勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)

勝龍寺城の基本情報

通称・別名

勝竜寺城、小竜寺城

所在地

京都府長岡京市勝竜寺13-1

旧国名

山城国

分類・構造

梯郭式平城

天守構造

御主(天守相当の櫓)[階層不明/1571年頃築/破却]

築城主

細川頼春

築城年

延元4年〔南朝〕/暦応2年〔北朝〕(1339)

主な改修者

細川藤孝

主な城主

細川氏、永井氏

廃城年

慶安2年(1649)

遺構

曲輪、土塁、横堀(空堀)、井戸

指定文化財

再建造物

模擬石垣、模擬櫓、石碑、説明板

周辺の城

淀古城(京都府京都市)[1.9km]
淀城(京都府京都市)[2.2km]
山崎城(京都府乙訓郡)[2.9km]
寺戸城(京都府向日市)[3.7km]
物集女城(京都府向日市)[5.0km]
楠葉台場(大阪府枚方市)[5.1km]
革嶋城(京都府京都市)[6.3km]
向島城(京都府京都市)[6.4km]
伏見城(京都府京都市)[7.7km]
吉祥院城(京都府京都市)[7.8km]

勝龍寺城の解説文



勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)は、現在の京都府長岡京市勝竜寺に所在した、南北朝時代から江戸時代初期に存在していた日本の城である。城名は付近の同名古刹(勝龍寺)に由来する。安土城に先行する「瓦・石垣・天主」を備えた近世城郭の原点として評価される。[1]

概要 

勝龍寺城は京都盆地の西南部、小畑川と犬川の合流地点に位置し、西国街道と久我畷が交差する交通上の要衝で、京都では山崎城につぐ防衛拠点であった。また勝龍寺城は古墳を流用して築いたのではないかと言われているが、「主郭や沼田丸ではそれらしき痕跡は認められない」とされている[2]

沿革 

延元4年/暦応2年(1339年)、京都をうかがう南朝方に対抗するため、北朝方の細川頼春が築いた城と言われてきたが、「歴史的根拠はなく、むしろ後に城主となる細川藤孝(幽斎)の正当性を強調するための創作である可能が高い(幽斎は頼春次男頼有の末裔)」としている[3]。この城の初見は『東寺百合文章ひ』の康正3年(1457年)1月19日に「来る二月八幡御番人夫五人、晦日勝竜寺へ早々越さるべく候」とあるので山城守護畠山義就が郡代役所として築城したと推定されている。更に応仁の乱の応仁2年(1470年)に、「四月十四日、勝竜寺搦手北の口に於て合戦仕り、安富又次郎相共に馬場犴びに古市を焼落とす」(『野田泰忠軍忠状』)と記しているので、この頃には軍事施設して使用されていた。「郡代の政庁から城郭に発展した典型的な例」としている[4]。その後有力な史料には勝龍寺城が現れてこないが、永禄9年(1566年)7月17日に、「小竜寺城、淀城扱いに依て取り退くと云々。小竜寺は岩成、淀は日向の内衆金子これを請け取ると云々」(『永禄九年記』)とあるので、戦国時代末期には淀古城と共に松永久秀、三好三人衆の属城となっていた。

勝龍寺城の戦い

観音寺城の戦いで勝利した織田信長は、足利義昭を奉じて上洛する2日前の永禄11年(1568年)9月26日、柴田勝家、蜂屋頼隆、森可成、坂井政尚ら4人の家臣に先陣を命じ、桂川を渡河し三好三人衆の岩成友通が守る勝龍寺城を攻撃させた。

岩成友通は足軽衆を中心に応戦したが、織田軍は馬廻り衆を乗り入れ戦いを有利に進めて首級を50余りあげ、上洛を果たしていた信長の陣所である東福寺へ届けたとされる。

自ら首改めを済ませた信長は、上洛を果たした翌9月29日に全軍に出陣を命じ、信長自身が5万兵を率いて勝龍寺城の攻略に向かった。畿内の広範囲を勢力下に置いていた三好三人衆であったが、織田方の軍を前に降伏・開城する。これは観音寺城の戦いで近江守護であった六角義賢・義治父子が織田軍の上洛を防ぐと予想していたが、一日も経たずに観音寺城が落城したことが影響していたと考えられている。

