庄城(しょうじょう)

庄城の基本情報

通称・別名

庄ノ城、壇城、段の城

所在地

富山県砺波市庄川町庄

旧国名

越中国

分類・構造

山城

天守構造

築城主

桃井直常?

築城年

正平年間(1346〜1370)以前

主な改修者

石黒氏(壇石黒氏)?

主な城主

桃井氏、石黒氏、神保氏?

廃城年

天正4年(1576)以降

遺構

曲輪

指定文化財

市史跡(壇城跡)

再建造物

碑、説明板

周辺の城

井波城(富山県南砺市)[3.7km]
寺家新屋敷館(富山県南砺市)[6.9km]
野尻城(富山県南砺市)[7.5km]
増山城(富山県砺波市)[8.1km]
大道城(富山県富山市)[8.3km]

庄城の解説文

壇城は庄川右岸の雄神橋東詰の山中にあったもので、現在も「だん」と呼ばれる広い平坦地です。

この平坦地は標高130m、現在は水田になっています。

城跡は室町時代末から戦国時代のものと考えられ、現在も東側の山上には規模の小さい簡単な中世城館遺構(ちゅうせいじょうかんいこう)がいくつも確認でき、主郭(しゅかく)(城の中で建物を建てたり、軍勢を集めたりするために造られた広場)は西麓の「だん」と呼ばれる平坦面に遺存していたと思われます。

昭和58年の試掘調査では、溝・柱穴(ちゅうけつ)・礎石(そせき)・石敷・石列などの遺構が確認され、遺物包含層(いぶつほうがんそう)からは炭化物が出土したことから、幾度か落城したと推測できます。

この郭(くるわ)からは、南東方向に三条山を望むことができ、同山上には同じ南北朝時代の千代ヶ様城(ちよがためしじょう)がありました。距離的にはかなり離れていますが、壇城とは尾根伝いの連絡路があり、平常時の居館が壇城で、千代ヶ様城が緊急時に立てこもる詰城(つめじろ)であったと考えられます。

城主は、国人を集めて挙兵した桃井直常が居城としていましたが、南北朝時代の応安2年(1369)に直常追討のため管領斯波義将の命で派遣された二宮次郎左衛門に攻められ落城したとされています。その後、永正7年(1510)には、長尾為景が上杉顕定を敗死させた後、ここに居住し、また、天正4年(1576)頃、石黒与三右衛門が居住の時、上杉謙信に攻められ退城したとされています。この両城は、共に庄川扇状地の扇頂部に位置する要衝であったことから、南北朝の争乱時には重要な役割を果たしていたと推測されます。

情報提供:砺波市教育委員会

庄城の口コミ情報

藤乃越中守龍神・臥龍様[2013年05月12日]
麓にある弁財天公園から見上げる庄城はナイスです。

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