福井城(ふくいじょう)

福井城の基本情報

通称・別名

(北ノ庄城)

所在地

福井県福井市大手3

旧国名

越前国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

層塔型?(北ノ庄城)[7重?9重?/1575年築/焼失(落城)]、望楼型[4重6階/1601年築/焼失]

築城主

柴田勝家(北ノ庄城)

築城年

天正3年(1575)

主な改修者

結城秀康(福井城)

主な城主

柴田氏、結城氏、越前松平家

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、井戸

指定文化財

再建造物

復元天守模型(北ノ庄城)、門、櫓門、廊下橋、石碑、説明板

周辺の城

安居城(福井県福井市)[4.6km]
小黒丸城(福井県福井市)[5.1km]
藤島城(福井県福井市)[5.3km]
成願寺城(福井県福井市)[6.5km]
三留城(福井県福井市)[6.8km]
東郷槇山城(福井県福井市)[7.8km]
清水山城(福井県福井市)[8.5km]
長崎城(福井県坂井市)[9.1km]
一乗谷城(福井県福井市)[10.0km]
丸岡城(福井県坂井市)[10.7km]

日本100名城・続日本100名城スタンプ情報

番号・名称

(続)137 福井城

設置場所

福井県庁舎1階受付[地図

福井城の解説文



福井城(ふくいじょう)は、現在の福井県福井市大手にあたる越前国足羽郡北ノ庄(改め福居)のち福井[1]にあった城。本丸の石垣と堀が残るが、二の丸、三の丸はほぼ消滅して市街地化している。形式は平城。本丸と二の丸の縄張りは徳川家康によるものとされる[2]。江戸時代には福井藩主越前松平家の居城、城下町として栄える。なお、本項目では福井城が築城される以前に同地に存在した北ノ庄城についても合わせて記す。

概要 

前身となる北ノ庄城(北庄城庄城とも)の築城年代は不明だが、南北朝時代には現在の福井市北庄・木田・板垣町付近に城郭が存在したようで、『日本城郭大系』11巻(1980年)は、福井藩主松平吉邦の命で享保5年(1720年)に編纂された『越前国古城跡并館屋敷蹟』(『城跡考』)の記載を引用して、これを延元3年/建武5年(1338年)に南朝方の新田義貞に対抗して北朝方の斯波高経が築いた城塞群「足羽七城」の1つに数えている[3]。その後、黒丸城に拠っていた朝倉貞景の子・朝倉頼景がこの地に館を築き、北庄朝倉家の拠点となったという[4]

織田信長配下の軍勢によって朝倉氏が滅亡した後、信長は越前支配のために、朝倉氏旧臣の前波長俊を一乗谷の守護代に任じた。また、明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益の3名に自らの意思を伝達する役割を持たせ、北庄の朝倉景行の館に配置した[5]。簡易な前線基地か砦程度の物であったと推定されている。後に信長は越前49万石を柴田勝家に与えた。

北ノ庄城には柴田氏が天正3年(1575年)に築城した「柴田氏北ノ庄城」と、その跡地に結城氏が慶長6年(1601年)に築城または改築した「結城氏北ノ庄城(後に福井城に改名)」とがある。現在見られる福井城の遺構は結城氏によるものである。

柴田氏北ノ庄城と結城氏北ノ庄城との関係について、柴田氏のものを結城氏が改築したもの、柴田氏のものの跡に結城氏によってまったく別の城として築かれたものという解釈がある。現状では前者の調査がほとんど進んでいないため不明である。そのため前者と後者を区別しないこともある。

2017年(平成29年)4月6日、「続日本100名城」(137番)に選定された。

柴田氏 北ノ庄城

朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆(越前一向一揆)を平定した功績によって、越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、1575年(天正3年)に自らの縄張りによって築城を開始する。城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられている。