その後信長は芥川山城越水城高屋城を攻城、降伏させていき、三人衆を阿波に追放し畿内から掃討することになる。

織田氏拠点

元亀2年(1571年)、細川藤孝が山城西岡一帯を信長より与えられ勝龍寺城主となり、二重の堀を持つ堅固な城に改修したとされる。同年10月14日の信長より藤孝宛ての「印判状」には「勝龍寺要害の儀に付て、桂川より西の在々所々、門並に人夫参カ日の間申し付けられ、普請あるべき事簡要に候、仍って件の如し」とあり、桂川より西にある家のすべては3日間の労働に出て、城の改修作事にあたるように信長自身が命じている。この頃の勝龍寺城は槇島城と共に信長の山城の二大前線拠点としての役割を担っていたと思われる。

また勝龍寺城は細川忠興・ガラシャ夫妻ゆかりの城としても知られる。天正6年(1578年)8月、藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝龍寺城で結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたとされている。丹後へ移封されるまでの間に、2人の子宝に恵まれた。

細川藤孝は天正9年(1581年)に丹後に入封し、代わって京都を統括した村井貞勝の与力として矢部家定、猪子高就の両名が城主となり、二人は細川の旧領の検地を行っている。翌天正10年(1582年)、本能寺の変の際に明智光秀方が占拠し拠点とした。本能寺の変の際、猪子は二条城にて、明智方の攻撃により戦死している。変から数日後の山崎の戦いで敗走した光秀は、勝龍寺城に帰城するも、敵である羽柴秀吉軍の追撃を受け城を放棄、勝龍寺城の北門から脱出し、本来の拠点である近江国坂本城へ逃走する途中で死去。翌日に明智軍を破った秀吉が勝竜寺城に入城している。なお矢部は羽柴方として参戦している。一方、光秀の援軍要請を断った藤孝は剃髪、家督を忠興に譲って居城を田辺城に移し、明智家縁戚のガラシャを幽閉した。

羽柴氏以降

その後の勝龍寺城は羽柴方にあまり重要視されず、石材が淀古城の修築に使用されるなどして一旦荒廃する。

江戸時代に入った寛永10年(1633年)、永井直清が山城長岡藩へ封ぜられた。永井は荒廃していた勝龍寺城の修築を行うが、江戸幕府より「堀はさわらない、勝龍寺城古城の北へ屋敷を取れ」という命を受けた。この際に不完全ながらも近世城郭としての勝龍寺城が完成した可能性が指摘されている。しかしそれも短期間のもので、慶安2年(1649年)に直清が摂津高槻藩に転封されると同時に完全に廃城となった。

現在

本丸および沼田丸趾が1992年(平成4年)に勝竜寺城公園として整備され、模擬櫓などが建造された。往時の遺構としては、北門に当時の石垣の一部が残る。また当城の北東に位置する神足神社境内に土塁・空堀を復元している。

明智光秀の娘 玉(細川ガラシャ)が細川忠興に輿入れした史実にちなんだ「長岡京ガラシャ祭」が毎年11月第2日曜日に開催され、当時の様子を模した行列巡行などが行われている。

2019年(令和元年)11月に展示室や園内看板などが新装された。展示室には、勝龍寺城にゆかりの細川藤孝(幽斎)・忠興(三斎)・玉(ガラシャ)・明智光秀ら4人の人物に焦点を当てたパネル展示や映像のほかに、瓦や一石五輪塔などの出土遺物を展示し、「瓦・石垣・天主」を備えた近世城郭の原点として紹介している。

[5][6]

城郭 

勝龍寺城の主郭部分は東西120m、南北80mの長方形をしており、東、北側の幅12mの水堀を残している。また東、西、北の三面には土塁が残っている。西側の土塁は高さ10m、幅5mと大規模なものである。南側の土塁、堀は消滅してしまったが大正11年(1922年)の地図には記載されており、主郭部分を堀と土塁が巡っていた。またこの主郭の西側には「沼田丸」という曲輪があった。これは細川藤孝の妻の実家であった沼田氏の屋敷があったのではないかと伝えられている。また大正11年の地図には沼田丸周囲にも堀が描かれていた。現在は勝竜寺城公園の駐車場がある。それ以外の曲輪として、

