古河藩陣屋(こがはんじんや)
古河藩陣屋の基本情報
- 通称・別名
- 平野陣屋
- 所在地
- 大阪府大阪市平野区平野宮町1(地図は石碑の場所を示す)
- 旧国名
- 摂津国
- 分類・構造
- 陣屋
- 天守構造
- なし
- 築城主
- 土井利厚
- 築城年
- 天明年間(1781〜1789)
- 主な改修者
- -
- 主な城主
- 土井氏
- 廃城年
- 明治2年(1869)
- 遺構
- 移築門(大念佛寺)
- 指定文化財
- -
- 再建造物
- 石碑、説明板
- 周辺の城
- 
  正覚寺城(大阪府大阪市)[0.7km]
 宇利和利城(大阪府大阪市)[2.1km]
 久宝寺城(大阪府八尾市)[3.0km]
 岡山砦(大阪府大阪市)[3.5km]
 新堀城(大阪府大阪市)[3.6km]
 八尾城(大阪府八尾市)[4.2km]
 寺岡砦(大阪府大阪市)[4.4km]
 茶臼山陣城(大阪府大阪市)[4.8km]
 我孫子城(大阪府大阪市)[5.0km]
 天王寺城(大阪府大阪市)[5.3km]
 
古河藩陣屋の解説文
古河藩陣屋の口コミ情報
        2024年12月16日 白餅兵部卿
          古河藩陣屋
        今は小学校になっており、校庭では土日少年野球の皆さんが、練習に励んでいます。大阪に古河藩の飛地なんてびっくりです。
      
        2024年02月08日 ひで
          古河藩陣屋
           
 
           
 
          
          
        平野小学校の校門の脇に石碑が建てられています。遺構はありませんが、近隣の大念佛寺に移築陣屋門があります。
      
        2023年03月08日 マグロ常陸介祐平
          平野郷環濠[古河藩陣屋  周辺城郭]
           
 
           
 
           
 
           
 
           
 
           
 
          
          
        平野郷は堺と並ぶ自治都市で、土居と環濠で守られていたようです。重要文化財の本殿が三棟ならぶ杭全神社の東側に環濠が、残っています。
      
        2022年08月04日 尼崎城因幡守一口城主
          古河藩陣屋
           
 
           
 
           
 
           
 
           
 
           
 
           
 
           
 
          
          
        6月30日、生野区の岡山砦から平野区の古河藩陣屋に向けて出発🚲25号沿いの平野小学校の正門前に<古河藩陣屋跡>の石碑がありました。※ママチャリでの進軍だったので1回目は気づかずに通り過ぎてしまいました😓小さな石碑なのでリア攻めされる方は見落とさないように気をつけて下さい👀学校に入るわけにはいかないので近くの商店街を散策してみました。商店街の中に[平野郷繪圖]があったので写真を上げておきます。全興寺というお寺にお参りしたのですが、本堂に幸村公ゆかりの首の地蔵尊がまつられているとの説明板や新聞がありました。次に長寶寺にお参りし、えんまさんの写真を撮りました📷
散策後に正覚寺城に向かいました。
      
        2021年12月02日 多雨監物古墳
          古河藩陣屋
           
 
          
          
        JR大和路線平野駅南出口からしばらく歩くと、小学校があり、正門前に石碑があります。訪れたときはちょうど下校時間だったので、見たり写真とったりしていたら、何やってるの?という風に見られました😅
      
        2021年05月15日 大納言Z甲斐守369
          平野郷環濠[古河藩陣屋  周辺城郭]
           
 
           
 
          
          
        戦国時代の平野は堺と並ぶ自治都市であり、町の周囲に濠を築き、平野川と繋げて舟運も盛んに行われていた。
現在は杭全神社になっている。また、杭全神社の南にある杭全公園は1969年まで濠に繋がる池であり、池に懸かっていたお茶池橋が埋め立てられた後も保存されている。
      
        2017年01月06日 橘若狭守次郎吉
          古河藩陣屋
        JR平野駅から徒歩10分ほどの所にある平野小学校の正門横に石碑と説明板があります。丁度、小学校の敷地にあたる場所にかつて陣屋があったらしいですが、明治維新の版籍奉還で取り壊されたらしいです。
石碑のある小学校から徒歩2分ほどの所にある大念佛寺の南門は陣屋門の移築だそうです。
それにしても、下総国の古河藩が大阪という遠い地に飛び地を持っていたなんて!驚きです!
      
        2016年08月27日 ねこ左近将監すずめ
          古河藩陣屋
        JRの平野駅から真っ直ぐ南に歩いていくと、10分もしないうちに大念佛寺が右側に出てきます。大きなお寺なので、すぐにわかります。そこの南門です。石碑は、道を戻って、25号線を渡って右に行き、25号線沿いに歩いていくと、中央の門の横(西門は通り過ぎて下さい)にあります。大念佛寺から5分もかかりません。
      

 
 
  
  
  
  
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古河藩は下総国を主たる領地としていたが、摂津国(現在の大阪府)平野郷にも飛び地として領地を持っており、この陣屋はそこに設けられたものである。
平野郷は大坂夏の陣で徳川家康の本陣が設けられたことでも知られている。
陣屋跡は現在、平野小学校となっており明確な遺構は残っていないが、小学校の正門前に碑が立っている。また陣屋門が近隣の大念佛寺に移築・保存されている。