沼田城(ぬまたじょう)

沼田城の基本情報

通称・別名

蔵内城、倉内城

所在地

群馬県沼田市西倉内町594(沼田公園)

旧国名

上野国

分類・構造

丘城

天守構造

型式不明[5重/1600年築/破却]

築城主

沼田顕泰

築城年

天文元年(1532)

主な改修者

真田信幸

主な城主

沼田氏、本庄氏、猪俣氏、真田氏

廃城年

天和2年(1682)

遺構

曲輪、土塁、横堀、石垣、移築門

指定文化財

県重要文化財(城鐘)、市史跡(沼田城跡)

再建造物

鐘櫓、石碑、説明板

周辺の城

名胡桃城(群馬県利根郡)[4.9km]
小川城(群馬県利根郡)[7.1km]
長井坂城(群馬県渋川市)[7.4km]
尻高城(群馬県吾妻郡)[12.1km]
横尾八幡城(群馬県吾妻郡)[15.7km]
白井城(群馬県渋川市)[15.8km]
渋川城(群馬県渋川市)[17.1km]
剣城(群馬県渋川市)[21.3km]
岩櫃城(群馬県吾妻郡)[23.2km]
神梅城(群馬県桐生市)[26.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)116 沼田城

設置場所

沼田市観光案内所[地図

沼田城の解説文

沼田城(ぬまたじょう)は、上野国利根郡(現:群馬県沼田市)にあった日本の城(丘城)。幾つかの守護城に囲まれた堅城である。沼田氏の居城として建築され、戦国時代後期から江戸時代初期にかけて真田氏の沼田領支配の拠点として機能した。沼田藩の藩庁。はじめは倉内城と称した。

概要
群馬県沼田市倉内にあり、利根川と薄根川の合流点の北東、河岸段丘の台地上に位置する丘城。二つの川側は約70mほどの崖となっており、典型的な崖城でもある。

沼田は北関東の要衝であり、軍事上の重要拠点として上杉氏・後北条氏・武田氏といった諸勢力の争奪戦の的となった。本能寺の変後は真田信幸の支配城として、後北条氏と争った。

江戸時代に城主は真田家5代、天領、本多家3代、黒田氏(譜代大名)2代を経て、土岐氏12代目に明治維新を迎えている。真田氏時代には5層の天守や3層の櫓が建てられたが、時代とともに縮小し、本多氏時代には三の丸を改修して館を建てる程度の規模になった。

明治維新後、1916年に旧沼田藩士の家の久米民之助によって城地が購入され整備された。1926年には沼田町(沼田市)に寄付され、現在は沼田公園となっている。

歴史・沿革
1532年 - 沼田顕泰により築城され、沼田氏の拠点となる。
1560年以前 - 山内上杉氏没落と後北条氏による上野進攻のなかで、どちらに属すかを巡り沼田氏がお家騒動を起こす。後北条方側が勝ち後北条氏出身の沼田康元が城主となる。
1560年 - 長尾景虎(上杉謙信)が越山し沼田城を落とす。沼田顕泰は沼田の国人(沼田衆)を率いる立場になったが城は景虎の直属(上杉家の「沼田三人衆」と呼ばれる上野家成、河田重親、松本景繁による城代支配)となる。
1569年 - 『加沢記』ではこの年に沼田氏のお家騒動が起こり、隙をついて上杉氏が沼田城を支配し、本庄秀綱による城代支配になる。後北条氏との関連は記述されない。ただし後世史料のため年代などが疑問視される。
1578年 - 謙信死後に起こった御館の乱により沼田城を後北条氏が制圧。城代に猪俣邦憲、金子泰清らを置く。同年、甲越同盟の成立で上杉景勝が武田氏の沼田攻略を承認し、真田昌幸が攻略の命を受ける。
1580年 - 昌幸が城代の泰清に調略を仕掛け、また昌幸の叔父・矢沢頼綱が沼田に攻め入ってこれを無血開城させ、武田氏が沼田を支配下におく。同年、後北条方と由良氏の支援を得た、顕泰の子・沼田景義が沼田城奪還を目指して挙兵するが、昌幸の謀略により、泰清に殺害される。これによって沼田氏は滅亡する。
天正10年(1582年) - 3月、織田氏・徳川氏連合軍の武田領侵攻により武田氏が滅亡し、その功により、織田家臣・滝川一益が武田遺領のうち上野国一国と信濃佐久郡・小県郡を与えられる。これにより、沼田城は滝川家臣・滝川益重の城となる。同年6月の本能寺の変を経て、武田遺領をめぐる「天正壬午の乱」が発生する。天正壬午の乱において沼田城は後北条家に降った真田昌幸の支配となり、徳川氏と後北条氏の間で沼田領帰属問題が持ち上がるが、昌幸はいずれの提案も拒否し、上杉氏の傘下に入る。これは後年の徳川氏との上田合戦や後北条氏による度重なる侵攻を招くことになるが、いずれも退ける。
1589年 - 豊臣秀吉の裁定により後北条氏の支配となり、猪俣邦憲が再び城代となる。しかし、同年に邦憲が昌幸の名胡桃城を略奪したことで、豊臣氏による小田原征伐が起こる。
1590年 - 北条征伐の戦後処理において、沼田城は昌幸の長男・真田信幸が支配する。...