  • 松井屋敷
  • 米田屋敷
  • 神足屋敷
等があった。主郭部分より北東に200mの地点に神足神社があり、そこから南側に東西に土塁と空堀がある。この空堀の中央部分には土橋が架かっており、この土橋に対して西側土塁が張り出した部分が、横矢がかかる構造となっている。大正11年の地図には、この土塁跡からJR京都線まで続いており、更に北側には並行してもう一本土塁があり、勝龍寺城の北方防御であったと思われる。『米田文章』にある元亀2年に細川藤孝が改修した「外二重堀」とは、この土塁跡の遺構を指すと思われている。主郭部分の南側は現在住宅地が密集しているが、大正11年の地図には堀や土塁らしきものがあり、「城郭の一部であったと推定できる」とされている。勝龍寺城は永正時代までは方形単郭館であったものを、元亀2年に細川藤孝が大幅に改修したと考えられている。

元亀4年(1573年)6月6日付の里村紹巴書状(橋本家文書)に、勝龍寺城の「天主」において細川藤孝・里村紹巴が両吟連歌興行を行ったことが記されており、文献から安土城築城に先行する数少ない天主が存在したことが明らかになった。[7]

また、天正2年(1574年)6月17日には「殿主」において、三条西実澄(実枝)から細川藤孝に、『古今和歌集』の解釈を中心に、歌学や関連する諸説を秘伝として師から弟子へと伝える「古今伝授」が行われるなど、勝龍寺城の天主は文化的な交流の拠点となっていた。[8][9]

現在石垣は北門の一部に残るのみだが昭和54年(1979年)の発掘調査で石仏二体と石材数個、また大量の栗石が検出され、この発掘調査以外からも勝龍寺城の大半が石垣によって築かれたことが推定されている。また虎口部分が枡形虎口となっていることも明らかにあり、織豊系城郭であることが明確になっている。

主郭部分

沼田丸部分

神足神社土塁部分 

城跡へのアクセス 

電車でのアクセス
* JR京都線(東海道本線)長岡京駅 → 徒歩約10分
車でのアクセス
* 名神高速道路 大山崎IC → 京都府道211号下植野長岡京線
* 勝竜寺城公園に数台の無料駐車場有り

参考文献 

  • 【書籍】「図説中世城郭事典」
  • 【書籍】「よみがえる日本の城(19)」
  • 【書籍】「日本城郭大系 第11巻 京都・滋賀・福井」
  • 【書籍】「戦国合戦大事典」
  • 【書籍】「戦国の城 中巻<西国編>」

勝龍寺城の口コミ情報

2022年05月08日 源出雲守ポンコ2…
勝龍寺城



淀古城で周辺の城跡見たら、ここ勝龍寺城まで直線距離3㌔弱だったので、リア攻めマップ見ながら歩いて30分ちょいでした。山崎の戦いで明智光秀が桂川挟んで淀古城と勝龍寺城に後詰の防衛ラインをひいたのも、距離感でわかりました。

勝龍寺城は、フォトで投稿されてる本丸の模擬櫓や門塀、土塁、水堀がお馴染みかと思いますが、本丸や沼田丸などの案内板が充実しており、それらを読んでから巡ってを繰り返し、少し離れた神足神社内の空堀と土塁を見たりしてたら所要時間1時間超えました。案内板には、模擬建造物と同様に細川家紋の九曜紋が入ってます。神足神社の周りの住宅表札は、神足姓のお宅が複数ありました。また、最寄のJR長岡京駅も、20数年前は神足駅でした。

同時アップのフォトは案内板の一部ですが、リア攻め予習のご参考までに上げときます。お車やと、本丸に隣接する沼田丸跡に、4台分の駐車スペースがございました。

2022年03月26日 山県侍従ニャン八
勝龍寺城



小柄な城でありながらも見応えがあり、写真を沢山撮ってしまいます。明智光秀、細川忠興のゆかりでもある、見応えしかない城です。

2022年02月27日 伊達右馬頭一海
勝龍寺城



駐車場も資料館施設も共に無料で利用出来ました。施設内も非常に綺麗に整備されておりビックリしました。

2022年01月03日 鈴木剛
江戸時代の勝龍寺城本丸跡[勝龍寺城  碑・説明板]

