岩倉城(いわくらじょう)
岩倉城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 愛知県岩倉市下本町城跡124、121
旧国名
- 尾張国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 織田敏広
築城年
- 文明11年(1479)頃
主な改修者
- -
主な城主
- 岩倉織田氏(織田伊勢守家)
廃城年
- 永禄2年(1559)
遺構
- 堀
指定文化財
- 市史跡(岩倉城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
小牧山城(愛知県小牧市)[3.8km]
小折城(愛知県江南市)[3.9km]
九之坪城(愛知県北名古屋市)[4.1km]
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小田井城(愛知県清須市)[7.7km]
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岩倉城の解説文
[引用元:Wikipedia「岩倉城」の項目]岩倉城(いわくらじょう)は、尾張国丹羽郡岩倉(現在の愛知県岩倉市下本町)にあった城。市指定史跡。
文明11年(1479年)頃、「織田伊勢守家」当主の織田敏広(または織田信安の時代とも)によって築城されたといわれる。
この城を拠点として「織田伊勢守家」(岩倉織田氏)は尾張上四郡を支配し、尾張守護所が置かれた清洲城を拠点として尾張下四郡を支配した「織田大和守家」(清洲織田氏)に対し、武威を示して当時の尾張では清洲城と並び、重要な城であった。
弘治2年(1556年)、稲生の戦いで城主織田信安が、「織田弾正忠家」当主の織田信長の弟で末森城主織田信行(信勝)に味方したため、信長と対立した。その後、永禄元年(1558年)、浮野の戦いで信安の跡を継いだ嫡男織田信賢は敗れ、翌永禄2年(1559年)3月、岩倉城に篭城するも、信長に攻撃されて岩倉城は落城。
また一説に、岩倉落城は永禄元年(1558年)とする説もある。
現在の本丸跡には「岩倉城址」と「織田伊勢守城址」の碑がある。後者の碑は安政7年(1860年)に建てられたもの。なお二重の堀で囲まれた城だったらしい。
【交通】
・名古屋鉄道犬山線「岩倉駅」下車 徒歩10分[続きを見る]
岩倉城の口コミ情報
2021年01月13日 sige sige主殿頭
岩倉城
県道沿いに城碑、案内板が建てられていました。
2020年12月26日 【城郭道】美濃守タッキー
石碑『織田伊勢守城址』[岩倉城 碑・説明板]
岩倉城には2つ石碑があります。そのうち、階段を上がったところにあるのが『織田伊勢守城址』と刻まれた石碑です。この石碑はどうやら1860年(安政7年)に建てられたもののようです。
記念に撮影してみてください。
2012年04月12日 三河守コーキしゃん
岩倉城
石碑と説明板だけですが近くを流れる五条川はお花見スポットで1400本の桜がとても綺麗です