成願寺城(じょうがんじじょう)
成願寺城の基本情報
通称・別名
- 一乗三ノ丸
所在地
- 福井県福井市成願寺町
旧国名
- 越前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 前波吉継(桂田長俊)
築城年
- 戦国時代
主な改修者
- -
主な城主
- 前波氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、横堀(空堀)、畝状竪堀
指定文化財
- -
再建造物
- 説明板
周辺の城
-
東郷槇山城(福井県福井市)[2.7km]
一乗谷城(福井県福井市)[4.2km]
藤島城(福井県福井市)[6.2km]
福井城(福井県福井市)[6.5km]
波多野城(福井県吉田郡)[7.3km]
安居城(福井県福井市)[10.9km]
小黒丸城(福井県福井市)[11.3km]
川島城(福井県鯖江市)[11.3km]
清水山城(福井県福井市)[11.4km]
長崎城(福井県坂井市)[12.4km]
成願寺城の口コミ情報
2024年05月12日 mootze
成願寺城
地元では、波着寺としてお城の下に跡が、残ってます。その波着寺跡に向かって下から上がって行くと尾根の上にお城があります、だいたい30分くらいでお城に着きます遺構は堀切、竪堀、曲輪など、しっかり残ってますが、城のまわりは古墳群などから、小曲輪と円墳と今は区別できません。でも主郭の防御は朝倉氏らしく、しっかりと、ととのってますので山城好きには いいお城だとおもいました
2022年09月06日 RED副将軍
成願寺城
朝倉氏の本拠地である一乗谷の西方を守備する重要拠点🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
築城年代等の詳細不明。
朝倉始末記には朝倉氏重臣の居城であったと記されています。
東郷槙山城とともに朝倉氏の本拠地である一乗谷の西方を守備する出城として機能しました。
東郷槙山城を二ノ丸、成願寺城を三ノ丸と称していたほどの重要な軍事拠点でした。
しかし、城主の前波吉継は越前に侵攻してきた織田信長に内通し、朝倉氏を滅亡に追いやった一因でもあります。
朝倉氏滅亡後は、織田信長に越前国守護代を任され、一乗谷城へ入城。名も桂田長俊と改めました。
しかし、1574年に加賀一向一揆が起こり、桂田長俊は一揆勢の富田長繁により自刃に追い込まれ滅亡しています。
その後、成願寺城も廃城となった様です。
見所
標高214m波著山の山頂に主郭を置き、尾根筋に堀切を幾条も配した縄張りです。一部は古墳の周濠を再利用したものもある様です。
主郭は10m四方ほどの土塁囲みの狭い空間で、西の副郭は広めの削平地です。
東は二重堀切、西は弓形状の堀切と竪堀、南側面には畝状竪堀群で防御線が張られいます。
しかし、全体的にヤブ化しており、長期間、人が入った形跡は感じられませんでした。
成願寺城の主郭から東端の堀切を北へ降った先の別尾根には上の城が、主郭から西へ派生した尾根の先端には下の城が築かれている様ですがヤブが酷かったため、今回は訪れていません。
行き方は、成願寺ふれあい会館を目指して下さい。そこで駐車し、案内板もあるので迷う事なく辿り着けます。
比高は約170mで急峻な斜面を30分程度の登山です。
中腹の波着寺跡を越えるとヤブが深くなりますのでご注意を!
2022年09月05日 RED副将軍
波着寺[成願寺城 周辺城郭]
朝倉氏、前田氏が庇護をした城郭寺院🏯
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
719年に天台宗の太澄大師により開基。
足羽川が氾濫すると御堂まで波が寄せたことが波着寺の由縁です。白山の本地仏として本尊の十一面観音を波着観音として信仰を集めました。
戦国時代には、越前国守護の朝倉氏の庇護を受け、朝倉氏が滅んだ後もその後に入部した前田利家の庇護を受け、金沢に移った後も兼六園付近に寺領を与え、波着寺を祈祷所としました。
見所
波着寺跡は、成願寺城への登城路の中腹にある急峻な斜面の削平地です。
鳥居を潜り、九十九折りの切り通しの参道を登っていくのですが、この切り通しが見事です。
しかも、巨大な竪堀が参道に並列しています。
旧参道かとも思いましたが、余りにも急な斜度は参道としての利用は現実的ではなく、巨大な竪堀の方が自然に見えます。
御清水と呼ばれる水の手、観音堂、本堂で構成され、本堂は二段構造で入り口が石積みによる桝形になっているところは正に城郭寺院です。
本堂を更に登ると成願寺城に辿り着きますので併せて登城ください。
行き方は、成願寺ふれあい会館を目指して下さい。そこで駐車し、案内板もあるので迷う事なく辿り着けます。
写真
①②③④見事な切り通しの参道
⑤参道に並列する巨大竪堀?
⑥御清水(水の手)
⑦本堂の石積みによる桝形
⑧参道口の鳥居
2016年06月13日 野呂利左衛門督休三
成願寺城
(続き)帰ってからネット検索しましたら余湖くんのお城のページに鳥瞰図がありました。それによると、東に進んで辿り着く、すぐ北側の尾根にも堀切が連続しているそうです。
2016.03.13訪(二日前夜に雨)
2016年06月13日 野呂利左衛門督休三
成願寺城
すでにある口コミのとおりなのですが、結構大変です。枯れ葉の堆積もあり、雨が降った後は滑り易いです。階段も抑えの金属杭しか残っていなかったり、土や枯れ葉に埋もれていたりしている箇所もあります。
幾多の難所(?)をくぐり抜け、尾根に出ると、経年劣化していますが堀切が見られますし、あまり良いとは言えませんが木々の隙間からの眺望も楽しめます。
ですが、それなりの経験と覚悟が必要です。あまり、意地だけで行くべきではありません。
私も一度だけですが足を滑らせて転倒しました。
登山口は公民館から100m東からまっすぐ北です。アスファルトが途中で左に折れますが、無視して土の道をまっすぐです。そうすると波着寺跡入口の電話ボックスを転用した記帳所と鳥居につきあたります。
私はつい私有地の入口かと思い、一度曲がり、行き止まりに入ってしまいました。
波着寺までは九十九折りの道を登りますが、斜面を抉った直線状の道?もあります。見た目からして結構急な感じです。
2015年11月07日 カーネル
成願寺城
越前東郷駅から、北に30分で集会所につき、その東100mほどのところに、波着寺跡への看板があり、ここから登れます
成願寺城へは、波着寺跡を経由しますが、波着寺跡の本堂跡までは案内が多数あり解りやすいです。ここから成願寺城にいくには本堂の右奥に踏み跡があり、進むと藪になってて不安になりますが、更に進むと階段があるので登り、稜線にでれば城域です
左に行けば二重堀や高低差のある見事な堀が多数あります
右は本丸方面なのですが、こちらは道が明瞭でなく、行きは登ってれば自然と本丸に到着しますが、帰りは赤リボンの数が少ないので、迷いやすいです
また、稜線から本堂に降りる箇所も案内があるわけではないので、場所を記憶してから散策しないと帰れなくなります
このあと槇山城に行きましたが、成願寺城の登山口南には、成願寺口というバス停があり、本数もJRより多いので順番を逆にすればよかったと後悔しました
どちらも見所が多く、合わせて3時間半弱で越前東郷に戻りました
歩き計画している方の時間目安になれば幸いです