安田城(やすだじょう)

安田城の基本情報

通称・別名

安田塁

所在地

富山県富山市婦中町安田

旧国名

越中国

分類・構造

連郭式平城

天守構造

築城主

岡嶋一吉

築城年

天正13年(1585)

主な改修者

主な城主

岡嶋氏(前田氏家臣)

廃城年

慶長年間(1596〜1615)?

遺構

曲輪、土塁、横堀(水堀)

指定文化財

国史跡(安田城跡)

再建造物

石碑、説明板

周辺の城

白鳥城(富山県富山市)[2.0km]
大峪城(富山県富山市)[2.8km]
願海寺城(富山県富山市)[4.6km]
富山城(富山県富山市)[4.7km]
蜷川館(富山県富山市)[5.7km]
富崎城(富山県富山市)[5.7km]
日宮城(富山県射水市)[7.3km]
太田本郷城(富山県富山市)[7.7km]
新庄城(富山県富山市)[8.5km]
岩瀬城(富山県富山市)[9.2km]

安田城の解説文



安田城(やすだじょう)は、越中国婦負郡安田(現在の富山県富山市婦中町安田)にあった戦国時代末の日本の城(平城)。存城期間が短かったため後世の改変がなく、当時の遺構をほぼそのまま残す全国的にも貴重な城跡である。1981年(昭和56年)に「安田城跡」の名称で国の史跡に指定された。とやま城郭カードNo.24[1][2]

構造 

城跡の広さは東西約150メートル・南北約240メートル、約34,000平方メートルで、本丸・二の丸・右郭の三郭(これらの郭名称は現在の便宜上のものであり当時の呼称は不明)からなり、城の東側を流れる井田川から水を引き込み周囲に水濠を構えていた。軸線のずれや、本丸を囲む水濠に一部が削られた右郭の形状から、当初は二の丸・右郭の二郭から成っていたものに本丸が追加造成されたものと考えられている。本丸北東隅は井田川の堤防造成により失われているが、それ以外は往時の遺構をそのまま残している。殊に、本丸は東西約90メートル、南北約80メートルの方形であるが、その郭規模に対し基底部長が約14メートルという非常に幅広の土塁を四周に備えるという特異な点がある。なお、本丸北東隅に櫓が設けられていたのではないかと推定されている。

歴史 

天正13年(1585年)、豊臣秀吉が富山城に拠る佐々成政を征討するために出陣した富山の役の際に、富山城攻めの本陣となった白鳥城の支城として大峪城とともに現れるのが史料上の初見であるが、文献上にみえるものの、いまだ所在が確定されていない安城をその前身とする説もある。前田家の武将岡嶋喜三郎一吉が城主として入り、同年、成政が降伏した後も、越中東部の新川郡が佐々領のまま残ったため、引き続きそのまま前田家の前線拠点として使用された。天正15年(1587年)の成政転封に伴い新川郡は秀吉直轄領(のち上杉領を経て、蒲生騒動による領地替えで前田領)となり、安田城の役目はいったん終わったものと考えられるが、慶長2年(1597年)前田利長が守山城から富山城へ居城を移すと、岡嶋一吉が片山延高とともにその支城として初め白鳥城へ入り、その後ふたたび安田城へ移った。慶長4年(1599年)、前田利家死去により、利長は金沢へ帰還し、岡嶋一吉もそれに従った。その後しばらく代官平野三郎左衛門が居城したが、慶長年間には廃城となったものとされる。

江戸時代に描かれた古図(「安田古城之図」1813年頃製作)から、江戸後期にはある程度姿をとどめていたものと見られるが、近代にはいると水濠は埋まり城跡一帯は田畑として使用されており、遺構は判然としなくなっていた。昭和40年代末に圃場整備計画が持ち上がったことにより一時消失の危機に立たされたが、昭和52年(1977年)と53年の2回にわたり発掘調査が行われ、古図に示されているとおりの遺構が確認されたことから、県内有数の貴重な平地城館遺跡として保存がはかられ、昭和56年(1981年)2月23日に国の史跡に指定[3]された。平成2年(1990年)から4年にかけて整備事業が行われ、1993年(平成5年)5月13日に史跡公園『安田城跡歴史の広場』(市町村合併後は『富山市婦中安田城跡歴史の広場』)として一般公開された。歴史の広場内には土塁、水濠が復元され、資料館が併設されている[4]

