芥川山城(あくたがわさんじょう)

芥川山城の基本情報

通称・別名

芥川城、原城、三好山城、城山城

所在地

大阪府高槻市大字原

旧国名

摂津国

分類・構造

連郭式山城

天守構造

築城主

細川高国

築城年

永正12年(1515)?

主な改修者

細川晴元、三好長慶

主な城主

能勢氏、細川氏、三好氏、和田氏、高山氏

廃城年

元亀2年(1571)

遺構

曲輪、石垣、土塁、堀切

指定文化財

国史跡(芥川城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

芥川城(大阪府高槻市)[3.6km]
安威城(大阪府茨木市)[4.1km]
佐保来栖山砦(大阪府茨木市)[4.7km]
高槻城(大阪府高槻市)[5.2km]
普門寺城(大阪府高槻市)[5.7km]
郡山城(大阪府茨木市)[6.4km]
茨木城(大阪府茨木市)[6.9km]
目垣城(大阪府茨木市)[8.3km]
山崎城(京都府乙訓郡)[8.4km]
楠葉台場(大阪府枚方市)[8.5km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)159 芥川山城

設置場所

高槻市しろあと歴史館[地図
高槻市観光協会事務所[地図
高槻市観光案内所[地図

芥川山城の解説文



芥川山城(あくたがわさんじょう[1])は、大阪府高槻市の三好山にあった日本の城。国の史跡に指定されている(指定名称は「芥川城」)[2][3]

当時の呼称は「芥川城」であるが、同じ高槻市殿町周辺にあった城も「芥川城」と呼ばれており、『高槻市史』が便宜上、三好山にあった城を「芥川山城」と呼称したことから、現在多くの文献でも「芥川山城」と呼ばれている。2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(159番)に選定された。

概要 

芥川山城は飯盛山城と共に大阪府下では最も規模が大きな城跡で、遺構の残存状態も良好で戦国時代の典型的な山城である。

芥川山城は標高182.6mの三好山に築城されている。東に隣接する帯仕山の方が192.3mと高いが、山頂部がなだらかであるため城郭には不向きで、摂津峡の切り立った断崖など、地形を重視して選地されたと推定される。戦国時代に山城を築く場合に、どのような山を選地したか、どのような考えで城郭を築いたかの参考となる城である。

高槻市北部に位置し、北・西・南の三方を芥川で囲まれて、急崖の上、天然の要害として築城された。

古文書に「芥川城」とだけ記載されている場合は、殿町周辺にあった芥川城のことなのか、三好山にあった芥川山城を指しているのか、はっきりしないことがある。これは芥川城の廃城時期が明確でないためである。また、芥川城および芥川山城を細川政元以来の細川政権、その後継と言える三好政権の本拠地(政庁の所在地)として捉え、芥川山城の築城もその流れの中で考える見方もある[4]

沿革 

この城の史料における初見は『宇津山記』の永正13年(1516年)1月の記述で、能勢頼則が城主を務める「芥川新城」にて、連歌師宗長の参加する連歌会が行われている[5]。芥川山城は永正12年(1515年)からこの年にかけて、細川高国によって築かれたと考えられ、『』によると昼夜兼行で500人・300人の人夫が動員されたという。

能勢氏時代

初代城主(城代)は、細川高国によりこの城に置かれた能勢頼則だが、頼則は永正13年(1516年)8月に没し、子の能勢頼明がその跡を継いだ。大永3年(1523年)の時点では能勢国頼が城主を務めていたとみられる(国頼は頼則の後継者ともいう)。

大永6年(1526年)に細川高国と細川晴元の争いが起きると、翌大永7年(1527年)、芥川山城は他の摂津諸城と共に晴元方に降伏開城し、能勢氏は芥川山城から姿を消すこととなった。

