福井城(ふくいじょう)

福井城の基本情報

通称・別名

(北ノ庄城)

所在地

福井県福井市大手3

旧国名

越前国

分類・構造

輪郭式平城

天守構造

層塔型?(北ノ庄城)[7重?9重?/1575年築/焼失(落城)]、望楼型[4重6階/1601年築/焼失]

築城主

柴田勝家(北ノ庄城)

築城年

天正3年(1575)

主な改修者

結城秀康(福井城)

主な城主

柴田氏、結城氏、越前松平家

廃城年

明治4年(1871)

遺構

曲輪、石垣、土塁、横堀(水堀)、井戸

指定文化財

再建造物

復元天守模型(北ノ庄城)、御廊下橋、石碑、説明板

周辺の城

安居城(福井県福井市)[4.6km]
小黒丸城(福井県福井市)[5.1km]
藤島城(福井県福井市)[5.3km]
成願寺城(福井県福井市)[6.5km]
三留城(福井県福井市)[6.8km]

福井城の解説文

福井城(ふくいじょう)は、福井県福井市にあった日本の城。城郭の一部が現存する。形式は平城。本丸と二の丸の縄張りは徳川家康によるものとされる。江戸時代には福井藩主越前松平家の居城、城下町として栄える。なお、福井城が築城される以前に同地に存在した北ノ庄城についても合わせて記す。

概要
織田信長配下の軍勢によって朝倉氏が滅亡した後、明智光秀が北ノ庄城に入城し戦後処理にあたったと記録されるが、当時この地に城が存在したかは判然としない。存在したとしても、簡易な前線基地か砦程度の物であったと推定されている。後、柴田氏が天正3年(1575年)に築城した「柴田氏北ノ庄城」と、後、その跡地に結城氏によって慶長6年(1601年)に築城または改築を受けた「結城氏北ノ庄城(後に福井城に改名)」とがあるため、北ノ庄城は大きく2期に分けられている。現在見られる福井城の遺構は第2期のものである。

柴田氏北ノ庄城と結城氏北ノ庄城との関係について、柴田氏のものを結城氏が改築したもの、柴田氏のものの跡に結城氏によってまったく別の城として築かれたものという解釈がある。現状では前者の調査がほとんど進んでいないため不明である。そのため前者と後者を区別しないこともある。

2017年(平成29年)4月6日、続日本100名城(137番)に選定された。

柴田氏北ノ庄城
朝倉氏の滅亡後、越前を支配していた一向一揆を平定した功績によって、越前国北ノ庄を与えられた柴田勝家が、天正3年(1575年)に自らの縄張りによって築城を開始する。同11年(1583年)の賤ヶ岳の戦いに勝家が敗れ、妻・市と共に自害すると城にも火が放たれ、建造物のほぼ全てが焼失することになるが、その後も青木一矩が北ノ庄城に封じられたという記録が残っている。1601年より柴田氏の北ノ庄城の跡地に、新たに結城氏によって北ノ庄城が築城されたため、現在では柴田氏の遺構を見ることは出来ない。

平成5年(1993年)から6度にわたるの発掘調査の結果、本丸の推定位置である柴田神社の地下から、石垣の跡と思われる石が出土したが、本丸の正確な位置を完全に特定するまでには至っていない。

構造
城は足羽川と吉野川(のちの百間堀)が合流した位置に築かれ、堀の一部に足羽川を使用していたと推定されており、天守は7層(一説には9層)構造で、安土城に匹敵する巨城であったと伝えられている。

柴田時代の建築をしのばせる史料として、宣教師のルイス・フロイスが天正9年(1581年)に北ノ庄を訪問したときの記録があるが、それによると「城及び他の屋敷の屋根が全てことごとく立派な石で葺かれており、その色により一層城の美観を増した」とある。この「石」とは、城に程近い足羽山で産出される笏谷石のことであり、現在発掘調査で見出された柴田時代の石垣は笏谷石であるし、北ノ庄城とほぼ同時期に勝家の養子、柴田勝豊によって築城された丸岡城の天守も笏谷石製の石瓦で葺いている。また、町の規模が安土の2倍ほどもあること、勝家によって足羽川に架橋された九十九橋についても言及がある。次に、勝家を攻め滅ぼした羽柴秀吉が戦後間もない天正11年4月25日に毛利氏の重臣・小早川隆景に送った書簡には、「城中に石蔵を高く築き、天守が九重」であった旨の記述がある。

