竜門寺城(りゅうもんじじょう)

竜門寺城の基本情報

通称・別名

龍門寺城

所在地

福井県越前市本町(龍門寺)

旧国名

越前国

分類・構造

平城

天守構造

築城主

富田長繁

築城年

室町時代

主な改修者

主な城主

富田氏、不破氏

廃城年

遺構

消滅

指定文化財

市史跡(龍門寺城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

府中城(福井県越前市)[0.6km]
鯖江陣屋(福井県鯖江市)[5.4km]
小丸城(福井県越前市)[5.9km]
川島城(福井県鯖江市)[7.7km]
杣山城(福井県南条郡)[11.8km]
清水山城(福井県福井市)[12.0km]
安戸の天城(福井県越前市)[13.1km]
織田城(福井県丹生郡)[13.3km]
燧城(福井県南条郡)[14.7km]
池田館(福井県今立郡)[15.6km]

竜門寺城の口コミ情報

2024年05月02日 釆女正佐吉。
紫式部公園[竜門寺城  関連施設]



全国492万人の紫式部ファンのみなさんこんにちは!
お姉さんGWのある日、福井県にレッツらゴーしてきたよ♪
GWにめぐらーが北陸行くって言ったらそう!目的は一つしかない!運営ブログの「GW期間中に特別に発見できるようにします!!」
それは…石田正宗サマを発見するために、決まってる〜っ!!
普段はトーハクに御座します石田正宗サマがっ!福井市郷土歴史博物館にっ!お出ましにっ!なられてるんだよ~~ッッ!(5/6までだよ、急いでね)
石田正宗?誰ソレて人はレッツ検索♪(もしくは「敦賀城」に書いたお姉さんの口コミを読んでね)
…なんだけど、誰も検索、ましてや口コミなんか見ないのわかってるから3行でまとめちゃう。

鎌倉時代の刀工・正宗作の名刀。名前の由来は三成さんが持ってたから。三成さんが護送のお礼に結城秀康に贈り、秀康は石田正宗と名付けて愛用した。刀に切込跡があり別名切込正宗。

「刀剣男士 石田正宗」等身大パネルも設置されたからお姉さん、写真撮りまくりのグッズ買いまくり。お姉さんはいついかなる時もブレないッ!て、違う違うそうじゃない、紫式部の話。3行でまとめちゃう!

平安時代中期の歌人・作家・女官。下級貴族の娘だけど文学の才能があり、評判を聞いた道長に召し出され、中宮彰子に仕えながら源氏物語を完成させた。実名も生没年も不明ぴえん。

越前市の県道28号線を走ってると、紫式部公園の案内板が見えてくるよ。 みんなも知ってのとおり、紫式部は越前国に国司として都から赴任した父の藤原為時に同行し、1年程越前で過ごしたんだ。西暦996年だから、約1000年前の出来事だね。 残念ながら国府の位置は判明していないんだけど、「紫式部ゆかりの紅梅」がある本興寺辺りと言われるよ。

紫式部公園は、全国でも珍しい寝殿造りの釣殿(雅ね~)や、十二単をまとった金箔の紫式部像(岐阜駅の黄金の信長像に対抗したのかしらん…)、泉池とそこに架かる太鼓橋(秋には紅葉で映えるはずよ!)など、見どころが多い公園だよ。無料開放されてるから誰でも気軽に利用できるのが嬉しいね。

お姉さん、釣殿に上がり静々と文机の前に座ってみる。
ポクポクポクポクポク……チーン!閃いた!(一休さん?)

痰壺帝の第二皇女、美貌と才能に恵まれた影平子(かげへいこ)と、多くの男性たちが織り成す恋愛模様…。
妄想大好きお姉さんのためにあるような題材だわ!自費出版するから待っててね。
タイトルは「平子物語」ですよ。

2022年09月15日 尼崎城阿波守一口城主
竜門寺城



9月5日、府中城(越前市役所)下城後に進軍。道中、まつの方(利家公夫人)の念持仏が安置してある厨子がありました。お寺が密集するエリアに竜門寺城はありました。お寺の説明板を読むと竜門寺城は信長公をはじめ利家公、勝家公、秀吉公など織田家の錚々たる武将ゆかりのお城だったことが分かりました。