江戸時代初め頃十六年間営んだ城の本丸がここにあったところで「神足館」とも呼ばれるそうです

2021年10月25日 大野美濃守道犬斎
勝龍寺城



今年は長岡京ガラシャ祭なく行列巡行や楽市楽座は中止になるようです。代わりにプチウィークとして2021年11/6〜11/14まで各種イベント催されます。

2021年09月11日 玉手箱
勝龍寺城

緊急事態宣言のため、9月20日まで城内には入れません。9月末まで延びるかも。登城されるかたは事前確認を。

2021年08月30日 スヌさん三世隠岐守
勝龍寺城

京都府下、非常事態宣言中に付き、勝龍寺城公園は令和3年9月12日迄閉園中です。また、御城印を扱っている長岡京駅前の観光情報センターも当面の間お休みですのでリア攻め、御城印購入をご検討の方はご注意下さい。

2021年04月18日 ブイシカ伊勢守
勝龍寺城



駐車場もよく整備されていて、気持ちよく拝観できます。城内と沼田丸に「ガラシャおもかげの水」なる地下水が飲める蛇口があります。
歩いて2分ぐらいの場所に城名の元になった勝龍寺もあります。

2021年01月19日 あつし
勝龍寺城

入場料無料で展示室めある城跡です。観光協会で御城印もいただけます

2020年12月08日 ☘️ぷ~太郎
開田城[勝龍寺城  周辺城郭]

開田城(かいでんじょう)は戦国時代に活躍した国衆(くにしゅう)の一人である中小路(なかこうじ)氏の居館(居城)

乙訓・西岡地域の土豪(どごう)・持侍(じざむらい)たちは、それぞれ村のリーダーとして活動し、また国衆として地域の自治的運営を目指す国一揆(くにいっき)を結んだことで全国的にも著名。国衆の居館は彼らの活動の基地として重要な役割をはたしたが、開田城はそうした居館の遺構が残る貴重な事例。

2020年11月20日 小太郎民部大輔南海道12國守
勝龍寺城



京都盆地の西南部に位置する交通の要衝で、京都では山崎城に次ぐ防衛拠点であった。信長上洛戦により、丹後に移るまで、高名な細川藤孝が城主となり、ガラシャが、新婚生活を送ったことでも知られている。その後、山崎の戦いでは、明智光秀の有力な拠点となった。現在は勝竜寺公園として整備され、遺構としては、北門に、当時の石垣が残ると共に、土塁、空堀も一部復元されている。直近に、駐車場はなく、10分程度の徒歩圏内に駐車場があるとのことで、調べて行くのが無難である。

2020年10月01日 美作守せんとくん
勝龍寺城

麒麟がくるの影響で城跡公園に明智家の家紋の旗がたくさんありました。
管理棟に入ると麒麟がくるのテーマ曲が延々と鳴ってます。

2020年03月19日 美作守せんとくん
勝龍寺城

今夜、勝竜寺城のライトアップを見に行こうとしたが、コロナの影響で中止かもと予感したので、電話で問い合わせたら、やはり中止だった!

3年前の今の時季に行ったが綺麗だった!

2019年11月26日 天道民部卿早雲
観光情報センター[勝龍寺城  御城印]

長岡京市観光情報センター(JR長岡京駅西口
バンビオ1番館2階で勝竜寺城の御城印2種類が販売

書状から文字を書き起こした、藤孝の花押入り「限定版」と勝龍寺ご住職の筆による「通常版」の二種類

限定版は毎月第2日曜日に販売されてます。

市内の他二ヶ所の観光案内所でも、取り扱いされているそうです。
・長岡京市観光案内所(阪急長岡天神駅西口)
・長岡京@Navi(阪急西山天王山駅東口

2019年11月10日 越前守cxbx110
恵解山古墳[勝龍寺城  寺社・史跡]



山崎の戦いで使われたと言われています

2019年11月02日 天道民部卿早雲
大門橋(大門跡)[勝龍寺城  寺社・史跡]



勝竜寺城の大手門跡です。今も大門橋(だいもんばし)が架かっています。

2019年06月02日 【麒麟】中務卿しらいとはま
勝龍寺城



≪山崎合戦図≫小泉川を挟んで明智・羽柴両軍対峙~手前中央に御坊塚の明智光秀本陣と背後に勝竜寺城!

2019年04月25日 安那備後守はるか
勝龍寺城



模擬櫓と堀。堀には鯉が優雅に泳いでおりゆっくりした雰囲気です。が来年の大河の影響なのか幟が忠興&ガラシャ&光秀でいっぱい!