沼田城の口コミ情報

2020年10月22日 (株)だぁやま右近衛少将業平
沼田城

沼田の街外れにある感じですf(^_^;)駐車場の隣に観光案内所があるので寄って下さい。城跡は真田信之夫妻像が建っている公園なだけで特に感動はなかったです。真田のお城として沼田城、岩櫃城、上田城って制覇すると感慨深いです。

2020年10月19日 ぱぱ〜ん尾張守
沼田城



この高台に五層天守があったかと思うと、ここが主要ポイントだった妄想が止まりません。発掘調査も行われてます。真田信之公の城下町整備の痕跡も多数存在してます。

2020年08月19日 真田上野介信吉
本丸堀跡[沼田城  遺構・復元物]



令和2年度の本丸堀跡発掘調査です。

今年は、現在露天展示されている本丸堀跡の延長線上にあるテニスコートを発掘調査。南東隅櫓が構えられていた付近であり、現時点で櫓の瓦が出土されています。

写真のように、日除けネットを活用し、炎天下の中での調査。ご苦労様です。
また、石がゴロゴロと散らばっている様子も見られ、破却によるものなのではないかと、想像は膨らむばかりです。

発掘調査説明会は今月末から9月初旬のどこかが予定されています。

※発掘調査の写真2枚は何れもトレンチ1

2020年08月14日 坂上常陸介田村麻呂
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]

沼田城、名胡桃城、岩櫃城の続百名城スタンプをあつめると特製クリアファイルがもらえます。

2020年08月14日 真田上野介信吉
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]



沼田城武将印です。8月10日から販売が開始されました。

武将印は全国的にはまだごく一部のようですが、沼田城が一度に6種類はレアケースと思い投稿させて頂きました。

これまでも、上州真田武将隊が販売する武将印はありましたが、沼田城として武将印を出すことで、今後全国的な武将印ブームとなるのかどうか注目していきたいと思います。

また、今回は沼田氏や矢沢氏などは出ていないことから、第2弾があるのではないかと勝手に想像しています。

2020年08月04日 真田上野介信吉
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]



真田街道六城攻城記念の御城印です。

これまでは(継続中)、真田領四城攻城記念御城印(沼田城・名胡桃城・岩櫃城・上田城)を頂けましたが、8月1日からは更に中山城(未登録・群馬県小川城リア攻めマップに投稿)と松代城の2城が加わり、真田街道六城攻城記念御城印を頂けることになりました。

こちらも四城攻城同様に、揃ったら6城の御城印取扱所(計8ヵ所)の何処かに提示することで頂けます。

真田領四城では家紋は六文銭のみでしたが、更に5つ加わり合計6つ押されている豪華版です。

コロナ禍で困難な状況かもしれませんが、是非ゲットしてみてください。

※書体はやはり、沼田城の御城印を書かれている方と思われるので、口コミ投稿は沼田城としました。



2020年06月17日 真田上野介信吉
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]



