増山城(ますやまじょう)
増山城の基本情報
通称・別名
- 和田城
所在地
- 富山県砺波市増山字一ノ丸他
旧国名
- 越中国
分類・構造
- 山城
天守構造
- -
築城主
- 不明
築城年
- 南北朝時代以前
主な改修者
- -
主な城主
- 神保氏、上杉氏、佐々氏、前田氏
廃城年
- -
遺構
- 曲輪、土塁、堀切、横堀(空堀)、畝状竪堀、井戸、櫓台、虎口
指定文化財
- 国史跡(増山城跡)
再建造物
- 模擬冠木門、模擬柵、石碑、説明板
周辺の城
-
富崎城(富山県富山市)[6.9km]
日宮城(富山県射水市)[7.2km]
二塚城(富山県高岡市)[7.6km]
庄城(富山県砺波市)[8.1km]
高岡城(富山県高岡市)[11.1km]
安田城(富山県富山市)[11.2km]
願海寺城(富山県富山市)[11.6km]
井波城(富山県南砺市)[11.8km]
大道城(富山県富山市)[12.1km]
木舟城(富山県高岡市)[12.1km]
日本100名城・続日本100名城スタンプ情報
番号・名称
- (続)135 増山城
設置場所
- 砺波市埋蔵文化財センター[地図]
増山城の解説文
増山城の口コミ情報
2024年11月05日 わんわんわんこ
増山城
時間があれば亀山城も行かれるといいかも。亀山城方面から攻めると登りやすいです。山中には野生動物の糞があったのでご注意を。
2024年10月27日 わんわんわんこ
増山城
甘く見てたら結構急斜面ありでした。年内再チャレンジ
2023年10月21日 かしよし讃岐守1181
増山城
小雨の中早足で往復25分ぐらいで行ってこれます。良く整備されてるので傘さしても歩けます。天気が良ければじっくり見てまわりたかった。
2023年07月15日 下総守あかね局
増山城
2023/7/13の大雨により土砂崩れが発生したので入城出来ません。ご注意下さい。
2023年05月28日 大蔵卿ゆーき
増山城
2023年5月時点ですが熊が出没するようなので登城は諦めました
2023年05月05日 和泉 中納言 元就
増山城
続100名城のスタンプはここから車で5分ほど離れた砺波市埋蔵文化財センターに設置。徒歩だときついかも。城郭巡りはよく整備されていて歩きやすい。
2022年08月28日 虎の覇気淡路守ルーミア
増山城
二の丸に続く細い曲がり道と周囲の防御施設が攻め手を少しでも近づけんとたちはだかる 近くの蕎麦屋で腹ごしらえして登城した。
2022年08月11日 Hiro3104左近衛大将
増山城
夏の夕方でしたが蒸し暑さが残っていて入口からの遊歩道で少しバテました😅
二ノ丸で挫折したので涼しい時期にまた来たいな。
2022年07月28日 リリー信濃守
増山城
壮大な御城で、一日楽しめます。因みに、この御城で「とやま城郭カード」50城達成し、「しるし」でカードをいただきました。来場名簿に「50城」と記入したときの達成感は格別です!