2019年04月23日 ☘️ぷ~太郎
勝竜寺城公園駐車場[勝龍寺城  駐車場]



駐車場利用時間
4月1日~10月30日/午前9時~午後6時
11月1日~3月31日/午前9時~午後5時

上記以外及び休園日は、駐車場を閉鎖しますのでご注意ください

休園日
年末年始(12月28日~1月4日)

2019年01月24日 京急渡島守ドレミファ♫
勝龍寺城

【アクセス】
JR長岡京駅下車、徒歩10分程。
駐車場もあります。

【見所】
模擬感が半端ないので、人によって感じ方が分かれるでしょう。
個人的には見栄えばかりの嘘っぱちは好まないので、もっと自然な感じで復元して欲しかったですね。
少し駅寄りの神足(こうたり)公園内の土塁と空堀が見所と言えば見所ですが、時代なのか安全対策が過ぎる感じです。

【その他】
隣の駅なので天王山(山崎城)のついでにめぐりましたが、そんな感じでいいと思います。
近くの光明寺に紅葉狩りに来たことがありますが、それは素晴らしかったので、そのついででもいいと思います。

2017年11月10日 織田上総介晃司
勝龍寺城

住宅街のそばにあります。

夜になって行ったので(しかも不可抗力)当然閉まってて外から眺めるだけでした。

勝竜寺城は細川忠興と玉(ガラシャ)の二人にゆかりがある城で、夫婦仲もよかったそうです。特に忠興がべたぼれだったそうな。

2017年02月19日 橘若狭守次郎吉
勝龍寺城

勝竜寺城の本丸跡と沼田丸跡は現在「勝竜寺城公園」となっている。公園には模擬櫓や模擬門、水堀、土塁等がある。模擬多聞櫓には石落まであってテンションアップ!公園管理棟では勝竜寺城についての展示室や復元模型、パンフレットがある。

一方で「勝竜寺城公園」付近にある神足神社には土塁や空堀・土橋が整備されて残っている。ここには元々、神足氏の居館・神足城があったが、戦国時代に勝竜寺城の一部になったようだ。上で述べた土塁や空堀・土橋は勝竜寺城の遺構である。ちなみに、神足神社には現在も神足氏の末裔の方が住んでおられる。

勝竜寺城跡には遺構の説明板が多くて分かりやすい。非常にオススメな城跡である。お近くを通られた際には是非1度!

城跡へのアクセスはJR京都線「長岡京」駅より徒歩10分ほどである。

2014年03月10日 刑部守数俊之介
勝龍寺城

住宅街の中にあります。
駐車場のそばに湧き水があり、近所の人が水汲みに来ていました。
行かれる方は、ペットボトル等を持って行かれるといいです。
ガリャシャの水だそうです。

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
勝龍寺城

[武将像]細川忠興・玉(ガラシャ)像
本丸跡内に鎮座。

勝龍寺城の周辺スポット情報

 土塁・堀(遺構・復元物)

 模擬櫓(遺構・復元物)

 水堀(遺構・復元物)

 山崎合戦古戦場(碑・説明板)

 沼田丸跡(碑・説明板)

 北門跡(碑・説明板)

 江戸時代の勝龍寺城本丸跡(碑・説明板)

 開田城(周辺城郭)

 大門橋(大門跡)(寺社・史跡)

 恵解山古墳(寺社・史跡)

 勝龍寺(寺社・史跡)

 境野一号墳(寺社・史跡)

 神足神社(寺社・史跡)

 観音寺(寺社・史跡)

 観光情報センター(御城印)

 管理事務所(御城印)

 トイレ(トイレ)

 勝竜寺城公園駐車場(駐車場)

 隅櫓(関連施設)

「ニッポン城めぐり」を始めるには?

「ニッポン城めぐり」は、iPhone・androidの両アプリに対応。
利用料金は無料、アプリ内の課金も一切ナシ!いますぐ城めぐりを始めてみよう!

スマートフォンからのアクセス方法

app store app store  ■iPhone
 AppStore で「ニッポン城めぐり」を検索。

google play ■Android
 Google play で「ニッポン城めぐり」を検索。

スマホを持って城をめぐろう!スマホでお城スタンプラリーゲーム「ニッポン城めぐり」 ニッポン城めぐりとは? GooglePlay Appstore