真田領四城攻城記念の御城印です。

沼田城、名胡桃城、岩櫃城、上田城の4城全ての御城印を集め、4枚目が揃ったお城に3城の御城印を提示することで頂けます。

※書体が沼田城の御城印を書かれている方と思われるので、口コミ投稿は沼田城にしました。

2020年06月15日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
阿岨城[沼田城  周辺城郭]



群馬県の利根郡昭和村にある阿岨城☆阿岨城は沼田城を守護する沼田城の支城の一つとして築城されました☆沼田顕泰(万鬼斎)は幕岩城から沼田城に移りますがその際に万鬼斎の愛妾ゆのみの方の兄、金子美濃守にこの城が与えられました☆北条氏邦が長井坂城、阿岨城、鎌田城を次々に攻略しに来ます☆その際に阿岨城では北条の兵3000騎の夜討ちにあい金子美濃守は騎馬もろとも断崖を滑り落ちて脱出しました☆

現在、城郭の一部のみ残っている状況です☆
主郭を取り巻く二重堀は鮮明に残ります☆

2020年06月11日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
高王山城[沼田城  周辺城郭]



群馬県の沼田市にある高王山城☆
沼田氏の支族である発知氏が築城します♪標高765mの高王山山頂を本丸に数段の郭を構えた梯郭式の山城です☆
この地を領していた沼田平八郎景義がここに本陣を構え真田昌幸に奪われた沼田城の奪還を図った城郭と言うか砦になります☆
お正月に沼田城にお呼ばれし真田昌幸の謀略により城内で沼田平八郎は殺害されてしまいました☆郭と低い土塁のみ残ります☆

このお城は熊さんが出る様です☆
行かれる方は熊ベル準備されて下さいね☆
情報として入れておきます☆

写真1主郭下の尾根を加工した郭☆
写真2看板☆
写真3主郭切岸☆
写真4主郭を守る土塁☆
写真5主郭下の腰郭☆

2020年05月05日 真田上野介信吉
高王山城[沼田城  周辺城郭]



戦国時代に発知(ほっち)氏が造営したといわれる。
標高765.9㍍、高王山の山頂にあり、南1000㍍の戸神山の尖峰に続く。
本丸を南端とした梯郭式の山城で、東面を除く三方面に数段の腰曲輪が発達し、特に西面で五段を数えられる。
本丸は径40㍍、かつては、南面以外は高土居がめぐり、北側に武者屯、二の丸、東南尾根には五段の小郭が階段状にならび、城の広さは南北250㍍、東西150㍍に及んでいた。
天正9年(1581)には、沼田景義がここに本陣を構え、沼田城の奪還をはかったと伝えられている。

-本丸(山頂)設置の説明板より-

高王山城を目指すには、麓からの本格的な登山か、展望駐車場まで車で行きそこからの登山。何れかを選択できる。
今回は展望駐車場まで車で行き、残りを登山とした。
※一般道から高王山林道に入る(展望駐車場が終点)。

展望駐車場から山頂までは400㍍と短く、綺麗に整備された登山道を進むので、簡単にしかも草履でも20分程で辿り着けてしまう。
熊鈴さえ持参していれば、極端な話、誰でも気軽にめぐれる山城と言える(※2月14日の口コミ時に抱いた印象との比較)。

遺構は段状の郭を確認出来る程度なので、他の城郭といくつかセットでのリア攻めをオススメしたい。
※説明板に記載の戸神山は、豊臣政権下沼田城金瓦の金山とされている。展望駐車場からは尾根続きで戸神山への登山も可能。

今日もそうであったが、一般の登山者とのすれ違い様の挨拶は、コロナを忘れさせる穏やかで心地好いひととき。

2020年02月14日 真田上野介信吉
高王山城[沼田城  周辺城郭]



高王山城(たかおさん)は、沼田景義が沼田城奪還、再起をかけて陣を張った、山頂にある城です。景義自身は真田昌幸の計略により謀殺され、十三代にわたった沼田氏は滅びました。

高王山林道で展望台まで車で行けます。
所々残雪があり、四駆でもハンドル操作を誤ると崖下に転落の危険も。冬場は二駆では無理だと心得ましょう。
開けた展望台からは沼田城が丸見えでした。

