中尾城(なかおじょう)

中尾城の基本情報

通称・別名

所在地

京都府京都市左京区浄土寺大山町他

旧国名

山城国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

足利義晴

築城年

天文18年(1549)

主な改修者

主な城主

足利氏

廃城年

遺構

曲輪、土塁、堀切

指定文化財

再建造物

碑、説明板

周辺の城

将軍山城(京都府京都市)[1.3km]
霊山城(京都府京都市)[3.7km]
宇佐山城(滋賀県大津市)[3.9km]
二条古城(京都府京都市)[4.3km]
山科本願寺(京都府京都市)[4.9km]
聚楽第(京都府京都市)[5.1km]
本能寺(京都府京都市)[5.2km]
壺笠山城(滋賀県大津市)[5.3km]
二条城(京都府京都市)[5.5km]
大津城(滋賀県大津市)[5.7km]

中尾城の解説文

中尾城の戦い(なかおじょうのたたかい)は、天文19年(1550)11月21日に現在の京都府京都市左京区浄土寺の中尾城で行われた戦い。

経過
天文18年(1549)6月の江口の戦いに敗れた細川晴元は京都へ退却すると、室町幕府13代将軍足利義輝とその父で大御所足利義晴を連れて京都から逃げ出し、近江守護六角定頼を頼り琵琶湖西岸の坂本へ移動した。代わって晴元に勝利した元家臣の三好長慶が7月に上洛、将軍を失った幕府に代わり京都の行政を取り仕切るようになり、危機感を募らせた義晴は京都復帰を目論み、10月18日に京都郊外の東山にある慈照寺(銀閣寺)の裏山に中尾城の建設を始めた。翌天文19年(1550)5月4日に義晴は病死したが、子の義輝も打倒長慶を誓い6月9日に晴元と共に中尾城へ入城、7月8日に東山の麓の吉田・浄土寺・北白川へ出兵した。

14日、三好長逸・長逸の子三好長虎(弓介)・十河一存ら1万8000人の三好軍が上洛、幕府軍も応戦して市街戦となった。しかし、主力の晴元は吉田に、援軍の六角軍は北白川に留まり動かなかったため、足軽100人だけが出撃して小競り合いに終わった(東山の戦い)。この時、長虎の与力1人が幕府軍の鉄砲に当たり死んだ話を公家の山科言継が聞きつけ、日記に書いた記録が日本初の鉄砲使用例とされている。

市街戦は小競り合いだけの戦闘で両軍の主力がそれぞれ大山崎、中尾城へ引き上げたためさほど進展は見られず、10月20日に三好軍が再度上洛、東山の幕府軍と交戦、これも小規模な戦に止まった。しかし、11月に入ると長慶は積極的な攻勢に踏み切り、11月19日に中尾城麓の聖護院・北白川・鹿ヶ谷・田中などを放火して威圧、近江への派兵も企て20日に松永長頼を近江へ向かわせ、大津・松本周辺を放火させた。敵が琵琶湖周辺に進出したため後方を脅かされることを恐れた義輝は撤退を決断、21日に中尾城を焼いて坂本、次いで坂本から北の堅田へ逃れた。中尾城は2日後の23日に三好軍が入り破却された。

義輝が近江へ撤退したため長慶は当面京都の安全を確保できたが、天文20年(1551)になると2度の暗殺未遂事件に遭遇、それに乗じた幕府軍の京都襲撃が起こり、再び長慶は防衛戦に向かわねばならなくなった。

参考文献
・戦国合戦史研究会編著『戦国合戦大事典 六 京都・兵庫・岡山』P87 - P89、新人物往来社、1989年。
・長江正一『人物叢書 三好長慶』P109 - P115、吉川弘文館、1968年(新装版、1989年4月)。ISBN 978-4-642-05154-5
・今谷明『戦国三好一族 天下に号令した戦国大名』P154 - P161、洋泉社、2007年。
・福島克彦『戦争の日本史11 畿内・近国の戦国合戦』P105 - P108、吉川弘文館、2009年。

中尾城の口コミ情報

2020年06月08日 小野近江守湖青
灰山城[中尾城  周辺城郭]



園城寺の上、長等山から如意ヶ嶽を中心に如意越沿線、京都の鹿ヶ谷にまで寺域を誇っていたという如意寺が既に、とてつもないスケールと魅力を感じますがお城の口コミです、その如意寺の、叡山を借景とした庭園付近に応仁の乱の戦火で寺が終焉を迎えた後に築かれたという灰山城はあるそうです。

詳しいことを、私は知りません。そんな予備知識も無しで訪城するものですから、庭園付近を見て回って、見所と有名な土塁も見つけられず、また、如意越に対してどんな縄張配置だったのかもあまりイメージできず、ああ、もう一度、ちゃんと勉強して訪れたいなあ、と反省と楽しみを残すこととなりました。少しのことにも、先達はあらまほしきことなりです。

訪城方法としては鉄道駅からの徒歩に絞ってもまだ沢山のルートがあり、灰山城だけを目指すなら最寄りは上栄町駅、三井寺駅でしょうか。但し三井寺さんを通過するルートは、関銭徴収があります。如意ヶ嶽城とセットでお考えなら、山科駅や蹴上駅、出町柳駅などからも意外と近い…いや、近い遠いは個人個人の感覚によります。

写真は、

灰山城から大津方面を見下ろす。

灰山庭園。

庭園東側の堀底道?現代の如意古道(如意越と案内標識のあるハイキングルート)は堀切の右上を通って、その先(三井寺側)でこの堀底道と合流します。左側は小さいながら平坦地がありました。

