信貴山城(しぎさんじょう)

信貴山城の基本情報

通称・別名

信貴城、磯城

所在地

奈良県生駒郡平群町信貴山2280-1

旧国名

大和国

分類・構造

山城

天守構造

天守櫓[4重/1559年頃築/焼失(落城)]

築城主

木沢長政

築城年

天文5年(1536)

主な改修者

松永久秀

主な城主

木沢氏、松永氏

廃城年

天正5年(1577)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、門跡

指定文化財

町史跡(信貴山城跡)

再建造物

石碑

周辺の城

高安城(奈良県生駒郡)[1.1km]
立野城(奈良県生駒郡)[2.2km]
恩智城(大阪府八尾市)[3.2km]
下垣内城(奈良県生駒郡)[3.4km]
椿井城(奈良県生駒郡)[4.5km]
七郷山城(奈良県香芝市)[5.0km]
神感寺城(大阪府東大阪市)[5.3km]
片岡城(奈良県北葛城郡)[5.4km]
八尾城(大阪府八尾市)[6.6km]
若江城(大阪府東大阪市)[7.6km]

信貴山城の解説文



信貴山城(しぎさんじょう)は、奈良県生駒郡平群町信貴畑にあった日本の城である。木沢長政・松永久秀の居城となった。

信貴山城は大和と河内の国境にある生駒山系に属する信貴山(標高433m)山上に築かれた山城である。信貴山は大和と河内を結ぶ要衝の地で、松永久秀はこの山上に南北880m、東西600mに及ぶ城郭を築いた。信貴山中腹には、朝護孫子寺がある。また、付近には、高安山城、南畑ミネンド城、立野城といった支城が存在した。

沿革 

黎明期

信貴山城の城域は、古代山城高安城の範囲に含まれるが、城域には高安城の遺構は現存していない。また、南北朝時代に楠木正成によって築城されたという伝承も存在するが、しかし、同時代史料の裏付けはない。

『経覚私要抄』には、長禄4年(1460年)10月、応仁の乱の過程で戦闘に敗れた畠山義就が「信貴山」に陣を退いたという記述がある。城郭史研究者の中川貴皓によれば、これが信貴山城の史料上の初見である。

さらに明応年間末期から永正年間初頭のいずれかの時点で、畠山尚慶が「信貴城」を使用したという『足利季世記』の記述などが残っている。

木沢長政の時代

その後本格的な城郭を築いたのが木沢長政である。中川貴皓によれば、『細川両家記』天文五年(1536年)三月二十六日条において「信貴城」の使用が確認できるため、この頃には一定の規模の城が築かれていた。『証如上人日記』の天文5年6月26日によると、

「木沢方へ、今度信貴山之上二城をこしらへ候て、はや移候間、従所々樽共行候条、遣候可然よし」
という記載が見受けられる。信貴山城の完成を祝して本願寺より酒を贈ったと思われる。

16世紀前半には、従来の城郭とは異なる多様な機能を有する、いわゆる「戦国期拠点城郭」が各地に登場している。そして、大和国においては木沢長政の信貴山城が「戦国期拠点城郭」の嚆矢となった。

しかし、長政が天文11年(1542年)3月太平寺の戦いで敗死すると信貴山城は二上山城と共に落城してしまう。

松永久秀の時代

その後十数年もの空白を経て、永禄3年(1560年)11月に、大和国を制圧した松永久秀は、信貴山城を選んで大和支配の拠点とした。信貴山城を今日にみられるような規模の城郭としたのは久秀である。久秀が信貴山城を拠点として選んだ理由は、木沢長政の後継者として大和国を支配するという政治的アピールがあったと考えられる。なお、松永久秀の信貴山城入城は通説では永禄2年のこととされてきたが、中川貴皓によれば、これは誤りであると考えられる。

また、久秀は多聞山城も築城し、多聞山城は政治目的、信貴山城は軍事目的と異なった目的でそれぞれを使用した。信貴山城と多聞山城との間は20kmほどあり、出城の構築や龍田城・筒井城の使用によって連絡路を確保していた。

