山内一豊誕生地碑
山内一豊誕生地碑([岩倉城 寺社・史跡])
岩倉城 に投稿された周辺スポット(カテゴリー:寺社・史跡)、「山内一豊誕生地碑」の地図・口コミがご覧頂けます。
※「ニッポン城めぐり」アプリでは、スタンプラリースポットとなっている3,000城それぞれの地図に、周辺城郭や史跡など、様々な関連スポットを自由に追加できます。
山内一豊誕生地碑の口コミ情報
2026年06月22日 猫耳尾張守メイド隊
山内一豊生誕地
昭和四十九年十一月十五日 市指定
山内一豊は、天文十四年(1545)、岩倉城の家老 山内但馬守盛豊の二男として、この地に誕生した。
大正八年(1919)二月、神明生田神社の遷座式に一枚の棟札が発見され、これが一豊のこの地での誕生の有力な資料となり、山内家では史家 沼田頼輔文学博士に調査を行なわせ、岩倉のこの地を一豊誕生の地と認め、ここに贈従三位 山内一豊公誕生地の碑を建てた。
父・盛豊は岩倉城落城(永禄二年三月)のとき戦死。一豊 十五歳の時であった。その後、一豊は家臣の五藤浄基が供で母や弟妹と共に刈安賀の城主 浅井新八郎政高の許に身を寄せ、しばらくして牧村政倫のもとに寄寓。ついで山岡景隆に仕え、永禄十年(1567)〜元亀元年(1570)頃、織田信長に仕える。天正十二年(1584)には、近江長浜で五千石の領主となり、同十八年(1590)、遠州掛川に移封 六万石の領主となった。秀吉の死後、徳川家康に味方し、慶長五年(1600)、四国 土佐で二十万二千六百石の領主となり、高知城を築城。そして、五年後の慶長十年(1605)九月二十一日、一豊没す。
享年 六十一歳。
岩倉市教育委員会
説明板より。
石碑の碑文は、文字多めなので割愛。









