを登山とした。
※一般道から高王山林道に入る(展望駐車場が終点)。

展望駐車場から山頂までは400㍍と短く、綺麗に整備された登山道を進むので、簡単にしかも草履でも20分程で辿り着けてしまう。
熊鈴さえ持参していれば、極端な話、誰でも気軽にめぐれる山城と言える(※2月14日の口コミ時に抱いた印象との比較)。

遺構は段状の郭を確認出来る程度なので、他の城郭といくつかセットでのリア攻めをオススメしたい。
※説明板に記載の戸神山は、豊臣政権下沼田城金瓦の金山とされている。展望駐車場からは尾根続きで戸神山への登山も可能。

今日もそうであったが、一般の登山者とのすれ違い様の挨拶は、コロナを忘れさせる穏やかで心地好いひととき。

2020年02月14日 真田上野介信吉
高王山城[沼田城  周辺城郭]



高王山城(たかおさん)は、沼田景義が沼田城奪還、再起をかけて陣を張った、山頂にある城です。景義自身は真田昌幸の計略により謀殺され、十三代にわたった沼田氏は滅びました。

高王山林道で展望台まで車で行けます。
所々残雪があり、四駆でもハンドル操作を誤ると崖下に転落の危険も。冬場は二駆では無理だと心得ましょう。
開けた展望台からは沼田城が丸見えでした。

展望台から先は頂上まで登山となる為、それなりの装備は必要。
2月でありながらも急激に暖かくなったことで、冬眠から目覚める獣(特に熊)には十分な注意がいります。

今回は一人で行ったのでリア攻めは断念しましたが、今後仲間を募りリア攻めしてみようと思います。

※高王山の遠景写真を添付。



2020年01月12日 真田上野介信吉
薬医門[沼田城  遺構・復元物]



この門は、本柱が門の中心線上から前方にずれ、本柱と控柱を結ぶ梁の中間の上に束をのせ、さらに切妻屋根をのせている。

棟は、本柱の扉筋の線上から後方にずれ、城門の一種として使われていた薬医門としての特徴を表わしている。

明治初期、沼田城解体のおりにこの門を譲り受け、一部修復し川場の地に移したと伝えられている。

-説明板より抜粋-

沼田城のフォトにも何枚か見られる、川場村に移築された薬医門です。
歴史民俗資料館やテニスコートなどに隣接しています。
広い駐車場があるので、駐車に困ることはありません。
また、道の駅田園プラザから散策がてら見に行くことも苦にならない距離にあります。

『名主の館』という日本料理屋の暖簾はちょっと残念な気もしますが、立派な門で一見の価値はあると思います。

2020年01月11日 真田上野介信吉
天神城[沼田城  周辺城郭]



天神城址は、弘治3年(1557)に沼田万鬼斉顕泰の隠居所として築かれたと伝わる。

過去の調査によれば、この建物は、茅葺屋根、硬目板張、床板張、縁側付、兵庫矢倉、木戸、桟があったとされ、いわゆる城郭とは異なる。この地は薄根川と溝又川の合流点であり、東と南が約30㍍の断崖絶壁になる天然の要塞である。明治初期までは1反に近い面積があったというが、川の浸食により削られ現在に至った(昭和36年『川場村の歴史と文化』)。

加沢記によれば、万鬼斉が息子の沼田城主弥七郎朝憲を亡き者にし、末子平八郎景義に跡を取らせようとした。永禄12年(1569)に万鬼斉はこの地で朝憲を殺害し川場合戦を招いた。その結果、万鬼斉は破れ景義と共に会津の芦名氏に身を寄せたという。その後、沼田城は真田昌幸の持ち城となったが、天正9年(1581)3月に景義が奪還を目指して攻め寄せた。しかし、昌幸の計略により景義は謀殺され、十三代にわたって利根沼田の盟主であった沼田氏が滅んだ。