展望台から先は頂上まで登山となる為、それなりの装備は必要。
2月でありながらも急激に暖かくなったことで、冬眠から目覚める獣(特に熊)には十分な注意がいります。

今回は一人で行ったのでリア攻めは断念しましたが、今後仲間を募りリア攻めしてみようと思います。

※高王山の遠景写真を添付。



2020年01月12日 真田上野介信吉
薬医門[沼田城  遺構・復元物]



この門は、本柱が門の中心線上から前方にずれ、本柱と控柱を結ぶ梁の中間の上に束をのせ、さらに切妻屋根をのせている。

棟は、本柱の扉筋の線上から後方にずれ、城門の一種として使われていた薬医門としての特徴を表わしている。

明治初期、沼田城解体のおりにこの門を譲り受け、一部修復し川場の地に移したと伝えられている。

-説明板より抜粋-

沼田城のフォトにも何枚か見られる、川場村に移築された薬医門です。
歴史民俗資料館やテニスコートなどに隣接しています。
広い駐車場があるので、駐車に困ることはありません。
また、道の駅田園プラザから散策がてら見に行くことも苦にならない距離にあります。

『名主の館』という日本料理屋の暖簾はちょっと残念な気もしますが、立派な門で一見の価値はあると思います。

2020年01月11日 真田上野介信吉
天神城[沼田城  周辺城郭]



天神城址は、弘治3年(1557)に沼田万鬼斉顕泰の隠居所として築かれたと伝わる。

過去の調査によれば、この建物は、茅葺屋根、硬目板張、床板張、縁側付、兵庫矢倉、木戸、桟があったとされ、いわゆる城郭とは異なる。この地は薄根川と溝又川の合流点であり、東と南が約30㍍の断崖絶壁になる天然の要塞である。明治初期までは1反に近い面積があったというが、川の浸食により削られ現在に至った(昭和36年『川場村の歴史と文化』)。

加沢記によれば、万鬼斉が息子の沼田城主弥七郎朝憲を亡き者にし、末子平八郎景義に跡を取らせようとした。永禄12年(1569)に万鬼斉はこの地で朝憲を殺害し川場合戦を招いた。その結果、万鬼斉は破れ景義と共に会津の芦名氏に身を寄せたという。その後、沼田城は真田昌幸の持ち城となったが、天正9年(1581)3月に景義が奪還を目指して攻め寄せた。しかし、昌幸の計略により景義は謀殺され、十三代にわたって利根沼田の盟主であった沼田氏が滅んだ。

-現地説明板より-

特に遺構らしいものは見当たらないが、地形的な要害を見たり、駐車スペースからの登城路を歩いたりは楽しい。

歴史的に見て、ここでの出来事が後に沼田領支配が真田氏に移っていった発端の地ではないかと思うと興味深い。

県道から駐車スペースまで親切な案内板があり迷わず行ける。3台程度駐車可能。

説明板右下にパンフレット収納ケースがありますが、現在品切れ中です。

2020年01月10日 真田上野介信吉
高平の書院・書院の五葉マツ[沼田城  遺構・復元物]



慶安2年(1649)、真田氏4代沼田藩主信政が新田開発・宿割等を行ったおりに設置され、その後は城主の沼田領内見回りや鷹狩りの際の休憩所として利用された。

その当時、敷地内には7棟の建物が配置され、書院はその一部と伝えられている。木造平屋造(151㎡)、県内の書院造りとして貴重なものである。

建物のすぐ前にそびえる木は、推定樹齢約400年、高さ18㍍、目通り2.5㍍の五葉マツであり、書院設置の際に庭木として植樹されたものと伝えられる。

-沼田市役所発行パンフより-

国道120号沿い、駐車スペース横に説明板が設置されています。
付近では左側を確認しながら、少し徐行運転されると間違うことはありません。

2020年01月10日 真田上野介信吉
阿岨城[沼田城  周辺城郭]



沼田城を守護する沼田城団の一つ。築城年代は不詳であるが、『加沢記』に記された激戦の模様から天正8~15年(1580~1587)ごろ存続していた砦であることが知られます。

