船岡山城(ふなおかやまじょう)
船岡山城の基本情報
通称・別名
- 船崗山城、山名城
所在地
- 京都府京都市北区紫野北舟岡町
旧国名
- 山城国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 大内政弘
築城年
- 応仁元年(1467)
主な改修者
- -
主な城主
- 大内氏、山名氏、細川氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、横堀(空堀)
指定文化財
- 国史跡(船岡山)
再建造物
- 石碑、説明板(船岡山)
周辺の城
-
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船岡山城の解説文
[引用元:Wikipedia「船岡山城」の項目]
船岡山城(ふなおかやまじょう)は、京都市北区にあった中世の日本の城(山城)。別名、船崗山城、山名城とも呼ばれている。
概要
船岡山城は、応仁元年(1467年)に始まる応仁の乱の西軍の城として船岡山に築造された。翌年、東軍によって落城し、その後は東西両軍とも利用しなかったため、廃城となった。臨戦用の陣城と推定されており、恒久的な城郭施設の存在は不明である。遺構としては山腹に横堀が掘られており、堀の外側土塁が積みあがっている。また山頂部にはかなり広い削平面が確認でき、典型的な中世の山城であった。
沿革
応仁の乱で、備前国守護の山名教之や丹後国守護の一色義直らが船岡山城で立てこもった。この時に、西軍は船岡山一帯を陣地としたため、その後「西陣」の名で呼ばれるようになる。
次は、永正8年(1511年)に細川政賢と大内義興の間で繰り広げられた船岡山合戦が行われた。
アクセス
- 北大路駅(京都市営地下鉄烏丸線)より京都市営バス乗車、船岡山バス停または建勲神社前バス停下車
参考文献
- 【書籍】「日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井」
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船岡山城の口コミ情報
2024年06月03日 くが
船岡山城
織田信長公信忠公を御祭神とする建勲神社の裏手にあります。山というほど高くはないですが、丘は船岡、と清少納言が詠んだ程度にはそこそこの坂道を上ります。初夏〜秋までは樹勢が強いので虫よけ必須かもしれません。
2023年06月28日 尼崎城駿河守一口城主
船岡山城
[東側:建勲神社周辺]6月17日、船岡山の三角点から建勲神社方面に進みましたが、斜面-広めの道-斜面となっている縄張りの痕跡かもと思われる道があり(写真①②)、神社の南側の階段登り口付近に船岡山の説明板がありました。(写真③)
神社の本殿をお参りした後に振り返ってみると東側に大文字が見え(写真④)たり、境内には信長公を祀っている神社のため「敦盛」の一節の石碑がありました。(写真⑤)本殿から東に進むと神社境内図(写真⑥)があり、その辺りから南側を見ると京都タワーなどの街並みがよく見渡せました。(写真⑦)
船岡山西側にある山頂の三角点方面から本殿に向かったので最後に鳥居をくぐる形となりましたが当日は快晴に恵まれ青空をバックに鳥居を取ることが出来ました📷(写真⑧)
2023年06月28日 尼崎城駿河守一口城主
船岡山城
[西側〜船岡山三角点]6月17日登城。当日は刀剣巡りで上洛して北野天満宮をお参りした後に信長公を祀る建勲神社を目指しました。北野天満宮から北東方面に進み千本通りの緩やかな坂を北上して行きましたが建勲神社が鎮座する船岡山が船岡山城でした。船岡山は応仁(1467〜1477)・永正(1511)の乱の拠点になった所とのことです。(写真①②)
山頂を目指して散策中、屋外ステージと蝶🦋をセットで撮ろうと試みましたが運良く撮れました。(写真③)山城の遺構のような部分も所々見受けられました。(写真④)頂上まであと少しの所に植えられてからまだ日が浅いと思われる樹木🌿があり縁起の良いVの字に見えたのでこちらも撮影。(写真⑤)頂上からは出発地点の北野天満宮をはじめ京都の街をよく眺めることが出来ました。(写真⑥⑦)応仁の乱など戦の時に拠点にしたのもよくわかる周囲がよく見渡せる場所でした。頂上には標高111.89mの船岡山の三角点もありました。(写真⑧)
2022年10月30日 山城守トラ
船岡山城
もう少し遅い時期なら紅葉も綺麗かもです。
2022年06月13日 真田和泉守幸晴
竪堀[船岡山城 遺構・復元物]
船岡山城北側に、竪堀があります。
①城北側の公衆トイレから西側に登っていく竪堀
②城北側の公衆トイレから北側に続く堀
この二つが遺構として存在しています。
①と同じ位置には、土塁らしき物も確認できます
2022年05月02日 RED副将軍