永禄6年には、信貴山城は一時的に筒井氏の手に渡ったが、久秀は同年中にこれを奪還している。なお、この頃、信貴山城には「信貴城衆」(「信貴在城衆」)という勢力が存在している。山口秀勝に率いられた「信貴城衆」は、地域社会の中に根付き、法隆寺とも政治的関係を結ぶなど強い力を有していた。

永禄11年(1568年)には信貴山城に再び危機が訪れる。松永久秀・三好義継と三好三人衆のあいだの政権抗争の過程において、同年6月29日、三人衆方の三好康長が信貴山城を攻め落とした。しかし、同年9月の足利義昭・織田信長の上洛により、義昭方の援軍を得ることができた久秀は信貴山城の奪還に成功している。

廃城

信貴山城は松永氏の中心的軍事拠点として機能しており、さらに元亀元年(1570年)には、久秀は本拠地を多聞城から信貴山城に移した。元亀2年(1571年)8月には、久秀は信貴山城から出軍し、三好義継軍とともに辰市城を攻撃したが敗れている(辰市城の合戦)。

ところが、天正5年(1577年)8月、信長に謀反を起こした久秀は信貴山城に籠城した。信長は松井友閑を信貴山城に派遣して翻意を促したが、久秀の決意は応じなかった。そのため、信長は9月29日に信貴山城攻撃のための軍を出撃させた。10月3日には、織田信忠に率いられた織田方の軍勢が城下を焼き払い、9日には信貴山城が炎上している。翌日、信忠らが本城を包囲して攻めると、ついに久秀は「天主」を自焼して自害した。これ以後、信貴山城が使われた形跡はなく、この時に廃城になったとされる。

信貴山城の略年表

和暦 西暦 主な出来事
天文5年 1536年 河内国守護職畠山氏の被官、木沢長政によって築城される。
天文11年 1542年 木沢長政が河内太平寺の戦いで討ち死にする。
永禄2年 1559年 三好長慶の被官、松永久秀によって修復・改修される。
永禄3年 1560年 松永久秀、信貴山城に四階櫓を設ける。
永禄5年 1562年 松永久秀、大和国北部に多聞山城を築いて、居城を移す。
永禄11年 1568年 三好三人衆方の三好康長に攻められ、一度は落城するも織田信長の上洛に応じ、これを奪還した。
天正5年 1577年 織田信長に攻められ松永氏滅亡、信貴山城は廃城となる。

城郭 

この山城は大きくわけて、雄岳部分とその裾の扇型に派生した部分の2つからなる。曲輪の数は110以上あり、奈良県下最大規模の中世城郭である。

『和州信貴山古城図』では、空鉢堂が建っている部分を本丸、少し下ったところにある細曲輪が二の丸、ハイキングコースがある部分を三の丸と記載されている。

『探訪日本の城』によると、この本丸跡に4層の天守櫓が建っており、伊丹城(1521年)につぐ日本で2番目に建造された天守で、織田信長の安土城もこの天守を参考にしたのではないかと思われ、松永久秀は築城の才覚も備わっていたと記載されている。

信貴山城の天守については、『甲子夜話』に天守の始まりとして登場する[1]。実際の遺構については確認されていないが、文献上の建造年では伊丹城、楽田城(1558年)に次ぐ。この建物の名称については「高殿(たかどの)」や「高櫓(たかやぐら)」と呼んだという[2]

雄岳部分以外に、扇型に派生した曲輪群がある。

信貴山城の「古城図」において「立入殿屋敷」や「松永屋敷」と呼ばれている曲輪は、その形状からも屋敷地であったと考えられる。『図説中世城郭事典』によれば、城域からは割られた石臼が発見されているが、これは石垣に用いられたもので、破城の際に崩された石垣の残骸であると考えられる。そして、それは「立入殿屋敷」や「松永屋敷」の存在した曲輪の壁面に設けられていたが、破城時に石垣を崩したのではないかと考えられるという。

山城は、多人数で攻め込む敵に対して、少数の人数で守る事ができる利点がある。しかし、信貴山城は山全体に曲輪があり、兵力が散漫になり拠点防衛出来にくい難点がある。『風雲信長記』によると、松永久秀は散漫となっていた防御施設を松永屋敷を中心に、木沢長政時代の曲輪を一部破棄し土塁、東側の階段曲輪、堀切など拠点防衛が可能なように大幅改修したのではないかと指摘している。