天正9年(1581)、沼田氏を滅ぼした真田昌幸は、森下城に加藤丹波守、阿岨城に金子美濃守を配するなどして利根沼田地方の配備を固めました。

天正10年(1582)、北条氏邦は長井坂城、森下城とともに阿岨城を攻略します。『加沢記』によると、阿岨城は北条の兵2千騎の夜討ちに遭い、混乱する兵を見限った金子美濃守は岩を下り海王山金剛院(沼田市)に逃れたといいます。

-昭和村『文化財マップ』より-

添付写真のように、公園化されキレイに整備されています。
主郭より沼田城下が一望出来、また眼下には大きな岩など崖が広がる。
遺構は主郭・二郭、二重堀、南西側の堀。
駐車スペースは3台程度。

2020年01月10日 真田上野介信吉
森下城[沼田城  周辺城郭]

鎌田城とも呼ばれ、沼田城団の一つとして造られたといわれています。

後に真田氏・北条氏によって、前衛の砦として利用されました。

天正10年(1582)、北条氏に攻められ、城将加藤丹波守が奮戦した模様は『加沢記』に詳しく記されています。

-昭和村『文化財マップ』より-

主郭は消滅したと言えるような状態で、田んぼの奥崖端辺りに説明板・標柱が見られる。
また付近には、加藤丹波守の腹切石が説明板・標柱と共に存在する。


2019年12月16日 真田上野介信吉
大手門沓石[沼田城  遺構・復元物]



天守跡の説明板下に置かれている石が大手門の沓石です。
パンフに掲載されています。

大手門は現在の沼田小学校正門辺りにありました。

2019年11月10日 禁3密中務丞ひろぴい◢⁴⁶
沼田城



沼田公園内の一部の地域、12月20日頃まで発掘調査してます。何か発見があると良いですね。
石垣跡など遺構の見学には特に影響ありませんが、近くを通るときはお気をつけて。
沼田市観光案内所にて天皇陛下御即位記念の期間限定御城印(300円)販売中です。
期間については沼田市観光案内所にお願いします。
真田デザインの御城印帳、普通タイプの御城印も何種類か常時発売してます。沼田城は積極的に限定御城印発売してるそうですので要チェックです。
また、真田関連の書籍や小物類、お土産のお菓子なんかも揃ってます。
ぜひぜひ、城跡もお買い物も楽しんで下さいませ。

2019年10月03日 
土塁[沼田城  遺構・復元物]



沼田城二の丸北辺に残存するこの土塁状の遺構は、幅約13メートル、高さ約4メートルで、東西約50メートルに渡り残っています。

真田氏より後の時代の絵図面に、この土塁状の遺構が描かれていることから、この遺構は真田氏時代以降に造られたと思われます。

なお、真田氏の改易後、沼田藩は本多氏、黒田氏、土岐氏が順に治めました。

ー現地説明板よりー

写真にもありますが、この現代式フェンスは絶対に入らないで下さい、以上に土塁の向こうはかなりの深さがある崖だからだと思います。

公園内の道路は途中から(旧生方家住宅の北側)歩道が現れ、そこを歩いているうちに左側に見ることが出来ます。
右を見ると広いグランド(野球場)があり、比較的分かりやすい場所に遺構があります。



2019年10月01日 
三の丸[沼田城  遺構・復元物]



現在は沼田市観光案内所が置かれ、駐車場となっています。

しかし、その駐車場入口付近には土居と堀跡が分かるように小さな石碑が建てられています。

スルーされやすい遺構なので、車を降りたら先ず見られることをオススメします。

2019年10月01日 
幕岩城[沼田城  周辺城郭]



幕岩城は、沼田顕泰の父泰輝が約2年の歳月を費やして新たに築いた城。小沢城から移り沼田城に移るまで、僅か13年程の居城でした。

写真は「殿様清水」と、「殿様清水」付近から見た幕岩城です。

「殿様清水」の詳しいことについては添付写真を拡大してご一読ください。

殿様清水より小径があり、そこを登れば二の丸辺りに辿り着きます。
本丸を含め一帯は畑や住宅地で、石碑等が城跡であったことを教えてくれる程度となってしまっています。

本丸は薄根川との段丘上崖端に寄せ、以下二の丸三の丸からなり、沼田氏発祥の荘田城、次ぐ小沢城をはるかに凌ぐ、バージョンアップした崖端城です。

2019年09月28日 
川田城[沼田城  周辺城郭]