宣教師のルイス・フロイスが1581年(天正9年)に北ノ庄を訪問したときの記録があるが、それによると「城及び他の屋敷の屋根が全てことごとく立派な石で葺かれており、その色により一層城の美観を増した」とある。この「石」とは、城に程近い足羽山で産出される笏谷石のことであり、現在発掘調査で見出された柴田時代の石垣は笏谷石であるし、北ノ庄城とほぼ同時期に勝家の養子、柴田勝豊によって築城された丸岡城の天守も笏谷石製の石瓦で葺いている[6]。また、町の規模が安土の2倍ほどもあること、勝家によって足羽川に架橋された九十九橋についても言及がある。

しかし1583年(天正11年)4月の北ノ庄城の戦いに勝家が敗れ、妻・市と共に自害すると城にも火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失することになる(北ノ庄城の戦い)。勝家を攻め滅ぼした羽柴秀吉が戦後間もない1583年(天正11年)4月25日に毛利氏の重臣・小早川隆景に送った書簡には、「城中に石蔵を高く築き、天守が九重」であった旨の記述がある。(ただし九重には「何段にも重なる」という意味もある)

丹羽氏 堀氏時代 

柴田氏が滅ぼされたのち戦功により若狭領主の丹羽長秀が越前を加増され城主となった。その後堀秀政の領地となったが堀氏は間もなく越後に転封された。

青木氏(豊臣家の親族)時代 

その後、1599年(慶長4年)に秀吉の親族である青木一矩が北ノ庄城21万石に封じられたという記録が残っている。

結城氏 北ノ庄城(福井城) 

1600年(慶長5年)に家康の次男である結城秀康が関ヶ原の戦いの戦功第一位ということで68万石で北ノ庄を拝領すると[7]、翌1601年(慶長6年)9月には知行割を実施し、築城に着手した。1604年(慶長9年)に秀康が松平氏を名乗ることを許され、名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけて完成する[8]。完成した城は東が新堀川(現在の荒川)、南は足羽川、北は加賀口馬出までの2キロメートル四方に及んだ[9][10]。本丸には4重5階の天守が建てられた。

柴田氏の北ノ庄城の跡地に、結城氏によって新たに「北ノ庄城」が築城されたため、現在では柴田氏の遺構を見ることは出来ない。1993年(平成5年)から6度にわたるの発掘調査の結果、本丸の推定位置である柴田神社の地下から、石垣の跡と思われる石が出土したが、本丸の正確な位置を完全に特定するまでには至っていない。

1624年(寛永元年)に福井藩第3代藩主松平忠昌によって、「北」の字が「敗北」にあたり不吉であるとして「北ノ庄」から「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名される。改名の経緯に関しては諸説あるが、一説には、北ノ庄城内にあった「福の井」という井戸に因んで改名されたと言われる。

1669年(寛文9年)に天守が焼失し、以後藩財政の悪化や幕府への配慮などから再建されることはなかった。幕府から再建の許可が下りなかったとの説もある。

天守

本丸北西隅に天守曲輪と天守台の2段の石垣をついて望楼型4重5階の天守が建てられた。高さは、天守台も含めて約37メートルにも及んだ。白漆喰総塗籠の外壁仕上げで、最上重には、外廻り縁高欄と西面に向唐破風があり、元和大坂城天守に見られるような配置に破風が並べられていた[11]

1669年(寛文9年)に焼失した[12]後は、同じように類焼した本丸南西隅の2重巽櫓を3重に再建し天守の代用としている[13]。古写真では、複合式望楼型で1重目と2重目の窓が上下にあることから、3重5階の櫓であったと見られている[14]

石垣

石垣の積み方は、天守台、大手門、櫓台、隅角部等の重要な部分は切込はぎ積で、その他の城壁は打込はぎ積である[15]。また、横線が波立っているが布積である[16]。福井市小山谷町で産出した笏谷石を用いている[17]。 石垣の構築には、穴太積で有名な穴太衆も携わったことが推測される[18]。 刻印が多く認められるが、石垣普請に携わった藩家臣や石工集団の工事分担などを行うため穿垂れた記号と考えられている[19]。現在は残っていないが、石垣の中に隠出入口が複数あった[20]

