小丸城(こまるじょう)
小丸城の基本情報
通称・別名
- -
所在地
- 福井県越前市五分市町
旧国名
- 越前国
分類・構造
- 平城
天守構造
- -
築城主
- 佐々成政
築城年
- 天正3年(1575)
主な改修者
- -
主な城主
- 佐々氏(織田氏家臣)
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、石垣、土塁、横堀(空堀)、虎口
指定文化財
- 県史跡(小丸城跡附野々宮廃寺跡)
再建造物
- 石碑、説明板
周辺の城
-
川島城(福井県鯖江市)[5.0km]
府中城(福井県越前市)[5.6km]
竜門寺城(福井県越前市)[5.9km]
鯖江陣屋(福井県鯖江市)[6.7km]
池田館(福井県今立郡)[9.7km]
杣山城(福井県南条郡)[10.7km]
一乗谷城(福井県福井市)[12.7km]
東郷槇山城(福井県福井市)[13.3km]
清水山城(福井県福井市)[13.6km]
燧城(福井県南条郡)[14.7km]
小丸城の解説文
小丸城の口コミ情報
2022年04月11日 RED副将軍【新宮党】
小丸城
府中三人衆のひとり佐々成政の居城。
オススメ度 ★★★⭐︎⭐︎
1575年に佐々成政により築城。
越前を平定した織田信長は、北陸方面軍司令官として北庄城に柴田勝家を置き、越前府中城に前田利家、小丸城に佐々成政、龍門寺城に不破光治を与力として配置しました。府中三人衆と呼ばれ、実際は柴田勝家の目付としての意味合いがあった様です。
1581年、佐々成政は越中国富山へと移ったため廃城となりました。
見所
本丸の周辺には石垣が残り、特に桝形虎口の埋め門と石垣は一見の価値があります。周囲を巡る空堀も確りと認められます。
2020年08月28日 山城征夷大将軍碑前守
小丸城
虎口の石の天井は見応えあります。
2019年11月04日 織田上総介晃司
小丸城
小丸城跡のすぐそばに駐車スペースがあります。
こぢんまりとした城跡に正体不明の石の門(?)があります。人工物の柱で支えてはありますがくぐり抜けるのは危険、上に乗るのはもっと危険です。
2016年02月22日 まるき〜主殿助
小丸城
写真で見ると何だろう?
虎口に乗っかっている不思議な石が特徴的で橋の代わりにでもしていたのでしょうか?
この石を支えているのは人工的に作られた柱で間近で見ると興ざめてしまいます。
また、ヒビが入っていて危険を感じますのでくぐったり上に乗るのはやめた方が良いかと…
裏に回ると人の畑になっているので見学には気を使う、駐車場ではないが車を停めるスペースあり、トイレもあります。
面白いのは同じ場所に違った形の城址碑が3つもあることと、案内版、看板、バス停、至る所に小丸城と…
どれだけアピールしてるのかと思わせる城址です。
2013年06月01日 摂津守六文銭のだい!
小丸城
武生インターから10分くらいにあります。すぐ横に和伊屋という店があって、そこの十割そばが、めちゃウマでした。
2011年05月04日 三河守コーキしゃん
小丸城
規模は小さめのお城ですが石垣や堀などが残ってお城の形を留めているので見応えがあります
2010年11月14日 June02
小丸城
近くの東運動公園の興徳寺に朝倉家食客であり、姉川の合戦にて戦死した真柄直隆のお墓があります。
寺内には入りにくいですけど…。
2010年09月27日 ムッシュ荒木ムラ村重
小丸城
余談ですが、本丸に続く石門の石の上に蛇の脱け殻が落ちてました
リアル攻めで「#」押したら、『近くにいるかも』に表示されたりして
2010年09月27日 ムッシュ荒木ムラ村重
小丸城
件の文字瓦ですが、文章はかなりの達筆で書かれており、相当身分の高い教養人が遺した物ではないか?と考えられています
小丸城に在城していた佐々成政がライバル・前田利家の『黒い部分』を後世に伝えようとしたのでは?との解釈もあるそうです
歴史の「if」だけではなく「may be」を考えるのも面白いものです
2010年09月27日 ムッシュ荒木ムラ村重
小丸城
昭和7年のこと、小丸城の乾櫓跡を掘削中に一枚の文字瓦が見つかりました
その文字瓦には「前田又左衛門(利家)が一揆衆千人を生け捕り、磔、釜あぶりにしたことをここに書き記す」という内容が記されていました
この文字瓦は小丸城から程近い「越前の里万葉館」に展示されています(今年いっぱいは越前大野城天守に貸し出し中とのことです)
また、越前の里・旧谷口家住宅のすぐ東には一向宗僧侶200人の首を埋葬したと伝わる首塚があります
付近に「小丸」や「北小丸」という字名が残り遺跡名となっているほか、「古城」「的場」「御館」「鉄砲町」などの字名からも、ある時期、かなり広範囲に城郭施設が存在したことがうかがえる。
貞享2年(1685)作成の『越前地理指南』に「五分市村(中略)北に佐々内蔵成政城跡アリ、百八拾間四方」とあって、江戸時代前期に、約1世紀前の城跡と伝承されていたことがわかる。
佐々成政は、天正3年(1575)8月の織田信長により第3次越前侵攻の後、不破光治、前田利家とともに府中周辺2郡に配置された、信長の有力家臣である。天正9年(1581)には越中へ移封されたので、伝承通りとすれば、小丸城はこの間のきわめて短期間に築城、廃絶した城ということになる。近年の瓦研究の進展により、隅櫓から出土した瓦の製作技法が、天正年間前半までにほぼ限られることがわかり、ここが佐々成政による築城であることが確実になった。