若江城(わかえじょう)

若江城の基本情報

通称・別名

所在地

大阪府東大阪市若江北町

旧国名

河内国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

畠山基国

築城年

弘和2年〔北朝〕/永徳2年〔南朝〕(1382)

主な改修者

主な城主

畠山氏、遊佐氏、三好氏、池田氏

廃城年

遺構

土塁跡、井戸跡

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

八尾城(大阪府八尾市)[2.8km]
久宝寺城(大阪府八尾市)[3.2km]
水走城(大阪府東大阪市)[3.5km]
徳庵城(大阪府東大阪市)[4.0km]
正覚寺城(大阪府大阪市)[4.9km]

若江城の解説文

若江城(わかえじょう)は南北朝時代(1382年)から安土桃山時代(1583年)の約200年間にわたって河内国若江郡(現在の大阪府東大阪市若江南町)にあった平城。畠山氏の河内経営の拠点で、河内国の経営を担当した守護代遊佐氏が歴代城主となった。

城名の由来
若江という名称の由来は河内国若江郡に由来する。若江郡の若江は神功皇后の4年6月に大旱魃があり、この地域の農作物が大被害を受ける可能性が高まった際に、大般若経を唱和し雨乞いの祈願をしたところ、14日目に雨乞いは叶わなかったもののこの地に清水が滾々と湧き出し農作物が大被害を受ける危機から救われた。このことから、大般若経の『若』と清水の源という意味の『江』をとり、若江郡と称せられたという。また、一説に、古代の新開池は河内湖というほど大きく、その入り江のひとつが『若江』という名であったともいう。

築城
1382年(永徳2年・弘和2年)に河内国守護となった畠山基国の命で築城された。当初は守護所としての政治機能のみの城であったが、時は南北朝の戦乱の時代であり、河内国南部には南朝の勢力が及んでいた。また、基国が河内国守護となった理由が、南朝から北朝に帰順していた楠木正儀(楠木正成の三男)が1379年の康暦の政変により支援者の細川頼之が失脚したことから再び南朝に帰参したことからそれに備えるためであった。さらに、楠木正儀と失脚し四国の領地に戻った細川頼之が連絡をとって反幕府の軍事行動を掣肘するためでもあった。そのため、基国は実力派の重臣、遊佐長護を築城の責任者に任命し、守護所設置に続いて、防衛施設としての城郭を計画させた。

畠山基国は遊佐長護ともに守護所を定める時点で河内国に下向し、防衛に適してなお、河内国の政治を統括し、周辺の経済活動の中心としての将来性、周辺事態に対しての軍事行動が容易であるなど観点から、若江鏡神社が祀る大伊迦槌火明大神を城の守り神とし、神社に射す朝日を遮らぬようにその西側に城の中心を定めた。遊佐長護は近隣の村落に檄をとばして農夫を集め、築城を開始した。

若江の地は西方1.5キロメートルほどに大和川本流(旧大和川、現在の長瀬川)があり、東方1.5キロメートルほどに大和川支流玉串川があり、二つの大河を東西の天然の外堀として、玉串川が若江の北東で吉田川と菱江川に分かれ、そのうちの菱江川が分かれた後、西向きに流れを変え、新開池を経由して大和川本流と合流しており、この菱江川が北方の天然の外堀となっていた。

また、大和川本流と支流である玉串川との中間には両大河ほどではないが、楠根川(現在は第二寝屋川に移設され、若干流れが異なっており、跡地は公園などになっている)があり、楠根川が内堀へ水を供給し、若江城内への水運の便を提供していて、それらの河川の整備と街道の整備が築城と並行して行われた。この時に整備された街道が後の、河内街道、十三街道(俊徳道)である。それらの街道は若江城の城下町で交差するように設計され、この街道の交差部を中心に若江城の城下町は計画された。

全体計画は遊佐長護が担当し、城郭などの現場指揮は、長護の子息とされる遊佐国長が執った。河川の整備および治水対策などは畠山氏譜代の斎藤基則、斎藤利宗(次郎左衛門尉利宗か)、門真小三郎(国康か)、在地の河内国人の萱振氏(名称不詳)などが担当した。また、城下町の整備や街道の整備は畠山氏譜代の遊佐五郎(家国か)、稲生平左(平左衛門尉基宗か)、稲沢小四郎(貞行か)、吹田孫太郎(国道か)、三宅四郎(家村か)らなどが担当した。

また、増援として遊佐基光、神保肥前守、誉田氏、槇嶋氏などが派遣されたが、時期や担当は不詳。1385年(至徳2年・元中2年)ごろには一応完成をみたが、その後も改修を加えた記録もあり、また、城下町の繁栄や水害などの理由で大きな改修が数度にわたって行われた。

廃城
天正8年閏3月5日 に織田信長と顕如との和議が成立したため、織田方の前線拠点のひとつであった若江城は近隣の八尾城に統合されて、廃城となったとされるが、1583年(天正10年)に始まった大坂城の築城の際の記録に若江城を破却し、その石垣および一部の残存建築物を移したとあることから、この頃に廃城になったとも考えられている。
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若江城の口コミ情報

左衛門尉ねこすずめ様[2016年08月06日]
実際に行ってみたら、近鉄の若江岩田駅から15分もかかりませんでした。

金森出雲守様[2014年12月25日]
若江小学校向かいの公民館に解説板、公民館隣の老人憩いの家入口にもよく見ると小さな石碑があります。小学校東の神社にある大きな石碑は立派です。

若江河内守國助≒⅚様[2014年02月04日]
近鉄若江岩田駅から徒歩20分ぐらい。
発掘調査で出土したものは、水走城・神感寺城の発掘調査で出土したものと一緒に、東大阪市立郷土博物館に常設展示されてるそうです。

東側にある蓮城寺に、大坂夏の陣で若江に散った木村長門守重成公の位牌堂があります。

古楽侍従広家様[2010年09月25日]
応仁の乱の時に、日本で最初の水攻めが行われた城。そして三好義継が居城として戦国畿内の有力大名三好氏の興亡を静かに見続けた城でもありますね。

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