将軍山城(しょうぐんやまじょう)

将軍山城の基本情報

通称・別名

勝軍山城、勝軍地蔵山城、瓜生山城、北白川城

所在地

京都府京都市左京区北白川清沢口町

旧国名

山城国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

細川高国

築城年

永正17年(1520)

主な改修者

内藤彦七、足利義晴、明智光秀

主な城主

細川氏、足利氏、明智光秀

廃城年

不明

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)

指定文化財

再建造物

周辺の城

中尾城(京都府京都市)[1.3km]
宇佐山城(滋賀県大津市)[4.0km]
二条古城(京都府京都市)[4.6km]
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霊山城(京都府京都市)[4.8km]

将軍山城の解説文

瓜生山城(うりゅうやまじょう)は、現在の京都市左京区北白川清沢口町(当時は山城国愛宕郡)にある瓜生山(標高301m)に築かれた戦国時代の山城である。この山の所在地より北白川城(きたしらかわじょう)、山の別名より勝軍地蔵山城(しょうぐんじぞうさんじょう)とも呼ばれている。

瓜生山は南北朝時代の延文6年/正平(1361年)以来、勝軍地蔵堂が設置(江戸時代の宝暦12年(1762年)に麓の現在地(北白川瓜生山町)に移転)されて信仰の対象とされていた。

ところが、大永7年(1527年)、管領細川高国が細川晴元に対抗するために瓜生山山頂から東の地蔵谷にかけて城を築城した。これが瓜生山城の創始とされる。だが、享禄4年6月6日に高国の戦死に先駆けて落城した。

続いて、天文16年3月30日、将軍足利義晴が管領となっていた細川晴元を討つために洛中の細川氏綱・近衛稙家らと結んでここに籠城するものの、7月12日に京都を制圧していた晴元の攻撃を受けて7日後の天文16年7月19日に落城し、義晴・義藤親子は近江国に脱出した。

更に永禄4年2月24日には、三好氏家臣松永久秀がこの城にいた六角氏家臣永原重澄を攻め滅ぼしている。

その後、織田信長の比叡山焼き討ちでは、明智光秀がこの城に入って延暦寺を牽制するが、信長の京都支配が確立すると、その軍事的意義を失って廃城になったと見られている。

参考文献
『日本歴史地名大系 27 京都市の地名』(平凡社、1979年) ISBN 4582490271

将軍山城の口コミ情報

ソバッソ店長様[2017年06月07日]
狸谷不動院から城域に入れます。
縄張り図ありませんので、事前に準備してから登った方が楽しいです。

僕は事前準備を怠ったため、主郭を見て満足きてしまいましたが、「京都府文化財保護課ホームページ」から縄張り図を引っ張りだすと、4つの城域から形成されているとの事です。

登城に15分
主郭散策に60分
主郭東端の大堀切を超えて、更に東へ進むと次の城域へ辿り着けます。

遺構や見所は先人様の口コミの通りです。全て見て回るとどれくらい時間かかるんかなぁ。
涼しくなったらリベンジしてきます。


ちなみに、楽しいですよ。

若狭守次郎吉様[2017年05月18日]
狸谷不動院のところから登りました。予想以上に縄張りが広くてびっくりしました。北白川出城も含めるともっと広いです。

将軍山城の主な遺構は曲輪、空堀、堀切、竪堀。段曲輪が多く、切岸が高いのが特徴です。主郭の祠の裏には城の名前の由来となった「勝軍地蔵」が安置されてます。

一方、将軍山城の出城の北白川出城の主な遺構は曲輪、堀切、竪堀、一騎駆け。将軍山城よりも新しめの縄張りのように感じました。

将軍山城と北白川出城は土橋で結ばれていました。

勝之助丹後守様[2015年06月28日]
日本バプテスト病院の駐車場奥から登って行きます。

京都一周トレイルコース上にあるのでルートは分りやすいと思いますが、倒木や岩などが転がっているので注意が必要です。

麓から約30分で山頂にたどり着けます。

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