堺台場(さかいだいば)
堺台場の基本情報
通称・別名
- 堺台場[堺南台場・堺北台場]
所在地
- 大阪府堺市堺区大浜北町他(地図は堺南台場を示す)
旧国名
- 和泉国
分類・構造
- 台場遺跡群
天守構造
- なし
築城主
- 徳川幕府[すべて]
築城年
- 安政2年(1855)[すべて]
主な改修者
- 彦根藩
主な城主
- 徳川幕府[すべて]
廃城年
- -
遺構
- 石垣、土塁、横堀[堺南台場]、消滅[堺北台場]
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板[すべて]
周辺の城
-
堺城(大阪府堺市)[1.4km]
我孫子城(大阪府大阪市)[4.9km]
東村砦(大阪府堺市)[4.9km]
家原城(大阪府堺市)[5.1km]
寺岡砦(大阪府大阪市)[5.5km]
木津川台場(大阪府大阪市)[5.9km]
新堀城(大阪府大阪市)[6.3km]
綾井城(大阪府高石市)[7.3km]
木津城(大阪府大阪市)[8.2km]
天保山台場(大阪府大阪市)[8.7km]
堺台場の解説文
[引用元:Wikipedia「堺台場」の項目]
堺台場跡(さかいだいばあと)は、大阪府堺市堺区大浜北町および北波止町にある台場跡である。
堺台場は旧堺港の南北に築かれ、南台場()が現在の大浜公園内、北台場()が現在の大浜北公園内にあった。
概要
南台場は造築当初は南北約360m、東西最大約183mの方形型であったが、南北295m、東西195mの規模を有す稜堡式台場に改築された。改修後は北・西・南側は石垣で囲み、南北に堀を設けて、大砲18門を備えていた。[1] 南台場について描かれている堺浦両御台場絵図が残る。[2]
北台場は南北約90m、東西約70mのコの字型の土塁を有し、36貫目の臼砲(モルチール砲)大砲8門を備えていた。北台場について描かれている 安政 2年の堺御台場之図が残る。[3]
南・北両方の台場について描かれている堺御台場之図も堺図書館に残る。[4]
歴史
安政元年9月に築造された大波止堤に大鉄砲台場に2箇所(後の南台場)小波止堤に1箇所(後の北台場)が原型である。[5]
当初は汐除けとして浜手に築いてあった台場を再利用したものに過ぎず、これを基に増築・改修が繰り返し行われた。工期の詳細な記録は残されていないが、北台場は安政元年に着工され翌年に完成、南台場は安政5年頃には竣工したと推測されている。
南台場の改築は、堺警備を担った彦根藩によって元治元年6月頃から開始され、彦根藩退役後は堺奉行に引き継がれ慶応2年正月に完成した。
南北の台場は明治に入ると兵部省(のち陸軍省)の所管となり、明治23年に堺市へ移管された。南台場は陸軍省所管時代の明治12年に堺県によって大浜公園として整備され、北台場も明治40年に堺市によって大浜北公園として整備された。現在では公園内に石垣や掘の一部が残されている。
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堺台場の口コミ情報
2022年02月28日 播磨守風のこうちゃん播守
堺台場
阪神高速湾岸線大浜インター降りて直ぐに有ります☝️ガレージは大浜公園有料駐車場有りです。
2020年12月01日 天道式部卿早雲
呂宋助左衛門の像[堺台場 その他]
堺の豪商、呂宋助左衛門の像
南蛮船も往来し繁栄した、旧堺港に立っています。大河ドラマ「黄金の日日」放送記念に寄贈されました。最初はもっと内陸の堺市民会館に設置されてましたが、建て替えの際にこちらに移されました。入港する船を迎えてるのか、出港する船を見送ってるのか、海に向かってる姿が様になっています。
2020年12月01日 天道式部卿早雲
堺台場説明板[堺台場 碑・説明板]
公園内にある堺台場の説明文と縄張図
目の前に南面の石垣と堀跡があります。
台場跡は立派な遺構なんですが、大きな公園内にある台場跡の説明板がここだけで、しかも小さくあまり目立たないのがちょっと残念!
2020年08月14日 藤岡雅楽助但馬
堺台場
車道から見ると台場の跡というのがよくわかります。規模も割と大きく内側は高い土塁になっています。砲台跡らしいものはありません。雰囲気はありますよ。
2020年04月06日 天道式部卿早雲
堺北台場説明板[堺台場 碑・説明板]
幕末に堺港(旧港)に築かれた北側の台場
当時は8門の大砲が設置されていたようです。残念なから、遺構らしきものはありませんが、台場跡の公園は周囲より高台になっていて、古地図アプリと見比べると当時の地形がなんとなくわかります。※一段低いところは明治以降の埋め立て地
江戸中期には燈籠堂(灯台)が設置され、明治10年まで火が灯っていました。
2020年02月06日 あきおこ
堺台場
南台場は安政5年頃に竣工した台場で南北295m、東西195mの規模を有する稜堡式台場だったそうです。南台場とされるのは北台場が存在したからで、現在は北台場は大浜北公園、南台場は大浜公園となっています。
関西リア攻めの際、堺市内のホテルに泊まった際、近くにこの台場があるのを知りました。
大浜公園となっているので、あまり期待してませんでしたが公園の奥に、すぐそれと分かる大土塁が目に飛び込んできます。
今は埋められてるそうですが、かつて土塁には砲台用の窪地が数ヶ所あったそうです。
道路側に石垣を伴う窪みがありましたが、遺構かどうかは定かではありません。
当時は大砲18門装備してたそうです。
厳重ですね。
土塁の裏側の西面はテニスコートになっていましたが、布積の石垣が見事に残されています。北の道路側まで続いていますが途中フェンスで遮られます。この先は自己責任で。
石垣は彦根藩が普請したもので隅部が丸くなっていました。珍しいですね。
駐車場は有料駐車場があります。
大きな公園ですのでトイレもあります