2022年05月15日 曲輪但馬守削平
安川城[増山城 周辺城郭]
砺波市安川と栃上に跨がる標高197mの城山にあります。塩谷集落から西に150mほどの場所に「安川城主郭まで400m」の道標があり登城口になってます(県道239から道標ありますが単純に城跡の北側の道路です)。駐車場はありません。5分程で登城路は土橋状になり、城域へ。しかしいきなり虎口が倒木に塞がれていました…。そこからは縄張図通り横矢の掛かる導線を経て三の丸へ。さらに土橋の先にある主郭に向かいます。主郭は若干笹に覆われていました。主郭南の曲輪に立ち寄り、北西の二の丸へ。どこから下りようか探しているとイノシシと思われる足跡がガッツリ下まで続いているのを見つけました。登城路が獣道になってしまってます。居館跡とされる下の郭にはヌタ場らしきものもあって城主生活を満喫されている様子が伺えました。帰路は本来の登城路とされる主郭北側切岸を通りましたが良く分からず。切岸に苦労しながら何とか脱出しました。安川城、城域の大部分は整備された形跡があります。しかし若干荒れ気味な状態です。それでも山城経験のある方であれば問題なく主郭まで行けると思います。熊対策忘れずに。2022.3.12
2021年11月07日 かずん蔵人頭信繁
増山城
駅からかなり遠いですが、それを越えた素敵な山城でした。私は、砺波駅の観光案内所で電動機付き自転車をレンタルして攻めました。昇太さんの解説もあって堪能させてもらいました。
2021年08月23日 雪柳
増山城
スタンプは埋蔵文化財センター。砺波市立庄東小学校の敷地内の北隣。現在、コロナでステージ3のため閉館中。入口でスタンプは押せるが、御城印はもらえない。郵送用の申し込み用紙が置いてある。
砺波駅の電動レンタサイクルを借りて行きましたが、結構距離があります。さらに、城はここからちょっと距離があり、少し登りあり。増山陣屋にはトイレ、自販機あり。
時期によるでしょうが、城内は山城のため、虫除け対策必須。いっぱい蚊に刺されました。アブもいっぱい飛んでます。陣屋に虫除けスプレーが置いてあったが、そのためね。砺波駅からの往復と城内散策で3時間は見て下さい。
2021年05月24日 mootze
増山城
師匠の、音声ガイダンス、とっても、いいです、切岸も、深く残っていて、すごいです、
2021年03月21日 【城郭道】たっきー
増山陣屋(トイレ・休憩所)[増山城 関連施設]
増山城へ行く前に寄った方がいいです。トイレもあり、とても綺麗でした。ここから門は歩いてすぐです。
2020年10月05日 まー刑部卿
増山城
砺波市埋蔵文化財センターへスタンプ押印と共に増山城が写ったもの(スマホ・カメラ)を見せると貰える登録認定証を受領しに行きましたがガッカリしました。もう少ししっかりしたものを想像してました。
増山城は広範囲で中々見応えのあるお城です。この時期は朝から廻るのをお薦めします。
日中帯は気温が上がるため朝のひんやりした時間帯に廻るといいと思います。
登城口は2箇所。
和田川ダムのある増山陣屋という名のトイレ兼休憩所。自販機1台設置。
この日は車2台しか置かれてなかった。
もう1箇所は増山大橋側。
ここには増山城下町土塁が一部残存しています。鉄塔2本向かい側にあります。駐車場も鉄塔に隣接するスペースに2,3台、道路端に2台ほど駐車出来ます。ただ橋渡って七曲りが少しキツいかも。
車1台分の幅でお城廻れる道路があります。
亀山城登山口にある道路を下っていくと増山陣屋に戻れます。
亀山城は勾配がキツいのでご注意を。
2020年09月18日 せせらぎ太政大臣
増山城
小学校の敷地の中にある埋蔵文化財センターでスタンプを押し、増山陣屋に車を停め、ダムサイトを通り、15分くらいで登城
2020年09月17日 【配龍】zenちゃん
増山城
安室屋敷跡にてカモシカ至近距離遭遇!熊鈴持参必須。
増山陣屋駐車場トイレウォシュレット付。
2020年08月15日 まこまこ修理大夫まこ
増山城
行ってみると分かりますが山城としてはかなり大規模な感じです。土塁などもよく残っていて城跡だなというのがよくわかります。大堀切が見所で圧巻です。