更に『風雲信長記』によると、上洛前、織田信長系統の山城築城技術に「横堀」という防御施設はなく「堀切」を使用していた。松永久秀は天理にある豊田城で横堀の防御施設を設けており、信貴山城でも松永屋敷の東側に土塁の防御施設があり、横堀と同様の効果があるとされている。横堀はそのまま鉄砲の射撃陣地となり、鉄砲出現以降重要な防御施設とされていく。織田信長系統でも、松永久秀の築城ノウハウを取り入れ、伊賀国の丸山城以降横堀があらわれてくる。しかし横堀は逆に城から討って出る時に邪魔になる弱点があり、虎口の効果を半減してしまう。そこで、天正時代になると虎口に一定の空間を造るなどして弱点を克服していく。このように織田信長系統の築城技術は、畿内もしくは松永久秀の築城技術を取り込んでいき、その弱点も改良していくが、逆にそのことが松永久秀の織田方での地位を徐々に弱体化していき、謀反の理由とも関係しているのではないか、と解説している。

アクセス 

公共交通機関
  • 近鉄生駒線 信貴山下駅下車 → 奈良交通バス 信貴山経由信貴大橋下車
  • 近鉄信貴線 信貴山口駅から西信貴ケーブル乗り換え、高安山駅下車 → 近鉄バス 信貴山門行き終点下車
  • 阪奈道路の生駒登山口から信貴生駒スカイラインにて。
  • 柏原市道信貴大県線: 国道170号(旧道)の大県南交差点(柏原市)を東へ、高尾山頂、信貴山のどか村付近を経て信貴山門付近に至る。
  • 奈良県道236号信貴山線にて。
  • 大阪府道183号本堂高井田線にて。
※朝護孫子寺に参拝者用の有料駐車場あり
徒歩
  • 近鉄高安山駅から信貴山頂まで約2時間
  • 信貴山門バス停付近から信貴山頂まで約1時間
  • 朝護孫子寺本堂付近から信貴山頂まで約30分

参考文献 

  • 【書籍】「日本城郭大系 第10巻 三重・奈良・和歌山」
  • 【書籍】「図説中世城郭事典 第2巻」
  • 【書籍】「松永久秀 歪められた戦国の"梟雄"の実像」
  • 【書籍】「探訪日本の城 第6巻 畿内」
  • 【書籍】「風雲信長記-激情と烈日の四十九年-(歴史群像シリーズ27)」
  • 【書籍】「戦国合戦大事典 第4巻」

信貴山城の口コミ情報

2022年05月10日 小太郎修理大夫南海道15國守
信貴山城



付近ホテルで宿をとり、開運橋を北に渡ると信貴山観光lセンターがあり、土産と共に御城印、武将印が販売されています。朝護孫子寺境内を通って多宝塔西側から、鳥居が連なる石段で、頂上付近に位置する同城址跡、空鉢護法堂に至る。パンフレットでは下の鳥居から約20分とのことですが、その倍程かかりました。景色は、絶景です。松永屋敷跡は、直線では100m程の感覚ですが、急斜面を降るため、戻るこたを考えると心折れますが、曲輪、土塁跡など一見の価値はあるのでおすすめします。

2022年03月26日 イオ紀伊守
支尾根の曲輪群[信貴山城  遺構・復元物]



松永屋敷の西側を平行して南北にのびる支尾根にも曲輪群が配され、曲輪と曲輪の間に三条の堀切や竪堀を設け、曲輪の周囲には低い土塁も見られます。松永屋敷に比べて削平は甘く自然地形も残りますが、北端の曲輪でビニールテープを目印に東下に向かうと斜面には石垣が遺っていました。説明板もなく案内表示もありませんが、時間に余裕のある方はこちらの曲輪群にも足を運んでみて下さい。

2022年03月25日 イオ紀伊守
松永屋敷[信貴山城  遺構・復元物]



松永屋敷は南北に階段状に削平された広大な曲輪群で、西辺に断続的に土塁が続き、最下段の曲輪の東部に両側に土塁を備えた虎口が開口しています。また北に一段上の曲輪との間には坂虎口が設けられていて、厳重な防御ぶりから松永久秀の屋敷跡とされるのも納得です。上段の曲輪の北下には腰曲輪があり、腰曲輪から東斜面に回り込むと、段々に設けられた小曲輪群の下に堀代わり(水の手?)の池が水をたたえていました。