遺構 

  • 曲輪、土塁、水堀

関連施設

安田城跡資料館
所在地:富山市婦中町安田224 - 1
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜、祝日の翌日、年末年始
入館料金:無料 
駐車場:50台(無料)

交通案内 

  • 公共交通機関の場合: JR高山本線 速星駅よりタクシーで5分
  • 車の場合: 北陸自動車道 富山西ICから車で10分

安田城の口コミ情報

2024年02月19日 くっしー民部大輔尚人
安田城



本丸や二の丸が綺麗に整備されています。資料館は無料で、安田城跡だけでなく、富山県内のお城や埋蔵文化財についでの情報がたくさん得られるスペースとなっています。

2024年02月01日 RED副将軍
安田城



複郭で濠まで復元整備された前田利家の前線拠点🏯

オススメ度 ★★★★★

1585年に岡嶋一吉により築かれたと考えられています。
岡嶋一吉は、羽柴秀吉に属する前田利家の家臣であり、富山城の佐々成政征伐において羽柴秀吉が白鳥城に本陣を布いた際に、白鳥城の岡嶋一吉が安田城を築いて移ったと考えられています。
同年に佐々成政が降伏した後も、前田利家の前線拠点として機能、1597年に前田利長が富山城に居城を移すと富山城の支城となりました。
1599年に前田利家が没すると前田利長は金沢へ帰還し、岡嶋一吉も従いました。
安田城には代官の平野三郎左衛門が入城しましたが、慶長年間(1596年〜1615年)には廃城となったと云われます。

見所
井田川西岸に築かれた平城です。
南北に本丸と二の丸が並び、二の丸の西側に右郭が配され、三つの曲輪で構成。井田川から水を引き込み周囲に構えていた水濠が復元されています。
方形の本丸は四方に土塁が巡り、南に虎口が開口し、土橋で二の丸と連結されています。
二の丸は北側以外の三方に土塁が巡り、南と西に虎口が開口し、西側虎口は土橋で右郭と連結。
右郭は西側に土塁が付いています。

現存する中世の平城は貴重であり国指定史跡として保存整備されています。無料の史跡安田城跡資料館も隣接し駐車場も完備しています。

2023年03月12日 曲輪淡路守削平
安田城



先週はまだ工事中でしたが、今日は普通に入れました。南側部分の堀の浚渫と護岸工事が行われたようです。HPによると再整備事業は令和11年度までの予定があるようでまだまだです。2023.3.5
再びの工事で右郭へは立入禁止になっています。少しずつですが堀の浚渫と護岸工事が進んでいます。水生植物植栽試験設備(カキツバタ?)も同様に少しずつ整いつつあるようです。2023.11.3

2022年05月06日 野良犬しろチロ丸
安田城



無料の資料館も併設されており、勉強になります。

2022年05月06日 次郎坊
安田城



御城印はありませんでした。蓮の花が少し咲いていました。たくさん咲いていると綺麗だろうな。と思いました。

2022年02月11日 源陸中守@ポンコ2…
安田城



JR高山本線婦中鵜坂駅を利用しましたが、その後富山へも越中八尾へも向かわれる際は、日中2時間くらい電車がない時間帯がありましたので、ご利用は計画的に。

先達の口コミに従い、登城前に安田城跡資料館へ。安田城はじめ越中の城跡の縄張図が30以上あり、また2階に上がると安田城跡がわりと一望できるテラスがあり、よい予習ができました。

資料館側の土橋から右郭→ニノ丸→本丸と連郭式を感じつつ進みましたが、各郭は幅20㍍ほどの水堀、ニノ丸と本丸の土塁が復元整備されており、本丸の土塁幅は多聞櫓でも建てられそうでした。整備前に田畑などで利用されてても、城跡の高低差など残ったおかげで、こうして見られるのはありがたかったです。

今回、残雪ある時期の登城でしたが、四季の移ろいに応じた景観も楽しめそうでした。

2021年08月13日 うっきー
安田城



富山駅から高山方面で二駅先の婦中鵜坂駅で降りて、そこから歩くこと約15分で到着します。平城のため体に優しい城跡となっています。

2021年03月25日 【城郭道】たっきー
土橋(農道)[安田城  遺構・復元物]

直接二の丸に入ることができるこの土橋は当時の安田城とは関係のないもので、江戸時代につけられました。
なので、安田城は必ず右郭、二の丸を通って本丸に入るようになっていました。守りやすくしてたんですね。

2021年03月25日 【城郭道】たっきー
模型[安田城  その他]



