阿岨城
阿岨城([沼田城 周辺城郭])
沼田城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:周辺城郭)、「阿岨城」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
阿岨城の口コミ情報
2023年04月30日 マグロ常陸介祐平
沼田城の支城で、沼田城を展望出来る対面の台地に位置します。
部分的ですが、幅が10m程ある2重の堀が見られます。空堀の内側の案内板のある土塁のように見える狭い高台(重たくて写真が貼れません)が主郭だと思われますが、侵食で削られてしまったのか、3000の兵と戦う人数が詰められるスペースではありません。本来城域は広かったようです。
このお城、空堀の土木量がある割には土塁が目立ちません。主郭の盛土として使用したのでしょうか。
城の背面は絶壁となっていますが、城主の金子美濃守は落城の際、騎馬もろとも崖を滑り落ち脱出したそうです。鵯越の数倍の難易度と思われます。
2020年06月15日 龍馬太閤【備中の麒麟児】
群馬県の利根郡昭和村にある阿岨城☆阿岨城は沼田城を守護する沼田城の支城の一つとして築城されました☆沼田顕泰(万鬼斎)は幕岩城から沼田城に移りますがその際に万鬼斎の愛妾ゆのみの方の兄、金子美濃守にこの城が与えられました☆北条氏邦が長井坂城、阿岨城、鎌田城を次々に攻略しに来ます☆その際に阿岨城では北条の兵3000騎の夜討ちにあい金子美濃守は騎馬もろとも断崖を滑り落ちて脱出しました☆
現在、城郭の一部のみ残っている状況です☆
主郭を取り巻く二重堀は鮮明に残ります☆
2020年01月10日 真田上野介信吉
沼田城を守護する沼田城団の一つ。築城年代は不詳であるが、『加沢記』に記された激戦の模様から天正8~15年(1580~1587)ごろ存続していた砦であることが知られます。
天正9年(1581)、沼田氏を滅ぼした真田昌幸は、森下城に加藤丹波守、阿岨城に金子美濃守を配するなどして利根沼田地方の配備を固めました。
天正10年(1582)、北条氏邦は長井坂城、森下城とともに阿岨城を攻略します。『加沢記』によると、阿岨城は北条の兵2千騎の夜討ちに遭い、混乱する兵を見限った金子美濃守は岩を下り海王山金剛院(沼田市)に逃れたといいます。
-昭和村『文化財マップ』より-
添付写真のように、公園化されキレイに整備されています。
主郭より沼田城下が一望出来、また眼下には大きな岩など崖が広がる。
遺構は主郭・二郭、二重堀、南西側の堀。
駐車スペースは3台程度。