細川晴元時代

天文2年(1533年)4月、淡路に追われていた細川晴元が軍勢を立て直して芥川山城に入城した。この時期、細川晴元は実質的に政権を握っており、芥川山城も大いに繁栄した。この頃に新しい曲輪が増設されるなどしたとみられる。天文5年(1535年)に晴元は京都に移ったが、度々芥川山城に戻り指揮を執っている。これは芥川山城が軍事的に要衝の地だったからと考えられる。

天文8年(1539年)6月、晴元と対立した三好長慶が芥川山城に入った。7月28日に両者の間に和議が成立し、長慶は芥川山城を明け渡して越水城へと移った。その後、薬師寺与一(元房)が芥川山城に入城したが、天文15年(1546年)、元房は晴元と対立する細川氏綱方に転じている。天文16年(1547年)5月、元房の籠る芥川山城は晴元方の攻撃を受け、6月25日に降伏した。この後、芥川孫十郎や三好長逸など、複数の武将が芥川山城に在城している。

三好氏時代

天文18年(1549年)、江口の戦いに勝利した三好長慶は細川晴元を京から追った。芥川山城には芥川孫十郎が再び入ったが、孫十郎は長慶と敵対し、天文22年(1553年)7月、芥川山城は長慶により攻められた。8月22日、または9月23日、兵糧の尽きた芥川山城は開城し、孫十郎は阿波へと落ち延びた。

孫十郎が退去した後は長慶自身が入城しており、芥川山城は三好本宗家の拠点となった。永禄3年(1560年)に長慶は河内飯盛山城へ移り、息子の三好義興が城主となる。しかし、永禄6年(1563年)8月に義興は22歳で死去し、長慶も翌永禄7年(1564年)7月に飯盛山城で没した。義興没後は三好長逸が城主になっていたとみられる。

永禄11年(1568年)9月27日、足利義昭を擁する織田信長の軍勢が山城国を越えて摂津に侵攻し[6]、28日に「芥川之市場」(芥川宿か)に火を放った。29日には義昭が天神馬場(高槻市天神町)に入り、芥川山城の麓を焼いている。30日に、長逸は細川昭元と共に芥川山城から逃れた。

和田・高山時代

9月30日、足利義昭が織田信長に奉じられて芥川山城に入城し、14日間の滞在後、京へと入った。その後、近江国甲賀郡出身の和田惟政が芥川山城の城主となった。

翌永禄12年(1569年)1月5日、三好三人衆が足利義昭の居所である本圀寺を襲撃し、撃退されている(本圀寺の変)。同年4月、三好三人衆に与した入江氏が信長に殺され、その居城・高槻城が惟政に与えられており、同年6月までに惟政は居城を平城である高槻城へと移した。惟政は在京する際などに、筆頭家臣に迎えた高山飛騨守に芥川山城や高槻城を任せている。

この後、惟政は荒木村重を中心とする池田氏と対立し、元亀2年(1571年)8月の郡山における戦いで討死した(白井河原の戦い)。惟政の跡は息子の和田惟長が継いだが、元亀4年(1573年)3月、高山飛騨守・右近父子との対立の末に追放され、高山父子が高槻城主となった。

芥川山城この頃廃城となり、60年にわたる歴史を閉じたとされる。

城郭 

芥川山城は大きく3つのブロックから構成されている。

東曲輪群

城内の山道は、東曲輪群の東側にある。土橋、竪土塁跡は、東曲輪群と中央曲輪群の境に位置する。

東曲輪群の入り口付近に石垣が見受けられるが、これは江戸時代末期もので、廃城後の石垣である。

中央曲輪群

  • 出丸
  • 虎口

現在は東曲輪群より山道が整っているが、芥川山城の大手通はこの中央曲輪群の虎口より進入する。またこの虎口跡には山城には珍しい石垣跡が存在している。この石垣は戦国時代の技術ではあり得ない組み方をしており、現在でも議論になっている。三好長慶のもう一つ居城飯盛山城にも同様な石垣があり、三好長慶時代に構築された可能性もある。また最後の城主であった、高山友照・重友親子時代に織田信長方の築城ノウハウを取り入れたという説もある。虎口という点から防御用の石垣ということも推察されるが、今後の詳しい調査が待たれている。また出丸跡の最先端部には櫓が構えられていた可能性がある。

