清水山城(しみずやまじょう)
清水山城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福井県福井市清水山町
旧国名
- 越前国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 斯波義重
築城年
- 応永17年(1410)
主な改修者
- 太田一吉
主な城主
- 太田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、横堀跡
指定文化財
- 市史跡(清水山城跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
鯖江陣屋(福井県鯖江市)[7.2km]
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福井城(福井県福井市)[8.5km]
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東郷槇山城(福井県福井市)[10.3km]
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竜門寺城(福井県越前市)[12.0km]
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清水山城の解説文
清水山城の口コミ情報
2022年09月29日 国府左京大夫城介
天王陣屋[清水山城 周辺城郭]
西尾藩松平氏の越前領統治のための陣屋
【歴史】
明和元年(1764)6月に、松平和泉守乗祐(大給松平家)が大坂城代に任じられた際に、山形(6万石)から西尾(2.7万石)に転封された。その際に、足りない石高を補うために、天領であった越前の丹生郡・南条郡・坂井郡の72ヶ村(3.7万石)が与えられた。明和2年(1765)に、越前統治するための拠点として、天王村に陣屋を築いた。以降、明治4年(1871)の廃藩置県まで存続している。
【遺構】
現在は「陣屋の里」という公民館が建てられており、遺構は残っていない。
陣屋跡の石碑や西尾藩主であった松平氏霊位追福の墓が残る。
【感想】
バスを使って、織田城や安戸の天城をポチした際に、時間(一時間ほど)をつぶすために訪れた陣屋です。
特段遺構は残っていませんが、石碑や説明版を読むと、この地の人々にとってはよい殿様であったことが伺えます。また、その縁から西尾市とも友好関係を結んでいるようです。
しかし、この陣屋を訪れるまで、越前に西尾藩の領地があるとは全く知りませんでした。しかも、説明版に松平氏の越前領の地図が載っていますが、村の位置がかなり分散しており、越前藩や丸岡藩等の越前国内の各藩の中に飛び地で領地を持っていることが分かります。
【アクセス】
鯖江駅または神明駅から、織田行きのバス(鯖浦線)に乗り、朝日で降車し、徒歩10分。
【写真】
①陣屋の里
②石碑
③説明板
④松平氏霊位追福の墓
2021年10月24日 平 右近衛大将 泰次郎 將門
清水山城
公民館に車をとめて、徒歩10分くらいかかります
2021年09月26日 弾正尹 山城守pi_pua
清水山城
清水山町の集落に位置しており、毘沙門神社境内がお城跡。「清水山城」の石碑が建立されています。駐車場は無し。自動車でのアクセスなら、日野川堤防道路
に上がり、堤防横の広場の様な荒れ地に瞬間停車しての攻略が現実的です。荒れ地より毘沙門神社境内に入る人道があります。集落内は、道路も狭く入り込まない方が無難です。
2020年10月21日 まいける美濃守【桔梗】
清水山城
城跡は現在毘沙門神社になってます。車は近くの清水山公民館に停めさせていただきました。公民館から歩いて5分くらいです。アプリの説明にある横堀はちょっと解らなかったのですが、神社の裏にそれっぽい所があったので載せておきます。
2019年11月24日 国府左京大夫城介
三留城[清水山城 周辺城郭]
三留公民館がある十字路に、三留城の史跡説明板があります。そこから、北に60m位進んだ所の民家と民家の間の細道に入っていきます。最初のY字路を右に行きます(左に行くと墓地)。そこから、山道を登っていきますが、人が登った跡があるので、それを利用して登ります。登ると竹藪があり、そこら辺から城郭らしいです。但し、ほとんど人が入らないのか、クモの巣だらけで、倒木があり、薮により道が不明瞭なため、この先に進むのは断念しました。
2014年11月13日 中務少輔きたろう三世
清水山城
付近に駐車スペースがないので、県道32号を西にしばらく進んだところにある墓地に駐車した。
遺構はあまり残っていないが、堀や郭の跡が確認できる。
朝倉氏に攻められ落城するが、天正11年(1583)豊臣秀吉に仕えた太田一吉(太田氏子孫)が城主となる。関ヶ原の戦いの後、廃城となる。
現状は毘沙門社の境内となっている。
交通
JR北陸本線福井駅⇒京福バス清水山線「清水山」下車⇒徒歩5分