恩智城(おんぢじょう)
恩智城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 大阪府八尾市恩智中町5
旧国名
- 河内国
分類・構造
- 平山城
天守構造
- -
築城主
- 恩智満一
築城年
- 建武年間(1334〜1338)
主な改修者
- -
主な城主
- 恩智満一
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
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高安城(奈良県生駒郡)[2.5km]
信貴山城(奈良県生駒郡)[3.2km]
八尾城(大阪府八尾市)[4.1km]
小山城(大阪府藤井寺市)[4.6km]
立野城(奈良県生駒郡)[5.0km]
久宝寺城(大阪府八尾市)[5.0km]
七郷山城(奈良県香芝市)[5.2km]
若江城(大阪府東大阪市)[6.0km]
一津屋城(大阪府松原市)[6.1km]
下垣内城(奈良県生駒郡)[6.7km]
恩智城の解説文
恩智城の口コミ情報
2019年07月02日 西市正紫雲
湯川直光勇戦の碑[恩智城 碑・説明板]
反三好連合軍 畠山軍主力、湯川直光公勇戦の地。久米田の戦いで長慶弟の実休を撃破したが、続く教興寺の戦いでは、長逸隊、康長隊と激闘となり、午後の義興本隊の攻勢を受けて、ついに討たれる。嫡子直春はからくも逃れ、ビバの血統は残った。
2019年07月02日 西市正紫雲
教興寺の戦い本陣跡[恩智城 寺社・史跡]
反三好連合軍 畠山高政本陣 教興寺本堂跡。恩智城至近。連合軍は、六角軍2万、畠山軍4万だが、両軍間の飯盛山城に長慶が籠城し、2回の総攻撃でも落ちず、連合軍の連携を断つ。
長男義興が三好軍全軍で後詰め決戦をしかけ、紀伊勢、雑賀衆、大和衆もろとも畠山軍を各個撃破。
本陣となっていた教興寺は、
戦に焼かれてお寺はボウ
となったのであった…。
2016年06月28日 まるき〜越中守
恩智城
旧外環状線(旧国道170号線)から恩智神社の鳥居を目印に山側へ、神社に行くまでのT字路を右折して突き当たりの公園が恩智城址です。
地元では桜公園と呼ばれ春は桜が綺麗なんですd(^_^o)
大阪平野を一望できる夜景も←これは地元自慢
駐車場は無いが小さい車なら公園内に置いてるのを見た事あります、小さな子供達が遊んでいる事があるので自己責任で
神社まで行くと駐車場はあるが公園用ではないので…
その昔、恩智神社は城の麓にあって(神様)の上に城を造るとはけしからん!となり神社は城の更に上へ移転されたそうです。
公園内にこれといった遺構らしいものは見当たらず石碑があるだけですが旧外環状から城址までの石垣や建物が城下町であったのか!?と思わせる雰囲気もあり。
恩智神社を更に登り山を越えると信貴山城へ続くルートとなります。(車両は不可)
あと…旧170号線はある意味酷道ですので万が一来られる際はお気をつけてぇ〜
2016年06月26日 ねこ雅楽助すずめ
恩智城
近鉄の恩智駅から歩いて10分弱で行けます。時間がなかったので、あまり見てまわれませんでしたが、恩智城を含む一帯は、大きな神社になっているようです。
当時、天王の森にあった恩智神社を見下ろすことになり不敬だということで神社を現在地へ遷座している。建武4年に当地の恩智河原で合戦となっているが八尾城に居た北朝方の土屋宗直と石川郡東条から攻めてきた南朝方がぶつかっており、左近や恩智城に関しては特に言及されていない。