西曲輪群

  • 本丸
  • 田の丸

本丸跡は三好山の山頂に位置する。この本丸跡で高槻市教育委員会によって発掘調査が行われ、礎石跡が検出され御殿的な施設が建設されていたのが確認できた。山城は通常、倉庫程度の簡単な施設が山頂に建設され、山麓に居館を建て生活の基盤としているのが常だが、住居空間も山頂に建設されているのは珍しい。また、この調査で1556年の火災跡も発見され、この施設は三好長慶時代には建設されていたことが判明している。

原村絵図

原村絵図は、芥川山城の付近にあった原村の村域を描いた絵図。作成年代未詳。原村は芥川の上流に位置し、江戸時代より寒天作りが盛んな場所であった。絵図は田地・池・山等が綺麗に色分けされている。この絵図の南西部に「三好長慶社」という記載が見受けられる。これは芥川山城の本丸にあたる部分で、現在でも長慶を祀っている。

山頂部からの眺望 

アクセス 

  • 公共交通機関でのアクセス
    • JR京都線(東海道本線)高槻駅から高槻市バス乗車、塚脇バス停下車
  • 車でのアクセス
    • 国道171号今城町交差点から府道枚方亀岡線を摂津峡方面へ
    • 近隣に駐車場無し
  • 徒歩でのアクセス
    • 塚脇バス停 → 徒歩 → 三好山山頂 約25分

参考文献 

  • 【書籍】「三好長慶―諸人之を仰ぐこと北斗泰山―」
  • 【書籍】「城歩きハンドブック」
  • 【書籍】「戦国摂津の下克上 高山右近と中川清秀」
  • 【書籍】「戦国期細川権力の研究」
  • 【書籍】「日本城郭大系 第12巻 大阪・兵庫」

芥川山城の口コミ情報

2024年08月19日 刑部卿かず
芥川山城



山城とはいえ、そんなにきつい道ではありませんが、今の時期は、暑さ対策をしっかりして登ってください。山頂からの眺めは最高です。

2024年07月21日 大喜蔵人頭笑之丞
芥川山城



大手道は、状態悪く諦めました!塚脇のバス亭から入口まで15分ちょっとです。

2024年04月29日 吉継大膳大夫
芥川山城



山頂までは約40分のハイキングコースとなっており、晴れていれば素晴らしい風景が広がっています。かつてここが一瞬でも日本の政治の中心だったと想いを馳せる事ができるそんな場所になります。

2024年01月06日 宇治ひろの勘解由長官ふくやん
芥川山城



芥川漁協の駐車場に車を停めて攻城しました(千円)。片道20分ほどですかね。途中に多くの郭群や堀切に出会います。大手の石垣は少し外れています。主郭に到達すれば、そこはもう大阪平野を望む素晴らしい眺望、三好長慶も同じように眺めていたんだろうかとしばしベンチで思いをめぐらすことができます。京都や大阪からは気軽に足を向けられます。攻城前に高槻市しろあと歴史館で資料を手に入れるとよいとおもいます。スタンプや御城印も歴史館にあります。

2023年10月09日 抹茶
芥川山城



山頂付近にベンチが設置されました! 長慶さんも見たであろう景色を座って楽しめます♪

2023年03月13日 八咫烏紀伊守鉄龍
芥川山城



整備されて、見晴らし抜群になっております。和歌に詠まれた生駒山も見えまする!