2020年08月14日 VTR美濃守シゲ名城オフ会
土塁[増山城 遺構・復元物]
増山城下町土塁跡
神保氏が増山城登り口の防御の為に築いたと説明版に有りました。
高さ、長さ共に大きく見応え十分でした。
2019年11月14日 越中守松宙右衛門
増山城
車は増山陣屋に、自動販売機、トイレあります。
冠木門(写真の場所)から登城。
夏場は、草が茂って堀切などはっきり見えませんでしたが、今はくっきり綺麗に見えます。
いつも、綺麗に整備されてます♪
2019年11月05日 saizo
増山城
砺波市埋蔵文化財センターにて、名城スタンプと御城印いただきました。祝日明けの火曜でお休みかなと思っていましたが、開館していて丁寧に対応していただきました。
県別月別訪問者数統計をとっていて、我が尾張三河国が昨年度1位、今年度も今のところ1位だそうです。
統計表も見やすくて、さすが小学校内併設施設だなぁと感心。
2019年04月28日 ピッケル下野守
増山陣屋(トイレ・休憩所)[増山城 関連施設]
トイレと休憩所があります。
2019年04月25日 あわ長門守ぽん
鐘楼堂[増山城 碑・説明板]
二の丸の中にある、櫓台の上にある鐘楼台です。対岸には、安室屋敷が観えます。
2019年04月05日 無限織部正武威鉄駆
増山城
近くには上杉謙信公の父で増山城攻めの際に討ち死にしたと伝えられる長尾為景公の塚がありますので合わせて訪問されると良いと思います。また一向一揆との戦いで戦死した祖父能景公の塚も近くに有ります。(私有地の為、見学は不可ですが増山陣屋に塚の写真があります。)謙信公が一向衆に対して苛烈な態度で臨むきっかけとなった因縁の地です。帰りは富山ブラックラーメンの名店「麺屋いろは」で一杯食べて帰りましょう♪
2019年03月15日 三好河内守
増山城
中世城郭の縄張のお手本のようなお城。昇太師匠の解説付き(笑)あー楽しかった。カモシカ遭遇はびびった
2018年11月29日 ジャスティ大納言タイラー
増山城
5月第二土曜日付近で増山陣屋にて
・陣屋deマルシェ
屋台等出るそうで、来年以降も開催予定だそうです。
9月第三日曜日付近(砺波市役所HPや砺波正倉となみしょうそうFacebookにて確認)で、
・増山城・戦国祭り
城攻めウォークラリーや他イベント開催とのことで、これも来年以降も開催予定とのことです。
2018年10月06日 うつけ大宰帥麺喰丸
増山城
現在、増山城近くの砺波市埋蔵文化財センター「しるし」では続100名城スタンプ、増山城登城認定証だけでなく、富山県内50城(該当リストはホームページ参照)の写真を見せると該当する城の城郭カードがもらえます!城名がわかる案内標識等が写っているとベストとのこと。但し日曜と祝日はやっていません。
2018年08月21日 陸奥守たろす
増山城
まず、ボランティアさんや行政の想いが伝わるお城でした。
車の場合はやはり増山陣屋に駐車、開館(8:30)しているならパンフを入手し冠木門から登城。
パンフの縄張り図に記された赤ラインをベースに散策すると良い。
ほぼ「山城ガイド」のルートと同じです。
整備されていますが夏は草も伸びてますし、足元も弛い所もあるのでトレッキング靴等がお勧め。
増山城→北東の亀山城→舗装路を下れば来た道を戻らず陣屋に戻れます(舗装路は一部崩落してましたが歩行は可能でした)。
続100スタンプ押す方は陣屋にシールが用意されてますが、やはり砺波市埋蔵文化財センターが開館していれば生印ですよね!
また続100スタンプ目当ての人?には千社札風のシールが貰えました(私で1000人目とのこと)。
あと、先の口コミ通り登城認定証も貰えます(私はNo.656)ので、私は登城後の訪問をお勧めします。
2018年05月06日 まるぴっと
増山城
砺波市埋蔵文化財センターで続100スタンプ押せました。職員の方がとても親切丁寧。先にこちらに寄ってからリア攻めをおススメします。
一の丸は本丸にあらず、二の丸まで行くべし。
2018年05月06日 まるぴっと
増山城
増山陣屋に車を停めて、ダムを渡って本丸へ。
なんと野生のカモシカに会えました!
