往生院城(おうじょういんじょう)

往生院城の基本情報

通称・別名

所在地

大阪府東大阪市六万寺町1

旧国名

河内国

分類・構造

城郭寺院

天守構造

築城主

安助上人[往生院]

築城年

長暦3年(1039)[往生院]

主な改修者

主な城主

楠木正行、畠山氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

府史跡(河内往生院伝承地)

再建造物

周辺の城

水走城(大阪府東大阪市)[3.8km]
高安城(奈良県生駒郡)[4.0km]
若江城(大阪府東大阪市)[4.6km]
信貴山城(奈良県生駒郡)[4.7km]
菜畑城(奈良県生駒市)[5.1km]
恩智城(大阪府八尾市)[5.5km]
八尾城(大阪府八尾市)[5.5km]
下垣内城(奈良県生駒郡)[5.6km]
椿井城(奈良県生駒郡)[6.6km]
久宝寺城(大阪府八尾市)[6.7km]

往生院城の解説文

※この城郭は2024年4月6日に名称と位置が変更となりました。



往生院(おうじょういん)は、大阪府東大阪市六万寺町にある臨済宗系単立の寺院。山号は岩瀧山。本尊は阿弥陀如来。寺号は六萬寺(ろくまんじ)である。

歴史 

この地はそもそも6世紀末頃に建てられて、百済から帰国した善信尼が入寺したという桜井寺(大和国桜井寺(現・明日香村豊浦か)の説もある)があった場所である。また、文武天皇の時代には役小角が裏山である岩瀧山を修行の地としていたとする。

寺伝によると、その桜井寺の跡地に、聖武天皇の勅願によって行基が天平17年(745年)に薬師如来を本尊とする寺院・六萬寺を創建したと伝えられる。封境70戸・寺田百畝を天皇より寄進されたという。

だが、その後は次第に衰微していき、宇多天皇の勅願によって伽藍の修復、修理が行われて食邑30余町の寄進を受けて復興する。しかし、天慶年間(938年 - 947年)に伽藍が焼失してまたも衰退する。

長暦3年(1039年)、念仏聖であった安助上人によって再興され、往生院と称されるようになった。往生院は摂津国四天王寺の真東に当たっており、極楽浄土の入り口と考えられていた四天王寺西門のさらに西に沈む夕陽を拝する日想観を修する道場として栄えた。

南北朝時代、まだ幼少だった楠木正行が往生院で武芸を学んでいる。しかし、正平3年(1348年)には四條畷の戦いにおいて南朝方の武将となっていたその楠木正行がここに本陣を置いたため、戦いに巻き込まれて焼失した。正行ゆかりの地ということで正行の胴体は黙庵周諭によって焼けた往生院に葬られ、墓が作られている。また、正行の首は京都市右京区にある宝筐院にこれも黙庵によって葬られている。

創作ではあるが、室町時代の説話文学『吉野拾遺』によれば、赤松光範家臣宇野六郎の息子の熊王が、父の敵討ちのため楠木正儀を殺害しようとするも、正儀の恩情の深さに敵討ちを諦めて出家。正儀から授かった正寛(まさひろ)の名をそのまま使用して正寛(しょうかん)と号し、当寺院の僧になったという(楠木正儀#熊王の敵討ち)。

承応3年(1654年)に関白鷹司信房によって復興し、楠木正成・正行父子の供養塔が建立され、幕府から寺領170石が寄進された。しかし、明治時代になって四條畷神社創立の話が出ると、正行ゆかりの往生院の地に四條畷神社が作られる可能性が高まった。そのため、寺域の強制的買収を恐れた往生院は自ら二石の供養塔を隠蔽、また古文献をも処分し、往生院は自らの手で破壊された。

四條畷神社が別の地に建てられた後の1893年(明治26年)、鷹司家が復興を試みるも進展せず、蓮海上人が復興を発願するもやはり進展しなかった。しかし、太平洋戦争後の1953年(昭和28年)より、しばらくして立誡和尚により復興された。

境内 

  • 本堂
  • 光明殿
  • 鐘楼堂
  • 奥之院
  • 民具供養館
  • 歴史館
  • 十二社大権現
  • 楠木正行像
  • 小楠公御墓所(東大阪市指定史跡) - 楠木正行の墓。
  • 楠木正成供養塔
  • 庫裏
  • 山門
  • 総門(冠木門)