遺構等

明治維新後、1871年(明治4年)、福井藩は福井城の解体を政府に願い出、旧城地は1873年(明治6年)陸軍省の管轄となったが、旧藩士たちが1879年(明治12年)同地を借り受け、開墾を進めた[21]。その後、1890年(明治23年)松平茂昭は福井城跡を買い戻し、1893年(明治26年)、松平康荘により、旧城内に農業試験場「松平試農場」が設立され、1921年(大正11年)金津駅東の細呂木村山室口へ移転するまで続いた[22]

現在、外堀は埋められているが、内堀、石垣、天守台などの遺構が残り、本丸跡には福井県庁、県会議事堂、県警察本部などがあり、公園としても整備されている。石垣の一部崩壊に関して、これら施設の重量のせいではないか、と議論されたことがある。本丸御殿の一部は(市内足羽5丁目)瑞源寺本堂及び書院に移築されている。また、天守台のそばには「福の井」という井戸が残っており、この井戸が「福井」の語源由来となったという説がある。この井戸の水は常時定量より減らなかったことから「福の井」と名付けられ、これが城の名前を経て藩名の「福井」になったと言われている。この井戸には城外へ通じる抜け道があるとの言い伝えがあり、過去に調査がなされた。

福井市足羽5丁目の足羽山麓にある高照山瑞源寺(臨済宗妙心寺派)は、第5代、第7代藩主昌親(吉品)とその母親の高照院の墓所である。寺伝に従い1991年(平成3年)に調査された結果、この寺の本堂と書院が福井城本丸御殿の移築遺構であることが判明した。幕末の1860年(万延元年)「御本丸の御小座敷を以って本堂を再建する」と寺伝にある通り、後世に増改築されてはいるが、『福井城本丸御殿の図』(松平文庫蔵)にみられる1831年(天保2年)に14代斉承が造営した御小座敷(おこざしき)と呼ばれる建物と一致した。また併設されている書院は、同年同時に作られた、斉承の正妻浅姫(11代将軍家斉の娘)のための御殿「大奥御座之間」であることも建材の墨書などから確認された[23]。 また、三の丸に存在した東照宮の唐門が、坂井市春江町本堂にある観音院(八幡神社)に移築されたが1948年(昭和23年)の福井地震により倒壊。一部部材を欠損したものの、大部分の部材は当時の様式を保ち現存する。なお、現在は倉庫にて保管されている。

整備・復元事業

「県都デザイン戦略」の1つとして福井城と周辺の歴史史跡などを整備し、史跡の保全や市民の憩いの場としての整備が進められている[24][25][26]

2008年(平成20年)御廊下橋が復元された。屋根と壁の付いた木造の橋である。

2017年(平成29年)福の井が整備された[27]。井戸の石積みや井戸枠を福井地震前の大きさに復元。また井戸の上屋や釣瓶を新たに設置。

2018年(平成30年)山里口御門が復元された。櫓門と棟門で小さな枡形を形成する珍しい形態の枡形門である。石の瓦屋根というのも珍しい。総事業費は約8億5千万円[28][29][30][31]。2017年(平成29年)11月、工事が完了し内覧会が行われた[32]

その他 

1910年(明治43年)8月に福井城跡の農業試験場「松平試農場」で撲殺されたイヌ科動物が「日本最後のニホンオオカミ」であったとの論文が発表された[33][34]。だが、この個体の標本は福井空襲により焼失したため(焼失前の写真は存在する)、最後の例と認定するには学術的には不確実である。

本丸跡[35]に福井城墟碑がある。松平康荘建碑[36]、徳川家達篆額、三島中洲撰、巖谷一六書、酒井八右衛門刻。1900年(明治33年)に、藩祖結城秀康の入府300年を記念して建てられた。福井城の沿革と藩祖の徳とを記す[37]

周辺 

  • 養浩館庭園
  • 福井市立郷土歴史博物館
  • 御泉水公園
  • 福井県国際交流会館
  • 福井地方裁判所
  • NHK福井放送局
  • 興宗寺(岩佐又兵衛墓所)