-現地説明板より-

特に遺構らしいものは見当たらないが、地形的な要害を見たり、駐車スペースからの登城路を歩いたりは楽しい。

歴史的に見て、ここでの出来事が後に沼田領支配が真田氏に移っていった発端の地ではないかと思うと興味深い。

県道から駐車スペースまで親切な案内板があり迷わず行ける。3台程度駐車可能。

説明板右下にパンフレット収納ケースがありますが、現在品切れ中です。

2020年01月10日 真田上野介信吉
高平の書院・書院の五葉マツ[沼田城  遺構・復元物]



慶安2年(1649)、真田氏4代沼田藩主信政が新田開発・宿割等を行ったおりに設置され、その後は城主の沼田領内見回りや鷹狩りの際の休憩所として利用された。

その当時、敷地内には7棟の建物が配置され、書院はその一部と伝えられている。木造平屋造(151㎡)、県内の書院造りとして貴重なものである。

建物のすぐ前にそびえる木は、推定樹齢約400年、高さ18㍍、目通り2.5㍍の五葉マツであり、書院設置の際に庭木として植樹されたものと伝えられる。

-沼田市役所発行パンフより-

国道120号沿い、駐車スペース横に説明板が設置されています。
付近では左側を確認しながら、少し徐行運転されると間違うことはありません。

2020年01月10日 真田上野介信吉
阿岨城[沼田城  周辺城郭]



沼田城を守護する沼田城団の一つ。築城年代は不詳であるが、『加沢記』に記された激戦の模様から天正8~15年(1580~1587)ごろ存続していた砦であることが知られます。

天正9年(1581)、沼田氏を滅ぼした真田昌幸は、森下城に加藤丹波守、阿岨城に金子美濃守を配するなどして利根沼田地方の配備を固めました。

天正10年(1582)、北条氏邦は長井坂城、森下城とともに阿岨城を攻略します。『加沢記』によると、阿岨城は北条の兵2千騎の夜討ちに遭い、混乱する兵を見限った金子美濃守は岩を下り海王山金剛院(沼田市)に逃れたといいます。

-昭和村『文化財マップ』より-

添付写真のように、公園化されキレイに整備されています。
主郭より沼田城下が一望出来、また眼下には大きな岩など崖が広がる。
遺構は主郭・二郭、二重堀、南西側の堀。
駐車スペースは3台程度。

2020年01月10日 真田上野介信吉
森下城[沼田城  周辺城郭]

鎌田城とも呼ばれ、沼田城団の一つとして造られたといわれています。

後に真田氏・北条氏によって、前衛の砦として利用されました。

天正10年(1582)、北条氏に攻められ、城将加藤丹波守が奮戦した模様は『加沢記』に詳しく記されています。

-昭和村『文化財マップ』より-

主郭は消滅したと言えるような状態で、田んぼの奥崖端辺りに説明板・標柱が見られる。
また付近には、加藤丹波守の腹切石が説明板・標柱と共に存在する。


2019年12月16日 真田上野介信吉
大手門沓石[沼田城  遺構・復元物]



天守跡の説明板下に置かれている石が大手門の沓石です。
パンフに掲載されています。

大手門は現在の沼田小学校正門辺りにありました。

2019年11月10日 仲之丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
沼田城



沼田公園内の一部の地域、12月20日頃まで発掘調査してます。何か発見があると良いですね。
石垣跡など遺構の見学には特に影響ありませんが、近くを通るときはお気をつけて。
沼田市観光案内所にて天皇陛下御即位記念の期間限定御城印(300円)販売中です。
期間については沼田市観光案内所にお願いします。
真田デザインの御城印帳、普通タイプの御城印も何種類か常時発売してます。沼田城は積極的に限定御城印発売してるそうですので要チェックです。
また、真田関連の書籍や小物類、お土産のお菓子なんかも揃ってます。
ぜひぜひ、城跡もお買い物も楽しんで下さいませ。

2019年09月04日 
旧生方家住宅[沼田城  寺社・史跡]