松永屋敷にはあちこちに説明板が建てられ、木製武者(時節柄マスク姿)もあり、高低差のある曲輪間の移動用に仮設階段が設置されるなどよく整備されていて、これまで屋敷跡を面白いと思ったことはあまりなかったんですが、尾根を切り拓いてこれほどの規模の曲輪群と急峻な切岸を造成するには、一体どれほどの土木量が必要だったんだろうと考えると、圧倒される思いでした。往時の松永久秀の絶大な権勢を感じます。

2022年03月25日 イオ紀伊守
立入屋敷跡[信貴山城  遺構・復元物]



信貴在城衆・立入勘介の屋敷跡とされる立入屋敷は、雄嶽の北に扇状に広がる支尾根の要の位置にあり、主郭と支尾根の曲輪群を結ぶ重要な曲輪だったようです。立入屋敷の見どころは北下の松永屋敷との間の切岸で、とんでもない高さと角度で聳え立っています。

2022年03月24日 イオ紀伊守
空鉢護法堂[信貴山城  寺社・史跡]



雄嶽山頂が信貴山城の主郭で、松永期には天主があったとされますが、現在は信貴山縁起絵巻(飛倉の巻)に由来する空鉢護法堂が建てられており、痕跡は見られません。

2022年03月24日 イオ紀伊守
雌嶽[信貴山城  遺構・復元物]



雌嶽の頂部には細長い曲輪が南北にのび、南端部には虎口が設けられています。雌嶽の切岸は急峻で、石積みも見られるようですが見落としてしまいました。雄嶽と雌嶽の鞍部には説明板が建てられています。

2022年03月06日 尼崎城大膳大夫一口城主
信貴山城



近鉄平群駅から歩いて登城。ちゃんと時計を見ていなかったけど1時間半もかかっていなかったと思います。行った日は、虎祭り🐯で信貴山朝護孫子寺は賑わっていました。個人的に昨年信貴山城のボランティアに何回か参加させて貰い思い入れがあるお城です。今年も可能な限り参加したいです。お城は過去と現代を繋ぐロマンのあるものだと感じます。勝ったから凄い、負けたからダメという単純なものではなく先人の生き様から色んな事をお城巡りをしながら感じていきたいと思います🚶‍♂️✏️

2022年02月06日 兵部大輔マサヒロ
信貴山城



西信貴ケーブルから高安山に上り、高安城倉庫跡を経て信貴山へ。整備された山道で歩きやすく、1時間もかからず松永屋敷跡に到着しました。朝護孫子寺側から行くより、このルートの方が攻城感があっておススメです。松永屋敷跡は広大な曲輪跡で保存状態もよく、なぜここが100名城に選ばれてないのか不思議なほど。一見の価値ありです。

2021年12月29日 楊三河守威利
信貴山城



来年が寅年ということで、朝護孫子寺とともに訪問しました。本堂までいろいろめぐり、寺の建物の裏手あたりから登城口に入ります。お寺の敷地なので、本丸まで階段が続きます。

石碑があるところから下りながら曲輪や屋敷跡など、遺構が確認できます。巨大な城郭でしたが、お寺をあとにしたときは、足がガクガクでした。

年始はお寺への道がかなり交通規制されるそうなので、行かれる方はお気をつけ下さい。ちなみに御城印は、観光iセンターにありました。(椿井城の御城印も売ってます。)

2021年11月29日 建礼門院右京太夫
信貴山城



信貴山の山頂より少し下った所にあります。景色はすばらしく、大阪と奈良の両方を見下ろす事ができます。

2021年03月08日 上田右兵衛佐雪娘
信貴山城

眺望最高。矢田丘陵が一望できます。松永屋敷は見応えあります。

2021年03月01日 主税頭てっちゃん
信貴山城

大河の影響でしょうか、人出は多いですね。上まで完全コンクリート舗装なので、歩きやすいですよ❗️20分ほどです。

2021年02月14日 玉手箱河内守
立入屋敷跡[信貴山城  遺構・復元物]