交通 

  • JR北陸本線・福井駅から徒歩7分
  • 北陸自動車道・福井ICから約15分
    • 周辺に有料駐車場あり

参考文献 

  • 平井聖ほか 1980 「小黒丸城」『日本城郭大系第11巻(京都・志賀・福井)』新人物往来社 pp.368-369
  • 平井聖ほか 1980 「北庄城」『日本城郭大系第11巻(京都・志賀・福井)』新人物往来社 pp.370-371

福井城の口コミ情報

2022年09月21日 千葉相模守早雲
福井城



二の丸、三の丸は市街地化により消滅しているが、本丸石垣と堀だけでも規模の大きさを十分に感じ取れます。

本丸内は県庁舎が建ち、堀の外から写真を撮ると天守の様に聳えます😅どう足掻いても映り込むので、現代との融合だと割り切って撮影しましょう☝️

家康次男結城秀康公の居城とあって、石垣は高くて大きく、御手伝普請を命じられる方はたまりませんねぇ😅内側は長大な雁木です😁

遺構は石垣や堀ですが、御廊下橋と山里口御門が復元されています。山里口御門は棟門と櫓門の2つの門を垂直に配し、枡形を形成して防御を強化しています。

天守曲輪には天守台石垣が残っています。そしてその前に控天守台がありますが、1948年の福井地震で崩れたままとなっています。

越前68万石の巨城を是非味わってみてください😁

1.内堀でもこの規模。天守曲輪が張り出す。
2.巽櫓跡が張り出す。
3.石垣の内側は雁木。
4.御廊下橋と山里口御門。天守は左の木々の所にあったが、今は県庁舎が天守のよう😆
5.山里口御門の枡形。
6.控天守台。

2022年09月15日 小太郎修理大夫南海道15國守
福井城



北ノ庄城跡(柴田神社)訪問。隣接に柴田公園、資料館が、境内には、三姉妹神社が所在し、柴田勝家公、お市の方、茶々、初、江の銅像も見ごたえがある。

2022年09月15日 小太郎修理大夫南海道15國守
福井城



昨年に引き続き行軍。近くにホテルをとり9月9日(金)に、県庁1階受付で、念願の続百スタンプを押し、その後福井市立郷土歴史博物館で、御城印を入手しました。そして翌々日の月曜日に福井城周囲を一周ウォーキングを実施。遊歩道が整備され、要所要所には案内板や銅像が設置され、気持ちの良い20分間でした。

2022年09月15日 尼崎城大膳大夫一口城主
福井城



9月5日、福井駅から徒歩にて登城。駅からすぐのところにあり現在は県庁や県警が建っていました。御本城橋を渡って入城すると家康公の次男の結城秀康公像がお出迎えしてくれていました。アプリに御城印のあるお城と載っていたので県庁のエントランスで尋ねてみると近くにある郷土歴史館で取り扱っているとのことでした。次にエントランス前の瓦御門(福井城本丸正面入口)跡も上がってみましたが見晴らしの良いところでした。

続いて天守台に向かいました。天守台の築城当時からあった<福の井>という井戸が福井の地名の由来になったという説もあるようです。天守台から降り復元された山里口御門に入ってみました。山里口御門内ではお城や福井の名所についての説明動画や紹介が見れるモニターがあったのでゆっくり見させてもらいました。動画を見ていると隣の加賀百万石の外様大名の前田家に対する抑えとして福井68万石のお城を天下普請で造らせたことや天守は当初はあったものの約60年後に火事で消失したなど今まで知らなかったことを学べて勉強になりました✏️山里口御門すぐそばの御廊下橋は松平春嶽公の通勤ルートだったこともモニターで紹介していたので通ってみました。築城時は御橋廊下の奥の天守台に天守があったんだなと思いながら眺めていました。福井城はまだまだ見たいところが沢山ありましたが広大で全て周ろうと思ったら短時間では無理でした。もっと周りたいところでしたが今回は御廊下橋で終了して🥲18きっぷで帰路につきました🚃

