茨木城(いばらぎじょう)

茨木城の基本情報

通称・別名

所在地

大阪府茨木市片桐町

旧国名

摂津国

分類・構造

平城

天守構造

不明(天守台あり)

築城主

茨木長隆

築城年

室町時代

主な改修者

中川清秀

主な城主

茨木氏、中川氏、片桐氏

廃城年

元和2年(1616)

遺構

移築門(茨木神社)

指定文化財

再建造物

復元櫓門、石碑

周辺の城

郡山城(大阪府茨木市)[2.2km]
普門寺城(大阪府高槻市)[2.2km]
目垣城(大阪府茨木市)[2.5km]
安威城(大阪府茨木市)[3.2km]
三宅城(大阪府茨木市)[3.4km]

茨木城の解説文

茨木城(いばらきじょう)は大阪府茨木市にあった城である。現在の城跡は宅地化され、茨木神社に移築されたと言われている搦手門と茨木小学校に復元された櫓門がある程度で、城をしのばせるものはほとんど残っていない。

沿革
茨木城の築城については、よく解っていないが3説が言われている。

1.建武年間(1334年 - 1336年)に楠木正成が築いた
2.安富氏が築いた
3.福富氏が築いた

茨木氏時代
茨木氏は文安年間(1444年 - 1449年)の『文安年中御番帳』に奉行の1人として名前が見えることから、この頃より台頭していたと思われている。また茨木城の文献上の初見は、応仁の乱に東軍の安富元綱方に属していた野田泰忠が応仁元年(1467年)5月20日、「摂州茨木之城に陣を構えた」と『野田泰忠軍忠状』から見受けられる。

文明14年(1482年)に摂津で国人一揆が勃発、細川政元が鎮圧に乗り出した。まず同年6月に三宅城を攻略、ついで同年7月には茨木三郎が守る茨木城も攻略し、同年10月には吹田成枝が守る吹田城を落城させている。

その後茨木長隆が勢力を拡大、細川高国と細川晴元との対立では、晴元方について高国を敗死させ(大物崩れ)、天文7年(1538年)には守護代となった。しかし、天文17年(1548年)には晴元と三好長慶が対立するにいたり、翌天文18年(1549年)の江口の戦いで敗北し、史上から名前が消えてしまったことから、この時に茨木長隆は死亡したと推察されている。茨木重朝に代が変わり、室町幕府の御家人として織田信長の摂津入国(永禄11年(1568年))に臣従し、茨木の本領を安堵された。

茨木重朝は本圀寺の変や野田城福島城の戦いで高槻城主和田惟政と共に織田信長の先兵として戦ったが、元亀2年(1571年)8月28日の白井河原の戦いで重朝・惟政と荒木村重・中川清秀の間で戦闘が勃発、重朝は惟政共々討ち取られてしまった。同年9月1日、勢いに乗った荒木軍は茨木城を攻め落とすべく進軍を開始。茨木城兵も出撃、太田郡の山で鉄砲、弓で進撃を留めようとしたが支えきれず、結局城際まで攻めのぼった。この時活躍したのが荒木軍にいた槍の名手熊田千助で外郭を打ち破り、虎口に押し寄せた。城主重朝は既に討死にしているものの、父の翫月斎やわずかな城兵が城内に残っていた。虎口付近で相当な乱戦になったようであるが、熊田千助が虎口を突破、三の丸を占領し、二の丸を守っていた者達は開城し降参した。いよいよ本丸だけになり、深夜裏切り者(新庄城勢ではないかと言われている)が出て城は炎上、落城した。この戦いで茨木方の300名以上が討死にし、茨木氏は滅びた。

中川氏時代
その後一旦、茨木城には村重の息子村次が入ったが、実質的な城守は中川清秀で、この時に修復と大規模な拡充を実施、天正5年(1577年)には清秀が正式に茨木城主となった。翌天正6年(1578年)に村重が織田信長に謀反をおこし(有岡城の戦い)、清秀も縁故であるということもあって村重についたが、同年10月28日に信長の調略によって茨木城を開城し織田軍に寝返った。
...

茨木城の口コミ情報

摂津守@出所休眠中様[2017年01月09日]
市史編纂事業によると、
茨木城の本丸場所は通説より1~200m南だった
可能性があるとの新説を提示してるそうです。

廃城直後の城跡開発状況を記した「茨木御城跡開改之帳」を分析・地籍図照合等の結果、
本丸の位置は市立茨木小学校南隣にあったと推定されたとのことです。
また廃城時の形状も、約150m四方の単純な方形で通説の南半分の規模(小学校含まず)で、防御機能も弱かったとのことです。
近くが鷹狩の名所のため、豊臣秀吉などが鷹狩の際に滞在した城だったとも。

遺構がほとんどなく記録も少ないと、現地訪問時にいろんな想像ができて面白いかもしれません。
大坂の陣直前にここに避難した片桐且元殿、
真相や如何に?

17/1/5付産経新聞より。

若狭守次郎吉様[2016年07月10日]
茨木城は現在、移築門以外はほとんど遺構が残っていません。

《茨木城移築門関連》
・茨木市元町4-3 茨木神社 搦手門、説明板 茨木神社の東門になっている。茨木神社内の石垣も茨木城のものと言われている。

・奈良県大和郡山市865 慈光院 櫓門 寺の表門になっている。

・茨木市片桐14-26 妙徳寺 脇門 寺の表門になっている。

・茨木市片桐8-40 茨木小学校 慈光院の櫓門の復元、案内板、石碑 小学校正門になっている。

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