川田城は、沼田氏の一族川田氏が築いたと伝えられ、下川田町字五段田にある。

崖端城であるが本丸を崖端に寄せることなく、本丸は東西100メートル、最大幅75メートルの五角形をなし、壕をめぐらし、帯曲輪を構えた特異な構造である。東に半月形の小郭がつき、薬師堂があり、加沢平次左衛門の墓もある。沼田氏系図には、沼田景久ー川田景信ー信光ー信清ー光清ー光行とあるが、天文21年(1552)北条氏沼田進攻により滅亡したのであろう。

城主は、山名信濃守義季から祢津幸直となり、沼田城西の守りとして、真田勢、北条勢の激戦地となり、山名主水ほか地侍が多く討死した。天正18年(1590)真田信幸が沼田城主となり、一領国一城により廃城となった。

ー沼田市教育委員会現地説明板よりー

写真は利根川側から見ています。
国道17号バイパスより、東京方面からは数百メートルで右折道があります。右折後細い道を降り左折し、バイパスを潜って坂を上がる途中から撮影。

城跡は現在個人が管理しており、説明板設置宅の承諾があれば見学可となっています。
※説明板は道路に面しています。
遺構は土塁や空堀が残っているそうです。








2019年09月04日 
旧生方家住宅[沼田城  寺社・史跡]

沼田藩御用達の薬種商であった生方家の妻入・板葺の町屋造りの住宅。

様式・技法から17世紀末頃に建築されたと考えられ、東日本では最も古い商家の一つである。

ー沼田市役所発行パンフよりー

旧生方家住宅の軒下に、石垣に使われていたと思われる石が転がっています。

裏にある旧土岐家住宅洋館は、沼田藩主だった土岐氏が移り住んだ東京に大正13年に建てられた邸宅の洋館だそうです。

2019年09月04日 
平八石[沼田城  遺構・復元物]

真田昌幸が沼田平八郎景義の首を実験の後に載せた石と言われている。

沼田平八郎景義は、沼田万鬼斎顕泰と側室(金子美濃守の妹)の子であったが、内紛により会津に顕泰とともに落ち延びていた。

天正9年(1581)、沼田城奪還のために挙兵し沼田に迫ったが、伯父である金子美濃守に「沼田城を明け渡す」と欺かれ、沼田城内に招き入れられたところを殺害された。
亡骸は小沢城址に葬られ、沼田大明神として祀られている。

ー沼田市役所発行パンフよりー

平八石がある捨曲輪からは、名胡桃城方面をバッチリと望むことが出来ます。

2019年09月03日 
天王石(住吉石)[沼田城  遺構・復元物]



天正18年(1590)真田信幸が沼田城主となり市場を開かせるに当たり、見世頭吉澤将監がこの地に天王の宮社殿を建て牛頭天王(素戔鳴尊)を祀った。

慶長17年(1611)真田信幸が沼田城の改築にあたり、本町の町割を行い社殿を中町に(現在の須賀神社)遷座、旧宮地の印にこの石「天王石」を置いて祀った。

ー説明板前半部分より抜粋ー

市役所(テラス沼田)前に位置する。
駐車は市役所相向かいに立体駐車場があるのでそこを利用。3階渡り廊下よりテラス沼田に移動し1階へ。交差点手前の歩道に説明板と共にあります。

テラス沼田2階にある沼田市歴史資料館はオススメ。豊富な展示や資料の解説等、きっと満足するはずです。


2019年09月03日 
小松姫(大蓮院殿)の墓[沼田城  寺社・史跡]



塔身・基礎とも荘重な形の宝篋印塔で総丈271センチ。
塔身の正面に梵字による阿弥陀如来、勢至菩薩、観世音菩薩の阿弥陀三尊が刻まれる。

大蓮院は徳川四天王の一人である本多忠勝の娘小松姫で、徳川家康の養女として真田信幸に正室として嫁いできた。関ヶ原の戦いで西軍についた夫の父昌幸や弟の信繁(幸村)が沼田城に入るのを拒んだという逸話がある。