2022年09月24日 けい修理大夫
登城口[芥川山城  その他]

大手筋は、雨上がりはきついです。滑ります、ご用心を

2022年04月23日 RED副将軍
芥川山城



最初の天下人 三好長慶 初期の居城🏯

続日本100名城

1515年に能勢頼則により築城。
1524年には、細川高国と細川晴元との争いの中で城主の能勢国頼は細川高国の勢力下にあったが、周辺の城が落とされると細川晴元に降伏。能勢氏は芥川山城から退去し、細川晴元の支配下になります。しかし、1547年頃に配下の三好長慶が謀反を起こし、芥川山城は三好氏の支配となりました。

三好一族の芥川孫十郎を城主に置きましたが、細川晴元に呼応したため、1553年に三好長慶は芥川山城を攻め落とします。その後は自らの居城としました。
1560年に、三好長慶は飯盛山城へ居城を移し、芥川山城には嫡男の三好義興が城主に配しましたが急逝し、代わって三好三人衆のひとりである三好長逸が入城。

1568年、織田信長が侵攻し落城、織田家臣の和田惟政を入城させます。その後、和田惟政は高槻城に移り、芥川山城はその支城となり和田家臣の高山友照が入城。

1571年、和田惟政は白井河原の戦いにおいて荒木村重により討死。
1573年、和田家臣であった高山右近は、家督を継いだ和田惟長を追放。高槻城を居城とし、芥川山城は廃城となりました。

見所
標高182mの三好山山頂に築かれ、摂津峡で囲まれた天然の要害。
大きく東曲輪群、中央曲輪群、西曲輪群の3ブロックに分かれます。
東曲輪群から中央曲輪群との間には土橋、竪土塁が確認できます。東曲輪群には石垣がありますが後世のものです。
中央曲輪群は出丸として機能。大手道が通り、石垣が伴う虎口が最大の見所です。
西曲輪群の山頂が主郭で、山城では珍しい御殿と思われる礎石が見つかっています。

⚠️周辺には駐車スペースはありません。有料駐車場に停めるしか無いです。

2022年04月05日 別損山城守瓶割公園前派出所
芥川山城



車で行かれるのであれば、芥川漁業共同組合上の口駐車場(千円)がいいですかね。写真②
そこから摂津峡方向に進むと登城口(案内板有り)に行けます。写真①

見どころは、竪土塁・大手石垣・堀切と満載です♪今なら主郭に桜🌸も咲いています。三好一族も見たであろう大坂の大パノラマが堪能できます。写真④
おやつ300円分を持って行きましょう。(^^)

主郭で作業されていたボランティアの方に主郭下の郭3のお話を聞きました、
「近年発掘調査して、此処から備前焼きや約3,000枚の保師器(使い捨ての皿)がでてきました」
と教えて頂き、特別に3郭奥を案内して頂きました。(ありがとうございました😊)写真③

西曲輪群にある出丸12の手前にも二本の堀切があります。その出丸ですが、今年になって、滑落事故が有ります。立ち入り禁止🚧場所ですので、注意して下さい。

2022年03月24日 大和守こばやん
芥川山城



最寄りのバス停(塚脇)近くに、祥風苑という温泉もありました。帰りの時間の都合で今回はスルー。立ち寄りたかったなぁ。

2022年01月24日 くまなみ
芥川山城



最寄りバス停 塚脇までのバスは1時間に約2便
塚脇ルート登山道はとても整備されていて登りやすいです。山頂部は眺望がよく降りられませんが北側にも曲輪が確認できます。大手道石垣はかなり崩れている様子、こちらのルートは険しいのと猪に要注意です。

2022年01月05日 副将軍ナンバー【7】雁瓶割
芥川山城

「出丸(東郭)下のシンボリックな石垣(些か危険な急斜面)」と「大土塁(道自体は安全)」へは標識などもなく分かりずらいです。伝言で良ければご案内します。

2021年05月03日 天道式部卿早雲
三好のカンカン石・義興の墓・霊松寺[芥川山城  碑・説明板]



