八尾城(やおじょう)

八尾城の基本情報

通称・別名

所在地

大阪府八尾市本町(八尾神社)(推定地)

旧国名

河内国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

八尾顕幸

築城年

南北朝時代

主な改修者

主な城主

八尾氏、池田氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

久宝寺城(大阪府八尾市)[1.2km]
若江城(大阪府東大阪市)[2.8km]
正覚寺城(大阪府大阪市)[3.8km]
恩智城(大阪府八尾市)[4.1km]
古河藩陣屋(大阪府大阪市)[4.2km]
宇利和利城(大阪府大阪市)[4.4km]
小山城(大阪府藤井寺市)[5.5km]
高安城(奈良県生駒郡)[5.5km]
往生院城(大阪府東大阪市)[5.5km]
一津屋城(大阪府松原市)[6.1km]

八尾城の解説文



八尾城(やおじょう)は、河内国若江郡(大阪府八尾市)にあった日本の城。南北朝時代から安土桃山時代にかけて存在したが正確な所在はわかっていない(後述)。

概要 

河内国八尾の豪族・八尾別当顕幸が室町時代初期に築城したとされており、八尾別当顕幸は南朝方に味方していたが、敗れて北朝方によって占領された。

延元2年(1337年)に南朝方の高木遠盛らの軍勢が八尾城の奪還を企図し猛攻をかけた。その際に城内の建設物は悉く焼失した。その後、八尾城は再建された。

イエズス会の報告では、戦国時代末期に八尾城は織田信長の家臣となった切支丹武将の池田丹後守教正の居城であった。その頃の城下には切支丹がいたという。その後、八尾城は廃城となったのか史料には見えない。

八尾城の所在地 

八尾城の所在地には2つの説がある。

  • 西郷説…常光寺を含む西郷から木戸にかけての地域。現在の八尾市本町附近。(八尾神社境内に石碑がある)
  • 八尾座説…別宮から八尾座にかけての地域。現在の八尾市南本町、高美町、安中町などの附近。

八尾城の口コミ情報

2022年06月13日 尼崎城阿波守一口城主
八尾城



5月21日、若江城から進軍していくと近鉄八尾駅近くの八尾神社⛩に辿り着きました。八尾神社の鳥居前に由緒書きが書かれている石碑があり最後の方に<社殿の横には「矢尾城跡」碑がある>と記されていました。由緒書き中央部にも<八尾は古くは矢尾 矢生 箭尾とも書かれ〜>とあったので城址の石碑の漢字に合点がいきました💡

近くのアーケードには<ようこそ!河内音頭発祥の地へ!>ののぼりがあり、河内音頭おどりで有名という常行寺がありました。次回は、夜ではなく明るい時間帯にお邪魔したいなと思える街でした。

2022年05月24日 まだまだ2
八尾城



八尾市教育委員会の掲示には 社殿横に矢尾城址の碑があると記載されてますが
いくら探しても分からない

2022年03月12日 利撮造
八尾城



神社境内に石碑があって分かりやすい所です

2013年05月21日 邦順大和守大八郎宗久
八尾城

所在地は西郷説(本町辺り)と八尾座説(南本町辺り)がある。
楠木正成の父と争い、後に権僧正の位を賜り、正成の配下となった常光寺の僧、八尾別当顕幸の城。
戦国期に改修された際は、上を北として「止」のような、または「ユ」の字を左右反転したような縄張りの平城だったが、南北朝期は「―」の形の城とされる。南北朝の間で何度も攻防があり、城内の堂舎・仏閣・矢蔵などが炎上したり、北朝側の修築で掘構えなど備えたという。
大坂夏の陣では、この一帯にて藤堂軍と長宗我部軍が激突し、藤堂高虎が常光寺で首実検をした。
遺構はないが、常光寺には八尾別当や藤堂の戦死者の墓がある。参拝した際、見物を忘れたが大坂城の残り石もあるようだ。

八尾城の周辺スポット情報

 藤堂高虎首実検の地(寺社・史跡)

 八尾神社(寺社・史跡)

 駐車場(駐車場)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore