鞍谷御所
鞍谷御所([小丸城 周辺城郭])
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鞍谷御所の口コミ情報
2022年09月19日 国府参議城介
継体天皇の宮居の伝承が残る居館
【歴史】
継体天皇(第26代・実在が確実し、現在の皇室と確実に繋がっている)の宮居跡との伝承がある。
応永25年(1418)に、足利義嗣(義満の子で、義持の弟)が殺害(自害)されると、その子・嗣俊は越前へ逃亡しこの地に住み、鞍谷公方と呼ばれるようになった。
別説として、鞍谷氏は斯波氏の一門衆であり、朝倉氏が越前支配の名目として、斯波義俊(応仁の乱の一因である斯波氏のお家騒動の当事者である義廉の子)を守護として迎え、当初は一乗谷にいたが、文明18年(1486)に鞍谷へ移り、女婿として鞍谷氏の名跡を継いだという。その後、鞍谷氏は朝倉氏の客将となり、姻戚関係を結んでおり、朝倉義景の側室・小宰相は鞍谷氏の出身である。朝倉氏が滅ぶと、織田信長の家臣である佐々成政に仕えたという。
【遺構】
小丸城の南東1.2kmに位置する方形居館で、現在は味眞野神社となっている。
東西50m、南北90mほどの方形で、北・西・南面に土塁が、北・西面に空堀が残っている。
【感想】
継体天皇が即位するまで、ここに宮居があったという伝承があり、花筐(はながたみ。世阿弥作の能の一曲)の舞台となっていることから、地元ではラブロマンス推しになっています。継体天皇の像の前がハートマークは😅(Google map等でも確認できます)
遺構としては、東側の遺構が完全に湮滅しているため、実際にどの程度の大きさの居館かは分かりませんが、名目上の越前守護職の居館でもあるので、それなりの大きさはあったのではないでしょうか? また、南側には水堀がありますが、残存している堀の幅と明らかに違うので、往時の物ではないと思います。
鞍谷御所の背後には、詰城として武衛山城があり、ここも訪れる予定でしたが、台風の影響による電車の計画運休などを勘案し、今回は断念しました。しかし、いつかはここもリア攻めしたいと思っています!
【アクセス】
武生駅から自転車で25分。
車の場合、近くにある万葉の里の駐車場を利用可能。
【写真】
①石碑
②説明版
③北側の土塁と空堀
④西側の土塁と空堀
⑤主郭(味眞野神社)
⑥南側の土塁と水堀
⑦継体天皇と照日の前の像
⑧鞍谷御所の詰城・武衛山城