三好長慶の嫡男・義興の自然石墓です。
高槻市天神町にある霊松寺の管理する墓所の一角にあり、三好長慶の説明板もあります。
三好義興は、優秀で将来有望な跡継ぎでしたが二十代の若さでなくなってしまい、その死は三好家衰退の一因とも言われていめす。
三好のカンカン石と言われる由来はわかりませんでしたが、三好家勢力圏の讃岐(香川県)で採取される讃岐岩・サヌカイトが叩くとカンカンと鳴りカンカン石と呼ばれていて、お墓も讃岐岩で出来ているかもと愚察…

2021年03月25日 摂津守ぎょう
芥川山城



最初に高槻のしろあと歴史館でスタンプを押して、芥川山城御城印、三好長慶、松永久秀の武将印を購入(各300円)。無料配布の地図を貰う。これはルート、堀切、曲輪が詳しく書いてあるで是非手に入れてください。後、歴史館を見学、無料とは思えないくらいの資料がたくさんありました。松永久秀の爆死の肖像画(恐らくホンマもん)もありました。近くに高槻城があったので寄って天守台と高山右近銅像を写真に撮る。続いて、芥川山頂上までは3ルートあります。大手筋、塚脇、二の口ルートです。最短ルートの二の口ルートを選択。二の口バス停付近の駐車場まで行く。漁業組合の駐車場で、主に釣り人が停めている様だった。二の口ルートの登山口まで2、3分ここから1人通れるくらいの山道を登る。15分位で塚脇ルートと合流する三叉路まで辿り着く。右折、山頂を目指し道中、竪土塁、土橋、曲輪、堀切に遭遇。今度は大手筋ルートの三叉路に到着(5分)。芥川山城の石碑がある。山頂へは行かず、大手筋ルートを一旦下り、大手門石垣へ(2分)。石垣らしい遺構はここくらいかも。写真を撮って来た道を戻り(2分)、再び山頂へ。山頂到着(5分)。広々とした空き地と2本目の石碑、三好と松永の祠、三好の肖像画の看板位しかないが、景色はサイコーでした。三好が眺めていた景色と思うと感慨深いものがありました。帰りに塚脇ルートを下ると石垣群らしいものと発掘調査中?みたいな石垣がありました。下山後は、美人の湯〜祥風苑〜でお風呂に浸かってリフレッシュ(上の口より車で10分位)。トンカツ定食を食べました。唐揚げが高槻でno.1だそうです。総評・軽い登山です。遺構は少な目ですが、芥川の渓流と森林のマイナスイオン、山頂からの眺め、最高でした。三好の城と言う訳でもないが、どこか先週行った飯盛城と似ている気がしました。

2021年03月23日 摂津守ぎょう
上の口登城口・説明板[芥川山城  碑・説明板]



上の口登城口、説明板と地図。ここからの登城が最速(25分)だと思います。遺構もほぼ見れました。

2021年03月23日 摂津守ぎょう
上の口駐車場[芥川山城  駐車場]



芥川漁業共同組合の駐車場です。主に釣り人が停めてらっしゃる様です。1日1000円。

2021年03月01日 馬場美濃市守権中納言
芥川山城



標高182.6mの三好山になります。温泉の祥風苑側からと上の口バス停側からの2コースから登れます。山頂は見晴らしが良いので双眼鏡を持っていったら良いと思います。

2020年10月20日 さとっち左近衛少将
芥川山城

夕方の初登城でしたが、大阪の街中を眼下にし、三好長慶の支配達成感を味わえました。


2020年09月14日 saru
芥川山城

摂津峡の駐車場に停め、バーベキュー場の先にある板橋を渡ると城下の集落に出ます。
地元の皆様が整備してくださっているので、登城道の足下は快適です。が、蝮とダニ、猪は出ますので対策必須です。

2020年08月22日 せせらぎ太政大臣
芥川山城



登城路が分かりにくい続100名城でした。
Google Mapsナビだと摂津峡公園からの道を案内されますが、しろあと歴史館で聞くと、そちらの道はお勧めできないとのこと。
駐車場はないので、日帰り温泉祥風苑の隣の有料駐車場(30分200円)に停め、老人ホーム黄金の里の横を通り、25分ほどで登城。