2022年09月10日 マーヴェリック伊勢守
福井城



市役所が本丸に?
本丸の位置は違いますが、堀の中でお仕事されてます。土曜日でも百名城のスタンプ押してもらいました。
休日の駐車場所が、わからなかったです。自分以外の方も何名か見学されてましたし、スタンプ押される方も見えました。

2022年07月27日 いのちゃん吉法師
福井城



石垣がとても立派でした。大藩の面影を残すお城だと思います。

2022年07月23日 織田上総介晃司
北ノ庄城(柴田神社)[福井城  周辺城郭]

福井城の南にあり、歩いて行けますので福井城リア攻めの際はぜひ。

織田信長家臣の柴田勝家の築城。巨大な天守があったといいます。
現在では柴田神社となり、石垣と柴田勝家・お市・三姉妹の像が残る。

羽柴秀吉に負けてお市と共に自刃。後に秀吉が天下人となったため勝家は悪く言われるが、勝家の方が織田氏に対して忠実な武将だったのは明らかである。

北ノ庄城にはこんな話が…
旧暦の4/24(柴田忌)の丑三つ刻になると首のない騎馬武者の行列が現れ、見た者は亡くなるという。
この日になると夕暮れには戸を閉めて夜が明けるのを待った。
明治になり本丸跡に柴田神社を建て勝家を祀って以降行列は現れなくなったという。

2022年06月27日 泰加賀守
福井城



門はありますが夜間でも開いており、散歩できました。

2021年12月19日 契丹
福井城



福井駅の近くにあります。1時間くらいあれば回れると思います。

2021年12月01日 小太郎修理大夫南海道15國守
福井城



11月28日(日)早朝訪問。駐車場は。近くに県営駐車場数ヶ所あり。堀、石垣、城壁により区画された本丸跡には、復元された山里口御門より中に入ると、内部に資料等展示されており、本丸跡に入るとすぐ左手に天守台に通じる石段となってある。石垣により天守台が顕著な造りが残っていて、更にその横には、福井の語源と言われている井戸「福之井」が残されている。

2021年12月01日 左衛門督日本三景を観に行こう
福井城



福井駅から徒歩で5分くらいです。現在は、市庁舎になってます。元は、柴田勝家が建てた北ノ庄城で賤ヶ岳の合戦後に焼失。後に、結城秀康が福居(福井)城を築城したそうです。堀と石垣からも立派な城だった事がうかがえます。

2021年09月21日 ましちゃん
福井城



県庁の駐車場を利用すると便利です。
職員が優しく場所を教えてくれます。

2021年06月05日 武蔵守新九郎
福井城



どーん、と構える県庁の存在は残念ながら・・・

笏谷石の石垣、石本来の水色の石垣だと思うとなかなかの景観✨
明治の写真と比較して見るのも楽しいです。

2021年04月20日 首藤加賀守通宗
福井城

県庁内北西部の天守台跡、門跡がきれいに整備してあり、見学が大変しやすかったです。地震の痕が痛々しい…
続100名城スタンプは県庁内入口入って左手の受付前にあり、係の型が丁寧に案内くださいます。

2021年03月23日 mktr
福井城

続100名城のスタンプを押した紙はもう置いていないようなので、土日祝に行かれる方でスタンプが必要な方はスタンプ帳をお持ちいただいた方がいいと思います📖

2020年12月14日 【城郭道】尾張守たっきー
山里口御門[福井城  遺構・復元物]

御廊下橋とつながる山里口御門は櫓門と棟門の二重の門と土塀、切込接の石垣で構成された枡形門です。門扉などには鉄製の金具が付けられています。
復元は2013年に福井市のまちづくり方策を示す『県都デザイン戦略』が策定されました。この戦略で掲げる『歴史を受け継ぎ、新たな文化を創造する県都』を具体化するものとして周辺の石垣のみを残していたところに山里口御門を復元することとなりました。

