住吉陣屋
住吉陣屋([我孫子城 周辺城郭])
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住吉陣屋の口コミ情報
2025年10月05日 romikun
大坂湾防衛のために設置された陣屋のひとつ。1861年、幕府より住吉浜海岸警備を命じられた土佐藩が設置。1860年、幕府より大坂湾防衛(摂海警衛)を命じられた土佐藩は住吉郡中在家村および今在家村に1万79坪の土地を与えられ、陣屋を造営。吉田東洋を仕置役として、普請奉行に後藤象二郎、作事奉行に寺村左膳が命じられ、翌年の1861年に完成した。紀州街道沿いに面する西側を正面とし、上町台地西崖に接する東側を除く三方に堀を巡らせていた。敷地には陣屋のほかに武芸所の文武館、厩舎、火薬庫、射撃場、操練所があり、約300名が常駐していたとされる。海岸沿いには旧浜川砲台から移動させた大砲数門が据えられ、その構えは「城郭に匹敵する」といわれた。
1866年、土佐藩は京都警護を命じられため、住吉の陣屋は廃止。主だった建物は京都白川の土佐藩邸に移築された。大阪市立東粉浜小学校および東粉川幼稚園付近にあったとされる。同地に遺構は存在しないが、生根神社に石垣が転用されている。2010年、地元有志の手にによって『土佐藩住吉陣屋跡』の碑が建てられた。(滋賀県の城https://masakishibata.wordpress.com)サイトより転記
京都の警衛を命じられた後、陣屋は撤去ということになった。
陣屋の廃止後陣屋大部屋の者たちが記念の常夜灯を造り、住吉大社に献納しています。
常夜燈 土州大部家頭清五郎他10名の名が刻まれていた。名前から想像するに藩士達ではなく、文字通り大部屋にいた者たち現在であるならば運営スタッフ一同みたいなものか?