庭園の巨石の裏はこんな感じで天然の切岸(切ったかどうかわかりませんが)となっています。

土橋。しかし城域側(写真手前)より長等山(三井寺)側のほうが高いような。

です。


2020年06月08日 小野近江守湖青
如意ヶ嶽城・如意岳城[中尾城  周辺城郭]



先達の方のスポットを活用させて頂きます。如意ヶ嶽城は、京と大津を結ぶ、保元物語や吾妻鏡にも登場する古道「如意越」の京都側で標高を落とす際を抑える要所、現代で言うと大文字山の三角点付近を中心に位置します。赤色立体地図で見ると、如意ヶ嶽からそれぞれ東西にまっすぐのびる尾根(如意越)の西端、尾根が二俣に別れ、これより京都方面へは西(如意越を中尾城方面へ降りる)か南(東岩倉山城方面へ東山稜線を…当時は1周トレイルみたいな道ってあったんでしょうか)へ行くしか無い地点の北側(平坦地になっており?削平しており?兵力を置きやすい)に構えるという意図が分かりやすいのでよろしければ地図を切り替えて楽しまれてはいかがでしょうか。

訪城される際にお間違えないよう、しつこいかもですが、如意ヶ嶽城は如意ヶ嶽山頂ではなく大文字山山頂付近です。そして火床(大の字)は大文字山山頂ではなく山頂(如意ヶ嶽城)はも少し上です。

写真は、

神楽岡山城上(吉田山)より8月16日20時の如意ヶ嶽城。(大の字の右上です)送り火の日は中尾城からのルートは関係者以外利用できませんので、訪城の際は鹿ヶ谷からの如意越正規ルートや、京都一周トレイルを利用なさって下さい。が一枚。

如意ヶ嶽城より東岩倉山城のある大日山、霊山城の霊山など東山三十六峰南部とその先に伏見、山々に隔てられた右側京都、左側山科の町を俯瞰する、が一枚。

虎口を如意越側から、が一枚。

土塁(左側が如意ヶ嶽城域)と堀切、が一枚。

如意越京都側に備えている段曲輪、が一枚。

あと、5枚を超えるので、「全スポットの写真を表示」にするお手間をかけますがそれでもよいよ、と思って下さる方、

土塁上から土塁と曲輪内部(左側)、を一枚。

如意越と城域を渡す土橋、を一枚。

を投稿させて頂きたいと思います。

中尾城写真に、ここまで来たら如意ヶ嶽城も
楽しいですよってコメント入れた時には未だ、リア攻めマップがなかった頃だったな…と、この機能に感謝と思い入れいっぱいです。

2017年12月21日 大隅守
中尾城

銀閣寺の裏の大文字山へ登っていきます。

途中 中尾城との分岐がありますがそのまま大文字山へ 大文字山へ着いて奥へ上がってく行く道がありますのでそのまま上がってく行くと 如意ヶ岳城に着きます。ここまで来ると一気に人が居ないので たっぷり散策出来ます。

土塁、横堀、土橋、曲輪があります。
是非 一度訪れて見てください。

2017年06月06日 木下近江守湖一郎
中尾城

中尾城、中尾西城を訪れました。
城は昔からの街道である山中越え沿いで、銀閣寺の裏の手に位置する山に築かれてます。
中尾城は、足利義晴が近江から戻るために築かれ、中尾西城はそれよりも前の築城と言われています。
どちらも中尾山が街道沿いにあるために築かれたことが現地へ行くとよくわかりました。
アクセスは、大文字山の登山口を途中で逸れると中尾西城の入り口があります。ただ、看板も何もなく、事前に調べてから行かないと迷う可能性があるので、ご注意を。。。いくつかのホームページにアクセス方法が書いてありましたので、参考にしてください。中尾西城から中尾城へは迷わずにいけます。
どちらもそれなりの急坂です。登山靴など、最低限の装備は必要です。
遺構は、中尾西城は大土塁が、中尾城は堀切など見所です。こちらも案内はありませんので、縄張図を事前に入手してから現地へ赴いた方が良いと思います。
私はいきませんでしたが、中尾城の後に大文字山から京都市内を眺めると満足度がアップするでしょう。
下城後は、白川や百万遍辺りのラーメンで、疲れを癒しましょう(^_^)

2017年05月15日 橘若狭守次郎吉
中尾城

足利義晴が築いた陣城跡。銀閣寺の裏の大文字山の支尾根筋にある。

城跡へは大文字山への登山道から脇にそれて、尾根筋上を登っていく。思ってたより酷道ではなく、登りやすい。中尾城跡までの途中には中尾城の出城である「大山出城跡」がある。大土塁と高切岸が見事なものだ。見なきゃ絶対に損する!

中尾城跡の主な遺構は曲輪、土塁、堀切、竪堀、土橋、一騎駆け、虎口、櫓台…。最北端と最南東端、主郭の少し南東の3ヶ所を堀切によって尾根筋を断ち切っている。特に最南東端の二重堀切はとても興味深いな形状で見処である!
他にも主郭の土塁が見処!主郭には「中尾城跡」と書かれた手製看板がある。

ひとつ意外だったのがハイキング客がまぁまぁいた事。もっとも城攻めが目的では無さそうだが…。

2017年01月04日 石徹城弾正忠和秋
中尾城

銀閣寺の裏から山道が続いていますが、似たような尾根道ばかりで経験がないと辿り着けません。本丸には看板がありますが、それ以前には案内が一切なし。本丸周辺には土塁と堀切があります。

後は登山道の途中に足利氏と三好氏の合戦で亡くなった兵を弔う千人塚がある。

2011年09月27日 宍伯耆守
中尾城

歩道内結構道ややこしく、迷いやすいです。
先日猿に襲われるなど、獣が多いので、防獣対策をして下さい。

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