茶臼山陣城(ちゃうすやまじんじろ)
茶臼山陣城の基本情報
通称・別名
- 茶臼山砦、大塚城
所在地
- 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町
旧国名
- 摂津国
分類・構造
- 平山城(古墳利用)
天守構造
- なし
築城主
- 山中又三郎
築城年
- 天文15年(1546)
主な改修者
- 徳川家康
主な城主
- 徳川氏、真田信繁
廃城年
- 元和元年(1615)
遺構
- 曲輪、堀
指定文化財
- 府史跡(茶臼山古墳および河底池)
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
天王寺城(大阪府大阪市)[1.0km]
木津城(大阪府大阪市)[1.6km]
岡山砦(大阪府大阪市)[2.3km]
三津寺砦(大阪府大阪市)[2.3km]
真田丸出城(大阪府大阪市)[2.8km]
大坂西町奉行所(大阪府大阪市)[3.7km]
博労淵砦(大阪府大阪市)[3.8km]
木津川台場(大阪府大阪市)[4.1km]
大坂東町奉行所(大阪府大阪市)[4.2km]
大坂城(大阪府大阪市)[4.2km]
茶臼山陣城の解説文
[引用元:Wikipedia「茶臼山陣城」の項目]
大塚城(おおつかじょう)は大阪市天王寺区茶臼山町にあった日本の城で、現在は天王寺公園内にある。大坂冬の陣では徳川家康の陣城として、また大坂夏の陣では真田信繁(幸村)の陣城として使用された。別名茶臼山砦や茶臼山陣城とも言われている。
概要
大塚城は茶臼山古墳を利用した戦国時代の城郭の一つとされる[1]。またこの茶臼山は『日本書紀』には「廃陵」すなわち古墳と記載されていることから、ながらく古墳が比定されていた。しかし、近年の発掘調査の結果、人工的な盛土であることは間違いないと思われているが、古墳跡である可能性は低くなっている。また城郭としての盛土の場合、登頂部と中段には平坦地はうかがえるが、城郭にある土塁、堀、切岸はみられない。古墳とも中世の城郭跡とも明確な結論がつけにくい構造となっている。またこの時の発掘調査では、中世の四天王寺と同笵瓦が出土しており、寺院に伴う遺構が先行していた事が明確になっている。また墳丘の中段からは、瓦敷、掘立柱建物、礎石建物、かまど等が出土し、金箔を有する漆器の遺物も発見されたが、調査範囲は限定され、出土位置、層位からみて、これら遺構、遺物が全て大塚城と関係するかは検討の余地が残るとされている。
沿革
大塚城は1546年(天文15年)に細川晴元の家臣・山中又三郎が茶臼山古墳の後円部に城を築いたと言われているが、舎利寺の戦いで細川氏綱、遊佐長教連合軍に攻め込まれ落城している。
その後1614年(慶長19年)の大坂冬の陣では徳川家康がここに本陣を構えた。『寛永十二年亥年五畿内江州大工杣御赦免被為成候時御訴訟申上候覚』によると、大坂城下にあった船場の蔵や家々を壊し資材として「御やくら」を築いたと記載されている[2]。この時すでに大塚城は廃城になっていたかは定かではないが、徳川家康の陣城として改修された可能性がある。また『武徳編年集成』には、大塚城の山頂部に徳川家康の寝所があって、南北に12畳に3間に1間の庇(ひさし)を有し、5尺の椽をつけていた。西麓には茶屋南麓には納戸、東向きには浴室があり、番士の多くは北方向の一心寺に駐屯していたと記されている。
また翌1615年(元和元年)の大坂夏の陣の決戦の際には、豊臣軍の真田信繁がここに着陣した。茶臼山砦や茶臼山陣城としても知られている。
城郭
この城は『諸国古城絵図』にも記載がある。これによると、山頂部は8間四方の曲輪があり、西側にも更に広い曲輪がある。またこの曲輪西側や堀を隔てた位置に丸馬出状の曲輪が記されている。この丸馬出状の曲輪は、現状でもその形態を平坦地に見られる。ただしこの部分は台地端部にあたるため、少なくても西端部分は自然地形を踏襲すべきではないかと指摘されている[3]。また、この城は『大坂冬の陣図屏風』にも記載されている。これによると、墳丘周囲を土塁で囲み、上部には入母屋の主屋以下、4棟の建物が描かれている。更に北側には虎口があり、冠木門が描かれている。更に墳丘の裾にも建物が数棟あり、北側の平地部にも堀と冠木門があり、『諸国古城絵図』よりも選地面から防御を考えれば、台地続きに堀を設ける構造の『大坂冬の陣図屏風』の方が現実的であるとされている。