ここにある模型で安田城やその周辺にある城(白鳥城、富山城等)を確認することができます。又、方角もあってます。
縮尺はタイルの一辺が500メートルです。

2021年03月22日 【城郭道】たっきー
本丸[安田城  遺構・復元物]



南北80メートル、東西90メートルという広さがある本丸。有事の際にな多数の兵を駐屯することが可能。発掘調査では建物柱穴と見られるものや、礎石と見られる人頭大の石がまとまった柱穴があった。
土塁はなかなか大きく、特に馬踏の部分が広い。もしかしたら、建物(櫓等)があったかもしれない。この部分は歩くこと可能。

2021年03月21日 【城郭道】たっきー
土塁展示室[安田城  関連施設]



安田城本丸にある土塁展示室。安田城の土塁の構造を見ることができます。
寄っていくと良いですよ。

2021年03月08日 【城郭道】たっきー
安田城跡資料館[安田城  関連施設]



安田城の目の前にある安田城跡資料館では最初に解説映像を視聴すると良い。城の概要や時代背景をわかりやすく解説しており戦国時代の安田城の様子を具体的にイメージしやすい。館内では企画展示や城関連資料の配布も行っている。

2020年02月04日 越中守松宙右衛門
安田城



安田城資料館(写真の建物)
開店時間 9時〜17時
休館日 祝日を除く月曜日
    12月28日〜1月4日です。

2019年04月23日 大谷刑部少輔吉隆
安田城跡資料館駐車場[安田城  駐車場]

駐車場だけなら24時間停めれますよ。

2019年04月05日 府県境の城織部正無限
安田城

城郭入り口前に安田城記念館と駐車場がありテンポ良く散策出来ます。また記念館には周辺の城が記載された大きな地図があり秀吉公の越中攻略のルートがよくわかります。攻城した日は風が強く遮るものが城内にはなかったので冬場は防寒着は必須だと思いますが国の指定史跡の為、史跡の保存状況も良く行く価値は有ります♪

2017年10月11日 織田上総介晃司
安田城

安田城跡に隣接する安田城跡資料館の駐車場に停めれます(無料)

廃城になったものの開発などで崩されることがなく当時に近い保存状態で残った貴重な城です。

資料館の館長さんに富山ブラックラーメン元祖の味を食べさせてくれる店を教えていただき「大喜 根塚店」へ行き、美味しい富山ブラックラーメンを食べることができました♪感謝♪

館長曰く他の店は醤油を多く使い黒くてしょっぱいだけだと…
他県の人にがっかりされるのが嫌なのだとか…


2017年05月06日 左衛門佐平八郎
安田城

平地にドーンと構えているので すぐ発見出来ます

資料館には是非立ち寄ることオススメします

「縄張り図でめぐる富山の城」というプリントがあり それぞれ30城以上あります
リア攻めを考えている方は手に入れるべしです!

2015年08月05日 まー刑部卿
安田城

登城時は17時を過ぎてて資料館は閉館してました。資料館の駐車場に停車する。建物の礎石を示すものもなくつまらないかもしれないが当時はどんな状況でどんな景色かを創造することも楽しみの一つと思う。

2014年09月25日 STRADA
安田城

富山駅からバスで行く場合、午前中は『新安田』で降りた方が良いです。(新安田から病院を回って安田なので時間が掛かる。)
城趾まで700メートル程。帰りは『安田』でもオッケー。
午後は逆回り(安田の後に病院その後新安田)なので『安田』で降りて下さい。
ただし、午後は帰りのバスが有りません(笑)


2012年10月21日 三河守コーキしゃん
安田城

県道62号線「安田」の信号を南西に曲がり、高速道路の手前の路地を左折し、300m程行くと左手に安田城が見えます。
縄張りはかなり単純ですが、土塁等が復元されていて、平城らしさが堪能出来るとてもいいお城です。

近くに資料館があり、管理している方がとても親切な対応をしてくれました。



安田城の周辺スポット情報

 二の丸(遺構・復元物)

 本丸(遺構・復元物)

 木橋(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 土橋(遺構・復元物)

 土橋(農道)(遺構・復元物)

 右郭(遺構・復元物)

 石碑(碑・説明板)

 金屋西野館(周辺城郭)

 金屋南遺跡(寺社・史跡)

 安田城跡資料館駐車場(駐車場)

 安田城跡資料館(関連施設)

 土塁展示室(関連施設)

 模型(その他)

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