松永氏の政治の実務をになった、立入勘介(たてりかんすけ)殿の屋敷跡。

2021年02月13日 斑目久太郎
信貴山観光iセンター[信貴山城  その他]

寅の月限定の御城印がiセンターにて販売されていました。
広範囲に猪の足跡有り。本格的に散策されるのなら対策をされた方がいいと思います。


2021年02月01日 百済門徒衆修理大夫とら
登城口[信貴山城  その他]

こちらの登城口からですと、急な階段を登ることなく、松永屋敷又は本丸跡まで行けます。途中、堀切、郭も有ります。膝に優しいコースです。

車両では、信貴フラワーロードから西に入ります。かなり道幅狭いので、バイクか軽自動車をお勧めします。宝青院正面(階段)を過ぎて直ぐに山側右手に車1台程度のスペースが有ります。

2020年12月09日 久緒利須弾正尹
信貴山城



朝護孫子寺の第一駐車場よりIセンターでマップもらい城祉碑まで舗装路で急勾配を約20分、松永屋敷跡まではさらに山道でさらに要するが、1時間程度で見学出来る。屋敷跡は曲輪が残っていて見応えはあるが、雨だと足元が悪いので装備をして行った方がよい。Iセンターに御城印あり。

2020年10月04日 をっちゃん
信貴山城

山道は舗装されてて登りやすいです。
サクサク歩けばだいたい20分程度で碑に到達します。
ただし屋敷跡まで行くと、計50分程度となり、降りてくるまでには、散策含め2時間は見ておいた方が良いです。
ですが屋敷跡は一見の価値ありでした。

2020年07月30日 織田上総介晃司
信貴山城

朝護孫子寺の参拝者用の駐車場(¥500)に停車。

空鉢護法堂まで登ると信貴山城跡。さらに下ると松永屋敷となります(約35分)

織田信長に攻められた松永久秀が古天明平蜘蛛とともに爆死した城。

久秀にはこんなエピソードが
信長が徳川家康に久秀を引き合わせた時「この男は主家の三好家に背き 将軍を殺し 東大寺大仏殿を焼き払った。並の人間なら一つでも無理なことをなんと三つもやってのけた怪物である。」と紹介したという。
久秀は赤面し怒りの表情を浮かべたのだが、全部本当の話なのである。
それ故三大梟雄の一人と言われる。

2019年10月27日  蔵人頭 毛呂モロ就
信貴山城

近くの信貴山観光センターさんで御城印を販売されています。

2019年09月10日 杉ちゃん淡路守
信貴山城



広大な山城です。山門から登って、雌岳に立ち寄り、空鉢護法堂のある主郭まで、そこから下って松永屋敷までは、勾配はあるものの整備されて歩きやすかったです。遺構も残っていて見ごたえあります。ただし他の郭や北端の石垣を見ようとするとおそらく藪こぎが必要です。外出帰りのサラリーマンにはハードルが高く断念しました。しっかり見ようと山門からの往復でするとおそらく半日くらいきるかも。帰りは近鉄平群駅まで歩きました。城から駅まで下りで歩き、1.5時間かかりました。

2019年08月20日 黄色いタイの男山城守
信貴山城

河内国を車を使っての城攻めで、近鉄堅下駅付近の「大県南」という交差点から向かいましたが、道が狭く急カーブと急勾配の連続で運転に自信のない方なら不安になるかも。バス路線も通っている王寺側の方がおすすめです。

2019年05月05日 大和守いぞう
信貴山城



信貴山の山門から約1㌔登り、空鉢護法堂の横に信貴山城跡があります。
軽い登山のつもりで登ってください。

2019年04月27日 きっず
駐車場[信貴山城  駐車場]

有料:¥500

2016年04月11日 まるき〜主殿助
信貴山城

口コミ追記。

信貴山の麓、JR王寺駅から南に数キロの所にある達磨寺に信貴山城で爆死したとされる松永弾正久秀の墓があります。

その他、聖徳太子の連れていた犬、雪丸の墓や古墳も寺の境内にあり…拝観無料、駐車場あり

25号線を北に向かえば法隆寺も近いですよ。

2016年04月11日 まるき〜主殿助
信貴山城

最近になって完成した大門ダム近くの朝護孫子寺へ行く開運橋を渡り信貴山観光iセンターの案内コーナーに「城に行きたい」と声を掛けると無料パンフの所には無い信貴山城×椿井城のパンフを出してもらえます。(無料)