2020年05月10日 城井宇都宮智房
芥川山城



芥川山城「東の砦」界隈を踏査した結果、土橋北側の竪堀内に、三条の畝を確認した。

南北に走る三条の畝は一旦消滅するが、直ぐ真下に一条の畝が現れ堀底まで延びている。

「東の砦」から本丸へ向かうとなると、土橋を渡り右に蛇行する切通し道を通らなければならない。

切通し道を抜けると右側は土塁、左側は「東の出丸」切岸、右正面には高さ1.5m程の曲輪、そして「東の出丸」切岸から土塁が降りて来ている。
此処に門を拵えれば、枡形虎口の完成である。

あと、枡形を3mも進まない内に、城道を南北に遮る形で土塁が残存する。
当然直進させる訳は無いので、切岸側か曲輪側に虎口を造っていたのであろう。

此処も、完全な枡形虎口を形成していたと思われます。

2020年01月03日 天道式部卿早雲
上の口登城口・説明板[芥川山城  碑・説明板]



上の口バス停から徒歩5分 城郭本丸まで30分ほどでした。説明板の縄張り図が大変参考になりました。

2019年10月14日 しゅう関白
芥川山城

9月に訪城の方はお気を付けください。山で例えるなら9合目までは普通に行けますが、その後スズメバチの巣があります。かなり音立てて飛んでます。私は半袖短パンだったため、怖くて断念しました。別の時期に再トライしようと思います。

2019年05月13日 京急渡島守ドレミファ♫
芥川山城



2019年1月16日時点では倒木等はありましたが、全く普通に登城はできます。
「高槻市立しろあと歴史館」で楽に行ける方法を教わったので、ご紹介します。

【アクセス】
JR高槻駅北口から53or54系統に乗車し(10分毎に出ています)、約20分の「上の口」へ(220円/IC可)。
バスを降りると案内図があります。
上の口からはどちらかと言うと下るので、かなり楽です。
また、有料(1,000円/日)ですが城址入口近くにP有り。

【スタンプ】
しろあと歴史館に加え、JR、阪急の駅の観光案内所でも押印可。

【見所】
大手門の石垣と主郭付近からの絶景ですが、インパクトは倒木でしょうか。
本丸までの道程はよく整備されていて、その労力には感謝しかないです。

【その他】
我々が登城することで復興が進むと思います。
私有地アピールはすごいものの、城内は手書きでの案内が至る所にあり、快適にめぐれます。
当城だけが目的なら、駅で押印してそのままバスで向かうのが効率的。
高槻城に興味があれば、歴史館に寄るといいと思います。

2019年01月04日 玉手箱刑部卿
芥川山城

①塚脇バス停から、妙力寺方面を目指し北上。
②塚脇ルートと、大手筋ルートの分岐点に差し掛かる。今回は、台風の影響で倒木激しい大手筋ルートを避けて、塚脇ルートへ。
③塚脇ルートは、時間がかかるというが、そんなことは無い。すぐに、感動の竪土塁が出現。
④堀切・土橋を渡り主郭へ。途中、大手石垣が見られる大手筋ルートと合流。
⑤大手筋をほんの少し降りるだけで、大手石垣見られるので、必ず降りて下さいチェック。
⑥もと来た道まで戻り、再び主郭を目指す。すぐに主郭に到着。
⑦主郭を横断。北尾根筋にある土塁、堀切を見てニヤニヤ。
⑧田ノ丸郭を見て、大土塁をトライするも倒木に断念。
主郭の祠の倒壊や、倒木など激しいですが、塚脇ルートを利用すれば、問題なく楽しめますよ。

2018年12月03日 伊予守とらのすけ
芥川山城

続100名城のスタンプが、30年12月から、しろあと歴史館に加えて次の場所にも設置されているようです。
①高槻市観光協会事務所
阪急高槻市駅改札階 ミング阪急2階
午前9時から午後5時
年末年始休
②高槻市観光案内所
JR高槻駅中央改札階
午前10時から午後5時
月(祝日の場合は翌平日)、年末年始休
リア攻めするついでにはしろあと歴史館より便利ですね。