一の丸へはちょっと急登もあり。靴はスニーカーがおススメ。
新緑の季節。ワラビ採りも楽しめました。
2018年04月29日 笑門来猫
増山城
続100スタンプのある施設は、月曜、第3日曜、祝日が休み。
代わりに登城口そばの陣屋に、スタンプ押したシールが用意されています。
しかし……公式スタンプ帳には「他の用紙に押印したものを張り付けたものは無効となる場合があります」と書かれています。
だ、大丈夫なんでしょうか??(~_~;)
2018年04月06日 アレックス・ディノ
増山城
増山城で写真を撮り、砺波市埋蔵文化財センターで増山城で撮影した写真を見せると、「増山城跡」登城認定証をもらえます。
ここは、平成27年の4月6日にオープンしたそうです。ちょうど丸3年目の今日、認定証No.168でした。
続100名城のスタンプは砺波市埋蔵文化財センターに設置していますが、増山城の近くでも続100名城のスタンプを押したシールを砺波市埋蔵文化財センターの方が用意してくれています。
2017年05月25日 藤乃左近衛少将龍神
増山城
軍神・謙信が三たび攻めた城です。
彼の書状にも「増山之事、元来嶮難之地」とありますから寄せてには厳しい山城やったのでしょう。
近年は虎口と伝わる和田ダムからの登城口に大手門も復元されました。
駐車場、トイレ完備の「増山陣屋」もあります。
山城が初心者の方でも勾配が少なく気軽に
堀切や空堀が見れますよ(*^_^*)
近くに「伝」長尾為景塚(←謙信の父)もありますんで是非ともお立ち寄り下さいませ。
R359に案内板あります。
麓を流れる庄川の鮎は地元の誇り。
6月から9月にお越しになるメグラーさんは
是非ともご賞味あれ(^ー^)
2016年09月21日 まるき〜陸中守
増山城
最高!規模、遺構、探索のし易さ、全てにおいて満足!あまりに書くことが沢山ありすぎて書ききれない…郭の配置や高さ、連絡道、どれをとってもこれぞ "THE山城" だ!と言いたくなる程興味深い(^◇^;)さすがは県内一の山城と言われるだけあります。探索当日は雨だったため晴れた日に改めてチャレンジしたい城跡。全て回るにはたぶん3時間くらい?かかるんじゃないかと…登城口は和田川ダムの堤体奥ダム手前の駐車場に増山陣屋という小さな建物がありパンフや資料、書き込みノート、トイレもここにあるまた、希望者には「増山城登城認定書」というものが発行されるらしく増山城で撮った写真を砺波市埋蔵文化センター受付に見せると発行してもらえる。私はセンター休館日だったので発行不可でした…残念!今年は9月25日に戦祭りが開催される。そのため雨にも関わらず職員さん数十名の方々が草刈り作業されており城内の整備に当っておられました、この後来られる方は遺構がとても見やすくなっています。パンフレットですが去年の物とデザインが若干変更されていました。あっ!手前の和田川ダムてもダムカード発行しています、興味ある方は是非!
2014年08月30日 車楽斎 越中守
増山城
現在、馬洗い池までは行ける様になってます
が、馬洗い池から先はまだ。。。
毎年 恒例の戦国祭り
今年は、「災害レスキューの陣」と題し、9月21日に開催します
つきましては、皆様方のお力をお借りし
残る土砂の除去をお願いする運びとなりました
多数の方のお力をお借りしたく
詳しくは、砺波市教育委員会 生涯学習・スポーツ課まで、お問い合わせ下さい
2014年07月26日 車楽斎 越中守
増山城
増山城跡 解説ボランティアよりお願い!!
7月19、20日の豪雨により
城内、複数箇所にて崩落あり。
皆様の安全を守る為、城跡への入山はご遠慮願います
2013年06月02日 車楽斎 越中守
増山城
今日、地元の方と共同で草刈りしました ^^
見やすくなったので、是非♪
2013年03月17日 車楽斎 越中守
増山城
ボランティアガイド 養成講座 受講生募集中♪
受講だけして終了はNG!!
長期で活動して頂ける方のみ募集です ^^
詳しくは、曲輪の会HPで♪
2012年02月26日 車楽斎 越中守
増山城
ボランティアガイドの方が解説をして下さいます
2011年05月01日 三河守コーキしゃん
増山城
中世山城の特徴が全て詰まったようなとても見応えのあるお城でした時間がなくて全部の遺構を見れませんでした
2010年10月28日 tomm加賀守
増山城
10月27日に「冠木門」が完成しました!
