沼田城(ぬまたじょう)

沼田城の基本情報

通称・別名

蔵内城、倉内城

所在地

群馬県沼田市西倉内町594(沼田公園)

旧国名

上野国

分類・構造

丘城

天守構造

型式不明[5重/1600年築/破却]

築城主

沼田顕泰

築城年

天文元年(1532)

主な改修者

真田信幸

主な城主

沼田氏、本庄氏、猪俣氏、真田氏

廃城年

天和2年(1682)

遺構

曲輪、土塁、堀、石垣、移築門

指定文化財

県重要文化財(城鐘)、市史跡(沼田城跡)

再建造物

鐘櫓、石碑、説明板

周辺の城

名胡桃城(群馬県利根郡)[4.9km]
小川城(群馬県利根郡)[7.1km]
長井坂城(群馬県渋川市)[7.4km]
尻高城(群馬県吾妻郡)[12.1km]
横尾八幡城(群馬県吾妻郡)[15.7km]

沼田城の解説文

沼田城(ぬまたじょう)は、上野国利根郡(現:群馬県沼田市)にあった日本の城(丘城)。幾つかの守護城に囲まれた堅城である。沼田氏の居城として建築され、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて真田氏の沼田領支配の拠点として機能した。沼田藩の藩庁。はじめは倉内城と称した。

概要
群馬県沼田市倉内にあり、利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に位置する丘城。二つの川側は約70mほどの崖となっており、典型的な崖城でもある。

沼田は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として上杉氏・後北条氏・武田氏といった諸勢力の争奪戦の的となった。本能寺の変後は真田信幸の支配城として、後北条氏と争った。

江戸時代に城主は真田家5代、天領、本多家3代、黒田氏(譜代大名)2代を経て、土岐氏12代目に明治維新を迎えている。真田氏時代には5層の天守や3層の櫓が建てられたが、時代とともに縮小し、本多氏時代には三の丸を改修して館を建てる程度の規模になった。

明治維新後、1916年に旧沼田藩士の家の久米民之助によって城地が購入され整備された。1926年には沼田町(沼田市)に寄付され、現在は沼田公園となっている。

歴史・沿革
1532年 - 沼田顕泰により築城され、沼田氏の拠点となる。
1560年以前 - 山内上杉氏没落と後北条氏による上野進攻のなかで、どちらに属すかを巡り沼田氏がお家騒動を起こす。後北条方側が勝ち後北条氏出身の沼田康元が城主となる。
1560年 - 長尾景虎(上杉謙信)が越山し沼田城を落とす。沼田顕泰は沼田の国人(沼田衆)を率いる立場になったが城は景虎の直属(上杉家の「沼田三人衆」と呼ばれる上野家成、河田重親、松本景繁による城代支配)となる。
1569年 - 『加沢記』ではこの年に沼田氏のお家騒動が起こり、隙をついて上杉氏が沼田城を支配し、本庄秀綱による城代支配になる。後北条氏との関連は記述されない。ただし後世史料のため年代などが疑問視される。
1578年 - 謙信死後に起こった御館の乱により沼田城を後北条氏が制圧。城代に猪俣邦憲、金子泰清らを置く。同年、甲越同盟の成立で上杉景勝が武田氏の沼田攻略を承認し、真田昌幸が攻略の命を受ける。
1580年 - 昌幸が城代の泰清に調略を仕掛け、また昌幸の叔父・矢沢頼綱が沼田に攻め入ってこれを無血開城させ、武田氏が沼田を支配下におく。同年、後北条方と由良氏の支援を得た、顕泰の子・沼田景義が沼田城奪還を目指して挙兵するが、昌幸の謀略により、泰清に殺害される。これによって沼田氏は滅亡する。
天正10年(1582年) - 3月、織田氏・徳川氏連合軍の武田領侵攻により武田氏が滅亡し、その功により、織田家臣・滝川一益が武田遺領のうち上野国一国と信濃佐久郡・小県郡を与えられる。これにより、沼田城は滝川家臣・滝川益重の城となる。同年6月の本能寺の変を経て、武田遺領をめぐる「天正壬午の乱」が発生する。天正壬午の乱において沼田城は後北条家に降った真田昌幸の支配となり、徳川氏と後北条氏の間で沼田領帰属問題が持ち上がるが、昌幸はいずれの提案も拒否し、上杉氏の傘下に入る。これは後年の徳川氏との上田合戦や後北条氏による度重なる侵攻を招くことになるが、いずれも退ける。
1589年 - 豊臣秀吉の裁定により後北条氏の支配となり、猪俣邦憲が再び城代となる。しかし、同年に邦憲が昌幸の名胡桃城を略奪したことで、豊臣氏による小田原征伐が起こる。
1590年 - 北条征伐の戦後処理において、沼田城は昌幸の長男・真田信幸が支配する。...

沼田城の口コミ情報

ハチミツ式部卿様[2017年05月11日]
現在は沼田公園になっています。
三ノ丸の近くが駐車場になっています。

電車だと、JR上越線沼田駅より、徒歩20分くらいのようですが、坂になっているので、結構大変かもしれません。

現在は、天守閣はありませんが、5代目信利の頃、五層の天守閣を持つお城は、関東では、沼田城だけだったそうで、再建の話も出ているようです。

昨年の真田丸の影響で、たくさんの人が訪れたようで、以前行った時より、綺麗に整備されていました。

真田氏時代の遺構として、西櫓台の石垣と石段が残っています。
また、鐘楼を復元したものが、沼田城のシンボルにもなっています。

桜やつつじの季節は、とても綺麗で、
散策も楽しくできました。

永眠武蔵守釋 葱進様[2016年02月16日]
大河ドラマ『真田丸』にあやかって、沼田市内の「上州沼田とんかつ街道揚げ上げ隊」という団体が『真田めし』という企画を立ち上げて一般客に提供しています。
提供店は国道120号沿いのとんかつ店がメインですが、洋食店や全国チェーンのカレー店なども参加しています。
メニューも各店オリジナルで、揚げ物で兜をイメージしたり、ひれかつ6枚で六文銭を表したりと見た目も楽しめます。

ただ、ほとんどの店が沼田ICの東側(尾瀬方面)にあるため沼田公園(城跡)や市の中心部(市役所など)から離れており(近い店で4kmほど)、鉄道利用だとちょっと寄りにくいかもしれませんね(路線バスはある)

永眠武蔵守釋 葱進様[2016年02月16日]
河岸段丘の地形効果を活かした城&城下を実感するなら、車なら是非とも国道17号経由で訪問してみてください。
(JR利用だと必然的に段丘を登ることになります)

この時期の沼田公園(城跡)は、市街地に雪がなくても雪が残っていたりぬかるんでいたりするので、靴などそれ相応のものを用意しましょう

伊勢守菊月姫様[2015年09月22日]
先程、公園管理をしている方が「真田の石垣がでたから現在試作堀してるよ」と教えてくれました。

牢屋見廻り同心マダオ様[2015年05月19日]
ゲーム戦国無双4とのコラボ説明板が城内に設置されています。(私が確認したのは5基)また駐車場に設置されている自販機も戦国無双4とのコラボとなっています。信之と稲姫の幟もあります。

参議一之介様[2014年04月20日]
沼田駅から徒歩では20分弱くらいです。舗装されていますが、途中が階段になっている、かなりの急坂を行きます。
私は桜の開花時期に行きましたが、人が多いだけでなく、露店も多く出ているので、城郭をじっくり見たい場合は、桜の季節は避けた方がよいと思います。

傾奇揚げ仙兵衛様[2012年05月08日]
ここで飼っているオームの羽音がスゲーのなんのって

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