楽田城(がくでんじょう)

楽田城の基本情報

通称・別名

所在地

愛知県犬山市城山

旧国名

尾張国

分類・構造

平城

天守構造

殿守[2重/1558年築/破却(廃城)]

築城主

織田久長

築城年

永正年間(1504〜1520)

主な改修者

主な城主

織田氏、坂井政尚、梶川高盛、堀氏

廃城年

遺構

移築門?(常福寺)、土塁

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

羽黒城(愛知県犬山市)[2.9km]
上末城(愛知県小牧市)[3.5km]
小口城(愛知県丹羽郡)[3.5km]
小牧山城(愛知県小牧市)[5.2km]
大草城(愛知県小牧市)[5.4km]

楽田城の解説文

楽田城(がくでんじょう)は、尾張国丹羽郡楽田(現在の愛知県犬山市楽田)にあった城である。

概要
楽田の地は濃尾平野の東部、犬山の南・小牧の北に立地し、尾張の中心部と信濃の木曽を結ぶ木曽街道が通る近辺にあった。平城。現在ほとんど遺構は残っていないが、「天守」に当たる建築物を建てたとの記述が歴史文献にある城としては最も古いとされる。

歴史
永正年間に尾張守護代であった織田久長が築城したと伝わる。以後は楽田織田氏の居城となったが、織田寛貞(織田忠寛の父)の代に、永禄初年に尾張で最大勢力となった織田家末流の織田信長についた犬山城主織田信清に攻略され、信清の出城となった。ところがまもなく永禄5年(1562年)に信清は信長に離反したために犬山城を追われ、楽田城は信長の武将・坂井政尚が守備した。しかし坂井氏は長男の久蔵尚恒が元亀元年(1570年)7月の姉川の戦いで討死、さらに政尚自身も同年12月に近江国滋賀郡堅田(現在の大津市堅田)で戦死したともあり、楽田城には梶川高盛が入って城主となった。

その後小牧・長久手の戦いで前線基地となり、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の部将であった堀秀政が入り、さらに秀吉自身も陣所としたという。戦後、楽田城は廃城となった。

文献上最も古い「天守」の記述
小瀬甫庵の『遺老物語(おきなものがたり)』巻八「永禄以来出来初之事」によると永禄元年(1558年)に楽田城中に高さ5mほどの壇を築き、その上に二階櫓を構築して中では神仏を祀り、それを殿守(でんしゅ、天守に音が通じる)と呼んだという。楽田城の殿守以前には、1521年の伊丹城、永禄年間には、大和国でも松永久秀が多聞山城信貴山城で四階造りの櫓を構築したという記録があるが、殿守(天守)とよんだ高層建築が文献上に現れる城としては最も古いとされる。

当時尾張を支配していた織田信長は、永禄6年(1563年)に居城とした小牧山城(『武功夜話』による)、さらに永禄10年(1567年)に居城とした岐阜城のいずれにも天守に相当するものを築き、さらに天正3年(1575年)から築城した安土城の中央に築いた5層7階の楼閣には天主と命名していることなどからも、天守という名称が尾張から生まれたと考えている学者もいるが、安土城岐阜城の天主を建てた織田信長と楽田城の殿守から、建築の意匠的なセンスが織田氏の血脈としてあったのではないかと西ヶ谷恭弘は言う。また、起伏の少ない濃尾平野では、16世紀半ばまでの他の地域のように山城を築くことが困難であったために平城が発達し、同時に遠方を観測するための櫓が必要となり、こうした背景から天守のような高層建築が発生することとなったと考えられている。

遺構
遺構は大正年間まではある程度残っていたが犬山市立楽田小学校の用地となって徐々に失われ、昭和55年(1980年)には天守台跡も運動場とするために撤去されている。現在では天守台跡から建造物としては移築した碑と土塁がわずかに残る。

裏門が楽田城の東方にある常福寺(犬山市北大門)に移築され、山門として利用されていると伝えられるが定かではない。

交通...

楽田城の口コミ情報

てつ&あゆ弾正忠様[2017年05月28日]
楽田小学校が中心となりますので、訪問は土日がベストですね。
ここまで来たなら、ぜひ寄って欲しい田縣神社と大縣神社。
毎年3月に行われる豊年祭は世界各地から観光客が訪れる程有名な奇祭!
田縣神社では男茎神輿、田縣神社では女陰の山車がねり歩きされます。
'(小牧山麓には間々観音(おつぱい)があり、これだけそろう地域は他に無いのでは。)
また、国定指定史跡・青塚古墳も歴史好きなら訪れてみては。東海地区最大級の前方後円墳でありながら、小牧長久手の戦いでは秀吉陣営の砦となった場所です。
古墳には登れませんが、公園から家康陣営(小牧山)を眺めてみては。
ガイダンス施設『まほらの館』では、文化遺産カード貰えますし、古墳消しゴムを作ったりもできます。
楽田城から田縣神社へ向かう途中にある桃花亭で篠岡の完熟桃を使ったスイーツを堪能するのもお勧めです。期間限定、完熟桃丸ごと一個使った『まるごとピーチ』や『氷室白桃』は自分へのご褒美に。残念ながら9月末に閉店らしいので、楽田城近くで食べられるのは今年が最後です。

侍従久太郎様[2016年12月03日]
楽田小学校の西門前に「城山 楽田城址」の石碑と案内板がありますが、ここから北側に歩き、最初の路地を右に曲がった突き当たりにある須賀神社に「楽田城小城址」の石碑と高台が残っています。むしろ、こちらの方が城址の雰囲気があります。
100メートルもないくらいなので是非とも足を運んでみてください。

毘沙門天山城守乱丸様[2013年01月06日]
名鉄小牧線楽田駅下車南西へ5分弱。現在楽田小学校敷地内に説明板と石碑あり、土塁の一部も確認できた(^_^)b

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