石碑『岩倉城』

石碑『岩倉城』([岩倉城  碑・説明板])

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石碑『岩倉城』の口コミ情報

2026年04月25日 猫耳尾張守メイド萌


岩倉城跡
岩倉城は文明十一年(1479)頃、織田伊勢守系の兵庫助敏広が築城した。敏広はこの城によって、尾張上四郡(丹羽・葉栗・中島・春日井)を支配し、下四郡(愛知・智多・海東・海西)を支配する、清洲城の織田大和守敏定に対し武威を示し、当時の尾張では清洲城と並んで、もっとも重要な城であった。
城跡は東西 約91㍍、南北 約171㍍、標高 10㍍台地上にあって、内外二重堀があったといわれ、城跡の南側には外堀とか丸の内といった地名も残されている。
岩倉城は弘治三年(1557)織田伊勢守信安が末森城主 織田信行(信長の弟)と同盟を結んでいたということで、信長に攻められ、その後、永禄元年(1558)浮野合戦で、敗れ翌二年三月に落城した。
本丸跡の「織田伊勢守城址」の碑は、安政七年(1860)に建られたものである。
岩倉市教育委員会
説明板より。

岩倉城(城跡)へのご案内
標高8〜10㍍の自然堤防上に立地する岩倉城は、文明の頃、織田敏広により築かれ、尾張上半国支配の拠点として約80年間栄えました。永禄二年(1559)に織田信長により攻められ、落城した岩倉城跡からは、城の規模などが推定ではあるが、一部解明されました。
昭和六十二年度から3年間にわたり、愛知県埋蔵文化財センターにより発掘調査がされ、6条の堀跡などが、古文書の記述とだいたい一致しました。しかし、調査面積は、城跡推定地からすれば、ほんの一部であり、今後に期待されるところであります。ただ、従来の通説を覆して、五条川東岸まで城跡が広がる遺構も検出され、強固な城であったことがわかりました。堀幅は20㍍を超え、深さも3㍍以上もある大規模な堀跡も確認されております。外堀や内堀からは、前述の発掘調査で椀や皿、中国製の青磁や白磁、貯蔵具の常滑焼の瓶や桶などが見つかっております。珍しいものでは、つげの櫛や下駄、茶道具、呪術関係資料として、獅子頭、人形、呪符木簡など、注目されるものも発掘されております。
古文書では、岩倉城攻めの記録で、「信長は二の丸まで押し詰めて‥」と記述されております。城郭の細部については、「北角より古川より水を引き入れ、堀割とし、西口大門には土塁のみ、本丸は宏大なり。平屋造りで、間口二十一間(約38㍍)、奥行十三間(約23㍍)の望楼二重にそびえた大屋根、三里先より望む」と注目すべき記述があります。信長は岩倉城を攻略し、その翌年に桶狭間で戦勝、小牧山城、安土へと天下統一へと進むことになります。
《いわくら塾 観光ボランティア事業》
掲示板に貼られた資料より。

岩倉図書館より歩いて見ると、石碑のある場所の高低差が感じるられました。

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