文化財 

重要美術品

  • 後陽成天皇宸翰御消息 - 3月12日 御花押 李部王宛。

大阪府指定有形文化財

  • 木造阿弥陀如来坐像及両脇侍立像 3躯 附:阿弥陀如来像内納入文書 5点 - 平安時代前期。
  • 木造阿弥陀如来坐像 - 平安時代。
  • 木造十一面観音立像 - 平安時代。
  • 柊形小札鋲留眉庇付冑 附:三角板鋲留短甲残闕(ひいらぎがたこざねびょうどめ まびさしつきかぶと つけたり さんかくいたびょうどめ たんこうざんけつ) - 5世紀。

大阪府指定史跡

  • 河内往生院伝承地

東大阪市指定史跡

  • 楠木正行墓

往生院城の口コミ情報

2019年01月03日 ℵ新居泰之進ℵ
神感寺城[往生院城  周辺城郭]

《PART1》
【難易度&アクセス&駐車場】
アクセスがちょっと難しいかも…この城は山岳寺院が城郭したものなので、山奥にある。車でのアクセスでは、酷道として有名な暗峠からいけるようだが、かなり道が狭い&急斜面との情報を得て、別ルートで向かった。歩いて登ることも可能なようだが、楽をしたい私としては車で現地近くへと向かう。

信貴・生駒スカイラインという有料道路を利用した。信貴山門方面で1340円もした汗マップで見ると暗峠とスカイラインがちょうど交差しているところから50~100m南辺りに『八代龍王神感寺』の看板があり、看板の矢印の先には林道がある。

私は、そこからスカイライン沿い南に200mいったところに広い敷地があったので、そこに駐車して、看板のところから林道へと入った。そこから途中「大原山ぎんしょう広場」等を経て、徒歩30分程度で神感寺へと到達する。林道からは、途中に神感寺への看板があり、迷うことはない。

2019年01月03日 ℵ新居泰之進ℵ
神感寺城[往生院城  周辺城郭]

《PART2》
【見所】
山門から見て東北部分の藪の中に、かつての神感寺城の金堂跡&中門跡&多宝塔跡&鐘楼跡などがあり、その西側は林道となっているが、土塁が林道に沿って盛り上がっている。
★見所①:現在山門東北部にある土塁

【雑記】
現在ある神感寺は、かつての神感寺城のあった跡地に昭和10年になってから建てられた。境内に入ると、犬に散々に吠えられるので、吠えられるのが苦手な私としては、山門前の東北部分の遺構のみ確認して、境内を横目にその場をあとにした。ちなみに神感寺城は携帯の電波は来ない…

2018年05月05日 さんちゃん
神感寺城[往生院城  周辺城郭]

車で国道308を奈良方面から…車では行ってはあきまへんなぁ(笑)徒歩の方々の迷惑やし、大阪方面の下り坂はブレーキが効かなくなりますよ(^^;;焦げ臭いし…

2017年07月10日 vino-s
神感寺城[往生院城  周辺城郭]

訪城前に東大阪郷土博物館に訪れてください 若江城も含めよい展示品があります

2017年06月03日 若江河内守國助93.8%
神感寺城[往生院城  周辺城郭]

歩くのが辛い方は、近鉄生駒線南生駒駅から生駒市コミュニティーバスたけまる号で約20分で暗峠に着きます。平日のみ運行で、一日4便しかありませんので注意してください。(2017年6月2日現在)詳しくは『暗峠 バス』で検索を。

暗峠にある『峠の茶屋すえひろ』で食事もできます。ちょっとしたお土産もあります。営業時間等はお店に直接お尋ねください。暗峠からは徒歩約20分。神感寺には放し飼いの犬がいて、吠えまくりで恐いです。(>_<)

2016年07月24日 ねこ式部丞すずめ
神感寺城[往生院城  周辺城郭]

瓢箪山駅から客坊谷ハイキングコースを行きました。標高500㍍もないと思って侮っていたら、日頃の運動不足を痛感させられました。私が登ったコースはあまり整備されていませんでした。やっとこさっとこ登りきっても、頂上付近のレストハウスは、12:00~12:45の間しか飲み物は売ってくれません。その上電波届きません。要注意!

往生院城の周辺スポット情報

 神感寺城(周辺城郭)

 客坊城(周辺城郭)

 河内城(周辺城郭)

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