船岡山城
応仁の乱における西軍の拠点。
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1467年に山名宗全が応仁の乱で西軍の北方の要所として築城。守将として小鴨安芸守が入城。
1468年、東軍の細川勝元が攻め寄せ落城。
その後は長らく使用されませんでしたが、1511年、足利義澄と足利義稙の将軍政権抗争において、義澄方の細川澄元はここを修築し、義稙方に備えてたといわれます。
細川高国、内藤貞正、大内義興の義稙方の大軍が丹波から攻め入り、澄元は大敗しました。
見所
船岡山の山頂に築かれるも、公園化により遺構の大半は消失。しかし、主郭北側下に横堀が残ります。横堀は西側で竪堀となり落ちています。
山頂からの眺望は素晴らしく、京都市街が一望でき、左大文字が直ぐ近くに見えます。
駐車場は無いので、周囲のコインパーキングを利用しました。
織田信長を祀る建勲神社も直ぐ近くですので併せての訪問をオススメします。
2021年04月04日 吉継大膳大夫
船岡山城
近くに、信長公を祀る神社⛩があり、それ以前の応仁の乱時にも城として使われていました。また山頂からは京都の町を一望できて素晴らしいところです。
2021年01月03日 カツ
船岡山城
神社で信長の御朱印・御朱印帳が買えました。
2020年11月19日 源山城守@ポンコ2…㉔㉕
船岡山城
阪急西院駅でレンタサイクル(¥320)を使い、千本通側の登り口から入りました。西院駅から4㌔弱で今出川通の北側あたりから緩やかな上り坂となります。
なお、レンタサイクルは電動自転車(¥420)もあり、どちらも翌朝10時までに返却すれば追加料金なしです。
京都市内は、車ないとバスやタクシー、地下鉄での移動となりますが、レンタサイクルは小回り効いていいです。
千本通側から、ラジオ塔などある主郭跡と言われる山頂まで5〜6分で行けましたが、切岸っぽいものやチャート岩、門柱っぽい柱穴の礎石らしきものに出会えます。
ただ遺構はなかなか見つけにくく、織田信長公を祀る建建勲神社のほうに下ると、横堀などに辿り着けます。
一応、合戦関係なく建勲神社にもお参りしました。
遺構は北側中心のようですが、建勲神社により柵がしてる部分もあり、全容はつかみづらいかと。柵内に土塁などあるのかもしれません。横堀や切岸などが印象に残ります。ただ、主郭跡からは京都市内が一望でき、この眺望から応仁の乱や船岡山合戦の舞台になったのも、うなずけました。
夏は灼熱、冬は底冷えの京都ですが、公園化されてるので、気候がよい時季に藪好きのご期待に添えないですが、ついでに期待せず登城されてもいいかと思います。
登城時の本日、11月としては111年ぶりの約27℃と夏日のため汗だくでした。
2018年07月21日 木下近江守湖一郎
船岡山城
先人も書いてる通り、京都市内一望できる最高のロケーションの城跡。
遺構自体は少ないが、京都市域の北部に位置しますので、北野社や大徳寺、御土居などとセットで訪れるのも良いのではないでしょうか。
オススメは上記を観光後、麓にある船岡温泉(銭湯なので石鹸、タオルは持参必要)で汗を流し、「ごはんや いとう」という定食屋さんでご飯を食べてはどうでしょうか。オススメのメニューはおろしトンカツです。
2017年05月12日 ❖ℵ左衛門尉hayakaze
船岡山城
公園として整備され、小さいグラウンドや昔のラジオ塔、野外音楽堂みたいなのが有ります。
山というより岡かな。
織田信長公を祀った建勲神社は5月はツツジがきれいです。
周りに大きな建物が建ったせいで、昔ほど眺めは良くはないですが、京都市内ではかなり眺めが良い所だと思います。
左大文字や舟形はすぐ近くにあり、五山の送り火の時はよく見えることでしょう!
2015年08月01日 ソバッソ80.0
船岡山城
学生時代は五山の送り火が全部見えるくらい眺望が良かったので、夜景を見に行った想い出があります。
そん時は城跡だなんて知らなかった(そもそも城に興味無かった)ので、今回が遺構探しは初めてです。
すこし傾斜のある平山城で、地面はしっかり舗装されており、近所の老夫婦が微笑ましく散歩されてました。
ちょっと登ると憩いの場みたいな小屋があり、そこに近隣住民さんが憩ってます。その辺りから五山の送り火が見られます。
さらに奥に進むと、あ、これは遺構だなって感じの土塁と横堀が出てきました。橋が架かってるので、門跡みたいなんないかなーと探したけど、僕では見つけられずです。
建勲神社境内の看板があり、そのまま階段を登ると三角点が出てきます。
京都タワーまでバッチリ見える眺望の良さ、夜に来るのもまた一興ですが、取り憑かれやすい方は要注意でお願いしますね。
帰り道に土塁と切岸見つけましたが、暑かったので既にへばっており、テキトーに撮影しちゃいました。
また涼しくなったら行きます。