芥川城(あくたがわじょう)

芥川城の基本情報

通称・別名

所在地

大阪府高槻市殿町2

旧国名

摂津国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

芥川氏

築城年

鎌倉時代前期?

主な改修者

能勢氏、細川氏

主な城主

芥川氏、細川氏、三好氏

廃城年

不明

遺構

消滅

指定文化財

再建造物

石碑

周辺の城

高槻城(大阪府高槻市)[1.6km]
普門寺城(大阪府高槻市)[2.9km]
芥川山城(大阪府高槻市)[3.6km]
安威城(大阪府茨木市)[4.0km]
茨木城(大阪府茨木市)[4.9km]
目垣城(大阪府茨木市)[5.4km]
郡山城(大阪府茨木市)[5.6km]
枚方城(大阪府枚方市)[5.9km]
佐保来栖山砦(大阪府茨木市)[6.4km]
楠葉台場(大阪府枚方市)[7.1km]

芥川城の解説文



芥川城(あくたがわじょう)は、大阪府高槻市にあったとされる日本の城。近年ではその存在に疑義が呈されている(後述)。同じ高槻市の三好山にある山城も「芥川城」と呼称されており、『日本城郭大系』ではその山城を「芥川山城」、本城を「芥川城」と区別している[1]

概要 

芥川城は、平安時代末期より摂津国島上郡芥川宿を拠点とした芥川氏(芥河氏)の屋敷とされる。芥川氏は鎌倉時代には幕府の御家人へと成長し、南北朝時代前後には北摂地域の国人一揆の中心となっている。芥川氏が成長するのに合わせ、芥川城の城域も拡大していったと考えられた。

その推定地は、芥川宿の西端北部一帯(芥川橋の東詰め北部一帯)で、芥川町3・4丁目、紫町、殿町にわたって東西4町(436メートル)、南北2町(218メートル)の城域を有していたと推測された。京都方面から西進してきた西国街道は、芥川橋から東に約550メートルの地点で南に折れ、100メートルほど進んだ後、再び西に進んでいるが、『高槻市史』では、芥川城の拡張にあたりその城域を確保したことによるものとされている。

応仁の乱が起きると、芥川氏は西軍の軍門に降り、それ以後、芥川本家の活動は見えなくなる。文明14年(1482年)に細川政元と対立した摂津国人一揆が守護代・薬師寺元長により鎮圧されており、芥川氏もこの時弾圧を受けた可能性が考えられる[2]。この後、延徳2年(1490年)12月に細川政元が芥川を訪ね、本所領に人足を賦課している。

永正13年(1516年)1月には、細川高国の命を受けた能勢頼則により芥川山城が築かれていた。芥川城はこれに伴って、平時の居館として活用されるようになったとの見方がある。

なお、本城の存在を示す唯一の同時代史料として『宇津山記』があり、これによると永正2年(1505年)1月の時点で能勢頼則が芥川城主を務めているとされている[3]。しかし、これは永正13年(1516年)1月の誤りであると考えられ、ここでの芥川城は芥川山城を指すものとなる。後世の伝承においては、元禄14年(1701年)の地誌『摂陽群談』や享保20年(1735年)の『摂津志』、寛永元年(1748年)の大絵図に、芥川山城を指すとみられる城はあるものの、芥川城は確認できない。天保7年(1836年)の大絵図では芥川宿北部に「芥川氏ノ古城」との記載があるが、信憑性に疑いがある。これらのことから、芥川城の実在は不確かとなっている。

城跡へのアクセス 

  • 電車でのアクセス
    • JR京都線(東海道本線)高槻駅から徒歩10分
  • 車でのアクセス
    • 名神高速道路 茨木IC - 国道171号線
    • 近隣には駐車場無し

参考文献 

  • 【書籍】「高槻市史 第1巻 本編I」
  • 【書籍】「日本城郭大系 第12巻 大阪・兵庫」

芥川城の口コミ情報

2024年09月05日 RED副将軍
芥川城



芥川山城の前身とも云われる平城🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

築城年代は不詳。平安時代末期から鎌倉時代に芥河氏により築かれたと云われます。
芥河氏の出自ははっきりとしておらず、西国街道芥川宿を押さえて成長した御家人とされます。
南北朝時代の芥河氏は北摂を代表する国人に成長し国人一揆の中心となっていました。
応仁の乱においては 芥河氏は東軍に属するも西軍の大内正弘の軍門に降り衰退していきました。
1490年、管領の細川政元は芥川宿を再建。能勢頼則を芥川城に入城させています。
1516年には細川高国の命により能勢頼則は三好山に芥川山城を築城。これにより芥川城は平時の居館として活用され、次第に芥川山城へと移っていったと考えられています。

見所
西国街道芥川宿の街道沿いに築かれていたと考えられていますが、周辺は市街化により遺構は消失。はっきりとした場所は分かっておらず、比定地として住宅街の一角に城跡碑がの建つのみです。

2024年08月17日 kei
芥川城

先人諸兄姉の仰る通り、民家の生垣の途中に跡石碑が有ります。車は近所のコインパーキングに止めて、徒歩3分程でした。 石碑正面までの車に乗っての訪問は小型車か軽自動車でなければ難しいと感じました。存在に疑義が有ると言われてますが、芥川氏屋敷跡として考えれば、島上群を治めるには格好の場所だったろうと思います。

2022年12月11日 大納言Z周防守369
芥川水門跡[芥川城  寺社・史跡]



江戸時代の宿場町である芥川宿の西口であり、この両側の石垣は水門の跡です。西側を流れる芥川は氾濫しやすかったので、増水時には、石柱の縦溝に止水板をはめて浸水を防いだ。

2022年06月23日 ファン掃部助トム治郎
芥川城



高槻城からあるいて15分くらい。住宅地の中にあります。西側は芥川の堤防となり土地がかさ上げされており越後長岡の蔵王堂城と似たような地形でした。

2021年07月28日 満腹御前
芥川城

西国街道を 芥川公民館の案内看板で曲がり住宅の間をしばらく進んだ とあるお屋敷の門の横の敷地に石碑のみが立っています。久しぶりに訪れたので地元民でも見落とすくらいひっそりと佇んでいます。車では西国街道辺りでも進入,駐車は困難です。

2021年03月04日 芦屋能登守虎吉
芥川城



JR高槻駅前から少し歩いた、西国街道が不自然に曲がっている辺りが推定地のようです。川沿いに起伏が確認できましたが、果たして遺構なのか否か分からずでした。民家の石垣の上に石碑があるので、ちょっとびっくりします。

2020年10月29日 弾正尹 山城守pi_pua
芥川城

高槻駅から徒歩10分程度。城跡を示す石碑があるのみ。完全に住宅地となっています。

2017年04月05日 橘若狭守次郎吉
芥川城

民家の生垣に石碑が埋まっています。遺構はありません。石碑のある付近の地名「殿町」に城の名残があります。

芥川城の周辺スポット情報

 芥川城址石碑(碑・説明板)

 今城(周辺城郭)

 芥川水門跡(寺社・史跡)

 高槻市立今城塚古代歴史館(関連施設)

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