沼田藩御用達の薬種商であった生方家の妻入・板葺の町屋造りの住宅。

様式・技法から17世紀末頃に建築されたと考えられ、東日本では最も古い商家の一つである。

ー沼田市役所発行パンフよりー

旧生方家住宅の軒下に、石垣に使われていたと思われる石が転がっています。

裏にある旧土岐家住宅洋館は、沼田藩主だった土岐氏が移り住んだ東京に大正13年に建てられた邸宅の洋館だそうです。

2019年09月04日 
平八石[沼田城  遺構・復元物]

真田昌幸が沼田平八郎景義の首を実験の後に載せた石と言われている。

沼田平八郎景義は、沼田万鬼斎顕泰と側室(金子美濃守の妹)の子であったが、内紛により会津に顕泰とともに落ち延びていた。

天正9年(1581)、沼田城奪還のために挙兵し沼田に迫ったが、伯父である金子美濃守に「沼田城を明け渡す」と欺かれ、沼田城内に招き入れられたところを殺害された。
亡骸は小沢城址に葬られ、沼田大明神として祀られている。

ー沼田市役所発行パンフよりー

平八石がある捨曲輪からは、名胡桃城方面をバッチリと望むことが出来ます。

2019年05月24日 慈路安房守
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]



スタンプは入口入ってすぐの所にありますよ!観光協会の方もとても親切でした!

2019年05月20日 下沼下総守雄信
天守閣趾[沼田城  遺構・復元物]



この説明板の後ろの一段高くなっている辺りに天守閣があったと推定されている。

2019年05月03日 わる爺陸前守
本丸堀跡[沼田城  遺構・復元物]



二の丸と本丸の間、幅約24m本丸側の石垣は約6mあるが破却で埋没しているとか。本来は更にでかいのか?

2019年05月03日 わる爺陸前守
丸池隣のトイレ[沼田城  トイレ]



蔵風で風情があります。

2019年04月28日 【配龍】zenちゃん
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]



沼田市観光協会☆続100名城スタンプ設置場所(2019年4月28日撮影)

2019年04月24日 仲之丞治部少輔ひろぴい◢⁴⁶
布積石垣の遺構[沼田城  遺構・復元物]



真田時代の布積石垣が一部分残ってます。用水路も真田氏の整備。河岸段丘の城下と城内へ貴重な水を確保。

2017年05月11日 
沼田城

現在は沼田公園になっています。三ノ丸の近くが駐車場になっています。電車だと、JR上越線沼田駅より、徒歩20分くらいのようですが、坂になっているので、結構大変かもしれません。

現在は、天守閣はありませんが、5代目信利の頃、五層の天守閣を持つお城は、関東では、沼田城だけだったそうで、再建の話も出ているようです。昨年の真田丸の影響で、たくさんの人が訪れたようで、以前行った時より、綺麗に整備されていました。

真田氏時代の遺構として、西櫓台の石垣と石段が残っています。また、鐘楼を復元したものが、沼田城のシンボルにもなっています。桜やつつじの季節は、とても綺麗で、散策も楽しくできました。

2016年02月16日 永眠武蔵守釋 葱進
沼田城

大河ドラマ『真田丸』にあやかって、沼田市内の「上州沼田とんかつ街道揚げ上げ隊」という団体が『真田めし』という企画を立ち上げて一般客に提供しています。
提供店は国道120号沿いのとんかつ店がメインですが、洋食店や全国チェーンのカレー店なども参加しています。
メニューも各店オリジナルで、揚げ物で兜をイメージしたり、ひれかつ6枚で六文銭を表したりと見た目も楽しめます。

ただ、ほとんどの店が沼田ICの東側(尾瀬方面)にあるため沼田公園(城跡)や市の中心部(市役所など)から離れており(近い店で4kmほど)、鉄道利用だとちょっと寄りにくいかもしれませんね(路線バスはある)

