佐保来栖山砦(さほくるすやまとりで)

佐保来栖山砦の基本情報

通称・別名

来栖山砦、来栖山城

所在地

大阪府茨木市佐保

旧国名

摂津国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

不明

築城年

15世紀後期〜16世紀前期

主な改修者

不明

主な城主

不明

廃城年

16世紀中期

遺構

曲輪、石垣、土塁、竪堀、建物跡

指定文化財

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

安威城(大阪府茨木市)[2.9km]
郡山城(大阪府茨木市)[3.9km]
善福寺原城(大阪府箕面市)[4.1km]
芥川山城(大阪府高槻市)[4.7km]
茨木城(大阪府茨木市)[5.8km]
高山城(大阪府豊能郡)[6.0km]
普門寺城(大阪府高槻市)[6.2km]
芥川城(大阪府高槻市)[6.4km]
山田城(大阪府吹田市)[7.6km]
高槻城(大阪府高槻市)[7.8km]

佐保来栖山砦の解説文



佐保来栖山砦(さほくるすやまとりで)は、大阪府茨木市大字佐保にあった砦、山城。史料に記載がなく、平成になり発掘調査で存在が確認できた城郭である。

概要 

この城跡は、史料に全く記載がなく、誰が城主であったのか沿革などは不明の城郭である。以前より不自然な平坦面が観察されていたことから、城郭の存在が指摘されていた。国際文化公園都市造成に伴い、全斜面と盛土部分を含めた、尾根の全面的な発掘調査が行われた。城郭は国見峠を経て、清坂街道と接続している。当地は丹波国と摂津国(大坂)を結ぶ重要な位置に存在していた。「福井城と関連があったのではないか」と近隣にあった福井城との関連を指摘されている[1]

城郭 

城郭は北東から南西へ延びる尾根の最先端部に位置する。尾根の最長部を中心に曲輪は3つあり、これを取り囲むように小規模な曲輪が配され、それらを繋ぐ通路があった。斜面には、堀切と石垣が検出された。石垣は砦斜面を全周するものではなく、曲輪の平坦面の高さまで積み上げたものではない。曲輪留め程度の石垣であったと思われるが、「心理的な防御の機能も果たしていたと思われます」と曲輪留め以外の役割も果たしていたと解説されている[2]。主要3曲輪の一つに礎石建物とそれを囲む土塁が出土した。建物の礎石は火熱をうけ、火災を被ったことが確認された。また土壁が大量出土し、礎石は建物に伴うものと考えられている。中央の曲輪が一段高く、両側にある曲輪が一段低くなっている。建物があった曲輪は一段低い部分にあたる。発掘調査により、礎石建物があった曲輪が最初にできた曲輪で単郭構造の砦から、2つの曲輪が並列して改築された変遷をもつ。最長部の曲輪と礎石建物があった曲輪からの出土物が多く、住居を伴う建物が両曲輪であったと考えられている。

出土物

発掘調査から、数多い遺物が検出された。

土師器小皿、土器皿、碗、青磁碗、染付皿、染付碗、瀬戸美濃皿、瀬戸美濃碗、瀬戸美濃水滴、備前徳利、備前擂鉢、備前甕、丹波壺、丹波擂鉢、瓦器仏花瓶、瓦器火鉢、瓦器香炉、土師器鍋、石臼、鉄釘、銭貨、刀子

なお、瓦は出土しなかった。またこれら遺物から特定の人物を推定することはできなかった。

城跡へのアクセス 

  • 電車でのアクセス
    • 茨木市駅(阪急京都本線)より阪急バス忍頂寺線「馬場」下車、徒歩約10分
  • 車でのアクセス
    • 名神高速道路 茨木IC → 国道171号 → 大阪府道110号
    • 周辺に駐車場なし

参考文献 

  • 高田徹編著『図説近畿中世城郭事典』城郭談話会事務局、2004年12月、186-187頁。

佐保来栖山砦の口コミ情報

2024年05月05日 右衛門尉大和縄
佐保来栖山砦



🟢16世紀半ばの砦🟢
①【沿革】
丹波国に至る清坂街道を監視、芥川山城の沿革に類似。

細川氏の内紛の影響をうけた関連する城跡として茨木市東福井に福井城跡があります。平成27年(2015年)3月に兵農分離以前の職人を城内に取り込んだ鍛冶炉の現地説明会があった城跡です。大永7年(1527年)高国方の諸城は敗れ(芥川・安威・三宅・太田・茨木)福井城は晴元により破却されます。なので内紛の影響をうけたと考えます。

