本能寺(ほんのうじ)

本能寺の基本情報

通称・別名

本能寺城

所在地

京都府京都市中京区元本能寺南町(旧本能寺跡)

旧国名

山城国

分類・構造

城郭寺院

天守構造

なし

築城主

日隆

築城年

応永22年(1415)

主な改修者

主な城主

法華衆、織田信長

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

二条城(京都府京都市)[1.0km]
二条古城(京都府京都市)[1.6km]
聚楽第(京都府京都市)[2.2km]
小泉城(京都府京都市)[2.4km]
霊山城(京都府京都市)[3.0km]

本能寺の解説文

本能寺(ほんのうじ)は、京都府京都市中京区にある、法華宗本門流の大本山。本能寺の変の舞台として知られる。現在の寺院には、恵昇院、蓮承院、定性院、高俊院、本行院、源妙院、龍雲院の7院の塔頭がある。

歴史
本能寺は、当初は「本応寺」という寺号で、応永22年(1415年)、京都油小路高辻と五条坊門の間に、日隆によって創建されたものである。

寺地は北を五条坊門小路、南を高辻小路、東を西洞院大路、西を油小路に囲まれた地であった。

日隆は妙本寺4世・日霽に師事するが、法華経の解釈をめぐり本迹勝劣を主張した日隆は、妙本寺5世・月明と対立。応永5年(1418年)、本応寺は月明により破却され、日隆は河内三井(本厳寺)・尼崎(本興寺)へ移った。永享元年(1429年)、帰洛して大檀那・小袖屋宗句(山本宗句)の援助により、千本極楽付近の内野(大内裏跡)に本応寺を再建。永享5年(1433年)、檀那・如意王丸なる人物から六角大宮の西、四条坊門の北に土地の寄進を受け再建し、寺号を「本能寺」と改めた。

その後、本能寺は法華経弘通の霊場として栄え、中世後期には洛中法華21ヶ寺の一つとなり、足利氏の保護を受けた。寺域は六角小路以南、四条坊門小路以北、櫛笥小路以東、大宮大路以西で方1町の敷地を有し、また多くの子院も有していた。応仁の乱後、京都復興に尽力した町衆は、大半が法華宗門徒で、法華宗の信仰が浸透し「題目の巷」と呼ばれ、本能寺は繁栄を極めた。天文5年(1536年)天文法華の乱にて延暦寺・僧兵により、堂宇はことごとく焼失し、一時堺の顕本寺に避難した。

日承上人・本能寺の変
天文16年から17年(1537-1538年)ごろに帰洛し、日承上人(伏見宮第5代邦高親王の子)が入寺して本能寺8世となった。四条西洞院大路、油小路、六角小路、四条坊門小路にわたる地域(旧本能小学校のあたり)に広大な寺地を得て、大伽藍が造営され、子院も30余院を擁した。

日隆の開山以来、尼崎の本興寺とともに山号はなく両山一貫主制をしいていたが、その後、歴代貫主が地方に布教し、日承の時代には末寺が畿内、北陸、瀬戸内沿岸諸国さらに種子島まで広布し、本能寺を頂点とする本門流教団が成立した。

本能寺は、早くから種子島に布教していたことから、鉄砲・火薬の入手につき戦国大名との関係が深かった。

織田信長は日承に帰依して、この寺を上洛中の宿所としていた。しかし、天正10年6月2日(1582年6月21日)、明智光秀の率いる軍勢に包囲されるという本能寺の変起きて、その際の兵火で堂宇が焼失した。『信長公記』では同寺で信長が自害したとしているが、遺体は発見されず、その最期は明らかではない。しかし一般的には生害地とされ、光秀を破って京に入城した織田信孝は、16日、焼け跡に光秀の首と胴、その手勢3,000の梟首を晒させて供養している。7月4日、信孝は同寺に御触を出して、信長の御屋敷として造成された焼け跡を墓所とするように、離散した住僧は戻るように命じている。

現在の場所への移転とその後...

本能寺の口コミ情報

右近衛少将沙月#様[2017年05月09日]
現在の本能寺からは2km弱離れた、特別養護老人ホームが本能寺の変があった場所です。春には碑の上に見事な桜が咲きます。南側(本能寺の変の碑に対して右手方面)には浄土真宗のお坊さんがやってるbar、北東には信長茶寮があります。また京都の有名カフェうめぞのも近いですよ。

【無】仙石権兵衛駿河守秀久様[2017年05月08日]
2017年5月1日に攻略。
城めぐから連動している地図アプリを使ってリア攻する場所は、現在の本能寺ではなくいわゆる本能寺跡で、街中のとても狭い道路脇にポツンと「此付近 本能寺址」と書かれた石碑となります。
道幅の割にとても交通量が多く、付近に駐車スペースはありませんので車で行くのはお勧め出来ません(恐らく素通りするか一瞬確認出来るくらい)。

私は自転車で行きましたが、自転車か徒歩で行くのがお勧めです。撮影の際には往来する車に十分した方が良いでしょう。

若狭守次郎吉様[2017年03月05日]
遺構は何もありませんでした。アプリの地図が示しているところに石碑と説明板があるのみです。

如月右兵衛佐兵糧職人様[2015年07月31日]
街の中にぽつんと石碑が建っていました。
後ろの建物は炎に落ちてしまった本能寺を
教訓にするように、消防団の分隊本部になっていました。

石田治部少輔三成@雲龍様[2010年07月17日]
月並みだが、言っておくか…
「敵は本能寺にあり!」
(笑)
19日まで信長展やってるよ(いまの本能寺の宝物館…森乱丸のアレが展示されてます(^^))

もとい兵庫助様[2010年06月26日]
今の本能寺ではありません。

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