元和6年(1620)に江戸から草津に療養に向かう途中武蔵国鴻巣で没す。48歳。火葬・分骨にされて同所の勝願寺、沼田の正覚寺、上田の芳泉寺に葬られた。

ー沼田市教育委員会発行パンフよりー

沼田城址公園からは、改装移転した市役所(テラス沼田)を通過し2分程で到着。比較的分かりやすい場所なので迷うこともないと思います。

2019年08月28日 
荘田城[沼田城  周辺城郭]



荘田(しょうだ)城跡は沼田氏発祥の地として、また歴史的にも九州大友氏の祖として興味深い史跡(詳しくは添付写真をご一読下さい)です。
変遷【荘田城→小沢城→幕岩城→沼田城】

遺構としては、現地案内板に溝跡とある堀のようなもの。
また沢が流れており、簡素な堀のような役割を果たしていたように感じました。

館跡は、現在住宅地となっている場所が途切れた小高い丘上に、主に子供が遊ぶ公園になっていますが、草ボーボーで必ずしも整備が行き届いているとは言えません。

国道291号沿いのパチンコ屋さんの相向かいの道路入口から「荘田城址公園→800メートル」の案内看板があり、その看板は200メートル毎に設置されていますから、比較的スムーズに行けると思います。

※先日、熊出没の情報が入りました。リア攻めの際は一応ご注意下さい。

2019年08月26日 
小沢城跡(法城院)[沼田城  寺社・史跡]



小沢城跡は現在法城院というお寺さんなので、カテゴリーは寺社・史跡としました。

小沢城は、沼田氏8代景朝が応永12年(1405)に小沢川の崖端に築いた城である。永正16年(1519)に幕岩城へ移るまでの4代114年間の居城であった。
東南は小沢川の崖、西北は内外二重に堀を構え追手は北に開き東側の「折」で側防されており、堀・土居等が現在も残されている中世の城跡である。

京都相國寺の僧・万里集九の漢詩文書には「長享二年(1488)九月三十日、沼田館に着き鍛屋に宿る」とある。小沢城は沼田館・沼田城とも呼ばれていた。

なお同地には、天正9年(1581)沼田城奪還のために挙兵し、伯父である金子美濃守に「沼田城を明け渡す」と欺かれ、沼田城内に招き入れられたところを謀殺された沼田平八郎景義が「沼田大明神」として祀られている。

※沼田市役所発行パンフを参考にしました。

法城院さんの入口は普通車1台がギリギリの坂を上ります。角度的に一方向からの出入りがスムーズです。
上り切ると広い駐車スペースがあります。

2019年08月24日 
真田河内守信吉の墓[沼田城  寺社・史跡]



真田氏2代沼田藩主であった信吉の墓。

『天桂院殿前河州太守 月岫浄珊大居士墓 滋野朝臣真田信吉 寛永十一甲戌歳十一月念八日』の刻印があり、屋蓋に真田家の紋「六連銭」が刻まれた総丈297センチの宝篋印塔である。

信吉は初代沼田藩主信幸の長男。
元和2年(1616)に父信幸が沼田から上田に移ったために2代藩主となったが、寛永11年(1634)11月28日に江戸屋敷で没した。40歳。

遺骸は沼田へ送られ、迦葉山で火葬し天桂寺に葬られた。

ー沼田市役所発行パンフよりー

※天桂寺さんの駐車場に停めた場合、布積み石垣の遺構を左に見ながら通過。約80メートル程で墓参出来ます。



2019年08月23日 
戸鹿野八幡宮[沼田城  寺社・史跡]



戸鹿野(とがの)八幡宮は、沼田城主代々の守護神であった。
沼田城主沼田顕泰が享禄3年(1530)8月15日に後閑(ごかん)八幡宮を迎えて現在地に祀り城の守護神とした。金山城主由良氏が攻めてきて苦戦した際に、山鳩多数が敵陣上空を舞い敵を混乱させて勝利をおさめた地との伝承もある。

天正8年(1580)に真田昌幸が出陣に際して祈願して以来、代々武神として崇敬された。

現在の神社本殿は万治元年(1658)に建てられたものであり、境内には信州伊那郡上戸村の石工による亀甲積みの石垣や大鳥居をはじめとした多くの石造物がある。

ー沼田市役所発行パンフよりー

2019年05月24日 慈路安房守
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]



スタンプは入口入ってすぐの所にありますよ!
観光協会の方もとても親切でした!