また10月31日(日)には「第2回 増山城戦国祭り」が開催されます
2010年07月01日 tomm加賀守
増山城
アメーバブログ「学芸員の小部屋」にて増山城に関する様々な情報発信がされていますので、ご興味のある方は閲覧してみて下さい。
増山城の周辺スポット情報
冠木門(遺構・復元物)
又兵衛清水(遺構・復元物)
土塁(遺構・復元物)
足軽屋敷 中尾骨(遺構・復元物)
神保夫人入水井戸(遺構・復元物)
馬之背ゴ(遺構・復元物)
大堀切(遺構・復元物)
F郭(遺構・復元物)
無常(遺構・復元物)
安室屋敷(遺構・復元物)
馬洗池(遺構・復元物)
説明板(碑・説明板)
神水鉢(碑・説明板)
鐘楼堂(碑・説明板)
一ノ丸(碑・説明板)
説明板(碑・説明板)
七曲り(碑・説明板)
増山城跡碑(碑・説明板)
安川城(周辺城郭)
亀山城(周辺城郭)
長尾為景塚(寺社・史跡)
水上谷遺跡(寺社・史跡)
串田新遺跡(寺社・史跡)
小杉丸山遺跡(寺社・史跡)
常国遺跡(寺社・史跡)
砺波市埋蔵文化財センター(御城印)
せんだんのHILL(旧栴檀野幼稚園)(御城印)
砺波市埋蔵文化財センター(スタンプ)
トイレ(トイレ)
駐車場(駐車場)
増山陣屋(トイレ・休憩所)(関連施設)
増山城が所在する地は和田ともといわれ、南北朝の史料にみえる「和田城」が増山城の初見とされている。この地は交通の要衝に位置し砺波、射水、婦負の三郡の境にあって、戦国期から織豊期にかけて、多くの武将の攻防の舞台となり、これに応じて城は変遷した。戦国期には越中守護畠山氏の守護代神保氏が勢力をのばしたが、一向一揆勢、越後長尾(上杉)氏との狭間にあった。永禄3年(1560)上杉謙信が攻め込むと、神保長職は富山城を放棄して増山城へ移ったが、謙信の相次ぐ侵攻を受け、天正4年(1576)に増山城は落城した。謙信が没すると織田信長勢が進出し、天正9年(1581)に城は織田勢により焼き払われ、天正11年、信長配下の佐々成政の越中平定以降、その居城となった。その後、豊臣秀吉が越中に侵攻し、天正13年成政は降伏した後、前田利家の重臣中川光重が城に入り、慶長年間頃まで存続したと考えられる。
城の縄張と防御施設
砺波市教育委員会は、平成9年から平成15年にかけて測量・発掘調査を実施した。増山城跡は、和田川東岸の南北約1.4㎞、東西0.9㎞の広大な範囲に及び、二つの谷によって城域は南北におおよそ3つに分けられる。中央に増山城の中心部、北に亀山城、孫次山砦、南に増山城の赤坂山屋敷・団子地山屋敷がある。城の主郭は二の丸と考えられる。二の丸は標高が最も高く、東西90m、南北50mの最大規模をもち、北東隅に櫓台が設置されている。これに加えてこの郭を囲むように四方に一ノ丸、安室屋敷、三ノ丸、無常の郭群が配置して中心部を固めている。東側から南側にかけては長さ300mにも及ぶ長大な堀切を二重に配し、さらに畝状竪堀群を設置して和田川を最外周の外堀にするなど、強固な防御線を構築している。
出土遺物と城下町
出土遺物は国産・中国産の陶磁器類、釘、銭貨、砥石、碁石、漆塗椀などの木製品、炭化米がある。年代比定が可能な土師器皿には16世紀中葉のものがあり、縄張の基礎が神保氏によって造られた可能性を示すが、主体は16世紀後半から末頃にあることから、神保氏の後、上杉、佐々、前田各氏によって大規模な改修・拡充がおこなわれたものと推定される。江戸時代は加賀藩の藩有林となり富山県を代表するマスヤマスギが育成され、現在は富山県定公園及びとやま森林浴の森として市民・県民に親しまれている。活用される城跡へ
一方、和田川西岸には城下町が展開していた。堀を伴う長さ約80mの南北の土塁をはさんだ東側に「下町」、西側に「寺土居町」がある。東側は昭和43年にできたダム湖によってほぼ水没しているが、昭和52年度に行われた圃場整備に伴う発掘調査では、16世紀末から17世紀にかけての遺構・遺物が豊富に出土し、佐々氏から前田氏の時代に城下町が整備されたことが知られる。このように増山城跡は、戦国期から織豊期に北陸地方の覇権形成において重要な役割を果たし、富山県内屈指の規模と防御機能が発達した縄張を有する城であり、越中を代表する中世城郭である。
平成21年に国の史跡に指定された後、地元住民を中心に増山城戦国祭りが開催されて賑わいを見せている。また釣り大会やウオークラリーなど盛んに活用が行われている。平成22年には増山城解説ボランティア養成講座の受講生を中心に「曲輪の会」が結成され、日常のガイド活動も行われるようになった。