佐保来栖山砦(さほくるすやまとりで)
佐保来栖山砦の基本情報
通称・別名
- 来栖山砦、来栖山城
所在地
- 大阪府茨木市佐保
旧国名
- 摂津国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 15世紀後期〜16世紀前期
主な改修者
- 不明
主な城主
- 不明
廃城年
- 16世紀中期
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、竪堀、建物跡
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
安威城(大阪府茨木市)[2.9km]
郡山城(大阪府茨木市)[3.9km]
善福寺原城(大阪府箕面市)[4.1km]
芥川山城(大阪府高槻市)[4.7km]
茨木城(大阪府茨木市)[5.8km]
高山城(大阪府豊能郡)[6.0km]
普門寺城(大阪府高槻市)[6.2km]
芥川城(大阪府高槻市)[6.4km]
山田城(大阪府吹田市)[7.6km]
高槻城(大阪府高槻市)[7.8km]
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佐保来栖山砦の解説文
[引用元:Wikipedia「佐保来栖山砦」の項目]佐保来栖山砦(さほくるすやまとりで)は、大阪府茨木市大字佐保にあった砦、山城。史料に記載が無く、平成になり発掘調査で存在が確認出来た城郭である。
【概要】
この城跡は、史料に全く記載がなく、誰が城主であったのか沿革などは不明の城郭である。以前より不自然な平坦面が観察されていたことから、城郭の存在が指摘されていた。国際文化公園都市造成に伴い、全斜面と盛土部分をふくめた、尾根の全面的な発掘調査が行われた。城郭は国見峠を経て、清坂街道と接続している。当地は丹波国と摂津国(大坂)を結ぶ重要な位置に存在していた。『城巡礼』によると「福井城と関連があったのではないか」と近隣にあった福井城との関連を指摘している。
【城郭】
城郭は北東から南西へ延びる尾根の最先端部に位置する。尾根の最長部を中心に曲輪は3つあり、これを取り囲むように小規模な曲輪が配され、それらを繋ぐ通路があった。斜面には、堀切と石垣が検出された。石垣は砦斜面を全周するものではなく、曲輪の平坦面の高さまで積み上げたものではない。曲輪留め程度の石垣であったと思われるが、『栗栖山砦跡の調査』によると「心理的な防御の機能も果たしていたと思われます」と曲輪留め以外の役割も果たしていたと解説している。主要3曲輪の一つに礎石建物とそれを囲む土塁が出土した。建物の礎石は火熱をうけ、火災を被った事が確認された。また土壁が大量出土し、礎石は建物に伴うものと考えられている。中央の曲輪が一段高く、両側にある曲輪が一段低くなっている。建物があった曲輪は一段低い部分にあたる。発掘調査により、礎石建物があった曲輪が最初に出来た曲輪で単郭構造の砦から、2つの曲輪が並列して改築された変遷をもつ。最長部の曲輪と礎石建物があった曲輪からの出土物が多く、住居を伴う建物が両曲輪であったと考えられている。
〜出土物〜
大規模な発掘調査から、数多い遺物が検出された。
土師器小皿、土器皿、碗、青磁碗、染付皿、染付碗、瀬戸美濃皿、瀬戸美濃碗、瀬戸美濃水滴、備前徳利、備前擂鉢、備前甕、丹波壺、丹波擂鉢、瓦器仏花瓶、瓦器火鉢、瓦器香炉、土師器鍋、石臼、鉄釘、銭貨、刀子
なお、瓦は出土しなかった。またこれら遺物から特定の人物を推定することは出来なかった。
【交通】
・電車でのアクセス
・阪急電鉄 京都本線 茨木市駅
・阪急バス 忍頂寺線 馬場下車
・徒歩 約10分
・車でのアクセス...[続きを見る]
佐保来栖山砦の口コミ情報
2012年07月13日 ポリタンク大和守
佐保来栖山砦
案内板を読む際に背後に位置する山にあります。
案内板の説明と虎口の位置から、本来の登城道は北側と思われますが、そちらからは行ったことはありません。ただ、南麓には今は鉄線が張ってあります。攻略情報への書き込みを拝見しますと、今はもう立ち入りを許可していないようです。
見所である北東の堀切は岩盤が剥き出しで且つ木が邪魔。土塁の北東隅付近で上り下りするのが比較的ましでした。
『わがまち茨木 城郭編』掲載文からは「大岩氏関連では?」という言外の主張を感じます。
2012年06月03日 大宰大弐あさよし
佐保来栖山砦
曲輪らしき場所を散策していると私有地なので入るなと怒られました。食い下がって聞き取りうぃしましたが調査完了でもう入れないとのこと(T . T)