もう少しお城の痕跡探しをしたかったのですが予定の電車の時間が迫ってきたので泣く泣くJR武生駅に向かい、列車を乗り継ぎ越前大野に向かいました。

2022年06月27日 RED副将軍
竜門寺城



⁡府中三人衆のひとり不破光治の居城🏯

オススメ度 ★⭐︎⭐︎⭐︎⭐︎

1573年に朝倉氏家臣の富田長繁により築城。
織田信長による朝倉氏討伐の際も、ここに本陣を布いたとされます。
朝倉氏が滅亡すると、富田長繁はいち早く信長に降ります。府中を領し龍門寺に城を築き居城としたもの。
1574年、富田長繁は加賀一向一揆に加担。確執のあった守護代の桂田長俊を討ち、越前を支配しました。しかし、悪政により一向一揆の襲撃を受け戦うも、裏切りにも遭い討死。
1575年、織田信長は一向一揆鎮圧のため、再度、越前に侵攻。龍門寺城を本陣として越前を制圧。
越前を平定した織田信長は、北陸方面軍司令官として北庄城に柴田勝家を置き、越前府中城に前田利家、小丸城に佐々成政、龍門寺城に不破光治を与力として配置しました。府中三人衆と呼ばれ、実際は柴田勝家の目付としての意味合いがあった様です。
1580年に不破光治は没し、不破直光が家督を相続。そして賤ヶ岳合戦において柴田勝家についたため、戦後は没落し前田利家に仕えました。龍門寺城も廃城となった様です。
1585年の小牧長久手の戦いの軍功として木村重茲が府中に入部。重茲により龍門寺城址に龍門寺が再興されました。

見所
龍門寺山門前に城址碑が建つのみで、明確な遺構は特に見当たりませんでした。
南側の墓地が窪んだ地形であり堀跡と云われています。

2022年01月01日 越前守餅太郎
竜門寺城

場所は、ファミマ本町店裏の細い路地沿いにあり、車ではなかなか行きにくい所です。

2021年07月27日 くっしー治部大輔尚人
竜門寺城



今はお寺の境内になっていますが、隣のお墓は堀の跡みたいですね!一段低くなっています。
近くに「卍が辻」という少し変形した十字路とスペースがあります。看板の解説だといろんな説があるみたいですが、城の守りとして作られた舛形じゃないかと思います。

車はお寺に数台止められますが、僕は越前市役所から歩いて行きました。15分ぐらいでたどり着きます。その間に寺院がたくさんあって一つ一つ面白いですよ!

2015年10月02日 まるき〜陸中守
竜門寺城

通りから一筋入った場所にあるのですが表側に案内の看板が有るのでわかりやすいです。
龍門寺からすぐの所に口コミにある卍辻、四方から一直線に走って通り抜けられないような造りになっていました。
卍形と言うか、風車の羽根?のように道がついていてどこから入ってきても正面は壁に見えて真ん中で一度立ち止まらされる様な構造、
俗に言う枡形と言うヤツですかねぇ?
今は整備されていていますが、
武者が走り込んできて立ち止まり、砂煙を立ててウロウロ、右往左往する様を想像できそうな場所です。


2015年08月29日 るーみん越前守
竜門寺城

竜門寺城前の細道を100mほど北へ向かうと「卍が辻」という卍形になった道があります。
・織田信長の武将が、雇った足軽の人数を数えるために「人枡」として造ったという説。
・見通しを悪くし、攻め難くするために造った軍事的施設という説。
・竜門寺城の堀跡ではないかという説。
など諸説ありますが竜門寺城に関係する施設ではないかと言われています。

さらに少し北へ行くと、前田利家の妻、まつの念持仏があります。
小さいですけど……。

両方見ても時間はかかりませんので、もし竜門寺城をリア攻めするのであれば、ついでに見に行ってみてはいかがですか。

竜門寺城の周辺スポット情報

 卍が辻(遺構・復元物)

 文殊菩薩(まつの念持仏)(寺社・史跡)

 龍門寺(寺社・史跡)

 紫式部公園(関連施設)

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