2018年11月19日 
芥川山城

下の口(三好山南側)から登城し
主郭を経て上の口(三好山北側)へ降り
摂津峡を通って戻りました。

詳細として。。
摂津峡公園P(1000円)に車を駐車。
摂津峡方向へ少し上がると広場にトイレがあります。
摂津峡の入口付近にもトイレがあります。
上には無いのでこちらで済ませてからが良いです。

高槻摂津峡公園管理事務所の脇道から
釣堀を経て芥川を渡り大手道。
猪ゲートから急な沢を登るのですが、
いくつもの倒木をくぐったり、越えたりと
かなり荒れてます。
山歩き経験の少ない方やスニーカーだと危険かもしれません。
滑って転び怪我をする可能性もあります。
大手道からの登城は自己責任でお願いします。
逆の下りはもっと危ないかもです。

なので現時点では、
上の口(三好山北側)から登城し、
また上の口へ戻るルートを強くオススメします。

三好山の住人や復旧作業の方にお逢いすると思いますが、
感謝の気持ちを込めて
にこやかなご挨拶をお願いします。

2018年11月14日 Marky武蔵守
芥川山城

ボランティアの方々が主郭までの登城路を仮整備してくれたので、一応主郭までは辿りつけますが、まだまだ復旧に時間がかかると思われます。

2018年09月18日 た〜坊 対馬守
芥川山城

先日の台風で倒木が酷く、登れないと聞いていましたが、登れました。私が登ったのは上ノ口の一番短いルートでした。多数の木が根こそぎ倒れているので、登られる方は自己責任でお願いします。他にも登って来ていた方がいたので、他のルートも登れる可能性あります。

2018年05月18日 ねこ式部丞すずめ
芥川山城

前の方が草ぼうぼうと書かれていたので覚悟して行きましたが、全然そんなことはありません。よく整備されていて、気持ちよく登城出来ました。一旦、塚脇のバス停に寄って、そこにある説明板を見られる事をお薦めします。私が歩いた塚脇ルートはとても歩きやすい道でした。因みに、JR高槻駅から殿町の芥川城経由で1時間ぐらいで歩いて山頂まで行けました。

2017年10月09日 五瓜ニ唐花紋太政大臣や~きみ
芥川山城

駐車場は無し。
近くは釣り場なので、漁協の一日千円の駐車場はありました。

城の入口は看板ありますが、時期により草ぼうぼうです。
十月でしたが、入るの躊躇するほどでした。
山中もなかなか草木凄いです。



2017年05月30日 橘若狭守次郎吉
芥川山城

◆芥川山城跡の見どころ(遺構)◆

石垣*/堀切/土塁/土橋/横堀(薬研堀)

①大手門石垣
②東出丸下の石垣(危険な場所にあります)
③とても長い竪土塁(普段は上からのみ)
④S字土橋
⑤南出丸下の薬研堀

*芥川山城の石垣について
山麓付近の石垣は後世に積まれたもので、城の遺構ではありませんのでご注意を!!

2017年05月30日 橘若狭守次郎吉
芥川山城

芥川山城跡には石碑が二つあります。
*②よりも①の方が古い*

①本丸跡の石碑
★大阪府が設置。

②本丸跡より手前の大手道横
☆高槻市が設置。

◆②が①よりも手前にある為、②の石碑のある場所を本丸跡だと思って帰ってしまう人が時々いるという。要注意!!