2020年12月11日 成瀬隼人正
福井城

壮大なスケールの平城です。現在中央部本丸御殿場所には福井県庁が聳えています。天守台石垣は切り込みハギの素晴らしい石積みです。礎石も巨大で往時の姿はVRで見ることが出来ます。4層の壮大な天守閣です。

2020年11月05日 百折不撓美濃守
北ノ庄城(柴田神社)[福井城  周辺城郭]



そのまま歩いて行けますので、柴田神社もお忘れなく!本当の北ノ庄城跡です。石垣しかありませんが、明智光秀もここにいたのかなぁ…とか、三姉妹を想うにはこちらですね。勝家公、もう少しフューチャーされて欲しいなぁ

2020年09月22日 坂田右近衛中将理恵之介
福井城

福井県警の横。立派な石垣、堀が美しい。
御廊下橋がある城はあまりなく珍しい。
城の敷地の中に県庁があるが、休日は続日本100名城スタンプがもらえる。とても親切な守衛さんが対応してくれる。福井県はとても優しい。

2020年09月19日 千賀乃介肥後守(行軍中)
福井城

基本的に県庁や警察本部ですが、石垣はよく残ってます。

2020年09月05日 とざちゃん越前守
福井城



休日に福井城の天守台の福の井隣のテントでイベント(県産茶振舞いと福の井の水汲み体験)やっており、そのテントで続日本100名城スタンプが押せるようになっていました。
開催日は下記のページで確認下さい。https://www.pref.fukui.lg.jp/doc/sokou/kennto/hukuizyousiniikou.html

2020年09月05日 とざちゃん越前守
北ノ庄城(柴田神社)[福井城  周辺城郭]



柴田神社で北庄城の御城印が入手できるようになっています。折りたたみで片側は勝家公の迫力ある横顔の墨絵、片側は柴田家の家紋入りで碧の城 北庄城です。

2019年11月04日 saizo
福井城



口コミ通り名城スタンプは県庁閉庁日でも守衛さんが対応してくださいました♪福井城今昔マップもいただけて、テンション上がりました。

2019年06月01日 わかちゃん
福井城



堀秀政公の菩提所 長慶寺 石碑ひっそりと建っています

2019年05月14日 天道民部卿早雲
閉庁時スタンプ場所(土日祝日他)[福井城  スタンプ]

県庁が閉まっている土日祝日などの時は、入口から左手の通用口でインターホンを押すと対応してくれました。令和元年5月現在
対応して下さった守衛さん(?)がとても丁寧で、気持ちよくスタンプ押させて頂きました。

2019年05月04日 六文銭左衛門佐フェデラー
福井城

5月4日みどりの日ですが、続お城スタンプ対応して戴きましたよ。県庁入口向かって左の守衛室です。「お疲れ様です!」だって。こちらこそありがとうございます(笑)

2019年05月02日 大八
山里口御門[福井城  遺構・復元物]



門をくぐるのにスロープあるが橋より反対側よりの方が車椅子ではいきやすい、一人なら。
二階に資料や続百名城のスタンプ押した紙がある。

2019年04月29日 眞田左衛門佐十兵衛
結城秀康像[福井城  その他]



結城秀康像
慶長5年(1600年)関ヶ原の戦い後、越前68万石の大名となり、翌6年に北ノ庄に入り新しい城の建設と柴田勝家に始まる城下町の大改造に着手した

2019年04月29日 眞田左衛門佐十兵衛
山里口御門[福井城  遺構・復元物]



御廊下橋からの入口に設けられた城門

2019年04月29日 眞田左衛門佐十兵衛
御廊下橋[福井城  遺構・復元物]



御廊下橋
福井城400年を機に復元

2019年04月23日 葵 勘解由長官
福井城



少しずつ、周辺が整備されてきています。中にある県庁とかは移転して欲しいものです。今のままでは風情がない。この中に地下駐車場あるんですよね。信じられない。

2018年09月23日 虎御前淡路守
福井城

「福井城復元アプリCG復元ポイント」という看板を見つけ、バーコードリーダーでダウンロード。アプリを起動するとバーチャルでありし日の姿が甦ります。天守だけでなく、櫓もかっこいい。

