我孫子城(あびこじょう)
我孫子城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 大阪府大阪市住吉区我孫子4-1
旧国名
- 摂津国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 今井兵部
築城年
- 不明
主な改修者
- -
主な城主
- 今井兵部
廃城年
- -
遺構
- 消滅
指定文化財
- -
再建造物
- -
周辺の城
-
寺岡砦(大阪府大阪市)[1.4km]
新堀城(大阪府大阪市)[1.4km]
堺城(大阪府堺市)[4.3km]
宇利和利城(大阪府大阪市)[4.7km]
堺台場(大阪府堺市)[4.9km]
古河藩陣屋(大阪府大阪市)[5.0km]
木津川台場(大阪府大阪市)[5.2km]
東村砦(大阪府堺市)[5.3km]
正覚寺城(大阪府大阪市)[5.6km]
茶臼山陣城(大阪府大阪市)[5.8km]
我孫子城の解説文
我孫子城の口コミ情報
2025年10月05日 romikun
住吉陣屋[我孫子城 周辺城郭]
大坂湾防衛のために設置された陣屋のひとつ。1861年、幕府より住吉浜海岸警備を命じられた土佐藩が設置。1860年、幕府より大坂湾防衛(摂海警衛)を命じられた土佐藩は住吉郡中在家村および今在家村に1万79坪の土地を与えられ、陣屋を造営。吉田東洋を仕置役として、普請奉行に後藤象二郎、作事奉行に寺村左膳が命じられ、翌年の1861年に完成した。紀州街道沿いに面する西側を正面とし、上町台地西崖に接する東側を除く三方に堀を巡らせていた。敷地には陣屋のほかに武芸所の文武館、厩舎、火薬庫、射撃場、操練所があり、約300名が常駐していたとされる。海岸沿いには旧浜川砲台から移動させた大砲数門が据えられ、その構えは「城郭に匹敵する」といわれた。
1866年、土佐藩は京都警護を命じられため、住吉の陣屋は廃止。主だった建物は京都白川の土佐藩邸に移築された。大阪市立東粉浜小学校および東粉川幼稚園付近にあったとされる。同地に遺構は存在しないが、生根神社に石垣が転用されている。2010年、地元有志の手にによって『土佐藩住吉陣屋跡』の碑が建てられた。(滋賀県の城https://masakishibata.wordpress.com)サイトより転記
京都の警衛を命じられた後、陣屋は撤去ということになった。
陣屋の廃止後陣屋大部屋の者たちが記念の常夜灯を造り、住吉大社に献納しています。
常夜燈 土州大部家頭清五郎他10名の名が刻まれていた。名前から想像するに藩士達ではなく、文字通り大部屋にいた者たち現在であるならば運営スタッフ一同みたいなものか?
2022年07月13日 尼崎城尾張守一口城主
我孫子城
6月17日、寺岡砦に立ち寄った後、ママチャリで進軍。JR阪和線我孫子町駅の前を通ってあびこ観音に辿り着きました。山門でお寺の漢字を見ると<吾彦観音寺>とありました。あびこ観音には過去数回お参りしたことがありますが初めて駅とお寺で漢字が異なることに気付きました。お城巡りをし始めてなぜだか漢字が気になるようになっています。
お参りした後、お寺の方にお城のことを聞いてみましたが、特に遺構はないよとのことでした。錦鯉と大楠を見た後、新堀城に向かいました。
2022年01月05日 吉継中務大輔
我孫子城
節分にはいつも周辺の道路を通行止めにして屋台が出るのですが、ここ2年ほどコロナ禍で縮小しています。あびこ観音寺のパワーで是非終息して欲しいですね。
2017年01月07日 橘若狭守次郎吉
我孫子城
地下鉄御堂筋線「あびこ」駅から徒歩5分ほどの所にあるあびこ観音(吾彦山 大聖観音寺)の境内にかつては我孫子城があったと云われています。
遺構は全く残ってなく、碑や説明板もありませんでした。しかし、境内には樹齢800年の巨木など樹齢が長い木が多くあります。恐らく我孫子城の城主も見ていただろうと思います。色々と想像のできる城跡でした。










現在、あびこ観音(吾彦山 大聖観音寺)の境内となっている一帯が城跡とされるが、遺構などは特に残っていない。