御土居(おどい)

御土居の基本情報

通称・別名

御土居堀

所在地

京都府京都市北区鷹峯旧土居町、大宮土居町、紫野西土居町他(地図は鷹ヶ峯の御土居を示す)

旧国名

山城国

分類・構造

防塁

天守構造

なし

築城主

豊臣秀吉

築城年

天正19年(1591)

主な改修者

主な城主

豊臣氏

廃城年

寛文10年(1670)

遺構

土塁、堀

指定文化財

国史跡(御土居)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

船岡山城(京都府京都市)[0.9km]
聚楽第(京都府京都市)[2.6km]
二条古城(京都府京都市)[3.5km]
二条城(京都府京都市)[3.7km]
堂ノ庭城(京都府京都市)[3.8km]

御土居の解説文

御土居(おどい)は豊臣秀吉によって作られた京都を囲む土塁である。外側の堀とあわせて御土居堀とも呼ばれる。聚楽第、寺町、天正の地割とともに秀吉による京都改造事業の一つである。一部が京都市内に現存し、史跡に指定されている。

位置
秀吉時代の御土居の位置に関する記録は現存しないが、現存する遺構や江戸時代の絵図からその位置が推定されている。

御土居の囲む範囲は南北約8.5km、東西約3.5kmの縦長の形をしている。御土居は必ずしも直線状ではなく、特に西側では数箇所の凹凸がある。全長は約22.5kmである。北端は北区紫竹の加茂川中学校付近、南端は南区の東寺の南、東端はほぼ現在の河原町通、西端は中京区の山陰本線円町駅付近にあたる。また東部では鴨川(賀茂川)に、北西部では紙屋川(天神川)に沿っており、これらが堀を兼ねていた。

御土居の内部を洛中、外部を洛外と呼んだ。ただし、御土居の内部であっても鞍馬口通以北は洛外と呼ばれることもあった。

洛中とを洛外を結ぶ道が御土居を横切る場所を「口」と呼んだ。現在でも鞍馬口、丹波口などの地名が残っている。『三藐院記』(近衛信尹の日記)によると御土居建造当時の口は10箇所であった。

構造
1920年(大正9年)に京都府が行なった実測調査によると、御土居の断面は基底部が約20m、頂部が約5m、高さ約5mの台形状であった。土塁の外側に沿って堀があり、その幅は10数m、深さは最大約4m程度であった。

御土居の上には竹が植えられていた。また御土居の内部から石仏が出土することがあるが、その理由は不明である。

建造の目的
秀吉自身が御土居建設の目的を説明した文献は現存しないが、以下のような理由が推測されている。

防衛
戦国時代後期の都市の多くには惣構と呼ばれる都市全体を囲む防壁があった。当時の京都は応仁の乱後の荒廃により上京と下京の2つの町に分裂し、それぞれに惣構があった。秀吉は京都の町を拡大するためこれらの惣構を取り壊し、それに代わる大規模な惣構として御土居を建設したと考えられている。ただし、防衛のみを目的としたにしては以下に述べるような不自然な点がある。...

御土居の口コミ情報

まるき〜遠江守様[2017年06月26日]
御土居…それは京都を囲む巨大な土塁
散歩中のおじさんに聞きましたら、昔は万里の長城のように全て繋がっていて敵?の進入を防いだりしていたそうです。今はほとんどの部分が破壊され所々遺構として残っているらしいです。

史跡指定されている御土居の場所
案内板より記載
①北区鷹ケ峯旧土居町2
②北区大宮土居町
③北区紫竹上長目町上堀川町
④上京区広小路上ル
⑤中京区西ノ京中合町
⑥上京区北野馬喰町
⑦北区平野鳥居前町
⑧北区紫野西土居町
⑨北区鷹ケ峯旧土居町3

その他あちこちにも御土居は残っている模様…
ちなみに城めぐりアプリで登録されている場所は⑨の場所…かな
北大路道から進入しましたが住宅街で御土居の先の道は狭いです。

木下近江守湖一郎様[2017年05月07日]
北野天満宮の青もみじの特別公開にて、御土居を訪れました。(秋の紅葉の時期にも公開されます)
見所は、綺麗なもみじ(春は青もみじ、秋は紅葉)と御土居に二例しか確認されていない暗渠。そして、紙屋川との10mに及ぶ高低差、御土居の上から見る北野天満宮と満載です。
拝観料を払って入場し、軽い坂を登ると御土居の上です。土塁の上には、本殿の展望台などが設けられています。
堀として、利用されている紙屋川の河原へ降りるとその高低差に圧倒されます。
紙屋川の河岸段丘の上に3mの盛土がされており、紙屋川河原と土塁の頂上部の高低差は10mあります。基底部は18mとのこと。
この高さ、幅の土塁が何キロも続き、京都市街を巡っているのを想像するだけで、ワクワクします。
暗渠は、北野天満宮本殿の排水路だったようです。
帰りは、同じ今出川通り沿いにある京都市考古資料館(資料館の方針で、一部を除き展示物の写真撮り放題)や応仁の乱の跡が残る千本釈迦堂に寄って、京都の歴史に想いを馳せてはいかがでしょうか。

如水縫殿頭ターボー様[2016年09月14日]
北区の加茂川中学校の北側や西側にも御土居があります。居ながらにして京都の歴史が学べる学校です

ソバッソ店長様[2015年07月18日]
鷹峯や玄琢下が有名ですが、北野天満宮境内の御土居跡を見て来ました。

境内北側のもみじが植えてある近辺に「御土居跡」の説明板と石碑を発見したので近づいてみると、その奥にそれっぽい土塁らしき物があります。恐らくこれが御土居跡かと。
ただこの場所からはあまりハッキリとは確認出来ないっす。すぐ左に鉄の柵があり、中は整備されている様子でした。

もしかしたら中に入らせてもらえないだろうかと、その辺りを見回したらめっちゃカワイらしい巫女さん発見!早速交渉してみましたが、「今は公開時期じゃないので」と素敵な笑顔で断られました。あの笑顔が見れただけでも良かったです。

あ、違う御土居の話や。秋に解放されるそうで、その時は遠慮なく中に入れるとの情報をゲットしました!紅葉と御土居跡のコラボ。そして素敵な巫女さん。
あー行くっきゃないっす。

ウッキー左衛門督様[2015年05月30日]
歩いて散策しましたが、中々発見難しかったです。かなり暑かったので疲労もあったかもしれません。見つけたのは大学から近く住宅街に丘ぽっい頂上に石碑があった。

尾張守だもんで様[2015年05月02日]
追記
市内に数ある御土居のなかでいつでも入れるのは北野天満宮内の御土居と朝鮮学校近くの御土居です。それ以外はフェンス等で囲われているので入れません。ただ、大宮御土居と鷹峯御土居は管理局に連絡の上で書類申請すれば鍵を貸してもらえます。大宮御土居の鍵は河原町御池下がった管理局で借り、玄琢下の東側から入れます。西側には抜けられません。鷹峯御土居は御土居餅の光悦堂さんで、定休日にはその南のデイリーヤマザキで借りられます。ブラタモリで注目されたのに今のところ申請は少ないみたいです。土塁上を歩きたい方は是非。

尾張守だもんで様[2015年04月14日]
鷹峯周辺だけでなく、北山通り以北には土塁が点在しています。地図を片手に形跡を歩きめぐることができますが、土塁跡はフェンスで囲まれているので侵入困難です。ブラタモリのようにはいきません。近くには血天井で有名な源光院や聚楽第遺構の大徳寺唐門もあるので、一日がかりでのんびり散策してみてください。

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