②大阪府文化財センター現地説明会資料と奈良文化財研究所の報告書について

後述しますが便宜上、砦跡全体図41/184頁と括ります。お手数ですが閲覧時の前には必ずメモ📝をとってくださいませ。

竪堀1・2(70頁)
長さ28.0m幅約7.0mU字型
長さ32.0m幅約6.5m〜9.0mU字型からV字型

曲輪1(42頁)
標高187m
逆L字型の土塁・礎石建物跡
焼けた土壁105.3kg

曲輪2(48頁)
標高183m溝1、掘立柱建物

TPにより幅広の溝1を想定
幅1.2m以上
試掘坑182.8m以上の遺構面

鉄釉鳥形水滴(83頁と177頁)
縦5.0×横3.5×高4.0㎝

曲輪2の出入り口1
(51頁〜54頁)
(通路4への横矢掛り)
石積4の長さ4.0m
石積5の長さ3.3m

(通路4への横矢掛り)
石積3の長さ3.8m・裏込の小石

遊戯具或いはつぶて(89頁)
25の図59曲輪2盛土より出土

曲輪3(56頁と57頁)
標高186m
南西隅に集石1(158頁)
図版18
礎石建物・土壁量18.3kg

曲輪4(65頁〜67頁)
竪堀3・土塁3
石積10・161頁図版21

曲輪5(62頁〜64頁)
貯蔵庫の可能性
集石2(160頁)図版20

③【資料の正誤】
◯通路3❌通路4
現地説明会資料では石垣と記録、裏込め石のことかな❓
◯通路4❌通路5
◯竪堀3❌竪堀6

④【主郭の変遷】
古い段階は曲輪1の単郭で始まり曲輪3との並列期を経て曲輪3に移行。

⑤【集石1】石礫⭐46個
「信長公記」巻5、元亀3年(1572年)12月22日には「武田信玄水役の者と名付けて三百人ばかり真先にたて、かれらにはつぶてをうたせ云々」とあります。
そして鉄砲伝来以前になりますが私の資料により有効な武器だったと結論づけます。(軍忠状16.2%)

【感想】
朝倉家秘伝の築城記によると「水の確保のため、やたらに堀切を切ったり大木の根をいためたりしない」とある。麓の茨木川迄15分位かな、なので必要なかった🤔当日を思い出す。

2022年06月05日 尼崎城駿河守一口城主
佐保来栖山砦



5月29日、安威城下城に登城🚲山道をひたすら頑張って漕いで行きました。この日最後の城攻めで疲れが溜まってきたこともあってか、進軍中前方に見える山々に伏兵が潜んでいるような錯覚におちいってきました😨ようやく辿り着いたところ、砦の遠景は棚田に囲まれたのどかな場所でした。登城(登山)を試みるも登山道が見つけられず泣く泣く下城😢ふもと迄漕がずに下って行けたので改めて勾配が続いていたことが分かりました。帰路、茨木市街の夜景を撮り📷頑張って尼崎を目指しました。

2012年07月13日 ポリタンク大和守
佐保来栖山砦

案内板を読む際に背後に位置する山にあります。

案内板の説明と虎口の位置から、本来の登城道は北側と思われますが、そちらからは行ったことはありません。ただ、南麓には今は鉄線が張ってあります。攻略情報への書き込みを拝見しますと、今はもう立ち入りを許可していないようです。

見所である北東の堀切は岩盤が剥き出しで且つ木が邪魔。土塁の北東隅付近で上り下りするのが比較的ましでした。

『わがまち茨木 城郭編』掲載文からは「大岩氏関連では?」という言外の主張を感じます。

2012年06月03日 宮内卿あさよし
佐保来栖山砦

曲輪らしき場所を散策していると私有地なので入るなと怒られました。食い下がって聞き取りうぃしましたが調査完了でもう入れないとのこと(T . T)

佐保来栖山砦の周辺スポット情報

 泉原城(周辺城郭)

 松谷砦(周辺城郭)

 佐保城(周辺城郭)

 下音羽城(周辺城郭)

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