城跡へのアクセス
- 電車でのアクセス
- JR西日本(関西本線・阪和線・大阪環状線)
- 大阪市高速電気軌道(御堂筋線・谷町線)
- 天王寺駅 → 徒歩約10分
- 車でのアクセス
- 阪神高速道路 松原線 天王寺出口
- 天王寺公園に有料駐車場がある
- 施設情報
- 入園料
- 大人150円 中学生以下、65歳以上及び障害者は無料(天王寺公園の入園料)
- 開園時間
- 9時30分 - 17時
参考文献
- 谷直樹『中井家大工支配の研究』思文閣出版、1992年4月。
- 高田徹編『図説近畿中世城郭事典』城郭談話会事務局、2004年12月、196頁-197頁。
- 『日本城郭大系』第12巻 大阪・兵庫、新人物往来社、1981年3月、184頁。
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茶臼山陣城の口コミ情報
2022年06月16日 RED副将軍【新宮党】
茶臼山陣城
大坂冬の陣では徳川家康の陣城🏯
大坂夏の陣では真田幸村の陣城🏯
オススメ度 ★★⭐︎⭐︎⭐︎
1546年、細川晴元の家臣山中又三郎が茶臼山古墳を利用して築城したのが始まりとされます。1547年の舎利寺の戦いで細川氏綱・遊佐長教により落城。
1614年の大坂冬の陣では徳川家康がここに本陣を布き、「御やくら」を築き、大きく改修したとされます。翌1615年には大坂夏の陣において、豊臣軍の真田信繁がここに着陣しました。
見所
現在は天王寺公園として整備。歴史的な舞台ですが、公園化により削平地が2段ほど認められ、南側にある河底池が天然の堀と思わせる程度でした。通天閣のすぐ近くです。
2022年05月27日 尼崎城淡路守一口城主
茶臼山陣城
5月23日、木津城を下城後にランドマークのハルカスを目指して行くと天王寺公園に到着。茶臼山に向かう道中、旧黒田藩蔵屋敷を発見。全く知らなかった門なので見つけて嬉しくなりました。天王寺公園から眺める通天閣も綺麗でした。通天閣のライトアップがいつまでも緑であることを願って眺めていました。
茶臼山は大阪冬の陣で家康公、夏の陣で幸村公が陣地にした天下人と日本一の兵がいたところになりパワースポットなのではないかなと感じました。山頂には幸村公の名言集が何枚も説明板に書いてあり心が熱くなりました。最後に三角点を両家のサイドから撮り下城。次に天王寺城を目指しました。
2022年04月20日 大和守こばやん
茶臼山陣城
会社終わりに散歩がてらに立ち寄りました。ベンチもあり、夜でもゆっくりされてる人もけっこういました。
2022年04月17日 雫乃淡路守想人
茶臼山陣城
山頂には、真田信繁公に関する説明板(表象)があり、大坂の陣に想いを馳せることができます。
駐車場やコンビニエンスストアもあり、近くには大坂の陣を映像で楽しむことのできる大坂の陣歴史散策案内所があります。
2021年08月01日 かわっく大炊頭
茶臼山陣城
7月末の暑い日差しの中、登りましたが頂上では涼しい風が吹いてました。目立った遺構らしいものはありませんが、説明板を読むと思いを巡らすことが出来ます。カラスが少しうるさいですが…😅
2021年03月29日 ゆらキング⭐️左衛門佐信繁
茶臼山陣城
かつて大坂冬の陣 徳川家康、夏の陣 真田信繁 が陣をおいた茶臼山。
今日は小春日和で和やかな公園で家族連れやお年寄りの方が散歩してました😄
2021年02月23日 まー越後守
茶臼山陣城
こんな小さな丘に真田が??って思いました。
天王寺も近いし、家康を追い詰めた松もあるし、討ち取られた神社もそばです。
合戦の様子が手にとるようにわかります!
2020年10月06日 k-chan
茶臼山陣城
天王寺公園からすぐです。歩いて5分と掛からずに頂上になります。コンビニ近くにあるので、お弁当を食べるのも良いかも!