2016年02月16日 永眠武蔵守釋 葱進
沼田城

河岸段丘の地形効果を活かした城&城下を実感するなら、車なら是非とも国道17号経由で訪問してみてください。
(JR利用だと必然的に段丘を登ることになります)

この時期の沼田公園(城跡)は、市街地に雪がなくても雪が残っていたりぬかるんでいたりするので、靴などそれ相応のものを用意しましょう

2015年09月22日 伊勢守菊月姫
沼田城

先程、公園管理をしている方が「真田の石垣がでたから現在試作堀してるよ」と教えてくれました。

2015年05月19日 牢屋見廻り同心マダオ
沼田城

ゲーム戦国無双4とのコラボ説明板が城内に設置されています。(私が確認したのは5基)また駐車場に設置されている自販機も戦国無双4とのコラボとなっています。信之と稲姫の幟もあります。

2014年04月20日 中務卿一之介
沼田城

沼田駅から徒歩では20分弱くらいです。舗装されていますが、途中が階段になっている、かなりの急坂を行きます。
私は桜の開花時期に行きましたが、人が多いだけでなく、露店も多く出ているので、城郭をじっくり見たい場合は、桜の季節は避けた方がよいと思います。

2012年05月08日 傾奇揚げ仙兵衛
沼田城

ここで飼っているオームの羽音がスゲーのなんのって

沼田城の周辺スポット情報

 布積石垣の遺構(遺構・復元物)

 土塁(遺構・復元物)

 捨曲輪跡(遺構・復元物)

 西櫓台の石垣(遺構・復元物)

 鐘楼(遺構・復元物)

 本丸跡(遺構・復元物)

 本丸堀跡(遺構・復元物)

 三の丸(遺構・復元物)

 天守閣趾(遺構・復元物)

 平八石(遺構・復元物)

 天王石(住吉石)(遺構・復元物)

 大手門沓石(遺構・復元物)

 高平の書院・書院の五葉マツ(遺構・復元物)

 薬医門(遺構・復元物)

 堀跡(市役所公用車駐車場)(遺構・復元物)

 巽櫓後(遺構・復元物)

 十人番所跡(遺構・復元物)

 水の手門跡(遺構・復元物)

 保科曲輪(遺構・復元物)

 二の丸(遺構・復元物)

 大門跡(遺構・復元物)

 ニノ門跡(遺構・復元物)

 焔硝蔵跡(遺構・復元物)

 三の門跡(遺構・復元物)

 乾櫓跡(遺構・復元物)

 溜門跡(遺構・復元物)

 明かずの門(遺構・復元物)

 荒町門跡(遺構・復元物)

 勘定所跡(遺構・復元物)

 勘定屋敷跡(遺構・復元物)

 滝坂門跡(遺構・復元物)

 城鐘(遺構・復元物)

 二の丸土塁(遺構・復元物)

 天守閣趾の説明板(碑・説明板)

 説明板(碑・説明板)

 大手門跡・外堀跡(碑・説明板)

 小沢城(周辺城郭)

 荘田城(周辺城郭)

 川田城(周辺城郭)

 幕岩城(周辺城郭)

 森下城(周辺城郭)

 阿岨城(周辺城郭)

 天神城(周辺城郭)

 高王山城(周辺城郭)

 関口城(周辺城郭)

 城平砦(周辺城郭)

 発知氏の墟城(周辺城郭)

 旧生方家住宅(寺社・史跡)

 戸鹿野八幡宮(寺社・史跡)

 真田河内守信吉の墓(寺社・史跡)

 小松姫(大蓮院殿)の墓(寺社・史跡)

 天桂寺(寺社・史跡)

 正覚寺(寺社・史跡)

 上州真田武将隊松之屋(御城印)

 沼田市観光案内所(スタンプ)

 沼田市観光協会(スタンプ)

 丸池隣のトイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 トイレ(トイレ)

 大手前ふれあい広場(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 真田信之、小松姫像(その他)

 城平砦登城口(その他)

 天狗堂(その他)

 藤松正良の墓(その他)

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