安居城(あごじょう)
安居城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福井県福井市金屋町
旧国名
- 越前国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 細川出羽守
築城年
- 南北朝時代
主な改修者
- -
主な城主
- 細川氏(斯波氏家臣)、朝倉氏、戸田氏(豊臣氏家臣)、柴田勝定
廃城年
- 慶長5年(1600)頃
遺構
- 曲輪、土塁
指定文化財
- -
再建造物
- 石碑、説明板
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安居城の解説文
安居城の口コミ情報
2024年09月26日 内記かずりヾ(・ε・。)
安居城
さて、今回の口コミは信濃を離れて越前のお城、安居城っす。訪城当日のおいらは簡単にリア攻めが付く物件を選んで走り廻っていたんすけど、なんとびっくり、比高は低いけどこり、山城じゃないの…この蒸し暑い日にお山に入るなんて勘弁願いたいものだわ…今年のおいらは、献血一回分位は藪蚊に吸血されてるんじゃないかて思えるぐらい悲惨な目に遭ってるしね。
安居城は日野川西岸(左岸)、標高約265mの下市山山頂から南東へ伸びる尾根上、標高約35m地点の平場を中心に立地する要害です。東麓の溜池からの比高は20m位でしょか。
行き方はGoogleマップに位置登録されているのでダイレクト設定して下さい。城域の直下まで車が入るし、駐車スペース(空地)もある。ちなみに下市山ミルキングコースの下市町ため池側登り口から走れば1分も掛からない。
築城年代、築城者は不明です。城歴等についてはアプリの城郭基本情報を参照して下さいまし。越前の事はよく知らん。ちなみに該地の越前国足羽郡安居は、南北朝時代の建武四年(西暦1337年)、但馬から入部した朝倉氏が、康永元年(西暦1342年)、氏寺の弘祥寺を創建した地であり、同氏は、延文二年(西暦1357年)には、足羽荘預所職を、貞治五年(西暦1366年)には、足羽郡の宇坂荘(一乗谷を含む。)、東郷荘、坂井郡の棗荘、坂南本郷、木部島及び、吉田郡の河南下郷、中野郷の七つの荘郷地頭職をそれぞれ勲功の賞として宛行われている。足羽郡安居は朝倉氏にとって早くからの枢要の地の一つであった訳だ。戦国時代以降の文脈で語られる事が多い安居城の城歴だが、むしろそれ以前の流れを中心に据えて捉えるべきお城だと思う。
城主としても数名の人物が語られているが、城主であったとする史料が実際に存在するのかについても疑問がある。何処の城館についても言える事だが、該地を知行した事を根拠にして城主を特定するのは誤りではないだろうか。こうした推測は歴史的に見れば些細な事だが、城歴には、特に廃城時期の判断材料として大きな禍根を残す。具体的に言えば、安居城は最終的には戸田武蔵守勝成の居城であったと認知されているが、個人的にはこのお城に万石を領する勝成が居していたとは到底思えない(一族、家臣団の人数を推して量るべし。)。
お城は極めてコンパクトなんだけど、疑問も生じたのでこちらについては後述する。…堀系を一切持たない殆ど単郭の縄張、虎口は推測するに4箇所が想定されるが、この内の2箇所は後世の改変だろう(多ければ障りになる。)。他の城郭遺構としては土塁様地形が確認出来る。個人的な話になるが、地形を活かした古い要害然とした佇まいが結構気に入っている。
縄張図が手元に無いんでなんとも言えないけど、尾根末端部に鎮座する与須奈神社の境内も城域に含まれてるよね?安居城と神社は採石か採土によって生じたと思われる人工の鞍部によって現在は大きく隔てられているが往時は尾根続きだったと考えるのが自然だろう。神社を縄張に含まないと要害としては不完全だし、境内から見える日野川を眼下に見下ろす展望を築城者として無視する事も出来ないだろう。ちなみに与須奈神社には後世の改変でなければ、前面に段郭、側面には帯郭状の腰郭が付いていたと思うのだが…
前述のとおり、越前の事はよく知らないので不審な点もあるかもしれないけど、口コミの内容について御教授、御指摘下さる方がいらっしゃいましたら遠慮無く伝言板にお願い致しやす。福井県(北陸)、食べ物が最高だったなぁ…もうすぐ出張お城EXPOも開催されるし、皆さんも是非訪ねてみて下さいまし。
※リア攻めを手早く終わらせるつもりだったけど、何だか雰囲気が気に入ってしまい後背地まで登る結果に…藪蚊にぼろぼろにされて陣払い…
※お城を意識しない北陸気まま旅、往時の浄土真宗パワーを感じ取れた4日間だった。おいらがその当時に存在したとしたら、間違い無く一向宗門徒として上杉や織田上等だったと思うw
2011年05月03日 三河守コーキしゃん
安居城
与須奈神社の右手の道を進んで行くと池があり手前の空き地の奥に登城口があります。結構広い曲輪に土塁が一部残っています。
安居城の周辺スポット情報
安居城址解説板(碑・説明板)
登山口(碑・説明板)
ため池登山口の駐車場(駐車場)
越前が織田信長の支配下になると、柴田勝家家臣の柴田勝定が城主となる。江戸時代に廃城となる。
城跡は現状、山林となっている。
交通
JR北陸本線福井駅⇒京福バス西安居線「下市」下車⇒徒歩5分