2019年05月20日 下沼下総守雄信
天守閣趾[沼田城  遺構・復元物]



この説明板の後ろの一段高くなっている辺りに天守閣があったと推定されている。

2019年05月03日 わる爺陸前守
本丸堀跡[沼田城  遺構・復元物]



二の丸と本丸の間、幅約24m本丸側の石垣は約6mあるが破却で埋没しているとか。本来は更にでかいのか?

2019年05月03日 わる爺陸前守
丸池隣のトイレ[沼田城  トイレ]



蔵風で風情があります。

2019年04月28日 zenちゃん
沼田市観光協会[沼田城  スタンプ]



沼田市観光協会☆続100名城スタンプ設置場所(2019年4月28日撮影)

2019年04月24日 禁3密中務丞ひろぴい◢⁴⁶
布積石垣の遺構[沼田城  遺構・復元物]



真田時代の布積石垣が一部分残ってます。用水路も真田氏の整備。河岸段丘の城下と城内へ貴重な水を確保。

2017年05月11日 
沼田城

現在は沼田公園になっています。
三ノ丸の近くが駐車場になっています。

電車だと、JR上越線沼田駅より、徒歩20分くらいのようですが、坂になっているので、結構大変かもしれません。

現在は、天守閣はありませんが、5代目信利の頃、五層の天守閣を持つお城は、関東では、沼田城だけだったそうで、再建の話も出ているようです。

昨年の真田丸の影響で、たくさんの人が訪れたようで、以前行った時より、綺麗に整備されていました。

真田氏時代の遺構として、西櫓台の石垣と石段が残っています。
また、鐘楼を復元したものが、沼田城のシンボルにもなっています。

桜やつつじの季節は、とても綺麗で、
散策も楽しくできました。


2016年02月16日 永眠武蔵守釋 葱進
沼田城

大河ドラマ『真田丸』にあやかって、沼田市内の「上州沼田とんかつ街道揚げ上げ隊」という団体が『真田めし』という企画を立ち上げて一般客に提供しています。
提供店は国道120号沿いのとんかつ店がメインですが、洋食店や全国チェーンのカレー店なども参加しています。
メニューも各店オリジナルで、揚げ物で兜をイメージしたり、ひれかつ6枚で六文銭を表したりと見た目も楽しめます。

ただ、ほとんどの店が沼田ICの東側(尾瀬方面)にあるため沼田公園(城跡)や市の中心部(市役所など)から離れており(近い店で4kmほど)、鉄道利用だとちょっと寄りにくいかもしれませんね(路線バスはある)

2016年02月16日 永眠武蔵守釋 葱進
沼田城

河岸段丘の地形効果を活かした城&城下を実感するなら、車なら是非とも国道17号経由で訪問してみてください。
(JR利用だと必然的に段丘を登ることになります)

この時期の沼田公園(城跡)は、市街地に雪がなくても雪が残っていたりぬかるんでいたりするので、靴などそれ相応のものを用意しましょう

2015年09月22日 伊勢守菊月姫
沼田城

先程、公園管理をしている方が「真田の石垣がでたから現在試作堀してるよ」と教えてくれました。

2015年05月19日 牢屋見廻り同心マダオ
沼田城

ゲーム戦国無双4とのコラボ説明板が城内に設置されています。(私が確認したのは5基)また駐車場に設置されている自販機も戦国無双4とのコラボとなっています。信之と稲姫の幟もあります。

2014年04月20日 中務卿一之介
沼田城

沼田駅から徒歩では20分弱くらいです。舗装されていますが、途中が階段になっている、かなりの急坂を行きます。
私は桜の開花時期に行きましたが、人が多いだけでなく、露店も多く出ているので、城郭をじっくり見たい場合は、桜の季節は避けた方がよいと思います。

2012年05月08日 傾奇揚げ仙兵衛
沼田城

ここで飼っているオームの羽音がスゲーのなんのって

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