結城氏北ノ庄城(福井城)
1600年に家康の次男である結城秀康が68万石で北ノ庄に入封されると、翌1601年より天下普請による築城を開始する。1604年に秀康が松平氏を名乗ることを許され、名実共に御家門の居城にふさわしい城となるよう、全国諸大名の御手伝普請で約6年の歳月をかけて完成する。完成した城は2km四方に及んだ。5重の水堀が囲む本丸には4重5階の天守が建てられていたが1669年に焼失し、以後藩財政の悪化や幕府への配慮などから再建されることはなかった。幕府から再建の許可が下りなかったとの説あり。...

福井城の口コミ情報

織田左兵衛督晃司様[2017年10月09日]
福井市役所そばの大手駐車場(有料)に停める。

福井城はすぐですが、柴田神社(北ノ庄城跡)は少し南へ歩くようになります。

福井城跡には福井県庁や議事堂があり、城全体の復元は難しい。

福井ではソースカツ丼、もしくはおろしそばを食べたい。

昔、旧暦の4/24は首なし武者行列が現れ、見た者は死ぬと恐れられ、夜は外に出ず夜が明けるのを待ったといわれている。

左衛門督滝の道ゆずる様[2016年10月04日]
今、山里口御門復元工事の為に付近の堀の水が抜かれていて、普段水面下の犬走下部の石積がみられます。

タコ武蔵守イカ様[2015年08月12日]
福井城、柴田神社、ともに福井駅から徒歩圏内なので電車での攻略も容易でした。

柴田神社に設置されていた北ノ庄城模型は残念ながら既に撤去されていましたが、併設の資料館で面白い話を伺いました。

一説では9層の天守であったとも伝えられている北ノ庄城天守ですが、当時の建築技術では現実的ではないと判断し、模型は5層で再現されたそうです。
また天守の具体的なイメージが存在しないため、松本城と丸岡城を掛け合わせて模型を作成したとのことでした。

永眠武蔵守釋 葱進様[2015年07月03日]
山里口御門復元工事に伴い、7月7日から御廊下橋~県警本部のあいだが終日通行止めになるそうです。工事は29年3月までの予定。

中務少輔きたろう三世様[2014年11月13日]
本丸付近は、有料駐車場を利用することになるが、本丸周囲と内部をじっくり散策するなら、廊下橋前の駐車場から行くのが便利に感じた。

北ノ庄城遺構は、少し離れており、本丸から徒歩で行くには少し遠かった。

尾張守ひろっちぃ様[2014年04月12日]
福井城跡地に県庁 裁判所などが建てられてますが一般の人にも城跡を見学が出来るようになっています。

はせちゃん弾正忠様[2013年07月27日]
本日7/27
山里口御門跡にて、発掘調査現地説明会が実施されるとのことです

徳川内大臣源朝臣康武様[2011年09月16日]
北ノ庄城天守模型の高さですが、5.7mだそうです訂正します
で、2年間限定の設置とも

徳川内大臣源朝臣康武様[2011年09月13日]
平成23年9月、柴田神社境内の柴田公園(北ノ庄城跡)に、高さ4mの北ノ庄城天守模型が設置されました(写真)。
大河「江」に絡めての期間限定の設置ですが、ドラマでは3月に落城してるし遅すぎ

三河守コーキしゃん様[2011年05月03日]
とても長い雁木があって流石大きいお城は規模が違うね堀も大きいし天守台も大きいし何もかも大きいお城でした

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年07月25日]
[武将像追加]結城秀康像
福井市歴史博物館内に鎮座。

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年07月21日]
[武将像]柴田勝家像、お市の方像
北庄城跡(現、柴田神社)に鎮座。

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年07月21日]
[武将像]結城秀康像
福井城本丸跡に鎮座。

tomm加賀守様[2010年07月01日]
冬季限定販売ですが「えがわ」の水ようかんは有名で絶品です!

徳川内大臣源朝臣康武様[2010年06月12日]
本丸西橋の御廊下橋、外郭北の舎人門と周辺の土塁と堀が復元されています。福井駅東口のアオッサは、桜木門の跡で説明板があります。
また、柴田神社の地は、鳩の門桝形が整備され、北の庄城公園として公開されています。門下層で発掘された北ノ庄城の遺構とみられる石垣が2箇所露出展示され、隣接して資料館があります。

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