2017年05月23日 まるき〜陸中守
芥川山城

アプリに載っている「高槻市教育委員会地域教育室文化財課」に問い合わせた所、三好山全域にわたり私有地と言う事で城跡に無断で入っても良いとも悪いとも言い難いと返答されました
今の所トラブルは無いが、いずれその辺をきちんと決めて行く方向らしい。
登山口の空きスペースについても私有地ですので停めて良い悪いの判断はできかねないとの返答、持ち主様のみぞ知る…

どちらにせよ今の所は暗黙の了解で城跡を見せて頂けている?のでトラブル無きように個々に常識を持った気持ちが必要ですね。

車で来られる方や、公園駐車場から歩いても登山口まで10〜15分です。さ、歩きましょう!(=゚ω゚)ノ


2017年05月22日 ポリタンク大和守
芥川山城

登城口付近に駐車場所はありません。あるのは離合用の空きなので、そこに駐車すると地元の方の迷惑になります。

2017年05月22日 まるき〜陸中守
芥川山城

続百名城に選出された芥川山城、見学する方が増えるでしょうね。城跡、三好山は私有地ですが普通に山歩きの方や散歩の方が出入りしています。ボランティアの方が道の整備や遺構の管理をされていて歩きやすく見学もしやすくなってます。所々に手作り、表示があり遺構を見逃す事は無いと思います。ただ、一般には入ってほしく無い所(危険、この先道が無い)もあるようで、そういう所は普段から柵がされているようです。 見どころ…巨大な竪土塁、東出丸下の石垣⇦柵の中、主郭下からの眺望、かまど跡、大手道の石垣、南出丸下の薬研堀、曲輪、掘、土橋、土塁、石碑と一通り城パーツが揃っています。縄張りが広いので時間に余裕を持って行くのが良いと思います。現地は駐車場が無いと聞いてたので私は摂津峡公園駐車場(1日1000円)を利用しました。城方面に歩いて行くと近くの日帰り温泉の駐車場も一般利用できるみたいで施設利用スタンプで3時間無料みたいな事が書かれていました…そこから10分程の登山口に到着すると2、3台の駐車スペースがあるがここは自己責任でマナー良く駐車するべき所。登山口から散策しながら歩いて2時間強くらい楽しめました。

2014年03月06日 VINO-S
芥川山城

駐車場がないのでJR高槻より塚腰行きので塚腰までいき
妙力寺方面に歩きます
老人ホームを過ぎ少し行くと三好山40分の案内板より登城します
搦め手からの登城です主郭まで探索し帰りは城跡石碑(主郭のでなく途中の)より大手道を下城するのがいいでしょう

芥川山城の周辺スポット情報

 田ノ丸(遺構・復元物)

 堀切(遺構・復元物)

 土橋と堀切(遺構・復元物)

 大手門 石垣(遺構・復元物)

 東の出丸(遺構・復元物)

 東の砦(遺構・復元物)

 石切場(遺構・復元物)

 北の出丸(遺構・復元物)

 主郭(遺構・復元物)

 井戸?(遺構・復元物)

 大手石垣(遺構・復元物)

 上の口登城口・説明板(碑・説明板)

 三好のカンカン石・義興の墓・霊松寺(碑・説明板)

 芥川山城説明版(碑・説明板)

 芥川山城説明版(碑・説明板)

 帯仕山付城(周辺城郭)

 今城(周辺城郭)

 今城塚古墳(寺社・史跡)

 慶住院(寺社・史跡)

 三嶋藍野陵(寺社・史跡)

 新池埴輪制作遺跡(寺社・史跡)

 岡本山古墳(寺社・史跡)

 弁天山古墳(寺社・史跡)

 前塚古墳(寺社・史跡)

 安満遺跡(寺社・史跡)

 昼神車塚古墳(寺社・史跡)

 上宮天満宮(寺社・史跡)

 安岡寺(寺社・史跡)

 常行寺(寺社・史跡)

 神服神社(寺社・史跡)

 伝能因法師墳(寺社・史跡)

 しろあと歴史館(御城印)

 観光案内所(スタンプ)

 上の口駐車場(駐車場)

 駐車場(駐車場)

 登城口(その他)

 芥川城あとへの標識(その他)

 見晴らし台(その他)

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