槇島城(まきしまじょう)

槇島城の基本情報

通称・別名

槙島城、填島城、真木嶋城、薗場城

所在地

京都府宇治市槇島町大幡

旧国名

山城国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

長瀬左衛門

築城年

承久3年(1221)

主な改修者

主な城主

長瀬左衛門、赤沢宗益、真木島氏、塙氏、井戸氏

廃城年

文禄3年(1594)

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

向島城(京都府京都市)[3.8km]
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水主城(京都府城陽市)[7.1km]
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寺戸城(京都府向日市)[10.8km]

槇島城の解説文



槇島城(まきしまじょう)は、京都府宇治市槇島町にあった日本の城。槙島城とも表記される。

概要 

かつて南山城宇治近縁には巨椋池という巨大な池沼が存在し、槇島はそこに浮かぶ島であった。この地には真木島氏(槇島氏、槇嶋氏、真木嶋氏、牧島氏など様々な表記あり)という豪族が根を張り、城郭を築いていた。それが槇島城である。

元亀4年(1573年)7月3日、時の公方・足利義昭は織田信長に対して兵を挙げ、幕府奉公衆であった真木島昭光を頼り、槇島城へ籠城した。だが、信長は即座に入洛し、城を包囲して義昭を屈服させた(槇島城の戦い)。

その後、義昭は河内若江城へ退去させられ、室町幕府は事実上滅んだ。義昭退去後、細川昭元や塙直政、井戸良弘らが城将となったが、伏見城築城後はその戦略的価値を低下させ、廃城となった。

遺構 

現在は完全に失われており、石碑を残すのみである。

所在 

  • 京都府宇治市槇島町大幡(おおはた)

アクセス 

  • 最寄り駅 - 宇治駅(JR西日本)

槇島城の口コミ情報

2023年04月29日 勘解由長官高ちゃん
槇島城

児童公園に石碑があるだけですがこの辺りで足利義昭が織田信長に抵抗してたと思うと感慨深かったです。

2022年11月14日 
槇島城



小公園の一角です。京都オフ会にて参加させて頂きリア。宇治川の流域変更等教えていただき、槙島(島だという理由)などをご教示いただきました。足利義昭公、織田信長公での戦闘時にも名前が出てきているが、実際に場所に行って説明を受けないとわからないことだらけですね。現場を見なさい。どこかでもよく言われてますが、そういうことですね。少しずつ余裕を持った城巡りをしていきたいですね。

2022年06月19日 ファン掃部助トム治郎
槇島城



京阪電鉄宇治から源氏物語ミュージアム、平等院を経て槇島城、JR宇治まで歩きました。半日必要です。宇治は世界遺産スポットと槇島を含めた市街地の雰囲気が全く異なり楽しみました。

2022年05月08日 中務大輔ヒロロ
槇島城

住宅街の小さな児童公園に石碑がありました

2022年02月07日 ぶぶのすけ和泉守
槇島城

小さな公園に石碑があります。それ以外の遺構は見つけられませんでした。

2021年09月20日 藤岡雅楽助但馬
槇島城



住宅街の中、遺構はなく公園に説明板と石碑がポツンとあるだけです。実際にはその公園からもう少し南に本丸があったそうです。

2012年05月06日 A&M
槇島城

公園の中に石碑があります。駐車場はありませんが、一時的に止めるスペースはありました。

槇島城の周辺スポット情報

 平等院鳳凰堂(寺社・史跡)

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