2020年09月30日 エフエヌ図書助
茶臼山陣城
軽い山登り気分で攻略できますので夜でも可能です
2019年05月08日 稲田阿波守植元
蔵屋敷[茶臼山陣城 その他]
陣城とは関係無いが天王寺公園の南には旧黒田藩蔵屋敷長屋門がある。江戸中期から残る立派な建物だが平日でも周囲は人が多いので落ち着いて見られないかも。
2019年05月08日 稲田阿波守植元
茶臼山陣城
これが標高26mの茶臼山。真田信繁はここから側の谷町筋を進む家康に突撃を仕掛ける。真田隊3500という規模が想像しにくいが小隊ずつが勢いをつけて進むにはちょうどいい高さかも知れない。
2019年05月08日 稲田阿波守植元
茶臼山陣城
大阪天王寺にある茶臼山陣城。大阪冬の陣では家康が、夏の陣では真田信繁が最後の突撃のために陣を張った。
2017年05月28日 シバヤン近江守雲外蒼天
茶臼山陣城
JR天王寺から谷町筋を北に歩き、ハンバーグレストランびっくりドンキー天王寺店を目印にして通り過ぎて北へ進みます。
郵便局も過ぎてうどんの前田を左に入ります。(ここのカレーうどんはイケます)
すぐに真田幸村の幟のある一心寺シアターがあります。
ここで大阪の陣の歴史ビデオ無料で見れます。他に大阪の陣の観光マップ等パンフレット多数あります。安居神社を見て一心寺を拝観してから茶臼山陣城を散策。
小さな丘陵地としか見えなくて少し残念。
大きな囲むような堀池を渡ると美術館や統国があり今や憩いの場。
戦国の硝煙の臭いを嗅ぎたくてあちこち廻り慶沢園に、旧黒田藩蔵屋敷長屋門の辺りは美しい庭園と合わさり一息つけます。
この後、お時間あれば一度阪堺電車に乗って北畠駅へ。降りてあべの筋に戻り北畠公園前にある北畠顕家の墓を訪れてみて下さい。
南朝の貴公子、北畠顕家の眠る非常に手入れされた墓碑がここにあります。
戦国と南北朝時代二つの時代の伝説の英雄の息吹、霊気漂う空気を感じたらもとはとれるかと思います。
2016年10月09日 橘若狭守次郎吉
茶臼山陣城
茶臼山陣城は大坂冬の陣の時は徳川家康が、大坂夏の陣の時は真田幸村(信繁)が陣を置いた。
目立った遺構はありません。曲輪と水堀くらい。石碑と説明板はあります。
茶臼山陣城は天王寺公園内にありますが、動物園に入る訳ではないので入場料は要りません。
同じく天王寺公園内の美術館付近に福岡黒田藩の蔵屋敷の門が移築されています。合わせてご覧になってみてはいかがでしょうか。こちらも入場料は要りません。
2016年08月29日 まるき〜主殿助
茶臼山陣城
JR天王寺駅より北西の方向を見ると非常に怪しい天守が見えます、
その天守の向こう辺りに茶臼山陣城、茶臼山古墳とされる所に据えられた陣地跡があるのですが現地は小高い丘状になってるだけで特に遺構は無いが丁寧に案内板、石碑があります。
そ、それだけ…なのでだいたい皆ココから5分ほど歩いた所に信繁の終焉の地とされる安居神社があるのでそちらに行きますな!
真田幸村像、碑、さなだ松があるのでそちらの方が人気があるみたいです。
JR天王寺駅、天王寺公園(てんしば)〜茶臼山古墳の間、大阪美術館近くに何故か福岡黒田藩の蔵屋敷の長屋門が移築されていました。
近隣に動物園、美術館、通天閣、新世界商店街、串カツ屋、スパワールド等があるので家族連れでも飽きないかと…コッテコテの大阪が味わえます、たぶん(;^_^A
JR天王寺駅より歩いて約10分
駐車場は茶臼山エントランスと言う所が超近いです。
平日 30分200円
土、日は20分200円
2010年07月26日 徳川内大臣源朝臣康武
茶臼山陣城
[武将像]真田幸村像
城は、天王寺公園内にあるため、行くには入場料が必要。
隣接する一心寺(こちらは無料)に、本多忠勝の子で、大坂夏の陣で討死した本多忠朝の墓がある。
その北の安居神社が、真田幸村最期の地といわれ、碑と像が鎮座。
茶臼山陣城の周辺スポット情報
安居神社(真田信繁最期の地)(寺社・史跡)
茶臼山社(徳川家康戦勝祈願)(寺社・史跡)
本多忠朝墓所(一心寺)(寺社・史跡)
天王寺合戦 激戦の谷筋(寺社・史跡)
伝「真田の抜け穴」井戸跡(寺社・史跡)
大阪夏の陣戦跡(寺社・史跡)
古墳(寺社・史跡)
四天王寺(寺社・史跡)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
蔵屋敷(その他)