2018年08月05日 raven
福井城

土日祝に続100名城のスタンプを押す場合は、県庁入口の左側入口にあるインターホンから守衛さんにスタンプを押したいと伝えてください。
福井駅の観光案内所で確認した情報です。

2018年05月20日 征夷大将軍慶誾尼☆寧
福井城

本日訪城しました。

閉庁時の続百名城のスタンプは、県庁守衛室にて対応されています。

インターホン押して『スタンプ頂きに来ました』と伝えると開錠してくれます。

ドア向こうの机上にスタンプが置いてあります。

敷地入ってすぐ左の県警の守衛室と間違えました。県庁舎は右の建物です。(笑)


情報は本日現在です。


2018年04月14日 くぽっちパパ摂政
福井城

4/8日曜日、たまたま祭り期間中で交渉できたらしく、スタンプ押印できましたが、土日祝日はやはり対応不能とのことです。平日日中に限られたら関東から福井まで行けません。それなら、県庁なんかに置かなければいいのに

2018年04月05日 友弥
福井城

続百名城のスタンプは県庁内に設置されるため、
土日の押印はできないそうです。
土日は押印済みの台紙がおいてあるそうなので、
スタンプ集める方はお気をつけてください。
県庁の振興課に確認取りました

2018年01月07日 駿河守せんとくん
福井城

山里口御門は去年の3月に完成される予定が、今年の3月に完成される予定に変わってます。
山里口御門の周りの堀は工事の為に水が抜かれてます。
未完なのに、夜にはライトアップされてます。


2017年10月09日 織田上総介晃司
福井城

福井市役所そばの大手駐車場(有料)に停める。

福井城はすぐですが、柴田神社(北ノ庄城跡)は少し南へ歩くようになります。

福井城跡には福井県庁や議事堂があり、城全体の復元は難しい。

福井ではソースカツ丼、もしくはおろしそばを食べたい。

昔、旧暦の4/24は首なし武者行列が現れ、見た者は死ぬと恐れられ、夜は外に出ず夜が明けるのを待ったといわれている。

2016年10月04日 瀧乃道左京大夫ユズル
福井城

今、山里口御門復元工事の為に付近の堀の水が抜かれていて、普段水面下の犬走下部の石積がみられます。



2015年08月12日 タコ武蔵守イカ
福井城

福井城、柴田神社、ともに福井駅から徒歩圏内なので電車での攻略も容易でした。

柴田神社に設置されていた北ノ庄城模型は残念ながら既に撤去されていましたが、併設の資料館で面白い話を伺いました。

一説では9層の天守であったとも伝えられている北ノ庄城天守ですが、当時の建築技術では現実的ではないと判断し、模型は5層で再現されたそうです。
また天守の具体的なイメージが存在しないため、松本城と丸岡城を掛け合わせて模型を作成したとのことでした。

2015年07月03日 永眠武蔵守釋 葱進
福井城

山里口御門復元工事に伴い、7月7日から御廊下橋~県警本部のあいだが終日通行止めになるそうです。工事は29年3月までの予定。

2014年11月13日 中務少輔きたろう三世
福井城

本丸付近は、有料駐車場を利用することになるが、本丸周囲と内部をじっくり散策するなら、廊下橋前の駐車場から行くのが便利に感じた。

北ノ庄城遺構は、少し離れており、本丸から徒歩で行くには少し遠かった。

2014年04月12日 尾張守ひろっちぃ
福井城

福井城跡地に県庁 裁判所などが建てられてますが一般の人にも城跡を見学が出来るようになっています。


2013年07月27日 はせちゃん弾正忠
福井城

本日7/27
山里口御門跡にて、発掘調査現地説明会が実施されるとのことです

2011年09月16日 徳川内大臣源朝臣康武
福井城

北ノ庄城天守模型の高さですが、5.7mだそうです訂正します
で、2年間限定の設置とも

2011年09月13日 徳川内大臣源朝臣康武
福井城

平成23年9月、柴田神社境内の柴田公園(北ノ庄城跡)に、高さ4mの北ノ庄城天守模型が設置されました(写真)。
大河「江」に絡めての期間限定の設置ですが、ドラマでは3月に落城してるし遅すぎ