センター内に信貴山城の想像絵図も掲示されています。(トイレ入り口付近)
同センター内の売店レジにて大門ダムのダムカードもGETでき、二度おいしい…。(=゚ω゚)ノ

観光iセンターから朝護孫子寺内(少し複雑ですがiセンターに地図あり)を抜けて軽い山登り、約30分程で信貴山城天守跡
大阪平野が一望できます。空鉢護法堂と言う白へびさんを祀る社があり運が良ければ生きた白へびさんを拝めるかも…です。

2016年01月19日 シバヤン大和守雲外蒼天
信貴山城

まずこの城は信貴山門のバス停まで近づかないと攻略不可能です。近鉄信貴山口駅からケーブルカーに乗り山上の近鉄信貴山門行きのバスに乗って終点まで行って下さい。ケーブルカー550円、山上のバス代250円の計800円です。登城攻略の方はバス停から赤く塗られた道路をたどり開運橋を渡り観光センターでマップを見ながら行けば迷うことはないと思います
。信貴山城祉まで登りに40分、下りに30分の時間をみといて下さい。
山頂に自販機等はないので下で用意して下さい。トイレは簡易たですがあります。さてこの城は要害ではありますが守るほうもしんどい城のように感じます。郭が山頂の本丸から放射状に構築されてるのですべての命令伝達、補給も含めて本丸から下の前線へ登り下りしないといけないので兵士の疲労度はハンパでないと思います。この城は信長さんに50日の籠城の末、落城になったそうです。皆さんご存知の平蜘蛛の茶釜と共に松永久秀さんは爆死されました。この城の山上からの景観は良かったです。遠くに二上山を見、反対には八尾の街中が見れます。今回は荒天で雪に見まわれましたがまた寄りたいですね。

2015年11月11日 カーネル
信貴山城

ケーブルカーの高安山駅から高安城・倉庫跡を経由して信貴山へ向かいました

高安城から信貴山へはハイキングコースになっていて、快適に歩けます

信貴山はお城だけでなく、観光もできるのがいいですね
高安山駅には戻らず、信貴山門バス停からバスで信貴山口駅に戻るつもりが、バスが出たばっかりだったので、近鉄の信貴山下駅まで歩きました

アプリの城の説明文には、高安山駅から信貴山山頂まで2時間とあるんですけど、高安駅をでてから高安城・信貴山城・朝護孫子寺を満喫して2時間半で信貴山口駅まで歩けました
ただし朝護孫子寺は2回目だったので、さらっと見学です。じっくり観光すると、ここだけでも2時間くらいかかるのでは?

歩き計画している方の時間目安になれば幸いです

2015年05月31日 あきと
信貴山城

城域が広く、山歩きするだけでも楽しめました。かなり体力使うので注意でしょうか。


2011年12月30日 ステイゴールド弾正少弼久秀
信貴山城

大和三大山城の一つ。遺跡は良く残っています。遺跡は広くて、見ごたえがたっぷりです。城跡域はほとんどが植林化されていて、ばっちり確認できます。駐車場は信貴山寺前に有料であります。

信貴山城の周辺スポット情報

 切岸(遺構・復元物)

 立入屋敷跡(遺構・復元物)

 雌嶽(遺構・復元物)

 松永屋敷(遺構・復元物)

 支尾根の曲輪群(遺構・復元物)

 松永屋敷跡(碑・説明板)

 松永弾正少弼久秀顕彰碑(碑・説明板)

 聖徳太子像(碑・説明板)

 信貴山城説明板(碑・説明板)

 松永久秀説明板(碑・説明板)

 松永屋敷出入口(碑・説明板)

 信貴山城石碑(碑・説明板)

 南畑ミネンド城(周辺城郭)

 朝護孫子寺(寺社・史跡)

 空鉢護法堂(寺社・史跡)

 トイレ(トイレ)

 駐車場(駐車場)

 有料駐車場(駐車場)

 信貴山観光iセンター(その他)

 登城口(その他)

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