2011年05月03日 三河守コーキしゃん
福井城

とても長い雁木があって流石大きいお城は規模が違うね堀も大きいし天守台も大きいし何もかも大きいお城でした

2010年07月25日 徳川内大臣源朝臣康武
福井城

[武将像追加]結城秀康像
福井市歴史博物館内に鎮座。

2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
福井城

[武将像]柴田勝家像、お市の方像
北庄城跡(現、柴田神社)に鎮座。

2010年07月21日 徳川内大臣源朝臣康武
福井城

[武将像]結城秀康像
福井城本丸跡に鎮座。

2010年07月01日 tomm加賀守
福井城

冬季限定販売ですが「えがわ」の水ようかんは有名で絶品です!

2010年06月12日 徳川内大臣源朝臣康武
福井城

本丸西橋の御廊下橋、外郭北の舎人門と周辺の土塁と堀が復元されています。福井駅東口のアオッサは、桜木門の跡で説明板があります。
また、柴田神社の地は、鳩の門桝形が整備され、北の庄城公園として公開されています。門下層で発掘された北ノ庄城の遺構とみられる石垣が2箇所露出展示され、隣接して資料館があります。

福井城の周辺スポット情報

 復原舎人門(遺構・復元物)

 御廊下橋(遺構・復元物)

 山里口御門(遺構・復元物)

 控天守台跡(遺構・復元物)

 福の井(遺構・復元物)

 北陸銀行前の石垣(遺構・復元物)

 佐佳枝廼社下の刻印石(遺構・復元物)

 堀跡(遺構・復元物)

 百間堀の石垣(遺構・復元物)

 西二ノ丸の堀(遺構・復元物)

 百間堀石垣再現施設(遺構・復元物)

 本丸御殿跡(遺構・復元物)

 本丸坤櫓跡(遺構・復元物)

 巽櫓跡(御三階跡)(遺構・復元物)

 本丸艮櫓跡(遺構・復元物)

 多聞櫓跡(遺構・復元物)

 御本城橋(遺構・復元物)

 北不明御門(遺構・復元物)

 福井藩主松平家別邸(遺構・復元物)

 養浩館庭園(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 天守台(遺構・復元物)

 瓦御門(遺構・復元物)

 天魔ヶ池(碑・説明板)

 瓦御門跡(碑・説明板)

 西二ノ丸の堀(碑・説明板)

 御座所(玄関)(碑・説明板)

 九十九橋(碑・説明板)

 百間堀(碑・説明板)

 福井城旧景色~百間堀(碑・説明板)

 加賀口御門跡(碑・説明板)

 狛屋敷跡(碑・説明板)

 日出御門跡(碑・説明板)

 中根雪江宅跡(碑・説明板)

 橋本左内宅跡(碑・説明板)

 大森房吉生誕地の碑(碑・説明板)

 北ノ庄城(柴田神社)(周辺城郭)

 芝原上水(寺社・史跡)

 孝顕寺(寺社・史跡)

 西光寺(寺社・史跡)

 安養寺(寺社・史跡)

 運正寺(寺社・史跡)

 光照寺(寺社・史跡)

 佐佳枝廼社(寺社・史跡)

 瑞源寺(寺社・史跡)

 福井神社(寺社・史跡)

 柴田神社(寺社・史跡)

 博物館ショップ(御城印)

 福井県庁舎1階受付(スタンプ)

 閉庁時スタンプ場所(土日祝日他)(スタンプ)

 福井県警察本部(トイレ)

 ビジターセンター御座所(関連施設)

 福井県庁(関連施設)

 福井市中央公園(関連施設)

 福井市立郷土歴史博物館(関連施設)

 北ノ庄城址資料館(関連施設)

 結城秀康像(その他)

 福井城址大名町駅(その他)

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